「阿修羅」に掲載された、ドイツ「ツァイト紙」の記事の後半である。この記事に出てくるクリス・ヘッジスの名前は、「本当の戦争」という著書で知っていた。この「本当の戦争」は名著であり、著者の名前は失念したが、「アメリカの国家犯罪」という本とともに、もしも本屋で見掛けたら、ぜひ購入しておいたほうがいい。おそらく、本屋からすでに回収されているとは思うが、まだ市民図書館などで読むことができる場合もある。
オバマ敗北の陰で暗躍する基地外揃いのお茶の会の発言行動については、小沢に対する非理性的発言が堂々とマスコミ上で吹き荒れる日本との類似性を感じる。「暴力的な言葉は暴力の前触れである」という言葉を、我々は肝に銘じておくべきだろう。
(以下引用)
憎悪が広がる ― ティー・パーティーによる憎悪の扇動(2)"暴力的な言葉はつねに暴力の前触れだ"
http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-11-06
ティー・パーティーがもたらす政治的悪影響を懸念するドイツ『ツァイト』紙の記事の二回目。
記事の途中で引用されている「暴力的な言葉はつねに暴力の前触れだ」という言葉を胸に銘記しておきたい
ものである。
http://www.zeit.de/politik/ausland/2010-11/welt-buendnis-rechtspopulisten?page=2
憎しみが広がるとき (2)
ペイリンのオバマに対する罵声に満ちた長口舌や、大人気となったマードックTVチャンネルのFOXニュースに
でてくるジャーナリストに偽装した憎悪の伝道師たちが毎日流し続ける戦闘的なスローガンは、ヨーロッパの
最悪な手本を連想させる。マードックの司会者が現代の最先端の技術レベルで行っているように、かつての東
ベルリンでは悪名高いカール・エドワルト・フォン・シュニッツラーが、前近代的な東ドイツの国営テレビの
番組「黒いチャンネル」で、西ドイツの民主主義に対してでっち上げの話と歪められた事実を焚きつけていた。
今日のティー・パーティ運動の最悪の主催者たちと同様、1970年代初頭、ドイツのネオナチやドイツの保守政
党の右派や戦犯団体の老齢で頭が硬直した人々も社会民主党の首相ウィリー・ブラントの対東ドイツ政策に対
して罵詈雑言を撒き散らしたものだった。「ブラントを銃殺に」が彼らのスローガンの一つだった。それと同
様に、サラ・ペイリンも、軍事オタクなら誰でも判る「後退するな、銃弾を入れなおせ(Don't retreat,
instead reload)」という言葉で、忍耐と決意を支持者に求めるのである。
ヨーロッパの歴史にはもっと良くない類似例がひしめき合っている。バルカン半島の過激派たち--とくに
セルビアやクロアチアの「キリスト教徒」たち--は言葉を過激化させていくにつれ、1990年代には、最終的
にはユーゴスラビアの崩壊に導きムラジッチやカラジッチのような戦争犯罪人の名前に結びついた国家主義的
な殺人欲求にまで高まった。
「暴力的な言葉はつねに暴力の前触れだ」。有名なオンライン論説紙『トゥルースディグ』(Truthdig)でそ
う書いているのは、『ニューヨーク・タイムズ』紙の元従軍・災害担当の特派員で、数々の賞を受賞したクリ
ス・ヘッジス(Chris Hedgges)だ。
彼はこうしたエスカレーションのシナリオを、多くの戦争、中南米、バルカン半島から学んだのだという。
アメリカの右翼が現在世論を刺激し興奮させているやり方は、まさにそうしたエスカレーションの状況を
ヘッジスに想起させる
のである。
その限りで、ホワイトハウスの大統領に対する始末の悪いティー・パーティーの攻撃は、ヨーロッパにとって、
単なるアメリカの国内問題という以上の意味がある。そこで起きていることは、いずれヨーロッパの民主主義に
影響を及ぼすからである。問題なのは、オバマにとっての選挙の敗北と、そのことがオバマの改革プログラムに
とって意味する政治的後退ということだけではない。ティー・パーティーという憎悪の文化のモデルが光り輝く
力を帯びて模範としての影響を行使することが問題なのだ。なぜなら、ティー・パーティーに比べれば、ヨーロ
ッパではよく知られたスイスやデンマークやオーストリアなどの右翼ポピュリズムやウンベルト・ボッシの北部
同盟(Lega Nord )ですら、穏健なものと言えるからだ。彼らが、その政治的な扇動によって自国の政治的プロ
セスの中でいかに厄介な役割を果たしているとしても、である。
ヨーロッパの右翼ポピュリズムとアメリカのティー・パーティーをつなぐミッシング・リンクは、オランダの
ヘールト・ウィルダース(Geert Wilders)であるかもしれない。このオランダの「イスラム教徒出て行け」タイ
プの政治家は、コーランを発禁処分にさせたがっていて、ザラツィン(Sarrazin… ユダヤ人に対する差別発言で
脚光を浴びたドイツ連邦銀行理事--訳者註)を持ち上げ、パレスチナ人に対する強硬姿勢を崩さないイスラエルの
政治家を支持しているのだが、彼には、オランダ国外の、ベルリンからニュー・ヨークにいたるまでの幅広いとこ
ろから賛同者を増やしているのだ。彼はヨーロッパの新たな「ハイダー((Haider)…オーストリアの極右政治家
--訳者註)」であり、この過激なオーストリア人が残した一種の遺産であり、新しいヨーロッパの右翼のこれまで
なかったタイプの政治家である。
しかし、甲高いサラ・ペイリンを擁して憎悪と不安をまき散らすティー・パーティーは、ヨーロッパでは長い
間わき役だった右翼を必要とはしないだろう。旧世界のキリスト教的で保守的な環境のなかで、新たな友人がやっ
てきたと思われるだろうし、ペイリン一派は引く手あまただろう。
悪名高いスペインの地方政治家エスペランサ・アギーレ(Esperanza Aguirre)は、厳格な右翼で、保守的な
国民党のメンバーであり、リベラルなマドリード市長で党友のガジャルドンと政治的ないさかいが絶えない人だが、
彼女は最近ティー・パーティーの「理念」に興味があると表明した。
それはそれで構わない。選挙結果は、オバマやヨーロッパの社会民主主義者を阻んだり場合によっては消すた
めに、利害関係のある億万長者たちが極右政治家に支払うお金と同程度の意味しかない。アメリカの動きがヨーロ
ッパに伝わるのは時間の問題だ。新たな憎悪のモデルが、ヨーロッパで、コカ・コーラやマクドナルドやスターバ
ックスのように広がることがあれば、それは新たな第一章の始まりになるだろう。ただしそのときに問題となるの
は粗悪な食べ物や高いコーヒーではなく、民主主義の終わりであるかもしれないのだ。
(おわり)
オバマ敗北の陰で暗躍する基地外揃いのお茶の会の発言行動については、小沢に対する非理性的発言が堂々とマスコミ上で吹き荒れる日本との類似性を感じる。「暴力的な言葉は暴力の前触れである」という言葉を、我々は肝に銘じておくべきだろう。
(以下引用)
憎悪が広がる ― ティー・パーティーによる憎悪の扇動(2)"暴力的な言葉はつねに暴力の前触れだ"
http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-11-06
ティー・パーティーがもたらす政治的悪影響を懸念するドイツ『ツァイト』紙の記事の二回目。
記事の途中で引用されている「暴力的な言葉はつねに暴力の前触れだ」という言葉を胸に銘記しておきたい
ものである。
http://www.zeit.de/politik/ausland/2010-11/welt-buendnis-rechtspopulisten?page=2
憎しみが広がるとき (2)
ペイリンのオバマに対する罵声に満ちた長口舌や、大人気となったマードックTVチャンネルのFOXニュースに
でてくるジャーナリストに偽装した憎悪の伝道師たちが毎日流し続ける戦闘的なスローガンは、ヨーロッパの
最悪な手本を連想させる。マードックの司会者が現代の最先端の技術レベルで行っているように、かつての東
ベルリンでは悪名高いカール・エドワルト・フォン・シュニッツラーが、前近代的な東ドイツの国営テレビの
番組「黒いチャンネル」で、西ドイツの民主主義に対してでっち上げの話と歪められた事実を焚きつけていた。
今日のティー・パーティ運動の最悪の主催者たちと同様、1970年代初頭、ドイツのネオナチやドイツの保守政
党の右派や戦犯団体の老齢で頭が硬直した人々も社会民主党の首相ウィリー・ブラントの対東ドイツ政策に対
して罵詈雑言を撒き散らしたものだった。「ブラントを銃殺に」が彼らのスローガンの一つだった。それと同
様に、サラ・ペイリンも、軍事オタクなら誰でも判る「後退するな、銃弾を入れなおせ(Don't retreat,
instead reload)」という言葉で、忍耐と決意を支持者に求めるのである。
ヨーロッパの歴史にはもっと良くない類似例がひしめき合っている。バルカン半島の過激派たち--とくに
セルビアやクロアチアの「キリスト教徒」たち--は言葉を過激化させていくにつれ、1990年代には、最終的
にはユーゴスラビアの崩壊に導きムラジッチやカラジッチのような戦争犯罪人の名前に結びついた国家主義的
な殺人欲求にまで高まった。
「暴力的な言葉はつねに暴力の前触れだ」。有名なオンライン論説紙『トゥルースディグ』(Truthdig)でそ
う書いているのは、『ニューヨーク・タイムズ』紙の元従軍・災害担当の特派員で、数々の賞を受賞したクリ
ス・ヘッジス(Chris Hedgges)だ。
彼はこうしたエスカレーションのシナリオを、多くの戦争、中南米、バルカン半島から学んだのだという。
アメリカの右翼が現在世論を刺激し興奮させているやり方は、まさにそうしたエスカレーションの状況を
ヘッジスに想起させる
のである。
その限りで、ホワイトハウスの大統領に対する始末の悪いティー・パーティーの攻撃は、ヨーロッパにとって、
単なるアメリカの国内問題という以上の意味がある。そこで起きていることは、いずれヨーロッパの民主主義に
影響を及ぼすからである。問題なのは、オバマにとっての選挙の敗北と、そのことがオバマの改革プログラムに
とって意味する政治的後退ということだけではない。ティー・パーティーという憎悪の文化のモデルが光り輝く
力を帯びて模範としての影響を行使することが問題なのだ。なぜなら、ティー・パーティーに比べれば、ヨーロ
ッパではよく知られたスイスやデンマークやオーストリアなどの右翼ポピュリズムやウンベルト・ボッシの北部
同盟(Lega Nord )ですら、穏健なものと言えるからだ。彼らが、その政治的な扇動によって自国の政治的プロ
セスの中でいかに厄介な役割を果たしているとしても、である。
ヨーロッパの右翼ポピュリズムとアメリカのティー・パーティーをつなぐミッシング・リンクは、オランダの
ヘールト・ウィルダース(Geert Wilders)であるかもしれない。このオランダの「イスラム教徒出て行け」タイ
プの政治家は、コーランを発禁処分にさせたがっていて、ザラツィン(Sarrazin… ユダヤ人に対する差別発言で
脚光を浴びたドイツ連邦銀行理事--訳者註)を持ち上げ、パレスチナ人に対する強硬姿勢を崩さないイスラエルの
政治家を支持しているのだが、彼には、オランダ国外の、ベルリンからニュー・ヨークにいたるまでの幅広いとこ
ろから賛同者を増やしているのだ。彼はヨーロッパの新たな「ハイダー((Haider)…オーストリアの極右政治家
--訳者註)」であり、この過激なオーストリア人が残した一種の遺産であり、新しいヨーロッパの右翼のこれまで
なかったタイプの政治家である。
しかし、甲高いサラ・ペイリンを擁して憎悪と不安をまき散らすティー・パーティーは、ヨーロッパでは長い
間わき役だった右翼を必要とはしないだろう。旧世界のキリスト教的で保守的な環境のなかで、新たな友人がやっ
てきたと思われるだろうし、ペイリン一派は引く手あまただろう。
悪名高いスペインの地方政治家エスペランサ・アギーレ(Esperanza Aguirre)は、厳格な右翼で、保守的な
国民党のメンバーであり、リベラルなマドリード市長で党友のガジャルドンと政治的ないさかいが絶えない人だが、
彼女は最近ティー・パーティーの「理念」に興味があると表明した。
それはそれで構わない。選挙結果は、オバマやヨーロッパの社会民主主義者を阻んだり場合によっては消すた
めに、利害関係のある億万長者たちが極右政治家に支払うお金と同程度の意味しかない。アメリカの動きがヨーロ
ッパに伝わるのは時間の問題だ。新たな憎悪のモデルが、ヨーロッパで、コカ・コーラやマクドナルドやスターバ
ックスのように広がることがあれば、それは新たな第一章の始まりになるだろう。ただしそのときに問題となるの
は粗悪な食べ物や高いコーヒーではなく、民主主義の終わりであるかもしれないのだ。
(おわり)
PR
コメント