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徽宗皇帝のブログ

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1945~2001の現代世界史
以下は、徽宗皇帝(酔生夢人)による「高校生のための現代世界」の一部で、第二次大戦後の世界を概観するのに便利かと思うので、元記事とは別に載せておく。

(以下自己引用)

1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦は終結します。
1945年10月、国際連合が発足しますが、これは米・英・仏・ソ・中の常任理事国が総会の議決に対する拒否権を持つという大国優先の機関であり、小国の利害に対しては人道的判断よりもそれに関わる大国の利害が優先されるのであって、世界政治の上では、無いよりはまし、という程度のものでしかありません。
第二次世界大戦ではファシズム国家に対し協力して戦ったアメリカとソ連は、戦後は国家経営の基盤である資本主義と共産主義という思想のために対立します。これがいわゆる「冷たい戦争」です。
アメリカは、共産主義の「封じ込め政策」を採用し、欧米諸国間で北大西洋条約機構(NATO)という軍事同盟を作って共産主義の伸張に備えます。それに対し、ソ連は東欧8カ国援助条約(ワルシャワ条約)によって結束を固めます。
1949年、中国共産党によって中華人民共和国が成立。
1950年、朝鮮戦争勃発。これは、日本の敗戦によってその支配から離れた朝鮮が、ソ連とアメリカの手によって分割され、ソ連に支援された北部の朝鮮民主主義人民共和国と、アメリカに支援された南部の大韓民国となっていたのが、その国是である共産主義と資本主義のために対立し、とうとう武力衝突となったものです。(例によって、本当は経済的利害がその原因だったのでしょうが。)北は中国に支援され、南はアメリカを中心とした国連軍が韓国軍とともに戦いましたが、戦争は膠着状態となり、1951年、ソ連の休戦提案によって53年に休戦します。つまり、本当は朝鮮戦争はまだ終っておらず、アメリカに加担していた日本は、北朝鮮にとっては交戦国であるわけですから、拉致問題などある意味では戦争の継続として捉えるべきかもしれません。ただし、現在では、北朝鮮そのものが、アメリカの世界経営の道具となっている可能性も高いので、問題は簡単ではありません。
この朝鮮戦争は、第二次世界大戦で疲弊していた日本に軍需景気をもたらし、その後の日本の経済発展(いわゆる高度成長)の原動力となります
1951年、日本は48カ国との間でサンフランシスコ講和条約を結び、アメリカによる占領状態から名目的には独立国家として世界に承認されますが、同時にアメリカとの間で日米安全保障条約を結ばされ、引き続いて日本におけるアメリカ軍の駐留と軍事施設の存続を強制されました。そして、この状態は現在でも続いています。つまり、日本は、自国内にアメリカの軍隊を置いている以上、アメリカに対しては永遠に反抗できないということです。これは独立国家などではありません。それから現在に至る日本の対米屈従外交は、すべてここに理由があるのです。この日米安保条約は、当時の吉田首相をほとんど脅迫するような形で締結したものだと言われています。
その後の世界の現代史は、政治経済のところで扱いますので、要点だけを書くことにしましょう。もっとも、現代史は煩雑ですから、何を要点とするかは私の主観です。

1947年、インド、パキスタン分離独立。(パキスタンはイギリス連邦自治領となる。)
1948年、イスラエル建国。パレスチナ戦争起こる。
1952年、エジプト、ナセルによる国王追放。(反英独立闘争)
1956年、スエズ戦争。(イギリス・フランス・イスラエルVSエジプト)
1958年、イラク革命。王制廃止。
1959年、キューバ革命。
1962年、キューバ、ミサイル危機。
1963年、ケネディ大統領暗殺。
1966~70年、中国文化大革命。
1965年、アメリカのベトナム北爆開始。
1967年、EC発足。
1968年、フランス5月革命。チェコ事件。
1971年、中華人民共和国国連加盟。インド・パキスタン戦争。アメリカ、ドル防衛策発表(ニクソン・ショック)。世界は変動為替相場へ移行。
1972年、ニクソン訪中。
1973年、ベトナム和平協定調印。石油危機。
1975年、サイゴン陥落、ベトナム戦争終結。
1979年、米中国交樹立。ソ連アフガニスタン侵入。イラン革命(ホメイニ政権)。
1980~1988年、イラン・イラク戦争。
1982年、フォークランド紛争(イギリスVSアルゼンチン)
1989年、ベルリンの壁崩壊。中国天安門事件。
1990年、東西ドイツ統一。イラク、クウェート侵攻。
1991年、ソ連崩壊。アメリカ、イラク攻撃(湾岸戦争)
2001年、9・11事件。(アメリカの新世界秩序の布石となる。)

大雑把に言えば、冷戦(米ソ対立)と、ソ連崩壊による冷戦の終わり、アメリカによる世界新秩序への移行というのが、現代史の大筋です。
別の面から言うならば、これらの政治的事件は要するに、欧米諸国の、過去の植民地支配の事後処理(と言っても、「精算」ではありません。)と、新たな干渉の歴史です。たとえば、ベトナム戦争は、ベトナムのフランスからの独立運動に対し、それを援助したのがソ連であったために、世界の共産主義化を恐れたアメリカ経済支配層が、アメリカ政府を動かして介入したものです。ベトナムに送り込まれた米軍兵士たちのほとんどは、自分が何のために戦っているかも分からなかったでしょう。この戦争でアメリカ国内でも反戦運動が活発に起こったのは、そのためです。まあ、大多数の兵士は、とにかく共産主義者は悪党だから、それを倒せばいいんだ、と思っていたでしょうが。他国の戦争に出て行って死ぬなんてのは、はっきり言って、犬死にです。だから、アメリカ国内でも厭戦気分が蔓延し、アメリカは結局ベトナムから手を引くことになります。マスコミの正直な報道がこういう結果を招いたというその反省から、以後の戦争では、政府公認の御用マスコミ以外には戦争報道を許可しないということになります。
こうした政治的事件は、新聞やテレビで報道される表の顔と裏の顔が全然違います。表面的には敵同士に見えている人間たちが裏では手を結んでいる場合もあります。たとえば、「アメリカの敵」であるイラクのフセインやイランのホメイニは、どちらもアメリカの援助で政権を手に入れた人間です。ウサマ・ビンラディンはもともとCIAの援助を受けてアフガニスタンで対ソ連の抵抗運動をしていた人間ですし、また、中南米での政変のほとんどは、アメリカの意思が背後にあるのは確実です。アメリカとソ連だって、単純に喧嘩ばかりしていたわけではなく、冷戦の間も貿易はしていたのです。冷戦そのもの、あるいは、資本主義と共産主義の対立そのものが、軍需産業や軍隊によって演出されたものだと考えることもできます。つまり、戦争が政治の延長であるのと同様に、政治はビジネスの一環なのです。
新聞に出てくるような公式の説明だけでは政治の現実はわかりませんが、「政治における言葉と行動の食い違い」を見て、「それで誰が利益を得たのか」を考えれば、物事の真実が見えてくるということです。そのことをいつも心に置いて、政治の世界を眺めるようにしてください。そうした視点を、マスコミお抱え評論家の言うように「陰謀論」だとか、「トンデモ論」の一言で片付けていたのでは、無知のままで終わり、現実は変わりません。

これで、世界の近現代史概観は終わりますが、歴史は政治の記録であり、政治は経済を本質とするというのが、私の考えで、そう考えた時、歴史は見やすいものになると思っています。そして、世界の近現代史は、一言で言えば、西欧文明の侵略の歴史なのです。 







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