小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」より転載。着眼の鋭さに脱帽である。一見些細な(というより、無関係な人間にとっては雑談ネタでしかない)非実在高齢者事件(もちろん、これは東京都の「非実在青少年条例」への皮肉)に対し、「役人の焼け太り」を予測するところがすごい。しかも、これはかなりの確率で起こる可能性がある。
役人の実態は多くの人が知っているが、やはりどこかで甘く見たり、その善意を信じたりするところがある。
つまり、我々は甘いのである。いわゆる「性善説」に毒されているのだ。「まさかそこまではやるまい。いくらなんでも彼らも人間なんだから、そんな腐りきった行動はするまい。彼らも人間として恥ずかしいという気持ちはあるだろうから、そこまではしないだろう」などと心の底で考えてしまい、追及が甘くなってしまう。そこか役人のつけ目なのである。
役人(高級官僚)を相手にするときは、彼らを人間だと思わないほうがいい。彼らは一種のモンスターなのである。
(以下引用)
今回の報道のあおりを受けるカタチで、各地のお役所がご老人の所在確認をはじめるようだ。
なるほど。なんだかとても鬱陶しいことになる予感がする。
藪を突ついて蛇を召喚する結果にならなければ良いのだが。
だって、テキはお役人ですよ。一筋縄ではいかない。そう考えなければならない。
役人に仕事を与えるということは、彼らの自己保存に協力するということにほかならない。
しかも、この仕事は、9割以上が無駄足になることがはじめからわかっている。そういう仕事だ。
無駄足。すなわち彼らの主たる業務だ。というよりも、無駄足や無駄口こそが彼らの飯のタネなのだ。
で、無駄足のついでに、お役人衆はどうせ余計なものを見つけてくる。
所在不明高齢者のための生活維持基金機構の設立準備委員会だとか、所在確認事業の経費を算出するための新たな人員の確保だとか、そういうSFみたいなことを言い出す……ようなことは、いくらなんでも無いだろうが、それでも、彼らが動いた分だけの人件費は当然お国なり地方公共団体が負担しなければならない。
消えた年金の時もそうだったが、官僚にとって、怠慢はひとつの事業だ。今日の怠慢が明日の仕事を生む。そういう構造で、彼らの組織は動いている。事実、年金が「消えた」ことは、新たな業務(年金追跡事業)を生んでおり、おかげで、彼らの組織は一時的にであれ、延命し、焼け太りし、商売繁盛している。
役人の実態は多くの人が知っているが、やはりどこかで甘く見たり、その善意を信じたりするところがある。
つまり、我々は甘いのである。いわゆる「性善説」に毒されているのだ。「まさかそこまではやるまい。いくらなんでも彼らも人間なんだから、そんな腐りきった行動はするまい。彼らも人間として恥ずかしいという気持ちはあるだろうから、そこまではしないだろう」などと心の底で考えてしまい、追及が甘くなってしまう。そこか役人のつけ目なのである。
役人(高級官僚)を相手にするときは、彼らを人間だと思わないほうがいい。彼らは一種のモンスターなのである。
(以下引用)
今回の報道のあおりを受けるカタチで、各地のお役所がご老人の所在確認をはじめるようだ。
なるほど。なんだかとても鬱陶しいことになる予感がする。
藪を突ついて蛇を召喚する結果にならなければ良いのだが。
だって、テキはお役人ですよ。一筋縄ではいかない。そう考えなければならない。
役人に仕事を与えるということは、彼らの自己保存に協力するということにほかならない。
しかも、この仕事は、9割以上が無駄足になることがはじめからわかっている。そういう仕事だ。
無駄足。すなわち彼らの主たる業務だ。というよりも、無駄足や無駄口こそが彼らの飯のタネなのだ。
で、無駄足のついでに、お役人衆はどうせ余計なものを見つけてくる。
所在不明高齢者のための生活維持基金機構の設立準備委員会だとか、所在確認事業の経費を算出するための新たな人員の確保だとか、そういうSFみたいなことを言い出す……ようなことは、いくらなんでも無いだろうが、それでも、彼らが動いた分だけの人件費は当然お国なり地方公共団体が負担しなければならない。
消えた年金の時もそうだったが、官僚にとって、怠慢はひとつの事業だ。今日の怠慢が明日の仕事を生む。そういう構造で、彼らの組織は動いている。事実、年金が「消えた」ことは、新たな業務(年金追跡事業)を生んでおり、おかげで、彼らの組織は一時的にであれ、延命し、焼け太りし、商売繁盛している。
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