「阿修羅」記事の一部を転載。元の記事自体も転載なので、転載元は省略する。アメリカ社会の貧困化についてはこちらのブログでも書いた記憶があるが、「強欲資本主義」「冷酷な資本主義」「抑制の無い資本主義」「経済的自由主義」の行く末に待っているのがこういう社会であり、日本もその道を驀進しているわけだ。レーガン・サッチャー以来、アングロサクソン国家が目指してきたのはこのような「庶民から金を強奪して金持ちに転移していく」という政策だったのである。
もちろん、日本は常にそれに追随し続けてきたのであり、それがもっとも露骨に表れたのが小泉竹中の売国奴コンビの時代だったわけである。日本が格差社会になってきたのは、国家政策の結果であり、それを支持してきたのも日本国民の大半だったということである。もちろん、マスコミに踊らされてきたためだとはいえ、無知もまた罪なのである。
日本の社会人の大半は、政治的見識の面では小学生レベルの人間がほとんどではないのか。それが選挙での投票率にはっきりと表れているのである。まあ、私自身、20代の頃は日曜日に選挙に行くより遊ぶほうを優先させていたのだが、そもそもその頃の自分を考えてみれば、まったく政治に無関心で無知だったのであり、それが国家によってそうなるように仕向けられてきた結果であるのは、ほぼ確実だと思われる。
(以下引用)
<1997年9月、米労働省が発表したレポート>
アメリカの労働人口の半分がパートであり、50万人の労働者を抱えるアメリカ最大の民間雇用主は人材派遣会社である。
<1997年9月1日付けの『ビジネスウィーク』誌>
アメリカのパートの実質賃金(時給)は過去25年間減少し続け、1973年には11.2ドルだったのが、現在では10.2ドルである。
<1997年9月25日付けの『ジャパンタイムズ』誌>
1996年の日本人サラリーマンの平均年収は、460万円であったのに対し、アメリカ人の平均年収は(日本円に換算して)192万円である。これは平均的な日本の労働者は、平均的なアメリカ人労働者の2.4倍の年収を稼いでいることを意味する。
日本国民一人当たりの1997年のGDPは、365万円である、これはバブル開始前の89年と比べると56パーセントの増加である。一方アメリカの1997年の一人当たりのGDPは(日本円に換算して)284万円であり、89年からの伸び率は24パーセントである。
<ワーキング・パートナーシップUSAと経済研究所のレポート>
アメリカでは、多くの貧困者や中流家庭が好景気の波から見捨てられている。
シリコンバレーでは、所得格差と経済的な不安が劇的に増加している。シリコンバレーのエレクトロニクス業界の経営者の1997年の報酬は、平均的な労働者の約220倍であり、91年から比べると42倍になっているのに対して、シリコンバレーで働く労働者の75パーセントは、時間給にして89年より96年のほうが低い。25パーセントを占める最下位労働者に至っては、インフレ調整後の賃金で約13パーセントの減少している。
この6年間で、シリコンバレーの生産労働者の平均年収は6パーセント減少したが、大手企業の経営者上位100人の報酬は390パーセント増加した。また、労働者の時間給が10ドル未満である職種も多く、シリコンバレーの労働者の大半は、その所得で家族四人を養っていくのは無理だと答えている。さらに、個人破産の申請は、過去6年間で65パーセント増加した。
<『ビジネスウィーク』誌のレポート>
CEO(最高経営責任者)の年収は年々増加する一方である。1995年のCEOの平均的な報酬は、給与の他にボーナス、ストック・オプションなどを含め30パーセント増加し、(日本円に換算して)3億7500万円となった。この他に、贅沢な出張やグルメの食事、会社もちの住居、休暇、ゴルフの会員権など、さまざまな特権がつく。
<『Z magazine』に載ったホリー・スクラー氏の記事>
CEOがチーフ・エグゼクティブ・オフィサー(最高経営責任者)だったという古い定義は忘れたほうがいい。CEOはチーフ・エゴ・オフィサー(最高利己主義役員)の略であると考えるべきだ。CEOは労働者が一生働いても稼げない金額を一年で手にし、それを誇りにしている。「貪欲はわれわれにとってよいこと」が彼らのモットーだ。「CEOとそのすぐ下の地位の者との報酬の差は、たった10年間でほぼ倍増した」とU.S.News & WorldReportも報じている。
・・・
1989~94年に、中流家庭の実質年間所得は66パーセント減少して(日本円に換算して)322万円となった。この金額は平均的なCEOにとってはわずか数日分の報酬である。1990年~95年に、CEOの給与は92パーセント(インフレ未調整)、企業利益は75パーセント上昇したのに対し、労働者のレイオフも39パーセント増加した。
CEOのひねくれた理屈では、CEOが仕事にやる気を出すには、とにかくお金が必要だという。それは日本やドイツ、そしてどこの国のCEOよりも多額の報酬だ。その一方で、労働者には右肩上がりの報酬は必要なく、彼らに必要なのは脅しだという。
次の職が運よく見つかったとしても給与は下がることが多く、失業手当などの安全網さえも縮小されたいま、職を失いたくはないだろうという脅しで十分だというのがCEOの論理なのである」
<エコノミストのレスター・サロー氏>
90年代初期までに、トップ1パーセントの国民の所有する富の割合は、実質的の70年代半ばの倍になり、累進課税導入前の1920年代後半と同等になった。
<ビル・トッテン氏>
1997年にはトップ1パーセントの米国家庭は、米国全体の富の42パーセントを所有している。
<1996年、雑誌『ニューヨーカー』に掲載された「大企業424社の経営者に対するサンプル調査」>
アメリカの1979年の大卒者以外の平均時給は、11.23ドルだったが1993年には、インフレ調整済で9.92ドルに下がった。大卒者も、同じく1979年の15.52ドルから、1993年には15.71ドルと、ほんの19セントの増加にとどまった。その一方でアメリカの大企業のCEOの平均報酬は1976年には社員の平均賃金の40倍だったが、20年後の1996年時点で90倍にまで跳ね上がった。
もちろん、日本は常にそれに追随し続けてきたのであり、それがもっとも露骨に表れたのが小泉竹中の売国奴コンビの時代だったわけである。日本が格差社会になってきたのは、国家政策の結果であり、それを支持してきたのも日本国民の大半だったということである。もちろん、マスコミに踊らされてきたためだとはいえ、無知もまた罪なのである。
日本の社会人の大半は、政治的見識の面では小学生レベルの人間がほとんどではないのか。それが選挙での投票率にはっきりと表れているのである。まあ、私自身、20代の頃は日曜日に選挙に行くより遊ぶほうを優先させていたのだが、そもそもその頃の自分を考えてみれば、まったく政治に無関心で無知だったのであり、それが国家によってそうなるように仕向けられてきた結果であるのは、ほぼ確実だと思われる。
(以下引用)
<1997年9月、米労働省が発表したレポート>
アメリカの労働人口の半分がパートであり、50万人の労働者を抱えるアメリカ最大の民間雇用主は人材派遣会社である。
<1997年9月1日付けの『ビジネスウィーク』誌>
アメリカのパートの実質賃金(時給)は過去25年間減少し続け、1973年には11.2ドルだったのが、現在では10.2ドルである。
<1997年9月25日付けの『ジャパンタイムズ』誌>
1996年の日本人サラリーマンの平均年収は、460万円であったのに対し、アメリカ人の平均年収は(日本円に換算して)192万円である。これは平均的な日本の労働者は、平均的なアメリカ人労働者の2.4倍の年収を稼いでいることを意味する。
日本国民一人当たりの1997年のGDPは、365万円である、これはバブル開始前の89年と比べると56パーセントの増加である。一方アメリカの1997年の一人当たりのGDPは(日本円に換算して)284万円であり、89年からの伸び率は24パーセントである。
<ワーキング・パートナーシップUSAと経済研究所のレポート>
アメリカでは、多くの貧困者や中流家庭が好景気の波から見捨てられている。
シリコンバレーでは、所得格差と経済的な不安が劇的に増加している。シリコンバレーのエレクトロニクス業界の経営者の1997年の報酬は、平均的な労働者の約220倍であり、91年から比べると42倍になっているのに対して、シリコンバレーで働く労働者の75パーセントは、時間給にして89年より96年のほうが低い。25パーセントを占める最下位労働者に至っては、インフレ調整後の賃金で約13パーセントの減少している。
この6年間で、シリコンバレーの生産労働者の平均年収は6パーセント減少したが、大手企業の経営者上位100人の報酬は390パーセント増加した。また、労働者の時間給が10ドル未満である職種も多く、シリコンバレーの労働者の大半は、その所得で家族四人を養っていくのは無理だと答えている。さらに、個人破産の申請は、過去6年間で65パーセント増加した。
<『ビジネスウィーク』誌のレポート>
CEO(最高経営責任者)の年収は年々増加する一方である。1995年のCEOの平均的な報酬は、給与の他にボーナス、ストック・オプションなどを含め30パーセント増加し、(日本円に換算して)3億7500万円となった。この他に、贅沢な出張やグルメの食事、会社もちの住居、休暇、ゴルフの会員権など、さまざまな特権がつく。
<『Z magazine』に載ったホリー・スクラー氏の記事>
CEOがチーフ・エグゼクティブ・オフィサー(最高経営責任者)だったという古い定義は忘れたほうがいい。CEOはチーフ・エゴ・オフィサー(最高利己主義役員)の略であると考えるべきだ。CEOは労働者が一生働いても稼げない金額を一年で手にし、それを誇りにしている。「貪欲はわれわれにとってよいこと」が彼らのモットーだ。「CEOとそのすぐ下の地位の者との報酬の差は、たった10年間でほぼ倍増した」とU.S.News & WorldReportも報じている。
・・・
1989~94年に、中流家庭の実質年間所得は66パーセント減少して(日本円に換算して)322万円となった。この金額は平均的なCEOにとってはわずか数日分の報酬である。1990年~95年に、CEOの給与は92パーセント(インフレ未調整)、企業利益は75パーセント上昇したのに対し、労働者のレイオフも39パーセント増加した。
CEOのひねくれた理屈では、CEOが仕事にやる気を出すには、とにかくお金が必要だという。それは日本やドイツ、そしてどこの国のCEOよりも多額の報酬だ。その一方で、労働者には右肩上がりの報酬は必要なく、彼らに必要なのは脅しだという。
次の職が運よく見つかったとしても給与は下がることが多く、失業手当などの安全網さえも縮小されたいま、職を失いたくはないだろうという脅しで十分だというのがCEOの論理なのである」
<エコノミストのレスター・サロー氏>
90年代初期までに、トップ1パーセントの国民の所有する富の割合は、実質的の70年代半ばの倍になり、累進課税導入前の1920年代後半と同等になった。
<ビル・トッテン氏>
1997年にはトップ1パーセントの米国家庭は、米国全体の富の42パーセントを所有している。
<1996年、雑誌『ニューヨーカー』に掲載された「大企業424社の経営者に対するサンプル調査」>
アメリカの1979年の大卒者以外の平均時給は、11.23ドルだったが1993年には、インフレ調整済で9.92ドルに下がった。大卒者も、同じく1979年の15.52ドルから、1993年には15.71ドルと、ほんの19セントの増加にとどまった。その一方でアメリカの大企業のCEOの平均報酬は1976年には社員の平均賃金の40倍だったが、20年後の1996年時点で90倍にまで跳ね上がった。
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