「株式日記と経済展望」から引用記事(「フォーサイト」記事)だけを転載。
イギリスとアイルランドが「歴史的和解」をしていたというのは知らなかった。新聞もテレビも見ていないせいかと思うが、ネットでも見なかった。そもそも、今のマスメディアは、ネットも含めて、「一部の人間が流したい情報」だけが流され、「世界を知るのに必要な情報」が流されない。せいぜいが、ネットの良心的な個人サイトで流されるだけだが、それもその筆者の趣味嗜好に適う情報だけになりがちであるから、日本人全体としてはどんどん井の中の蛙になっていく。たとえば、音楽情報にしても、海外の音楽と言えばせいぜいが米国発のもの(ヒップホップのような阿呆陀羅経)だけであり、後は日本のポップスだけで満足しているのが今の日本の若者だろう。シャンソンやカンツォーネやファドやボサノバからジャズ、ロシア民謡まで、世界の音楽が流入していたかつての日本から見れば、何と貧困な文化状況かと思うのだが、若者たちはその状況に自足しきっているようだ。
文化的鎖国状況はともかく、(もちろん、米国との交易だけはあるという、「出島」方式鎖国だが)情報の鎖国状況はまったく困ったものだ。
引用は省略するが、「株式日記と経済展望」管理人氏の「私のコメント」によれば、韓国は今もなお日本文化の流入を禁じる政策を続けているようだ。つまり、「文化的鎖国政策」である。鎖国相手が日本だけに限定されているか、それとも日本のように「米国文化以外はシャットアウト」なのかは分からない。まあ、韓国と日本は似たもの兄弟だ。それも非常に仲の悪い兄弟である。
殺人事件の半分くらいは家族間の殺し合いである、と私は思っている。当たり前の話で、ふだん顔を合わせるからお互いに気に入らない言動が出てきて、カッとなって殺すことになる。親しい間柄こそ言動に気をつけなければならないのである。となれば、韓国と日本という近隣国同士がお互いを憎み合うのは当たり前であり、イギリスとフランス、フランスとドイツ、イギリスとアイルランドが歴史的に仲が悪かったのと同様だ。
だが、日本と韓国の場合は、意図的にその憎悪を煽る操作が、ある層によって行われているのは多くの人が薄々気づいていることである。いわゆる「分断統治」だ。ローマ以来の政治手法である。それに乗せられる両国民も情けないが、まあ、人間性の弱点は永遠に変わらない、ということだろう。やはり、「ユダヤプロトコル」を世界的な教科書として、人類が学んでいくしかない。
仲の悪い兄弟でも、紳士的に穏やかに付き合っていくことはできるはずである。
蛇足だが、今回のブログ記事タイトルの「遠慮」は「深謀遠慮」の「遠慮」、つまり「遠くをおもんぱかる」意味である。遠く将来までを考えて行動せよ、ということだ。エリザベス女王の言葉を拝借すれば、
「私たちは過去を忘れはしないでしょう。しかし過去が我々の未来を人質に取ることを許してはならないのです。これこそが我々が両国のこれからの若い世代に与えることのできる最大の贈り物なのです」
ということだ。
(以下引用)
◆日中韓が倣うべき「英・アイルランド」和解への道程 8月15日 フォーサイト
今年4月、アイルランドのマイケル・ヒギンズ大統領(72)が英国を国賓待遇として 初訪問した。アイルランドが英国から独立して1世紀近く、やっと実現した訪問だった。些か旧聞に属するが、 両国の和解は歴史問題でギクシャクする日本と中韓にとっても参考になるはずであり、いま敢えて再考したい。
ヒギンズ大統領は4月8日から11日までの4日間、英国に国賓として迎えられた。アイルランドが英国から独立したのは1922年。同大統領は英国を訪問する初めてのアイルランド大統領となったが、92年もの間訪英できなかったのは、近年までの英・アイルランド(愛)関係があった。
英国は約8世紀もの間、アイルランドを植民地にして過酷な支配を敷き、最後の121年間は英国に併合した。アイルランドは武装闘争の末に独立を勝ち取ったが、独立に際してアイルランドの北部地域(北アイルランド)が住民投票で英国残留を決定したことが英愛関係をこじれさせた。
北アイルランドの英国残留に不満をもつ北アイルランド内の少数カトリック系住民は、英国残留支持派の多数派プロテスタントと対立し、60年代から双方の過激派によるテロの応酬に発展した。さらにアイルランドの人々がカトリック系住民を支持したのに対し、英国の右派はプロテスタント系住民を後押し、両国は植民地・併合時代の歴史問題に加え、「北アイルランド問題」で対立を深めた。
しかし国際社会の粘り強い調停努力と英愛の歩み寄りもあって、2007年にプロテスタントとカトリックの最強硬派の幹部を首班とする北アイルランド自治政府が成立。これによって英愛和解の環境が整った。2011年5月、エリザベス英女王が初めて英国元首としてアイルランドを国賓待遇 で訪問。ヒギンズ大統領の訪英はこの答礼で、これによって両国は名実ともに和解を果たすことになった。
■1000年待ち続けた城で
4月8日、ヒギンズ大統領夫妻はチャールズ皇太子夫妻の付き添いでロンドンから約30キロのウィンザーの町に向かい、エリザベス女王とエジンバラ公の出迎えを受けた。両国歌吹奏、儀仗兵の閲兵、21発の祝砲と、荘重な歓迎式典の後、一行は迎賓館にあてられたウィンザー城まで馬車を連ねてパレードし、沿道では人々が両国国旗を振って歓迎した。
英国滞在中、国賓の迎賓館はロンドンのバッキンガム宮殿があてられる。エリザベス女王の私邸でもあるウィンザー城が提供されるのは極めて稀で、ここにもヒギンズ大統領に対する手厚いもてなしが現れていた。
その夜、ウィンザー城で歓迎晩餐会が催され、両国の各界の著名人160人が招かれた。60メートルもの長大なマホガニーのテーブルに床まで届くクロスがかけられ、皿、ナイフ、フォークの銀器類、花、装飾品が華麗にセッティングされた。シャンデリアと燭台がきらめくなか、着飾った招待客がテーブルを挟み、はるか向こうまで160人がズラリと向かい合って座ったさまは壮観そのものだった。
歓迎スピーチに立ったエリザベス女王はこう述べた。
「このウィンザー城は1000年前に作られました。この間、両国はさまざまな歴史を経験しましたが、このお城はきょうこの日に大統領をお迎えするべく1000年待ち続けていたのです」
「両国の目標は隣人、友人として、互いの主権と伝統を尊重して暮らすことです。両国の歴史において避け得た痛み、後悔する痛みはまだ多くの人が感じていますが、両国の目標は指呼の間にあります」
「私たちは過去を忘れはしないでしょう。しかし過去が我々の未来を人質に取ることを許してはならないのです。これこそが我々が両国のこれからの若い世代に与えることのできる最大の贈り物なのです」
■歴史に囚われるな
女王は杯を挙げ、招待客も起立してこれに倣うと、アイルランド国歌が演奏された。続いてヒギンス大統領が答礼スピーチに立った。本国では政治家よりも知識人として知られる詩人の大統領はこう述べた。
「女王が3年前に我が国を訪問された折、我々が感銘を受けたのは女王が過去の影に尻込みしなかったことです。両国関係を考えるとき、過去の影を無視することはできないことを女王は態度で示されたのです」
「過去は尊敬をもって評価されねばなりませんが、過去が現在ある潜在性や未来の可能性を危機に晒してはなりません。私の英国訪問は両国の温かさと成熟を示すものでもあります」
「失われた命を共に後悔するとしても、英愛が共有する歴史の痛みが両国民の未来の創造を妨げるようなことになってはいけないのです」
こう述べて大統領がエリザベス女王と杯を合わせると、英国国歌「ゴッド・セーブ・ザ・クィーン」が奏でられた。
晩餐会での両元首のスピーチは、広く両国民に対する呼びかけと訴えでもあった。女王と大統領が言わんとしたことは同じだ。「歴史を忘れるべきでないが、歴史に囚われてはならない」ということである。(中略)
■秘訣は「3つの精神」
ヒギンズ大統領は滞在中、英国の上下両院議員を前にスピーチを行う栄誉に浴し 、また国会議事堂にある無名戦士の墓に献花して黙とうした。無名戦士の中にはアイルランドの人々も含まれている。アイルランドが英国に併合されていた第1次世界大戦中、アイルランドの若者は英国兵として徴兵され、戦地に送られたからである。この大戦ではアイルランドの若者4万9000人が亡くなっている。
11日夕、ヒギンズ大統領夫妻は3泊4日の英国訪問を終えて帰国した。
英愛両国は日中、日韓とは比べようもなく長く過酷な歴史を経てきた。おびただしい反乱と弾圧と流血の歴史でもあった。しかも独立後も北アイルランド問題を抱え、これが最終的に解決したのはつい7年前である。しかし英愛両国はついに和解に踏み切った。
その秘訣は何かと言うと、プラグマティズム、歴史問題を政治に利用しない、歴史を忘れないが囚われない未来志向、の3つの精神だったと思われる。21世紀初め頃まで、英愛関係のこじれに比べ、日中、日韓関係の方がはるかに克服しやすいと思われていた。しかしいま英愛関係にさっさと追い抜かれてしまった。エリザベス女王とヒギンズ大統領のスピーチから汲み取るべきものは小さくないのである。
イギリスとアイルランドが「歴史的和解」をしていたというのは知らなかった。新聞もテレビも見ていないせいかと思うが、ネットでも見なかった。そもそも、今のマスメディアは、ネットも含めて、「一部の人間が流したい情報」だけが流され、「世界を知るのに必要な情報」が流されない。せいぜいが、ネットの良心的な個人サイトで流されるだけだが、それもその筆者の趣味嗜好に適う情報だけになりがちであるから、日本人全体としてはどんどん井の中の蛙になっていく。たとえば、音楽情報にしても、海外の音楽と言えばせいぜいが米国発のもの(ヒップホップのような阿呆陀羅経)だけであり、後は日本のポップスだけで満足しているのが今の日本の若者だろう。シャンソンやカンツォーネやファドやボサノバからジャズ、ロシア民謡まで、世界の音楽が流入していたかつての日本から見れば、何と貧困な文化状況かと思うのだが、若者たちはその状況に自足しきっているようだ。
文化的鎖国状況はともかく、(もちろん、米国との交易だけはあるという、「出島」方式鎖国だが)情報の鎖国状況はまったく困ったものだ。
引用は省略するが、「株式日記と経済展望」管理人氏の「私のコメント」によれば、韓国は今もなお日本文化の流入を禁じる政策を続けているようだ。つまり、「文化的鎖国政策」である。鎖国相手が日本だけに限定されているか、それとも日本のように「米国文化以外はシャットアウト」なのかは分からない。まあ、韓国と日本は似たもの兄弟だ。それも非常に仲の悪い兄弟である。
殺人事件の半分くらいは家族間の殺し合いである、と私は思っている。当たり前の話で、ふだん顔を合わせるからお互いに気に入らない言動が出てきて、カッとなって殺すことになる。親しい間柄こそ言動に気をつけなければならないのである。となれば、韓国と日本という近隣国同士がお互いを憎み合うのは当たり前であり、イギリスとフランス、フランスとドイツ、イギリスとアイルランドが歴史的に仲が悪かったのと同様だ。
だが、日本と韓国の場合は、意図的にその憎悪を煽る操作が、ある層によって行われているのは多くの人が薄々気づいていることである。いわゆる「分断統治」だ。ローマ以来の政治手法である。それに乗せられる両国民も情けないが、まあ、人間性の弱点は永遠に変わらない、ということだろう。やはり、「ユダヤプロトコル」を世界的な教科書として、人類が学んでいくしかない。
仲の悪い兄弟でも、紳士的に穏やかに付き合っていくことはできるはずである。
蛇足だが、今回のブログ記事タイトルの「遠慮」は「深謀遠慮」の「遠慮」、つまり「遠くをおもんぱかる」意味である。遠く将来までを考えて行動せよ、ということだ。エリザベス女王の言葉を拝借すれば、
「私たちは過去を忘れはしないでしょう。しかし過去が我々の未来を人質に取ることを許してはならないのです。これこそが我々が両国のこれからの若い世代に与えることのできる最大の贈り物なのです」
ということだ。
(以下引用)
◆日中韓が倣うべき「英・アイルランド」和解への道程 8月15日 フォーサイト
今年4月、アイルランドのマイケル・ヒギンズ大統領(72)が英国を国賓待遇として 初訪問した。アイルランドが英国から独立して1世紀近く、やっと実現した訪問だった。些か旧聞に属するが、 両国の和解は歴史問題でギクシャクする日本と中韓にとっても参考になるはずであり、いま敢えて再考したい。
ヒギンズ大統領は4月8日から11日までの4日間、英国に国賓として迎えられた。アイルランドが英国から独立したのは1922年。同大統領は英国を訪問する初めてのアイルランド大統領となったが、92年もの間訪英できなかったのは、近年までの英・アイルランド(愛)関係があった。
英国は約8世紀もの間、アイルランドを植民地にして過酷な支配を敷き、最後の121年間は英国に併合した。アイルランドは武装闘争の末に独立を勝ち取ったが、独立に際してアイルランドの北部地域(北アイルランド)が住民投票で英国残留を決定したことが英愛関係をこじれさせた。
北アイルランドの英国残留に不満をもつ北アイルランド内の少数カトリック系住民は、英国残留支持派の多数派プロテスタントと対立し、60年代から双方の過激派によるテロの応酬に発展した。さらにアイルランドの人々がカトリック系住民を支持したのに対し、英国の右派はプロテスタント系住民を後押し、両国は植民地・併合時代の歴史問題に加え、「北アイルランド問題」で対立を深めた。
しかし国際社会の粘り強い調停努力と英愛の歩み寄りもあって、2007年にプロテスタントとカトリックの最強硬派の幹部を首班とする北アイルランド自治政府が成立。これによって英愛和解の環境が整った。2011年5月、エリザベス英女王が初めて英国元首としてアイルランドを国賓待遇 で訪問。ヒギンズ大統領の訪英はこの答礼で、これによって両国は名実ともに和解を果たすことになった。
■1000年待ち続けた城で
4月8日、ヒギンズ大統領夫妻はチャールズ皇太子夫妻の付き添いでロンドンから約30キロのウィンザーの町に向かい、エリザベス女王とエジンバラ公の出迎えを受けた。両国歌吹奏、儀仗兵の閲兵、21発の祝砲と、荘重な歓迎式典の後、一行は迎賓館にあてられたウィンザー城まで馬車を連ねてパレードし、沿道では人々が両国国旗を振って歓迎した。
英国滞在中、国賓の迎賓館はロンドンのバッキンガム宮殿があてられる。エリザベス女王の私邸でもあるウィンザー城が提供されるのは極めて稀で、ここにもヒギンズ大統領に対する手厚いもてなしが現れていた。
その夜、ウィンザー城で歓迎晩餐会が催され、両国の各界の著名人160人が招かれた。60メートルもの長大なマホガニーのテーブルに床まで届くクロスがかけられ、皿、ナイフ、フォークの銀器類、花、装飾品が華麗にセッティングされた。シャンデリアと燭台がきらめくなか、着飾った招待客がテーブルを挟み、はるか向こうまで160人がズラリと向かい合って座ったさまは壮観そのものだった。
歓迎スピーチに立ったエリザベス女王はこう述べた。
「このウィンザー城は1000年前に作られました。この間、両国はさまざまな歴史を経験しましたが、このお城はきょうこの日に大統領をお迎えするべく1000年待ち続けていたのです」
「両国の目標は隣人、友人として、互いの主権と伝統を尊重して暮らすことです。両国の歴史において避け得た痛み、後悔する痛みはまだ多くの人が感じていますが、両国の目標は指呼の間にあります」
「私たちは過去を忘れはしないでしょう。しかし過去が我々の未来を人質に取ることを許してはならないのです。これこそが我々が両国のこれからの若い世代に与えることのできる最大の贈り物なのです」
■歴史に囚われるな
女王は杯を挙げ、招待客も起立してこれに倣うと、アイルランド国歌が演奏された。続いてヒギンス大統領が答礼スピーチに立った。本国では政治家よりも知識人として知られる詩人の大統領はこう述べた。
「女王が3年前に我が国を訪問された折、我々が感銘を受けたのは女王が過去の影に尻込みしなかったことです。両国関係を考えるとき、過去の影を無視することはできないことを女王は態度で示されたのです」
「過去は尊敬をもって評価されねばなりませんが、過去が現在ある潜在性や未来の可能性を危機に晒してはなりません。私の英国訪問は両国の温かさと成熟を示すものでもあります」
「失われた命を共に後悔するとしても、英愛が共有する歴史の痛みが両国民の未来の創造を妨げるようなことになってはいけないのです」
こう述べて大統領がエリザベス女王と杯を合わせると、英国国歌「ゴッド・セーブ・ザ・クィーン」が奏でられた。
晩餐会での両元首のスピーチは、広く両国民に対する呼びかけと訴えでもあった。女王と大統領が言わんとしたことは同じだ。「歴史を忘れるべきでないが、歴史に囚われてはならない」ということである。(中略)
■秘訣は「3つの精神」
ヒギンズ大統領は滞在中、英国の上下両院議員を前にスピーチを行う栄誉に浴し 、また国会議事堂にある無名戦士の墓に献花して黙とうした。無名戦士の中にはアイルランドの人々も含まれている。アイルランドが英国に併合されていた第1次世界大戦中、アイルランドの若者は英国兵として徴兵され、戦地に送られたからである。この大戦ではアイルランドの若者4万9000人が亡くなっている。
11日夕、ヒギンズ大統領夫妻は3泊4日の英国訪問を終えて帰国した。
英愛両国は日中、日韓とは比べようもなく長く過酷な歴史を経てきた。おびただしい反乱と弾圧と流血の歴史でもあった。しかも独立後も北アイルランド問題を抱え、これが最終的に解決したのはつい7年前である。しかし英愛両国はついに和解に踏み切った。
その秘訣は何かと言うと、プラグマティズム、歴史問題を政治に利用しない、歴史を忘れないが囚われない未来志向、の3つの精神だったと思われる。21世紀初め頃まで、英愛関係のこじれに比べ、日中、日韓関係の方がはるかに克服しやすいと思われていた。しかしいま英愛関係にさっさと追い抜かれてしまった。エリザベス女王とヒギンズ大統領のスピーチから汲み取るべきものは小さくないのである。
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