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徽宗皇帝のブログ

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新コロ後の「破産した世界」にどう対処するか
下に引用するのは最新の「東海アマブログ」の一節だが、現在の日本の(大きく見れば世界の)社会状況を端的に描いていると思う。つまり、世界はどん詰まりに来ているわけだ。
で、東海アマ氏はこの状況への処方箋を「利他主義」というお題目というか、社会の全員が聖人になれ、と言わんばかりの思想に求めているが、私はもっと現実的な処方箋を出したい。
それは、以前に載せた「宮古島改造計画」の中に書かれた、宮古島の未来像だ。その部分を「引用2」としておく。
新コロによる「世界の死滅」あるいは破滅の中で、日本や日本の地方が生き延びるための方策のヒントがこの中にあると私は信じている。それは、「日本の自立(真の独立)」であり、「地方地方の自立」である。

(引用1)

新型コロナが登場して、資本主義の秩序が崩壊し、あらゆる人々に、これまでの秩序では生き抜けない試練に襲われている。
 自民党保守の権力的支配すら激しく崩壊している。オリンピックは失敗が約束され、たくさんの人々が、会社組織に依存して生きてゆくライフスタイルを奪われている。
 さりとて、自営業で生きてゆく道も極端に狭められている。



(引用2)



Ⅲ 宮古島の将来像




 




     脱石油、脱自動車社会




 世界の石油埋蔵量は遠からず尽きるはずである。また、たとえ埋蔵量が残っていても、エネルギーを輸入石油に頼るかぎりは、我々の生活基盤は常に石油投機に脅かされることになる。この状況から脱するには、エネルギーの石油依存をやめ、自然エネルギーに転換していく必要がある。幸い、宮古島には豊富な日光と恒常的な風力がある。太陽光発電所や太陽熱発電所、風力発電所を一度建設しさえすれば、後は半永久的に豊富なエネルギーに恵まれた生活が送れるのである。生活の光熱費をゼロに近くすることも可能だろう。




 宮古島程度の生活の場であれば、毎日の生活の通勤通学には自動車は不要なはずである。家庭で必要なエネルギーは、クーラーや照明のための電気くらいのものだ。したがって、宮古では脱石油、脱自動車社会を作ることが可能である。自動車は救急車や消防車、あるいは運搬や工事のための業務車両のみでいい。自動車事故や排気ガスなどの社会的コストを考えれば、宮古が脱自動車・脱石油社会になることのデメリットはほとんど無いだろう。自動車やバスも将来は電気自動車やソーラーカーに変えていけば、観光面でのデメリットも無いはずだ。通勤通学には自転車を奨励し、自転車専用道路を作ればいい。自転車に乗れない幼児・老人・障害者のためには、バスを当面は残せばいいだろう。




 




     キューバ型の高福祉社会




 アメリカの経済制裁によって経済発展を阻害されてきたキューバであるが、貧しい中でも、教育費と医療費は無料を貫いている。つまり、どんなに貧しい財政であっても、実は医療と教育を無料にすることは可能なのである。ところが、この豊かなはずの日本では、医療と教育には大金がかかるようになっている。これを変えるには、まず医療を受ける層を軽微な病気の患者と重篤な病気の患者のグループに分け、軽微な病気の患者は看護師レベルで治療すれば、高度な専門知識と技能を持った医者は重篤な患者の治療に専念できる。常識はずれに高額な医療機器など購入せず、また、寿命の迫った老人は延命治療などせずに苦痛軽減治療だけにすれば、医療費の高騰は避けられるはずである。その他、キューバの医療のあり方を研究し、「安価な医療」を目指せば、将来的には医療費ゼロは無理にしても、医療費半減レベルまで持っていくことは可能だろう。教育費も同様で、子供に本当に必要な教育は何かを考えれば、現在のような大学受験・高校受験のための教育など不要だとわかるはずだ。そして、受験を度外視すれば、教育費など、たいしてかからないのである。




受験を度外視した教育内容とは何か。それは、「社会で通用する大人になるための勉強」である。それもたいしたものではない。小学校では国語と算数、中学校では国語と数学と英語、高校ではじめて社会科や理科を教える程度でいい。それも、全員強制ではなく、選択科目でいい。大学受験を無視すれば、生徒の学習負担は軽減される。そのかわりに、スポーツと芸術、自由研究の時間をたっぷりとるのである。社会に関心があれば中学段階で自分で社会を研究し、物体や自然の仕組みに興味があれば理科を研究すればいい。学びたくない人間にまで物理や化学の勉強を強制的に教える必要などないし、本当に必要なら、人間は独学するものだ。無駄な勉強から解放され、好きな勉強に集中する時間を与えられることで、その才能を飛躍させる子供が、必ず無数に出てくるはずである。この改革で、仮に異才奇才が出なくても、少なくとも、多くの子供たちに幸せな学校生活を与えることになるだろう。




 




     自給自足経済社会




 現在の世界は、投機経済が実体経済の数十倍(60~70倍)に膨れ上がり、タイのバーツ危機に見られたように一国の経済が国際金融家、資本家の投機によって破産の危機にさらされる時代である。これは、経済を輸出入に頼り、経済が金融の上に成り立っている限りは今後も続いていく。国家が国際的金融家や投機グループの手の上で踊っているわけだ。




 こうした状態から完全に脱出するには、鎖国でもするしかないが、それも無理なら、せめて各自治体ごとに危機に備える必要がある。つまり、地方全体で自分たちを守っていくのである。それが自給自足経済だ。国家も地方も家庭も原理的には同じだ。金の価値が暴落する大恐慌の際にには、物しか頼れない。金ではなく、物を持っている人間だけが生き残れるのである。地方も同じことであり、自ら自給自足できる地方なら生き残れるし、たとえ大恐慌にならない場合でも、常に安定した生活を住民に保障できる。




 エネルギーの自給自足、食料の自給自足が可能になれば、雨露をしのぐ住居さえあれば、誰もが生きていける。




 これからの日本が投機経済の嵐の中で苦しめられ続けるならば、その嵐から超然として安楽に暮らしている宮古島は、まさしく地上最後の楽園と、日本中、いや、世界中から憧れられるだろう。可能ならば、「地域発行通貨」によって地域経済を守るのもいいだろう。




 




     美しい自然に囲まれた完全リサイクル社会




 宮古島が自然環境に恵まれていることは万人が認めるだろう。特に海の美しさは特筆ものだ。だが、その海の美しさも、このままでは滅びるだろう。人間が生活廃水を海に流し続け、廃棄物で海岸を汚し続けているからである。しかも、廃棄物は外からも来る。中国、台湾、韓国などから漂着するゴミ、近くを通る汽船やタンカー、事故船から流出する石油の廃油ボールなどがそれだ。今すぐに、この宮古の自然を守る行動を起こさないと、宮古の自然の滅亡はそう遠くはない。




 まず、生活廃水の内容を変えることである。合成洗剤の使用を禁止し、自然分解する石鹸に変えていく。現在の石鹸よりも自然にやさしい洗剤を作るのもいい。そして、生活廃水は農業用水に用いる。農薬や化学肥料の使用は禁止する。しかし、農薬を使わないと病虫害が起こる。そこで、農業の工業化、つまり密閉空間の「農業工場」によって、虫や病原菌を農地から締め出すのである。そうすれば、農薬を使う必要がほとんどなくなる。肥料は、有機肥料(堆肥)や屎尿を利用する。屎尿をそのまま使うのがいやなら、EM菌などで処理して使う。




 将来的には、ゴミ・廃棄物ゼロの完全リサイクル社会を作る。これによって自然も健康なままで守られ、人間の健康も守られる。こうした社会で作られる農作物は、(自給自足で余った分は)他府県に高値で売れるだろう。




 海が甦れば、沿海近海の漁獲高も上がるはずだ。




 




     完全雇用の島




 宮古島で生まれ育つ子供は、高学歴ではなくても必ず仕事があり、生活ができるようにする。農業、漁業、加工業、商業、観光業が主だが、そのほか、サービス業、建設業、公務員などがあり、転職はあっても失業は無い。他の地方と比べて数が少ない(需要が低い)のは金融業、教育「産業」などである。金融は、市が融資するので不要だし、受験が重視されないので教育産業も需要は少ない。国際化に背を向けた非競争社会なので、語学産業などの必要性も無い。外国からの観光客相手の通訳が数人いれば良い。




 




⑥ 直接民主制の島(このあたりは、日本の政治システム上、現在は不可能な夢だが)




公務員の給与は民間平均と等しく、退職金も同等である。議会の議員定数は10名で、議長は市長が兼務する。市民レベルで立法するべきことは多くは無いので、市議会はそれほど重要ではない。議員は名誉職に近く、原則として無給で、実費のみ支給する。




 島の重要案件は基本的には市長判断でやるが、市民の10分の1の要求があれば直接投票で決定する。市長リコールなども同様。 

 

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