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徽宗皇帝のブログ

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頭が子供の大人たち
「反戦な家作り」から転載。
この前の記事「それでも完全非武装と言い切るためには」にも感銘を受けたが、今回の記事は、まさに私が自分のぼんやり頭でもうっすらと思っていたことを明確に説明してくれた、貴重な文章である。突き詰めて、最後まで考えきれない、というのが私の最大の欠点で、だからこそ悩むことも無いのだが。(「谷間の百合」さんも、その点、少し似ているらしいww。あちらは直情径行で真面目、私はひねくれ者、という違いはあるが。)政治や社会を自分のブログで論じながら、実はその思考の大半は、連想のままに、思いつきをだらだら書いているにすぎない。論理など、いい加減なものだ。だが、通常の人間の思考生活というものはそんなものではないだろうか。日常の思考は、無数の「浮遊思考」の、脈絡の無い断片の連なりだろう。話したり書いたりする時に、多少の論理で大筋を作るだけのことだ。
話が逸れたが、下の記事は、「まさにその通り」としか言えない立派なものだから、多くの人の目にこれが止まればそれでいい。
なぜ日本が民主国家になれなかったのか。なぜ米国の植民地(属国)のままであるのか。なぜ沖縄が基地に占領されたままであるのか。その答えはただ一つ。

「(それは嫌だと)明確な意思表示をしてこなかったから」である。

まさに、これに尽きると思う。特に、安保闘争時の、岸退陣後に再び自民党を選んだ日本国民の罪は重い。これは、日本が米国の属国であることを日本国民が選んだ、ということである。もっとも、当時はネットが無かったから、自民党の正体(米国によって作られた、属国支配のための政党であるという事実)を見抜ける国民が少なかった、ということはあるから、その状態が今後も続くかどうかは、まだ分からない。変わる可能性もあるだろう。安保闘争の頃にしても、その闘争に立ち上がった人々やそれを支援した人々は、安保条約が米国の日本支配のための条約(日本国内に米軍基地を常駐させ、日本が独立できないようにするもの)であることを明確に理解していたのだ。だが、精神年齢12歳で、難しい政治の話が嫌いで、感覚だけで物事を判断し、「ゲバ棒を振るっている学生はアカだ」ですべての思考を停止させる「大人」たちが、自民党に投票し、今の日本を作ったのである。私は当時子供で、安保騒動やその首謀者たちに嫌悪感を持つだけだったが、世間の大人の大半は、見かけは大人だが、頭は私同様の子供だったわけである。




(以下引用)


「それでも完全非武装」と言い切るために その2

前回の 「それでも完全非武装」と言い切るためには の記事に、鋭いコメントをいただいたので、答えを持っているわけではないが、考えてみたい。

(以下、コメント)

突然コメント失礼します。こちらのページはいつも楽しみに拝見させていただいております。

>;完全非武装とは、琉球処分のような屈辱的な支配を受けるリスクはある。
>しかし、沖縄戦のような地獄は回避できる。
>そういうことなのだ。

ここについて、最初はなるほどと思ったのですが、自分なりに考えるうちに、以下のような疑問が湧きました。

1.完全非武装であれば、支配を受ける過程での戦禍は免れることはできる(私はこの部分には異論はありません)

2.しかし支配されれば、その支配者の軍隊が駐留することとなり、自分たちの社会が否応無く「完全非武装」ではなくなる

3.結果、後に支配者に対し、軍事的に対立する他の勢力が現れたときに、結局は戦禍を避けられない

そう考えると、上記のプロセスはまさしく沖縄が辿った歴史であるようにも思えます。非武装であったために大日本帝国に容易に支配され、その後に軍事拠点化され、太平洋戦争で戦禍にあったわけですから。

であれば、「完全非武装」で避けられるのは「最初の戦禍」だけであり、その後は支配者によって「完全非武装」を捨てさせられることとなりますので、「完全非武装」を貫くためには「絶対に侵略されない」というのがやはり前提になってしまうと思いますが、いかがでしょうか。

また、支配されてからでも、「草の根で抵抗するための覚悟」を持って支配者と戦って勝利し、また完全非武装の状態に戻せるのであれば少し話が変わってきますが、その場合は、まさしく草の根がその支配者と戦って退ける方法があることを、それなりの具体性を持って示せなければ、説得力を持ち得ないでしょう。

私自身は「完全非武装」が良いと思っているのですが、その意見を他者に納得させるための論拠をもっていないため、あえてこういった形で疑問点を書かせていただきました。

これらの問題点の解消が可能であれば、「完全非武装」論が多数に対しての説得力をより持ち得ると思います。いつかお時間のありますときに、もし考察をいただけましたら幸いです。

(コメント以上)

指摘は、二点。

① 自らは非武装でも、占領されたために軍事拠点にされてしまったら、結局戦禍を避けられない
② 非武装で占領者を退ける方法を示さないと説得力が無い

①については、まったそのとおり。まさに、沖縄の歴史そのものだ。

というか、戦後の日本全体も、9条と日米安保がワンセットになっているという意味で、同じことだ。
自衛隊は、そもそも朝鮮戦争に備えて在日米軍を補完するために、警察予備隊として発足したのであって、生まれた時から米軍の下請けなのだ。

こういう書き方をすると、何もかも9条のせいにするのかぁ!!!! と護憲派の皆さんの怒声が聞こえてきそうなので、ちょっと話がそれるけれども、少し書いておく。

米国が日本軍を武装解除して日本を軍事的に占領したこと、その体制がほとんどそのまま日米安保として70年たっても続いていること、これは厳然たる事実だ。

9条はもちろん変えるべきではない。しかし、歴史的に9条が設定された経緯には、占領者の意向があったのは、あまりにも当たり前の話ではないか。
占領下で、占領軍が認めない憲法を作れるわけはないし、占領軍が正義や善意で9条のような憲法を認めるわけがない。大枠はGHQ草案をもとに作られたことは、否定しようがない。
憲法は日本人が独自に作ったんだ、というのは幻想である。

しかし、それでもなお、現憲法は旧憲法や日本政府案などにくらべれば、画期的なものであったし、そこかしこに民主化を求めた当時の日本人の知恵も盛り込まれている。
この憲法を使って「これから民主主義を作るんだ」と決意するのであれば、やはり素晴らしい憲法であった。

しかし残念ながら、憲法ができたとたん、憲法がすなわち民主主義だと勘違いし、憲法を握りしめたままそこで日本人は止まってしまった。
スタートラインをゴールラインだと思ってしまった。

その結果が、今日の自民党独裁であり、安倍ファシズムである。

■■

話を戻そう

非武装であるが故に、他国によって軍事拠点化される問題。
そして、非武装でどうやって占領軍に対峙するのか。

最大の問題は何かというと、占領されることではなく、占領軍を受け入れてしまうことだ。
先の例でい言うならば、日米安保と在日米軍を、日本人が峻拒できず、受け入れてしまったことなのだ。
存在は無くせなくとも、拒否するという意思表示をできなかったということが、問題なのだ。

たしかに日米安保に対しては大きな大衆運動が起きた。岸内閣は辞任もした。
しかし、その直後の選挙で自民党は圧勝。投票率73.51%、自民党の得票率57.56%、議席率63.4% で池田内閣が誕生している。
日本人の大半は、日米安保と米軍を受け入れたのである。

もちろん、占領されている以上、住民がいくら拒否しても軍事化はされる時はされてしまう。
しかし、ほとんどの国民から怨嗟の的になり、基地から出るのも容易ではない占領軍と、消極的であっても受け入れられている駐留軍では、軍事的な意味合いは全然違うはずだ。

同じ米軍でも、日本にいる時とイラクにいる時では、天国と地獄だろう。
戦闘や自爆テロがなくとも、針のむしろで永続的な基地経営は困難だ。

占領軍に対して、完全拒否はできなくとも、官民一体となって小さい嫌がらせやサボタージュを永続的に続けていくことだ。

そしてもう一点は、自分たちは占領軍に出て行って欲しいという意思表示を、世界に向けて発信すること。
占領されているから今は拒否できないが、実は国民は拒否したい という意思を、占領国の敵国も含めて、世界中にアピールする。

まさに、今の沖縄のように、民意を明確に表現することだ。
リアルでも、ネットでも、人づてでも、あらゆる手段を使って発信する。

これらは、言葉を換えて言うならば、プライドを失わないということ。
オール沖縄がイデオロギーよりアイデンティティーで結束したように、占領される側が自分たちの集団(民族だったり国だったり社会だったり地域だったり)に誇りをもち、そこに結集するということでもある。

その上でもちろん、侵略・占領される可能性を、少しでも減らす努力をすること。
ただ、いくら努力をしても、もともと可能性は大きくはないとしても、ゼロにはならない。

いくら拒否しても、いくら自分が非武装でも、巻き込まれる可能性もゼロにはならない。

だからこそ、9条を唱えていれば平和が守られるという幻想ではなく、現実のリスクを認識して、少しでもそれを減らす努力をしなければならない。
9条は今現在も厳然として存在しているけれど、安倍晋三は「何をやっても合憲合憲♪」と口ずさみながら、戦争準備を進めているではないか。

残念ながら、戦争だらけのこの世界に生きていて、自分だけまったく戦争のリスクゼロというわけにはいかない。
本当に悔しいけれど、完全なゼロにすることは できない。

だからこそ、どうしたら減らせるのか、真剣に考えなくてはならないのだと思う。
以上が、コメントの指摘に対する直接の答えにはなっていないけれども、今のところの私の考えである。

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