(以下引用)
そして1973年9月11日、チリのサルバドール・アジェンデ政権が軍事クーデターで倒された。クーデターを指揮したのはオーグスト・ピノチェトだが、その背後ではCIAの破壊工作(テロ)部門が暗躍、その部門に命令していたのはリチャード・ニクソン大統領の国家安全保障補佐官を務めていたヘンリー・キッシンジャーだ。
このクーデターはふたつのことをもたらした。ひとつは自立した民主的な政権を倒してアメリカの私的権力が持っていた利権を守ったこと。もうひとつは労働者から基本的な権利を奪い、富をアメリカの私的権力やその手先へ集中させる新自由主義を世界で初めて導入したということだ。その上でイギリスのマーガレット・サッチャー政権が自国に新自由主義を導入している。彼女はフリードリッヒ・ハイエクと親しかった。
そして2001年の9月11日。ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された。世界貿易センターへの攻撃ではノースタワーとサウスタワー、そして7号館(ソロモン・ブラザース・ビル)が爆破解体されたかのように倒壊している。アメリカ支配層の好戦派はそのショックを利用して国外での侵略戦争と国内での収容所化を進めた。
ノースタワーが攻撃されたのはこれが初めてではない。1993年2月に地下2階にあった駐車場が爆破されているのだ。その爆破でコンクリートの床が破壊され、4階層に渡って幅30メートルの穴が空いたのだが、それでもビルはびくともしなかった。それほど強固な建造物だということだ。
その爆破事件を受け、1994年から2000年にかけてACEエレベーターという会社がWTCのエレベーター・システムを改良、96年から2000年にかけては新しい治安システムを導入するための工事が実施されている。その間に「何か」が仕掛けられてもわからないだろう。
新しいシステムを設計、建設のためにサウジアラビアと関係が深い4社が雇われたが、その選定にあたったのはクロル・アソシエイツ。CIAやイスラエルの情報機関モサドと緊密な関係にあり、ウォール街のCIAと呼ばれてきた会社だ。(George W. Grundy, “Death of a Nation,” Skyhorse, 2017)
WTCの治安を担当することになったストラテセク社は1996年から2000年にかけて新しいビルの治安システムを導入するための工事を実施した。1993年から2000年にかけてマービン・ブッシュがこの会社の重役を務めているが、この人物はジョージ・W・ブッシュの弟だ。
また、サウス・タワーの90階、そして94から97階のフロアーにオフィスがあったフィデュシアリー・トラストで働いていたスコット・フォーブスによると、攻撃直前の9月8日から9日にかけて動力が落ちたという。50階から上は電力の供給がなくなり、監視カメラやドアのセキュリティ・ロックも機能していない。この故障を修理するために多くの技術者が荷物を携えてタワーに出入りしていたという。この情報をフォーブスは9/11委員会を含む各方面に手紙で知らせたが、無視されたという。(前掲書)
ドナルド・トランプは2019年6月、ABCのジョージ・ステファノポラスからインタビューを受けているが、その中で2001年9月11日の攻撃について、「イラクは世界貿易センターを崩壊させなかった。イラクではなかった。ほかの連中だ。その連中が誰なのかを私はわかっていると思っている。あなたもそうかもしれない。」と語っている。もし9/11に関する機密文書をトランプが持ち出していたなら、誰かを脅すことができるかもしれない。
2001年当時、オサマ・ビン・ラディンは肉体的に戦闘を指揮できる状態ではなかった。フランスのル・フィガロ紙によると、その年の7月4日から14日にかけて彼はドバイのアメリカン病院に入院しているのだ。彼は腎臓病を患い、人工透析を必要としていた。
ドバイの病院でビン・ラディンを治療していたのはアメリカ人医師のテリー・キャラウェイで、入院中にサウジアラビアのトゥルキ・アル・ファイサル総合情報庁長官やCIAエージェントのラリー・ミッチェルが見舞っているという。
CBSニュースは2002年1月、パキスタンの情報機関(ISI)の情報として、オサマ・ビン・ラディンは2001年9月10日にパキスタンのラワルピンディにある軍の病院へ入院、透析を受けていると伝えた。
攻撃直後、そのオサマ・ビン・ラディンは世界貿易センターやペンタゴンへの攻撃に関与していないと語っている。
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