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徽宗皇帝のブログ

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言わなかったことが何かが大事
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ警句」から抜粋転載。
広島の原爆記念式典における安倍総理のコピペ演説についての、小田嶋さんらしい変化球的見方だ。もちろん、その変化球は見事に外角低めにズバッと決まっている。
私がよく言う、「書(描)かれたものを見るのは簡単だが、何が書(描)かれていないかに気づくのは難しい」の一例である。安倍総理が何を言ったか、よりも何を言わなかったか、が問題だ。それは、下記記事にある通り、「憲法を遵守する」という言葉だ。
つまり、私は憲法を守る気はまったくありません、特に憲法9条は近いうちに破ります、と言っているのも同然だろう。言わないから誰も気づかないだけだ。小田嶋さんのような人でもないと、「何が無いか」に気づく人はいない。
私が昨日読んだ城山三郎(べつにファンでも何でもないが、たまたま図書館で借りた本だ。)の『逆境を生きる』という本によれば、戦前に(昭和)天皇が歴代新総理大臣に最初に求めた三つの条件があったそうだ。それは

「憲法を遵守するように」
「外交関係で無理をして大きな摩擦をおこさないように」
「財界に急激な変動を起こさないように」

の三つであったという。財界云々は、皇室と財界との関係を示していて、皮肉な意味ではそれも面白いがこれを「経済」と読み替えると安倍総理はこの三点のすべてに落第である。憲法否定は言うまでもなく、中国や韓国との摩擦、TPP受け入れ、すべて総理としてやってはいけないことばかりだ。もちろん、昭和天皇の言った憲法とは主権在君の帝国憲法であるが、憲法尊重の姿勢が総理の必須条件であることに変わりはないだろう。そうでなければ野蛮国(無法国家)の独裁者である。


(以下引用)



だから、私は、安倍さんならびに演説を準備したスタッフが、内心で、当該のセレモニーに対してうんざりしていた気持ちは、理解してさしあげるつもりでいる。

 あのコピペ演説は、学校がらみの式典や、冠婚葬祭のカタにハマった儀式性にうんざりした若者が 


「紋切り型をぶつけておけば良いわけだろ?」


 とばかりに、過度に芝居がかった90度のお辞儀をしてみせる気分に近いものだ。


 私が問題を感じるのは、むしろ、安倍さんが、「コピペ」を怠った部分に対してだ。


 昨年の演説において既にそうだったが、安倍さんが原爆記念式典において読み上げたスピーチ原稿には、これまで、歴代の内閣総理大臣が、営々として踏襲してきた文言のうちのいくつかがすっぽりと抜け落ちている。


 たとえば、「憲法」への言及が無い。
 これまで、広島の演説では、戦後の首相は、歴代、一貫して、憲法を遵守し、平和を守る旨の言葉を述べてきた。それが、「慣例」になっていた。


 安倍首相自身も、第一次内閣の時の演説(2007年8月6日)では、


《私は、犠牲者の御霊と広島市民の皆様の前で、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの決意をより一層強固なものとしました。今後とも、憲法の規定を遵守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していくことを改めてお誓い申し上げます。》


 と、歴代の総理が言った通りの言葉をほとんどそのまま読み上げている。


 ところが、二度目の首相の座に就いた昨年の広島の演説で、安倍さんは、憲法に言及しなかった。


 つまり、問題は、今年の演説が昨年の演説のコピペであったことではない。むしろ、昨年の演説が一昨年の演説のコピペでなかった時点で、安倍さんの問題は明らかになっていた。


 ちなみに、昨年の8月15日の全国戦没者追悼式の式辞において、安倍首相は、戦後の首相としてははじめて、「アジア諸国に向けた謝罪のメッセージ」および、「不戦の誓い」を省略した原稿を読み上げている。


 来週の今頃、全国戦没者追悼式の式辞の中で、安倍首相は、いつの時点の演説原稿をベースにしたコピペを読み上げるのだろうか。
 もしかしたら、まったく新しい原稿を用意するのかもしれない。


 そう思ってみれば、戦争終結からこっちの70年間、わが国の国民と政府が、毎年毎年、退屈極まりないコピペの追悼イベントを繰り返してきたことにも、それなりの意義があったということになる。


 というのも、退屈なイベントに新味が加えられて、十年一日の常套句だらけのスピーチから、あるべき常套句が聞かれなくなった時が、実は、戦後70年続いてきた状態が変わる最初の兆候であるかもしれないわけで、その意味で、コピペのイベントは、異常動作検知システムとして、非常時にこそ有効に機能する、坑道の中のカナリアとして評価できるからだ。


 来週の金曜日は、早起きをしてスピーチに耳を傾けてみることにしよう。
 カナリアは鳴くだろうか。


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