(以下引用)
(以上引用)
私は経済学という学問をしたことが無いので、引用文に書かれた説が経済学の定説なのかどうか知らないが、まったくの素人として考えてみる。
最初に金利の定義だが、「カネを貸すことで生じる、返却時のカネの増分の割合」とする。つまり、カネを貸した側は返却時に金利分の儲けを得るわけだ。当たり前の話である。しかし、イスラム教では金利を得ることは不正行為とされているという話を聞いたこともあり、必ずしも金利というものが絶対的なものとは限らず、また高利でカネを貸すのは「高利貸し」と言って、昔から嫌われる存在だったのは事実だろう。高利でも借りないと自社が倒産する、という人が高利貸しに手を出すわけだ。その場合「担保」というものを要求される。カネを返せなかったら、これを没収する、というものだ。その担保は自分の娘でも臓器でもいい。その取り立ては暴力専門家が担当するのも常識だろう。
国債というものは、政府が国民から借金をするということだが、これには担保は無いと思う。政府なら確実に借りたカネを返すと信じられているからだろう。しかし、実際には返せない場合があり、それがデフォルトと言われるものだ。いわば政府破産だ。その場合は債権者の代理人としてIMFなどが政府に乗り込んできて、政府の政策を「ああしろこうしろ」と命令する。たいていは国民から苛烈な税金を搾り取って、借金返済を最優先させる。まあ、政府の放漫財政で国民が被害を受けるわけである。
ここから本論。引用文で言われている「金利」が、どういうものなのか不明だが、これはいったい誰が誰に借りたカネの金利なのだろうか。おそらく、一般にカネを借りる場合の「基準となる金利」があって、それを政府は明示しているのだろうと思う。「公定歩合」とか何とかいうものではないか。よく知らんが。一応、調べてみる。
(以下引用)
(以上引用)
つまり、現在では公定歩合は存在せず、「基準貸付利率」も一部の貸借関係でしか使われていない、つまり「金利自由化」以降は金利制限は無きに等しいと言えるのではないか。
とすると、最初の引用文の「金利」が「物価高で上がる」とか「お金の信頼性が下がることで上がる」という金利はどういう金利のことなのか。まあ、幻想的な「金利の平均値」みたいなものを言っているのではないか、という気がする。
つまり、金利は貸す側が勝手に決めるもので、別に物価やお金の信頼性とは無関係なのではないか、というのが私の考えだが、「世間の空気によって」金利が上がったり下がったりすることはあるだろう。その場合、確かに物価高だと個々人の所有資産が目減りして借金する人が増えるのだから、貸す側が強気になって金利を上げるだろうし、お金の信頼性が下がるとカネが競馬場で使うカネのように紙屑に見えてきて借金する人間が増え、貸す側はやはり強気になって金利を上げるだろう。
そういう「空気の支配」という観点からは、最初に引用した文章は正しいのかもしれない。
結論として、社会全体の経済状況の悪化は金利上昇を生む、と言えるように思われる。逆に言えば、金利上昇は社会経済悪化の指標だと言えそうだ。
■anond:20220429054720
ざっくり言うと金利の上がり方に二種類あって
前者の金利上昇ならその貨幣を買う価値はあるけど後者なら買う価値はない
(以上引用)
私は経済学という学問をしたことが無いので、引用文に書かれた説が経済学の定説なのかどうか知らないが、まったくの素人として考えてみる。
最初に金利の定義だが、「カネを貸すことで生じる、返却時のカネの増分の割合」とする。つまり、カネを貸した側は返却時に金利分の儲けを得るわけだ。当たり前の話である。しかし、イスラム教では金利を得ることは不正行為とされているという話を聞いたこともあり、必ずしも金利というものが絶対的なものとは限らず、また高利でカネを貸すのは「高利貸し」と言って、昔から嫌われる存在だったのは事実だろう。高利でも借りないと自社が倒産する、という人が高利貸しに手を出すわけだ。その場合「担保」というものを要求される。カネを返せなかったら、これを没収する、というものだ。その担保は自分の娘でも臓器でもいい。その取り立ては暴力専門家が担当するのも常識だろう。
国債というものは、政府が国民から借金をするということだが、これには担保は無いと思う。政府なら確実に借りたカネを返すと信じられているからだろう。しかし、実際には返せない場合があり、それがデフォルトと言われるものだ。いわば政府破産だ。その場合は債権者の代理人としてIMFなどが政府に乗り込んできて、政府の政策を「ああしろこうしろ」と命令する。たいていは国民から苛烈な税金を搾り取って、借金返済を最優先させる。まあ、政府の放漫財政で国民が被害を受けるわけである。
ここから本論。引用文で言われている「金利」が、どういうものなのか不明だが、これはいったい誰が誰に借りたカネの金利なのだろうか。おそらく、一般にカネを借りる場合の「基準となる金利」があって、それを政府は明示しているのだろうと思う。「公定歩合」とか何とかいうものではないか。よく知らんが。一応、調べてみる。
(以下引用)
かつて、日本銀行の主な金融調節手段は、オペレーションではなく、「公定歩合」により金融機関に貸出を行うことでした。また、規制金利時代には、預金金利等の各種の金利が「公定歩合」に連動していたため、「公定歩合」が変更されると、こうした金利も一斉に変更される仕組みになっていました。このため、「公定歩合」は金融政策の基本的なスタンスを示す代表的な政策金利でした。
しかし、1994年(平成6年)に金利自由化が完了し、「公定歩合」と預金金利との直接的な連動性はなくなりました。この連動関係に代わって、現在、各種の金利は金融市場における裁定行動によって決まっています。こうした状況のもと、かつての「公定歩合」は、現在、「基準貸付利率」と呼ばれ、「補完貸付制度」の適用金利として、無担保コールレート(オーバーナイト物)の上限を画する役割を担うようになりました。
(以上引用)
つまり、現在では公定歩合は存在せず、「基準貸付利率」も一部の貸借関係でしか使われていない、つまり「金利自由化」以降は金利制限は無きに等しいと言えるのではないか。
とすると、最初の引用文の「金利」が「物価高で上がる」とか「お金の信頼性が下がることで上がる」という金利はどういう金利のことなのか。まあ、幻想的な「金利の平均値」みたいなものを言っているのではないか、という気がする。
つまり、金利は貸す側が勝手に決めるもので、別に物価やお金の信頼性とは無関係なのではないか、というのが私の考えだが、「世間の空気によって」金利が上がったり下がったりすることはあるだろう。その場合、確かに物価高だと個々人の所有資産が目減りして借金する人が増えるのだから、貸す側が強気になって金利を上げるだろうし、お金の信頼性が下がるとカネが競馬場で使うカネのように紙屑に見えてきて借金する人間が増え、貸す側はやはり強気になって金利を上げるだろう。
そういう「空気の支配」という観点からは、最初に引用した文章は正しいのかもしれない。
結論として、社会全体の経済状況の悪化は金利上昇を生む、と言えるように思われる。逆に言えば、金利上昇は社会経済悪化の指標だと言えそうだ。
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