イスラエルとパレスチナが衝突して、2021年5月21日の停戦合意までの11日間に多くの犠牲者が出た。まずは亡くなった方々のご冥福を祈り、負傷された方々の一日も早い快復を祈るとともに、このような痛ましい事態が二度と繰り返されないことを願ってやまない。
ガザはこれまで4回も攻撃されてきたが、今回は特に激しかったので心配をしていた。ガザ地区では2021年5月15日、AP通信やアルジャジーラなど多くの報道機関が入居していた高層ビルが攻撃された。BBCの生中継中に、記者の背後でイスラエル軍が攻撃して、倒壊する映像は世界に流れ話題になった。
ここであらためて、なぜイスラエル軍はガザの高層ビルやタワーマンションを軍事目標として定めて攻撃するのかについて、ガザの人々の思いと合わせてお伝えしたいと思う。
高層ビルは小さい街のかっこいいシンボル
ガザというのは小さな小さな街だ。この街は起伏のない平らな土地に成り立ち、山も丘も谷もない。街の中を流れる川もなければ、湖もない。総面積360キロ平方メートル、日本で言えば、福岡市ほどの場所に205万人以上もの人が住んでいる。世界で最も人口密度が高い街だ。ガザの高層ビルというのは、多くの人や機能を少ない専有面積で効率よく収容した、街のシンボルのようなかっこいい場所だった。
所狭しと建物が立ち並んでいるこの街には、公園すらない。庭のある家もない。パレスチナは自然豊かな国だが、ガザで暮らすかぎり、風が木の葉をさわさわとそよがせる音を聞くとか、花笑みの季節を楽しむなどということとは無縁だ。
この小さな街には飛行場も港も何もない。安全な水も電気もない。この街で暮らす住民には、利便性のよさを求める、あるいは娯楽施設といった人生を快適にさせるものが何もないのだ。
そんな状態の中で、ここでは次から次へと戦争が襲ってくる。前の戦争の被害や身内の不幸からまだ完全に立ち直ることができないうちに、また次の戦争がやってくる。今回のイスラエルの空爆で住宅・民間や政府の建物2000棟が破壊され、1万5000棟が半壊した。電気も水も通信もすべて途絶えている。
パレスチナ厚生省の発表によると、イスラエル空爆の犠牲者は子ども65人、女性39人を含む232名が死亡、子ども560人、女性380人、高齢者91人を含む1910人が負傷。それに対するイスラエル側のハマースのロケット攻撃による犠牲者は、イスラエル警察の発表によると、12人死亡、335人負傷という。
ガザの被害額は数千万ドル。国連パレスチナ難民救済事務事業機関(UNRWA)によると、7万5000人が難民となり、2万8700人が国連が運営する学校に避難している。この攻撃をパレスチナ人は「戦闘」とは呼ばない。「戦争」と呼ぶ。
ストレスの発散は高層ビルで過ごすこと
ガザ地区の所得水準は、1人当たりGDP(国内総生産)で3000ドル未満。経済成長率はマイナス12%で、失業率は32%とあまりにも高い(いずれも2020年)。住民たちは思うように大学に行けないし、働きたくても仕事がない。結婚したくてもできない。結婚できても独立して新居を構えられない。大家族が養えなかったり、子どもに食べさせるものにさえ困っている人たちがたくさんいる。その他、山積する問題を抱え、鬱憤が溜まる。短気で不機嫌な人たちがたくさんいて、四六時中揉めている。
息抜きもできず、ガザの暮らしは息が詰まる。ガザの外に旅行するには、申請書を出して、お金を払って、3カ月も5カ月も許可を待たないといけない。病気治療のために出たくても、申請中に手遅れになって亡くなることもある。留学や海外研修をしようとも、期限内に手続きが終わらず、チャンスを逸して一生を棒に振ってしまったりすることもある。何が起きても、すべてを受け入れるしかない。
ガザで攻撃対象になるのは、前述のように高層ビルが多い。とはいえ、ガザでいちばん高いビルは20階建てだ。他の外国に見られるような、摩天楼には遠く及ばない。しかし、ストレスのはけ口のないガザでは、このような高層ビルが、住民たちにとって唯一の憩いの場であり、パラダイスなのだ。
就職機会の乏しいガザで、若者を雇ってくれる、さまざまなサービスを提供する会社や団体などがタワーマンションにすべて入っている。新しくビジネスを始めようとする起業家たちも皆、タワーマンションへの入居を目指す。
今回の攻撃で電力は途絶えたが、その前からガザの停電はひどかった。1日に3~4時間しか電気が来ない。だが高層ビルでは、入居する会社が共同出資して発電機を購入し、停電中の電力が供給される。それも、高層ビルが人気である理由の一つでもある。
今回イスラエルは多くの高層ビルをロケット攻撃した。シュルーグ・タワーやガザで2番目に高かったジャラー・タワー、多くのドラマや歌の動画などの撮影が行われたマシャーリク製作スタジオ・ビル、アンダルシア・タワー、ムシタヒ(カイロ)・タワー、ハナーディ・タワー……。主なタワーがすべて倒壊した。
実効支配するハマースへの支持は高い
今回倒壊したビルのがれきの山では、まだ遺体の捜索が続いている。重機がないため、援助活動は困難を極め、道具があれば助けられたはずの命も犠牲になった。倒壊したビルからは死臭が漂っている。それはまだ発見されていない遺体がそこにあることを物語っているのだが、死臭のするがれきの山で子どもたちが遊んでいる。一方で、倒壊したビルから奇跡的に助かったものの、ショックで声がでなくなった子どももいる。
このような攻撃は初めてではない。2019年にも2014年にも、ムーン・タワー、ザーフィル・タワー4番、複合施設のイタリアン・タワー、サラーム・タワー、バーシャ・タワーなどが攻撃された。かつてイスラエル軍は建物を攻撃する場合、1部屋、2部屋とピンポイントな攻撃に留めていた。ところが、2014年ごろからタワーのような大きな建物全体を倒壊させるような攻撃をするようになった。今回の攻撃では500以上のタワーやビル、マンション、住宅がロケットで攻撃された。これは過去最大規模で、国際社会から非難の声が上がっている。
ガザ地区内のハマース支持率は高い。イスラエル軍は過去にガザ地区内に侵攻したこともあったが、激しい市街戦に戦い抜き、ハマースを駆除、壊滅させることは不可能と思い知り、撤退した。かわりにハマースがロケット攻撃すると、集団責任を科して建物全体を破壊して、一般市民のハマースへの批判を引き出して、ハマース攻撃を抑制しようとした。
警告なしに攻撃すると、無辜の市民が犠牲になり、戦争犯罪になる。そのため、攻撃前に爆撃予告地域の住民の携帯にかけて、非難するよう伝える。それをイスラエル政府は「人道的」と自画自賛するが、一家20人とかの大所帯がたくさん住む建物の避難は短時間では終わらない。貴重品を持ち出す猶予もない。逃げ遅れた人は犠牲になる。着の身着のまま避難したところで、助かるのは命だけ。全財産を失う。
ガザの人たちは賽の河原のように、建てては壊されてを繰り返した。いまでは開き直ってしまい、死んでも出ていかない。自分たちは何も悪いことをしていない。ハマースを攻撃するなら勝手に攻撃すればよい。自分たちは無関係だ。一般市民を無差別殺人するのは国際法違反で戦争犯罪だ。それでも殺すというなら殺せ。われわれは死も恐れないと意固地になって家を離れない。
そうしてどんなに犠牲者が増えても、イスラエルを憎む人が増えるだけで、ハマースの支持率は下がらない。なぜなら、パレスチナ政府役人や議員の汚職や関係者が既得権限を守るためにさまざまな裏工作を行っていることが明らかになっているからだ。
一例をあげると、汚職で得た富でセメント工場を建てた人が、イスラエル政府が作る分離壁建設のために市場価格より安価にセメントを売ってパレスチナ人のひんしゅくを買っている。それに対して清貧を絵にかいたようなハマースは、難民キャンプで皆と同じように質素に暮らして私服を肥やそうとするような者はいない。
今回のガザの高層ビル攻撃について、イスラエル軍の公式発表は、ロケット攻撃をしてくるハマースの施設があるからだとした。だが、イスラエルの「チャンネル12」が、ガザの9つの高層ビルを空爆したパイロットたちをインタビューした番組で、Dというパイロットは、「確かにわれわれは何トンもの弾薬を投下した。だが自分も同僚たちも、この空襲で高層ビルを破壊したのは、ガザの武装勢力が蹴りを入れてくるのに対する、われわれの挫折感のはけ口だった」という。
ハマースを攻めきれないイスラエル
イスラエル軍の発表によると、パレスチナ武装組織は4000発近くのロケットでイスラエル南部の植民地やテルアビブを含む中部の都市を攻撃した。Dは、「われわれはロケット発射を阻止できなかった。テロ組織の指導部をつぶすこともできなかった。だから高層ビルを破壊しているのだ」と述べた。
もともとガザの高層ビルは多くない。全部で27棟くらいしかなかった。この数少ないタワーにさまざまな教室や職業訓練施設、語学学校、慈善事業団体、会社、報道メディアのオフィス、住宅、レストラン、カフェ、携帯ショップなどなどが雑多に入居していた。
日本では郊外のショッピング・モールにあらゆる年齢層が集まってくるように、ガザのタワービルも多くの人々が集まる場所だった。英会話学校をはじめ、キャリアに活かせるスキルを学ぶ教室や学校があり、就活するのも、人脈を広げるのも、友達と遊ぶのも、食事をしたり、お茶をするのもすべてタワーだったのだ。
とくに最上階のレストランや屋上にオープンエアのカフェがオープンしたとき、ガザの若者は新世界が開拓されたような、そこに行っただけで新天地にいるような気持ちになれたらしい。何もないガザの若者たちは、そのように感じていたのだ。
ガザに閉じ込められて暮らす人たちは、ひどく落ち込んで救いようのない気持ちになったとき、海に行く。ガザ住民のとっておきの場所だが、取り立ててこれと言えるものはない。ただ舗装された、比較的きれいな浜辺沿いの道を散歩して、砂浜に腰をおろす。
真っ赤な夕陽が波間に溶けて落ちていくのをぼんやり眺めて過ごすだけだが、潮風と潮騒がなぐさめてくれ、少しだけ元気になれる。ガザの人々は、人一倍苦労の多い人生をそうやって乗り越えて頑張ってきた。そんな憩いの浜も、2006年に爆破事件があった。8人が死亡し、約30人が負傷した。当時11歳だったフダ・ガーリアちゃんが、犠牲になった家族を見てヒステリックに泣き叫んだ映像は世界を駆け巡った。ガザのどの場所にも悲惨な死の思い出が染み付いているのだ。
ビルや橋は再建できても住民の心は治せない
2009年3月にエジプトのシャルムエルシェイフで開かれたパレスチナ自治区ガザの復興支援会議では、参加した75カ国が総額45億ドル(約4400億円)の支援金拠出を表明した。日本は福岡市の面積に等しい小さな地域のために、日本のODA(政府開発援助)予算から2億ドル(約200億円)を拠出した。仮に45億ドルもの資金が破壊されたインフラの復旧ではなく、地域開発に使われていたなら、ガザはとうの昔にドバイやドーハなみのインフラを整えた優雅な地域になっていたかもしれなかった。45億ドルは、2009年の日本のODA予算の3分の2に当たる金額だった。破壊行為の虚しさを思い知る。
メディアは犠牲者や経済的ダメージとか、イスラエル軍の攻撃前の警告の電話とか、すぐに避難しないで亡くなる人たちの事を報じている。そういう事ももちろん大切なのであるが、戦争が日常になっているガザ住民がどのような気持ちで過ごしているのか。住民の精神的ダメージがどれだけひどいかにも寄り添ってほしい。
11日の攻撃が終わったガザでは、生きた心地でなかった人々がのろのろと日常を正常に戻すために動き出した。だがパレスチナの人々は口々に言う。建物は壊れても建て直せる。でも壊れた人の心が治るのには長い時間がかかり、治らないかもしれないと。
同じセリフをわたしはイラクでもきいた。橋はできても、ビルは建っても、壊れた人の心は治せないと。
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