つまり国家の行う「事業」とはいくら私企業のように見せかけても基本的に採算は度外視、関係者の個人的利益になるかどうかだけが問題なのだ。国鉄をJRとよび専売公社をJTとよび電電公社をNTTとよんだところで「親方日の丸」体質が変わる道理がなく、デブがいくらダイエットしてもエビちゃんにはなれないように相撲取りになるしか手はないのである。
鉦や太鼓で大騒ぎ自分たちの個人的役得をマスコミを使って大宣伝しても、北陸新幹線の乗車率は、、、開業から10日も経たないうちにもはやほとんどが空席である。
ことほど左様に、
やる前から分かっているけれど、ムラの役得のために「やる」しかなく、どうせ最後は血税を補てんすれば済むのだから何の躊躇もない。
成田空港しかり、おそらく、リニア新幹線も悲惨な結果が見えているけれど決行するしかないのであろう。
無限の高コストでも実行しないと「ムラ」の住民が儲からないからである。
その典型が原子力発電所である。ただ原発の場合は国民の資産の収奪ばかりではなく健康や生命維持権、生存権すらも収奪するのであるからたちが悪い。しかも何万年にもわたって、、、である。
もちろん
誤解なきよう念を押すが、ここでいう「ムラ」とは地理的概念でも集落といった概念ではなく「原子力ムラ」に代表されるような特定の利益独占者たちのことを言っている。
そういういみでは
「ムラ」でなく「チョウ」ではあるが「永田町」という用語の使われ方と類似している。伝統的にこうした利権のあざとさに於いて「その」永田町でも群を抜いているのが清話会系であることはいうまでもない。
とまれ
旧三公社や半官半民の基幹産業は衰退して利得の少なくなった林野事業を除けば見事に私企業の形に化粧して再び旦那衆の食い物になっている。そうとうな厚化粧ではあるけれど、、、。
すなはち
JR,NTT,JTはいうに及ばず電気事業者(東電のような)や航空会社(JALのような)や放送事業者(NHKのような)採算度外視の親方日の丸は現代では共産主義国家でもまれなのである。
つまり
国民に恰も税金のように(電気料金、NHK視聴料など)払わせていても、黙って治める「租庸調」以来の国民性に甘んじている事実上の国営企業は税金の収奪をする国家と本質的にはなんら変わっていないからだ。
つまり(繰り返すが)
一見別個のようにみえる、国民保健も年金も電気水道ガスNHKなどもすべて「広義」の税金なのである。人々はピーマンとキャベツの値段には敏感に反応するが、背後に屈強な暴力装置を有している「権威」には黙って支払うしかないのである。それがどう使われようと。
都合が悪ければドリルでぶっ壊せばいいだけなのだから。
たとえば
僕は障害者としてわずかな年金を受給しているが、実はここからも強制的に介護保険料や健康保険料が天引きされるのである。これが福祉と言えるのか。鬼の所業としかおもえない。
身體が不自由であっても奪えるものからは獲る、多様な海洋生物が死滅しても建設するものは建設する。そして憲法があろうとなかろうと断固戦争はするし武器は持つのである。
なぜなら
すべて棄権者も含めて国民の信託を選挙で獲得しているのだから、政権の思うが儘なのである。
ところで
僕がいくらぼけていても、この弱小ブログが犬の遠吠えの繰り返しであり、いかほどでもないことは重々承知している。
しかし、
それでもなお、
安倍晋三=「気弱なるインポ・マッチョ」の暴走をどんな手段を持ってしても、「止める」しかなくなってきているのだ。
かって、僕は
「起てうえたるものよ!」
、、、と叫んだけれど今は「卑怯」はいても飢えている人が見当たらない。
それならば、
「顕て若者よ!」(僕は上品?だからあえて「勃て」とは言わないが)
、、、と叫びたい。すくなくとも政治的意思表示の機会はあるはずなのだから。
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