「共産主義」への勝手な想念は別として、言っていることの中には傾聴すべき部分も多く、参考になるので全文転載する。
なお、「共産主義」の定義自体は文中の辞書の定義でいいと思う。隠居爺氏はこれを「大嘘だ」と言っているが、それは現実政治では共産主義を実現した政府はない、というだけのことで、定義自体が嘘というのは言いがかりだろう。つまり、共産主義というのは「実現不可能な妄論」だということだ。昔はそれが地上の天国を招来する、ヒューマニズムの極致と宗教的に信じられたので世界的に共産主義運動が広がったのである。
隠居爺氏のようにただ共産主義を敵視するだけでは、それはむしろ社会の権力構造を維持するだけになるのである。つまり、共産主義がデコイ(偽の標的)化するのだ。そして、DSやWEFや偽民主主義政府のような真の敵の姿が隠される。
大金持ちが「共産主義者」だという言説ほどの愚説はない。ただ、共産主義を勝手に「一部の富裕層と、その他大勢の『平等』で無力な貧困者の社会を目指す思想」と定義した場合に、隠居爺氏の言説は正しいとなる。しかしそれは現在の社会そのもの、つまり新自由主義社会そのものではないか。ビル・ゲイツやクラウス・シュワッブはそれをより強化しようとしているのであり、それは共産主義でも何でもない。もちろん社会主義ではまったくない。まあ、新自由主義と同様に「新共産主義」としてもいいが、それは単に新自由主義の極北にすぎない。
(以下引用)
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毎度書いていることではあるけれども、それにしてもビックリだよね。驚くよね。なにしろ、日本政府が日本国民を殺し始めたのだから。"殺し"では言葉が柔らかすぎる。"虐殺(ジェノサイド)"といっていいように思う。
新型コロナ対策の名の下で、国民の権利や自由を次々と奪い、行動を強制し、ワクチンを使って虐殺を行った。その結果日本人の平均寿命は2年続けて短くなった。約1億2500万人いる日本人の平均寿命が短くなったのだから、政府のしたことは1人や2人を殺したのとは違う。何十万人も殺した結果といえる。大虐殺だ。
それでも、総理大臣以下顔色一つ変えようとしない。知らんフリというか、素っとぼけというか、そういうこと。まあ、日本人も愚かだからね。平均寿命が短くなるくらい痛めつけられたのだから、一人一人の個別の問題ではなく日本人全体の問題なのだけれども、ダメだね日本人は。問題意識を持つことすらできない。頭が悪すぎて、自分たちが殺されているのにそうとは理解できないようだ。
新型コロナ騒動は日本では日本政府の主導したことになる。第1の犯人は安倍元総理であり、第2の犯人は菅前総理であり、第3の犯人は岸田総理になる。もちろん、厚生労働省が政治家と一体になって国民殺しの政策を進めた。
実行犯は医者だった。この犯罪は医者が協力しなければ成立しないものだった。しかし、医者はこの虐殺に積極的に協力した。驚くよね、ビックリだよね。私は医者というのは人の命を救う職業だと思っていたから、天地がひっくり返るような驚きだった。違ったねえ。医者は人の命を救う職業ではなかったんだな。では何かといえば、「人の命を飯の種にしている人種」とでもいえばいいかな。
コロナを抜きにして考えた場合、医者は人の命を救う場合もあったけれど、人を殺す場合もあった。誤診、手術の失敗、治療法選択の誤り、投薬のミスなどで人はたくさん死んでいる。そんなことはみんな知っているけれど、一つ一つを取り上げて問題にすることはしない。そんなことを始めたら切りがないし、犯罪の証明も難しい。医療を必用とする人はたくさんいることから、医者を次々と逮捕していっては医療制度が麻痺してしまうという問題もある。
それゆえ、明らかな殺人の意図を伴っていない限り、医者による人殺しは黙認されるというのが現在の社会制度になる。そういう意味では医師免許というのは、"007"よろしく、殺しのライセンスになる。
まあそれでも、コロナ騒動以前は医者には良心があるという前提の下で、医療制度を構築し、それで社会を維持してそれほど大きな混乱は生じなかった。問題のある医者はそれなりにいたものの、それは一部であって、害悪は知れたものだった。また、良心的な医者もたくさんいた。
それが、今回の新型コロナ騒動で、いくらでもデタラメをやっていいというお墨付きが日本政府から与えられた。ワクチンでは、「どれだけたくさん死んでもいい」「お咎めなしで報酬をはずむ」ということになった。
元々、臨床に携わっている医者というのは一線を超えている。既にルビコン川を渡っている。「あの時ミスって死んじゃった。」「誤診で死んじゃった。」などということは大抵の医者は自分で経験している。「医者は3人殺して一人前」という言葉がある。逆に言うと、ベテランの頼りがいのある医者を見たら「ああ、3人以上は殺しているんだな」と思えば良い。
そんな医者に対して、「無制限に殺していいからワクチンを打て」と日本政府が指示を出した。それを聞いて医者たちは、今まで自分のミスで患者を殺したことを免責される、あるいは正当化されるとでも感じたのではないだろうか。喜んで殺人ワクチンを打ち始めた。
医者一人一人の心理にはそのような面があるかもしれないと思って書いてみたが、医師会となるとどういうことになるだろうか。個人ではなく医者全体としての意思決定であり、医師会も自ら殺人ワクチンの接種を勧めるなど、虐殺に積極的に手を染めた。
そこで連想されるのが共産主義になる。どうも共産主義と虐殺の相性はいいらしい。なぜだろう。ソ連でも、中国でも、ベトナムでも、北朝鮮でも、カンボジアでも、共産党は自国民を虐殺したという。合わせて1億人ともいわれている。(「共産党はなぜ1億人も殺したのか:『共産主義黒書』」2016.3.14 池田信夫)
なぜ、共産党、あるいは共産主義者は自国民を虐殺するのだろうか。池田信夫氏によると、「それは共産主義が、キリスト教やイスラム教と似た一神教だったためだ。しかもそれは、神を否定する一神教だった。」ということになる。
この曖昧な見解は隔靴掻痒の感がある。私流に言えば、「共産党ないしは共産主義者が虐殺を行うのは、強烈な全体主義であるから」となる。全体主義は辞書だと「個に対して全体を優先させる主義」(デジタル大辞泉)などと定義されているが、要するに"みんな一緒"ということになる。そして、みんな一緒から外れる者を次々と殺して行く。それが共産主義の虐殺になる。
今回、日本医師会、あるいは日本の医者はこれをやったのではないかと思う。全体主義の信奉者として、自分たちとシンクロナイズ(同期)しないと感じる者たちを、ワクチンを使って次々と殺し始めたのだ。虐殺であるから、人間としての良心や道徳などは一切考慮されない。異物を排除するというそのことが全てになる。
このことはかつて、ソ連や中国などの共産国で行われた虐殺が、時を越えて日本でも行われたと考えていいのではないだろうか。日本における虐殺の主体は、日本政府であり、医者であり、その支援を行ったのがマスコミや御用学者、御用識者などになる。
共産主義といえば以前、馬渕睦夫氏が「日本の方々に伝えたいことがあります...【ひとりがたり/振り返りpart137】」(2021.7.20)という動画をアップしている。馬渕睦夫氏の認識としては、「共産主義というのは、そういうふうに人民を平気で、つまり自国民も平気で虐殺する政権だと、兵隊だということですね。」ということになり、私が触れたことと同様のことを言っている。
さらに馬渕氏は、「現在世界が左傾化していることとも、底流で結びついているわけですね。」と指摘している。「バイデン大統領は最近FaceBookなどと組んで国民にワクチンを打たせようとやってるわけですね。(中略)これは共産主義の国民に対する締め付けといいますか、それと同じやり方。」
やはり、ワクチンの実質強制接種については、共産主義を思わせる政策であることに間違いはないようだ。そうやって考えると、日本の安倍元総理、菅前総理、岸田総理も実のところは共産主義者と考えていいのかもしれない。
安倍元総理は共産主義者が好みそうな、「緊急事態宣言」を戦後の日本で初めて行った政治家になる。そして、殺人ワクチンの日本への導入も行った。さらに「ひとたび気を緩め、ウイルスへの警戒、感染予防を怠った途端、一気に感染が広がっていく。」と述べたのだけれども、この言い方が私は引っ掛かる。
このセリフは、医学でもなければ科学でもない。単なるデマになる。安倍元総理が大変なデマゴーグ(扇動政治家)であったことの証左ともいえる。しかもその結果が、日本人の平均寿命の低下であり、ジェノサイドであるのだから、スターリンや毛沢東と同類の共産主義者だったという疑いを生じさせる。
いささか俗世間の常識とはかけ離れたことを書いているけれども、これは単に私の思い込みを文字にしているのであって、これが正しいとか、そのように考えるべきであると押し付けようとしているのではない。その点誤解なきよう。私自身は、思考というものがどのように流れて行くのか、その行き先を確かめている程度の認識でいる。
さて、もっと大それた考え方をしていくが、共産主義とは一体何だろうか。やさしく理解するために辞書を引くと、「財産の私有を否定し、生産手段・生産物などすべての財産を共有することによって貧富の差のない社会を実現しようとする思想・運動。」(デジタル大辞泉)となっている。
これは真っ赤な嘘だね。単なる空想の産物というか、机上の空論というか。そんな貧富の差のない社会など現実には存在できるはずがない。実現しようと真面目に思っている人がいるのであれば、それはあまりにも人間を知らない、ないしは社会を知らない人になる。
であるにもかかわらず、人はなぜ共産主義などと言い出すのだろうか。あるいはそれを目指すのだろうか。それは、共産主義を標榜することによって、あるいは共産主義という言葉で人々を騙すことによって、不当な利益を得ようとする者がいることが理由となる。
もちろん今の世の中は共産主義という言葉は使わなくなった。共産主義という言葉が警戒心を引き起こすために、曖昧にしている。グローバリスト、WEF、WHO、SDGs、ムーンショット計画、地球温暖化、現在のアメリカ民主党等々、いずれも共産主義が形を変えて影響していると考えていいように思う。
今の自民党政権などというものも、世界的な流れに合わせて実質共産党政権になっている。LGBT法の件があったから、薄々感ずいている人もいるかもしれない。では、その共産主義社会とは一体何だろうか。
共産主義社会の本質は、一部の特権階級と、その他大勢の貧乏人で構成された社会であると私は推断する。人が社会を作り自然に暮らしていると、格差が生じる。これは当然のことで、貧富の差、権力の差などは無理やり作り出したものではなく、自然にできてしまうものになる。そして、たまたま、大金や大きな権力を得た者が利用し始めたのが共産主義になる。
実は、権力者が権力者である理由、金持ちが金持ちである理由というものはない。たまたまのめぐり合わせや運でそうなっただけのことだ。それを何よりも理解しているのが、権力者や金持ち自身になる。彼らは自分の権力や富の正当性あるいは必然性を自分で確認できないことから不安で仕方がない。自分がいつ周りを取り囲まれて、権力や富を奪われるか、気が気ではない。
そこで、自分たち特権階級が安心して生活できる社会を構築しようとし、それが共産主義社会になる。一部の特権階級は金も権力も思いのままであり、その特権階級を支えるために多数の下層貧困階級が存在している。下層貧困階級は財産を持てず、権力がないどころか人権すらなく、全て管理された生活を送る。そんなあり得ないはずの社会を、彼らは本気で目指している。
評判の悪い竹中平蔵の話を聞いていると、一部の特権階級と多くの下層貧困階級で構成された共産主義へと舵を切りたくてウズウズしていることが分かる。というのも、竹中は自分が特権階級に入ることを確信しているからだろう。
竹中平蔵は言う。「私が、若い人に1つだけ言いたいのは、"みなさんには貧しくなる自由がある"ということだ。」「(若者は)貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな。」(「竹中平蔵(下)「リーダーは若者から生まれる」」(2012.12.30 東洋経済ONLINE))ものの見事に、やがてやって来るであろう共産主義社会、自分が所属する特権階級と、その他大勢の下層貧困階級で構成された共産主義社会を念頭において発言しているように感じられる。
医者は現在の日本ですでに特権階級化している。権力も経済力も図抜けた職業集団になる。しかし彼らはそのことの正当性や必然性を認識できず、それゆえ、どうしても共産主義へと傾倒していくことになる。安倍元総理も岸田総理も同様だ。自分の力で総理大臣になったのではなく、生育環境に恵まれただけの人間だ。仮に私と同様の生まれ育ちならば、どこかの企業の片隅で窓際族をしている程度の人間に過ぎない。
そんな人間たちの目指す社会が共産主義になる。彼らの正当性なき特権を認めてくれる社会としての共産主義だ。そして、安倍元総理以降共産主義者が隠然とした力を持ち始め、この日本においてすら虐殺が行われた。こんなろくでもない日本を作り出したのは、政治家であり、医者であり、学者であり、マスコミであるけれども、なによりもそれを無批判に受け入れる無知蒙昧な日本人、ごく一般の日本人がそれを支えているのはいうまでもない。
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