「最低賃金1500円」については2年前にも記事にしていますが、改めて検証します。
結論を先に示すと、このような(⇩)「経済学的に正しい」思想が社会に広がったことが、賃金上昇を抑圧して日本経済を衰退に導いていることになります。
- 作者: ハジュン・チャン,田村源二
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市場経済では、人々は生産性に応じて報酬を受け取る。大げさに同情するリベラルなら、ストックホルムの誰かさんがニューデリーの同等の者よりも50倍も高い賃金をもらっていることを受け入れがたい、などと言いかねないが、それは生産性のちがいを反映したものであるから仕方ない。そうしたちがいを人為的に――たとえばインドに最低賃金法を導入することによって――均そうとすれば、個人の才能と努力に対する不公平かつ非効率な報酬システムができあがるだけだ。自由な労働市場のみが、公平で効率のよい報酬システムをつくりあげることができる。*1
日本の最低賃金は先進国の中では低い部類に入ります。なので、「賃上げすると国際競争力が低下する」は説得力を欠きます。
もっとも、最低賃金が高いか安いかは問題の本質ではありません。昔はこのような低賃金労働は、アルバイトの学生やパートの主婦など、小遣い稼ぎや家計を助けることが主な目的だったので、安くても社会問題にはなりませんでした。しかし、現在ではその賃金で生計を立てなければならない労働者が増えていることが問題なのです。
時給1500円×8時間×250日=300万円なので、国税庁「民間給与実態統計調査」から年間給与300万円未満の男の推移を見ると、
となっています。年間給与300万円未満の男の数と日本経済のパフォーマンスは逆相関していることになります。
なお、年収300万円への賃下げは「フェミニズム的に正しい」ことにも留意が必要です。
正規雇用者の給料を下げて、夫に600万円払っているのなら、夫に300万円、妻に300万円払うようにすれば、納税者も増えます。
サービス価格のインフレが止まったのも同じタイミングです。
そのメカニズムについては、日本銀行の白川方明総裁(当時)が2011年3月2日の衆議院財務金融委員会で説明しています。*2
日本とアメリカのインフレ率の違いというものを過去十数年間分析してみますと、九割方が財ではなくてサービスでございます。
サービスの値段がなぜ下がっているかということ、もちろんいろいろな要因がございます。そのうちの一つの要因として、サービスというのは、これは御案内のとおり、労働集約的な活動が多いということで、賃金の影響を大きく受けるわけでございます。
低賃金化を進めたことがデフレと日本経済の名目成長停止の主因ということです。
「最低賃金1500円」を批判する人は、賃上げすると日本経済が立ち行かなくなると考えているようですが、現実は「賃下げしたから日本経済が立ち行かなくなりつつある」のです。
そもそも「国民生活が豊かになる」ことは「賃金の名目かつ実質ベースでの増加」とほぼ同じなので、低賃金化を進めれば国民が貧困化して購買力も低下し、日本経済全体が地盤沈下していくのは当たり前です。日本経済は、日本人の心に巣くう「生産性向上なくして賃上げなし」という思想の呪縛のために成長できなくなっているのです。
日本経済の衰退は、ボーモルのコスト病への対処を誤ったためと言えます(詳しくは下の記事を参照)。
経済が全体として豊かになるためには、
- 技術進歩するセクター(主に製造業)の生産性向上
だけでは不十分で、多くの人の直感に反しますが、
- 技術進歩しないセクター(主にサービス業)の賃金上昇*3
具体的には、介護や保育のように十年一日の仕事の賃金を毎年2-3%上げていくことが必要です*4。言い換えると、経済成長とは「人間の価値」すなわち人手を要するサービスの価格が絶対的かつ相対的に上昇していく(割高になっていく)ことです。それを問題視して全力で抑制を続けているために、日本経済は成長できなくなっているわけです。*5
- 作者: 下村治
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昭和四十年代、卸売物価は安定しているのに、消費者物価ばかりが上がったことがあった。日銀は金融引き締めなどを検討していたが、下村さんは断言した。「上がっているのはサービス価格です。それだけ人間の価値が上がったのですから、心配いりません」
トレンドを延長すると、サービスの財に対する価格は現在の1.2倍になっていてもおかしくありません。
장하준は最初に引用した「経済学的に正しい」思想が「神話でしかない」と指摘していますが、
市場に任せさえすれば、誰もがその人の価値に見合った正しく公平な賃金をもらえる、という一般に広く受け入れられている説は、神話でしかない。まずは、この神話を脱却し、「市場は政治的なものであり、個人的な生産性は実は社会システムに支えられたものである」ということを理解しなければならない。そうして初めて、わたしたちはより公正な社会をつくりあげることができるのだ。
日本人は「神話」に基づいて「最低賃金への競争」を20年間も続け、泥沼に沈みつつあるのです。互いが互いを攻撃して経済社会が疲弊する様は文化大革命を想起させます。「失われた20年」とは、いわば「殺人のない文化大革命」のようなものです。*6
ケインズが『一般理論』に記したように、既得権益よりも思想のほうがはるかに危険だったということでした。
*1:強調は引用者、以下同。
*3:生産性が変わらないサービス業労働者の賃金をどんどん上げていくということ。サービス価格は割高になっていくが、経済全体では所得が増えるために成長する。
*4:カネは有限のリソースではなく、人間が帳簿上で無限に作り出せるので、制約ではありません。
*5:1990年代には日本の物価が海外に比べて高いことが「内外価格差」でしたが、2000年代に入ると逆転して日本が割安になっています。日本は自主的に先進国から脱落しつつあるわけです。
*6:日銀を激しく批判していたリフレ派の山本議員(地方創生担当大臣)が今度は学芸員を「儲けの妨げ」になるとして攻撃していることから、日本版文化大革命を仕掛けた勢力とその目的が何かが分かります。ソ連崩壊時に国家財産を掠め取って私物化(民営化)したオリガルヒの真似であり、その障害は「抵抗勢力」とされて国民から袋叩きにされます。
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