"経済・政治・社会"カテゴリーの記事一覧
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前の「バルセロナより愛をこめて」氏の記事に対するコメントの中で、面白かった部分もついでに転載する。特に9のコメントに対する10の指摘は興味深い。11の「日本に投下された原発」は、もちろん、「原爆」の誤記だろう。
07. 2010年5月04日 20:43:23: FqDvXxU8vI
大地の名において正直者を祝福する。
この正直者にアッラーの御加護があらん事を!
国連はこの演説によって品位を保った。
08. 2010年5月04日 21:43:36: yUkB5krRrI
今までやりたい放題、好き勝手に暴れてきたアメリカも、いよいよ命運の尽きるときが迫ってきたようだ。
作用反作用の法則は、宇宙の法則であり、そこに例外は無い。
アメリカは世界中から相手にされなくなるだけでなく、今までの仕返しをされるのである。
この時日本はアメリカを冷たく突き放す。
くるりと背を向け、屁をかまして静かに立ち去る。
09. 2010年5月04日 22:05:59: 8TfaraOJes
アフマディネジャッド大統領のアメリカの核に対する姿勢は評価出来ます。
昨年の大統領選挙のごたごたや、「ホロコーストは神話にすぎない」発言等が無ければ、もっと国際的な評価が高くなると思うんですけどね。
10. 2010年5月04日 22:27:31: 34oJioz6ps
ホロコーストは神話であると言ったことは、それが真実だからだ!
何故なら、欧米のロスチャイルド系列の金融財閥がヒトラー政権を援助したこ
とは、紛れも無い事実であり、そのヒトラーにしてもロスチャイルドの血族で
ある。
戦後のイスラエル国家建設において、ユダヤ金融財閥の援助を受けたヒトラーこ
そが、最大の功労者だったといことだ。
無論、チャ-チル、ルーズベルト、スターリンも同じ穴の狢ということだ!
ロスチャイルドのプロデュースで奴ら4人が演じたのが、第二次大戦だったのだ。
そのために利用されたのが、日本と中国だ。
参考図書:鬼塚英昭著『二十世紀のファウスト』
11. 2010年5月05日 00:31:18: yQ8bFJLCLw
全く持って正論です。
10さんの書かれている通り、第二次世界大戦なんて岩フェラーとロス子供の八百長。日本に投下された原発は大いなる人体実験。広島と長崎に投下された原爆の成分は違っているし、それぞれ中心街を目がけて投下されている。
相手は世界のチンピラなので目立った行動はしづらいかも知れないが、せめて面従腹背で第三国との協調関係を築くべきである。
12. 2010年5月05日 01:09:12: CZzIr49bIV
obamaが核廃絶などしようとしていないのは明らか
少ない核で、効率よく世界をコントロールしようとしているだけ
こんな、ギミックで世界をだまそうとしても騙されませんよ
世界は~~~
13. 2010年5月05日 01:40:02: US9yn2nCFc
イラン大統領腹すわっとるね。確かイランは、日本に円決済での石油取引をもちかけていたんじゃ。その石油権益は中国が奪いとったんじゃあなかったっけ?
真の民族派は、とかく独裁的な共産主義者とまちがえられるんだよね。
自民のタニガキ総裁が保守政治をうんぬん言ってたが、どごが保守なんだよな?
売国奴じゃないか。日本には明治の志士達のような政治家はもう出現しないのだろうか?
14. 2010年5月05日 06:50:33: i37fD8kRRc
>この人とウゴ・チャベスくらいかな? もう一人、カダフィ大佐もいたっけ。
カストロさんもいらっしゃるのではないかと思いますが。。。PR -
「阿修羅」の投稿より、イラン大統領の国連演説について(転載)
イラン大統領:日本に原爆を落とした国がどのツラ下げて!(よくぞ言ってくれた!)
http://www.asyura2.com/10/warb4/msg/355.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2010 年 5 月 04 日 06:51:17: SO0fHq1bYvRzo
イラン大統領:日本に原爆を落とした国がどのツラ下げて!(よくぞ言ってくれた!)
またやってくれますね。世界の多くの人々が言いたくても言い出せないようなことをズバズバと言ってくれるのは、この人とウゴ・チャベスくらいかな? もう一人、カダフィ大佐もいたっけ。
スペイン紙エル・ムンドは、5月3日付の記事で、国連総会議場でのイラン大統領マフモウド・アフマディネジャッドの演説を紹介しました。彼はその中で、「米国は、日本に対して核兵器を使いながら、どんなふうに政府間会議のメンバーで居られるというのか」(記事原文では太文字で強調)と語りました。「どのツラ下げてここに居やがる!」ということですね。(もっとも米国代表はすぐに会場から出て行ったようですが。)
日本語のメディアでは、時事通信が『イランのアハマディネジャド大統領は「米国は核兵器を使用しただけでなくイランも含め他国を核兵器で脅迫し続けている」と訴えた。』と書いていますが、これが精一杯と見えて、「日本に対して」とは書けなかったようです。よっぽどコワイんですね。(記事全文はこちらでご覧ください。)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010050300191
核兵器のない世界を=イラン大統領「米、他国を核で脅迫」-NPT再検討会議が開幕
朝日新聞は何の期待もしていませんので調べていません。
産経新聞? ああ、これは日本の新聞じゃないから、どうでもよいでしょう。
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100504/erp1005040118000-n1.htm
イランの非協力姿勢非難 NPT再検討会議で天野IAEA事務局長
以下に、アフマディネジャッド大統領の語った内容を書いたエル・ムンド紙の記事全文を、対訳を施してご紹介します。お読みになればすぐに分かることですが、ここに書かれてある限りでは、彼の言っていることは全くの正論であり、米国とその退席した同盟国(この記事を読む限り日本は退席しなかったようだが)がわめいていることは、イラク戦争前の大嘘つきどもによる「対イラク・リンチ」を髣髴とさせるものです。
(対訳中の「資格停止」ですが、原文はla suspensión、英語のsuspensionと同じもので、一時停止、留年、権利の停止などの意味ですのでこのように訳しました。ただIAEAでのsuspensionが具体的にどのようなことを指すのかはよく分かりません。)
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【引用、対訳、開始】
http://www.elmundo.es/elmundo/2010/05/03/internacional/1272908287.html
Varios países abandonan la Asamblea de la ONU por las diatribas de Ahmadineyad
アフマディネジャッドの毒舌の後で、多くの国が国連総会から退席
Agencias | Naciones Unidas
Actualizado lunes 03/05/2010 19:41 horas
El presidente iraní, Mahmoud Ahmadineyad, no ha dudado en arremeter contra EEUU en la sede de Naciones Unidas, durante la Conferencia de Revisión del Tratado de No Proliferación. Tras pedir la suspensión de EEUU del OIEA (Organismo Internacional de Energía Atómica), la delegación estadounidense, junto a otras, abandonó la sala por los "ataques furiosos" del líder iraní.
イラン大統領マフモウド・アフマディネジャッドは、国連本部で米国に対してためらい無く襲いかかった。彼が核拡散防止条約(NPT)再検討会議の席上である。国際原子力機関(IAEA)による米国への資格停止を求めた後で、米国の代表が、他の国々の代表と共に、このイランの指導者による「野蛮な攻撃」のために、会議場を去った。
Su intervención, en el anfiteatro de la Asamblea general de Naciones Unidas, ha estado marcada por una larga diatriba contra los países dotados de armamento nuclear, sobre todo EEUU, a quienes ha acusado de "amenazar" con este arma a los estados que no la poseen.
彼の国連総会議場での演説は、核保有国とりわけ米国に対する長々とした毒舌に特徴付けられた。そこで米国は、核を持たない国々に対して核兵器を使って「脅迫」していると非難された。
Las palabras de Ahmadineyad han ocasionado la salida de numerosas delegaciones: los representantes de EEUU, Francia, Gran Bretaña, Alemania, Finlandia y Marruecos han dejado la sala se ausentaron del pleno de la Asamblea General, del que ya faltaba la secretaria de Estado estadounidense, Hillary Rodham Clinton, quien había optado por no escuchar el discurso de Ahmadineyad.
アフマディネジャッドの言葉は多くの国々代表の退席を引き起こした。それは、米国、フランス、英国、ドイツ、フィンランド、そしてモロッコの代表で、総会から完全に姿を消した。そこには、米国国務長官ヒラリー・クリントンの姿はすでに無かったのだが、彼女は始めからアフマディネジャッドの演説を聞かないと決めていたのだ。
Tras la intervención, la Casa Blanca ha declarado que el discurso era "previsible" y ha consistido en una sucesión de "ataques furiosos" que atestiguan el aislamiento de la República Islámica.
演説の後、ホワイトハウスは、この演説は「予想されていた」ことであり、このイスラム共和国が孤立していることを証明する「野蛮な攻撃」の連続から成り立っていたと表明した。
El discurso
その演説
El mandatario ha pedido "la suspensión de miembros del consejo de gobierno del Organismo Internacional de la Energía Atómica que utilizan o amenazan con utilizar armas nucleares".
大統領は「核兵器を使用あるいは核兵器を使って他国を脅迫するような、国際原子力機関のメンバーに対する資格停止」を要求した。
"Cómo EEUU puede ser miembro de su consejo de gobierno mientras han utilizando el arma atómica contra Japón", ha arremetido el presidente iraní durante un discurso de 35 minutos, en el que también ha acusado a Washington de haber utilizado "armamento con uranio empobrecido durante la guerra de Irak".
イラン大統領は「米国は、日本に対して核兵器を使いながら、どんなふうに政府間会議のメンバーで居られるというのか」と、その35分間の演説で攻撃を加えた。同時に彼は、ワシントンが「イラク戦争の間に劣化ウランを使った兵器」を使用したことを非難した。
Durante su intervención, el mandatario de la República Islámica ha demandado además que un órgano independiente fije una fecha límite para la eliminación de todas las armas nucleares.
その演説の間、イラン大統領は、期限を決めてあらゆる核兵器を根絶するための独立した組織を要求したのである。
En el marco de una reforma del TNP, Ahmadineyad ha reclamado "la creación de un grupo internacional independiente, basando su autoridad en la conferencia". Este grupo, ha proseguido, debería fijar una fecha tope para la eliminación total de las armas nucleares, con un "calendario preciso".
核拡散防止条約の改正に関して、アフマディネジャッドは「国連総会で権威を与えられた、一つの独立した国際的組織の創設」を要求した。彼によると、その組織は「具体的な期日」によって、あらゆる核兵器廃絶のための期限を明らかにしなければならない。
Antes de la intervención del político iraní, el secretario general de la ONU, Ban Ki-moon, había pedido al Gobierno de Teherán que disipara las dudas de la comunidad internacional sobre su programa nuclear, del que se sospecha que tenga un doble uso militar y civil. Ban pidió a Ahmadineyad que "actúe de manera constructiva", al tiempo que subrayó que "Irán tiene la responsabilidad de clarificar las dudas y las preocupaciones sobre su programa".
このイラン大統領の演説に先立って、国連のバン・キ・ムン事務総長はテヘラン政府に、その核開発計画に対する国際社会の疑惑を晴らすように求めていた。それが軍事用と平和利用の両方に使えるものではないか、という疑いである。バンはアフマディネジャッドに「建設的に振舞う」ように求め、「イランはその核計画についての疑惑と心配を吹き払う責任を持っている」と強調した。
【以上、引用、対訳、終わり】
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「阿修羅」掲載のsirius氏の投稿のコピーである。
「阿修羅」には、かつては「あっしら」氏を代表とする優れた知性と見識の持ち主がたくさん寄稿していたが、その多くは最近「阿修羅」から離れていて、私は寂しい思いをしていた。その半面、大手マスコミによる国民洗脳報道に愛想を尽かした人々がたくさん、「阿修羅」に注目しはじめている。
Sirius氏は、最近「阿修羅」に登場した、有望な論客と思われる。前から投稿していたのかもしれないが、私が気づいたのは最近だ。その投稿には鋭い見識と有益な情報がある。前回載せたジョセフ・ナイのレポートなどがそれだ。
下記にコピーした意見も、実に的を射た意見であり、できるだけ多くの人に読んで貰いたいので、ここに転載する。
沖縄を売った大手マスコミとノロマすぎた沖縄の動き
2010.03.21 Sunday/
§ つくられたシナリオ
殆ど全てのマスコミ報道は、普天間基地移設問題において徹頭徹尾「民主党の失敗」という構図の中でしか報道してこなかった。
当初は「日米関係に暗雲・アメリカの不信」という形で報道。
次は「沖縄県民の鳩山政権への怒り」という形で報道。
その間「在日米軍が何故ここまで嫌われているのか?」という事は全く触れずじまいだった。
本来ならば「在日米軍に対する怒り」としてアメリカに向けられるはずだった矛先が、「鳩山民主党政権への怒り」に責任転嫁され、「在日米軍」や「日米安保」に関する議論は全く深まらず、ましてや「沖縄の負担」には殆ど目が向けられなかった。
こんな事が可能になったのは、当然、大手マスコミの狡猾な世論誘導による。
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§ 売国奴によって修正されたシナリオ
本来ならば今の時期、「在日米軍が嫌われる理由」と「沖縄の負担」(もしくは在日米軍が居る事による負担・不安)の問題が大きくクローズアップされ、鳩山政権がアメリカ政府に対して「日本国民は在日米軍に相当以上のストレスと、不信感・不安感を抱いている」という事を理由に、日本側に有利な交渉を持ちかけられる筈だった。
だが、そのシナリオは、マスコミによって潰された。
マスコミは、まるでアメリカの回し者であるかの様に、辺野古沖移設案の白紙化について鳩山政権を批判めいた論調で終日報道した。
いや、本当にアメリカの回し者ではなかったか? と私は思っている。
でなければ、こんな離れ業の様なデタラメな報道もない。
そうだろう?
日米関係は在日米軍の日米地位協定等による「アメリカによって」信頼関係を崩されてきたというのに、アメリカの要求を受け入れることばかりが「大前提」としてあったというところが、おかしすぎる。
日本の安全保障に在日米軍が欠かせないというのであれば、尚更、在日米軍を「好んで」迎え入れられる環境になっているべきである筈なのに、まるで「占領軍」を受け入れるかの如く、何も触れられなかった。
そんなマスコミの異様な不作為に「お前等本当に日本人か?」と聞きたいくらいであった。
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§ アメリカのためにある在日米軍
如何に中国・ロシア・北朝鮮が脅威とはいえ、何故在日米軍の規模がここまで大きいのか?
何故東南アジア各国ではなく、日本にここまで大規模に駐留しているのか?
なるほど北朝鮮と韓国は「休戦中」に過ぎず、緊張関係は続いている。
だったら韓国にこそ駐留すべきであろう。
だが、そうはなっていない。
何と、韓国は反米感情が高く、2016年には在韓米軍の地上軍が全面撤退するというのだ。
何故そこまで反米感情が高いのか?
それは、沖縄で起きている在日米軍の犯罪の様なことが韓国でも起きており、それに「ごくまともに」立腹しているからだ。
それに韓国は分かっているのだ。
「在韓米軍はアメリカの為に居る」という事を。
在日米軍は戦後ずっとずっと居たが、北朝鮮拉致被害者が居た事が判明している。
春暁ガス田問題でも、アメリカの軍事的プレゼンスは効いていない。
つまり、何ら日本の国益は防がれていないのだ。(徽宗皇帝注:「防がれて」=「守られて」の誤記か。)
仮想敵国の目の前に基地を持ちつつ、それが自国の本土でない事の有利さは、「戦場を自国内に持たないで済む」というその一点に尽きる。
加えて、日本は技術力に優れており、補給基地としては最高だ。
しかも、自民党政権もマスコミもアメリカの売国奴ときている。
アメリカにとってこんなに居心地がよい、かつ都合の良い国は無いというのが我が日本なのだ。
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§ 民主党の人事の失敗か、或いはアメリカの謀略か?
沖縄シンポジウムは、感情論の中で埋没する前に基地移設問題を白紙化した時から大規模にやっていなければならなかった。
できればそれは、在日米軍を受け入れている自治体との共同戦線という形で論点を絞り、漠然とした「どっかいけ」要求ではなく、具体的な要求を突きつけられる程になっていなければならなかったろう。
だが、その様な戦略を描ける人物が鳩山政権の中には居なかった。
真面目だけが取り柄の岡田は、既存の考え方の枠内でしか解決策を見出すことが出来ず、常に及び腰だったのを見てもそれは直ぐに露呈していた。
恐らく、小沢一郎だけがアメリカに対してそれをなしえたのだろう。
イラクの給油活動からの自衛隊の撤退を要求したのは、小沢氏が最初であった。
アメリカから寄越された特使に対しても一歩も引かなかったのは、小沢氏一人だった。
つまり、日本において最も従順ならざる日本人として、小沢氏はアメリカにとって「目障り」以上の存在だった。
何故なら、その当時、小沢氏は総理大臣候補だったからだ。
その小沢氏は、不可解きわまりない西松建設事件によって失脚させられ、今を持っても「幹事長を辞任せよ」という馬鹿な世論をマスコミに作られ、包囲されている。
自民党の方が時の権力を握っていてた点から、企業献金との繋がりは疑われて然るべきであるのに、そっちはほんの最初だけ取り上げられて、後は「無視」された。
この不公正を正せるのは日本国民の筈だが、こいつがまただらしがない。
民主党議員の後援団体の人間でも「小沢は何時やめるのか?」等と迫る馬鹿も居るというから、目も当てられない。
こうやって日本は自国民の声を虐げて、アメリカにひれ伏せさせつづけていくのだ。
その片棒を担いでいるのが、マスコミと自民党であるという事に、日本人が気づくのは何時なのだろうか?
今思えば、鈴木宗男氏と佐藤優氏によって作られたロシアとのパイプを破壊することになったのは、アメリカのような気がしてきた・・・
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◎「普天間移設」シンポ議論活発に 日米安保問題点突く
◆全国の米軍撤退、運動提起も 法政大・専門家ら
【東京】「シンポジウム普天間―いま日本の選択を考える」(主催・法政大学沖縄文化研究所、普天間緊急声明呼び掛け人)が20日、都内の法政大で催された。県内外の国際政治や環境、経済などの専門家が日米安保の問題点を指摘。全国の米軍基地撤退の提起もあった。呼び掛け人の宮本憲一大阪市立大学名誉教授は「沖縄に基地を置くことに反対し、安保の再検討を求める第2次声明を検討したい」と締めくくった。
1月に普天間県内移設反対の声明を発表した県外の知識人らが企画。約500人が参加した。冒頭発言で作家の加賀乙彦さんと宇沢弘文東京大学名誉教授が「日本全土から米軍基地の全部撤退を目指して国民運動を起こすことを提案したい」と問題提起した。
桜井国俊沖縄大学学長は、普天間移設のキャンプ・シュワブ陸上案と勝連沖案について「2案とも環境的に問題で、アセスメント(環境影響評価)はやり直さねばならず、時間がかかり迷走は必至だ」と解説した。
川瀬光義京都府立大学教授は、従来の基地移設に伴う振興費を「広い意味での思いやり予算」と指摘。稲嶺進名護市長が普天間移設前提の再編交付金を新年度予算に計上しなかったことを挙げ「金を渡すと言っても要らないという画期的な試みだ」と述べた。その上で「不明(めい)瞭(りょう)な金が流れ、沖縄で異常な形で増えてきたのを、もういらないと沖縄側が言っている」と新たな状況の現れと位置付けた。
古関彰一獨協大学教授は、米国と同盟を結ぶ国の中で米軍駐留の方が少数だと紹介し「安保と基地を置くことは不離不可分ではないと考え直さなければならない」と述べた。このほか明田川融法政大学講師が他国との地位協定との比較、佐藤学沖縄国際大学教授が米国側の思惑を解説した。
◆政府対応に疑問 マスコミ九条の会、日米関係「再検証を」
【東京】シンポジウム「『普天間問題』のウラの隠された真実」(マスコミ九条の会主催)が20日、千代田区の日本記者クラブで約260人が参加して開かれた。ジャーナリストの鳥越俊太郎さんらは「在日米軍基地の存在や、それが抑止力になっているのかについてゼロベースで議論する必要があり、米国都合の世界戦略のために新たに基地を差し出す必要性があるのか」などと述べ、現政権の対応に疑問を呈した。
軍事評論家の前田哲男さんは、沖縄返還時や核兵器持ち込みなど、日米間の数々の密約が、安保条約の実質を規定してきた「ウラ安保」ととらえ「四つの密約だけが対象ではなく、地位協定を含め、たくさんの問題を追及、検証しなくてはいけない」と、ゆがんだ日米関係の再検証を提唱した。
国際問題ジャーナリストの吉田健正さんは、米側は「グアム統合マスタープラン」で「普天間」をすべてグアムに移設予定だと解説。同計画の全国的な報道はほぼなく、政局報道に偏っていることに「メディアは問題意識を持って、この問題の意義を追及すべきだ」と報道に苦言を呈した。
琉球新報 平成22年3月21日 より全文引用
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08. 2010年5月01日 17:46:06: oYMlCgmkYI
ジョセフ・ナイ著「対日超党派報告書」
― Bipartisan report concerning Japan ―
この米国政府の戦略文書は、かつてCIAを統括する米国大統領直属の国家安全保障会議NSCの議長で、同時ジョセフ・ナイが、米国上院下院の200名以上の国会議員を集め作成した、対日本への戦略会議の報告書である。
ナイは現在、米国の政治家養成スクール、高級官僚養成スクールであるハーバード大学ケネディ行政大学院の院長であり、そこから輩出された無数の政治家・行政マンの司令塔となっている人物である。この人物が「事実上」、米国の政策を起草している。
その内容は以下の通り。
1、東シナ海、日本海近辺には未開発の石油・天然ガスが眠っており、その総量は世界最大の産油国サウジアラビアを凌駕する分量である。米国は何としてもその東シナ海のエネルギー資源を入手しなければならない。
2、そのチャンスは台湾と中国が軍事衝突を起こした時である。当初、米軍は台湾側に立ち中国と戦闘を開始する。日米安保条約に基づき、日本の自衛隊もその戦闘に参加させる。中国軍は、米・日軍の補給基地である日本の米軍基地、自衛隊基地を「本土攻撃」するであろう。本土を攻撃された日本人は逆上し、本格的な日中戦争が開始される。
3、米軍は戦争が進行するに従い、徐々に戦争から手を引き、日本の自衛隊と中国軍との戦争が中心となるように誘導する。
4、日中戦争が激化したところで米国が和平交渉に介入し、東シナ海、日本海でのPKO(平和維持活動)を米軍が中心となって行う。
5、東シナ海と日本海での軍事的・政治的主導権を米国が入手する事で、この地域での資源開発に圧倒的に米国エネルギー産業が開発の優位権を入手する事が出来る。
6、この戦略の前提として、日本の自衛隊が自由に海外で「軍事活動」が出来るような状況を形成しておく事が必要である。
以上のように、米国は日本海の「パレスチナ化」計画を策定しており、米国は日本を使い捨てにする計画である。そして、この計画の下に自衛隊の海外活動が「自由化」され始めている。
上記の米国エネルギー産業とは、もちろんロックフェラー=ロスチャイルドの事を指している。
このロックフェラー=ロスチャイルドの利権のために日本軍と中国軍に「殺し合いを行わせる」、これが米国政権中枢の戦略文書に明確に書かれている。
by Sirius -
ベーシック・インカムという奇術
ベーシック・インカムという制度は、ちょっと聞くと、実に馬鹿馬鹿しく聞こえる制度である。なにしろ、政府が無条件に国民全体に金を渡すという制度なのだから。その金の使途に制限も条件もない。年齢も不問で渡すのである。ソンナ馬鹿な!
いや、馬鹿な話ではないのだ。しかし、相当に奇抜な話ではある。だから、題名を「ベーシック・インカムという奇術」としたのである。それが無意味な空論か、それとも、現在の経済を根本から変える天才的なアイデアかは、残りを読んでから判断してもらおう。
さて、具体的にどのような形態の制度かというと、まあ、いろいろな形態があるとは思うが、たとえば国民新党のホームページで提唱されていたモデルは(うろ覚えだが)だいたい次のようなものだ。
1) 全国民に、一人当たり、月5万円を支給する。(4人家族ならば20万円だ)
2) 所得税は一律30%とする。ただし、これは通常の勤労にかかる所得税だ。
3) 政府から金を一律に支給する代わり、あらゆる保険制度年金制度等は廃止する。
さて、これは国民にとって得な制度なのかどうなのか。これが革命的な制度であることは確かである。それに、これで政府は経済的に成り立つのかどうか。
たとえば、モデル的に次の二つの例を考えてみよう。①は貧乏人の家族、②は富裕なカップルだ。
① 4人家族で、年収200万円の場合
② 2人家族で年収1000万円の場合
計算はこうなる。①の年収は(5×4×12+200-200×0.3)=380万円と、はるかにアップする。
②の場合、年収は(5×2×12+1000-1000×0.3)=820万円となり、もちろん、稼いだ金額よりはダウンするが、その所得820万円は、現在の税制だと所得の33%を取られ、15万円程度が控除されるのだから、現在の税制での所得685万円を上回るのである。
もちろん、現在の税制なら、この他に年金やら健康保険やらが徴収されるので、可処分所得はもっと低くなる。
国民の可処分所得が低くなるなら、政府の取り分が低くなって、様々な政府業務ができなくなるのではないか、と思う人もいるだろう。では、政府のしなければならない業務とは何か。
ベーシック・インカム制度という単純化された制度により、税金や保険や年金に関する業務は大きく削減されるのである。おそらく医療保険も無くなるだろう。この点での不安を抱く人も多いだろうが、何を政府の仕事として残すかは、また別の問題だ。
ある意味では、近代以前の政府と国民の状態に戻ると言ってよい。政府の仕事を極端に減らし、国民は自立的に自分の生活設計をしていくのである。政府の仕事を減らすことで、税金の中で闇に消えていた部分が不要になるのだ。公務員中心社会からの脱却である。
問題は、国民に支給する金と、税金として徴収する金とのバランスがうまくいくかどうかだが、そのあたりは計算の得意な官僚たちに計算してもらおう。
このベーシック・インカム制度の長所は、どのような状況の人間でも、生存に必要な金額だけは常に保証されるということである。
ならば、短所はその裏返しで、遊んでいても月に5万円は支給されるのだから、働かないでいようという人間が出てくる可能性があることだろう。だが、月に5万円では、生存はできても遊興はできない。三年寝太郎のような人間でもないかぎり、月に5万円の収入で十分だという人間はおるまい。
もう一つの問題は、確かに月に5万円で生存はできるだろうが、それは健康な人間の場合であり、病気や身体障害を抱えた人間はどうなるのか、という問題である。原則として、あらゆる保険や年金を廃止する代償としての支給金なのだから、生存するだけで人以上に金がかかる病人や老人をどうするのかという問題を考える必要がある。
だが、これも、税金の一部を弱者保護と福祉に用いるという国民的合意があれば、問題ではなくなる。まあ、原則は原則で、人情や道義に合致すれば例外もあるということだ。
以上がベーシック・インカムという制度だが、どうだろうか。これは子供だましの奇術なのか、それとも、この世に理想郷をもたらす革命的経済思想なのか。判断はこれを読んだ人に任せよう。 -
9 国富とは何か。
ある中国の古典の中に、「政府がいくら金があっても、国民が貧しいなら、それは豊かな国ではない」という趣旨の言葉があったが、私がここまで論じてきたのも、結局はそれに近いことだ。ただし、それに加えて、「国民のわずかな一部だけがいくら金を持っていても、国民が全体として貧しいなら、それは豊かな国ではない」という言葉も入れよう。
たとえばアメリカは世界一の貧乏国とは言えないまでも、国民の多くが貧困ラインにいるという点では、相当な貧乏国なのである。かつてのアメリカの繁栄を知る者は、なぜアメリカが今のような状態になったのか、信じられない思いがするだろう。
だが、1960年代の繁栄の前に、1930年代の大不況と貧困の時代がアメリカにもあったのである。その大不況の反省から、アメリカは投資銀行と貯蓄銀行の分離を行い、金持ちのマネーゲームが庶民生活に影響を及ぼさないようにした。その結果、金持ちは他の金持ちから奪う以外に資産を増やす手段がなくなり、金融が庶民生活を破壊することはなくなったのである。そして、高い累進課税と高い労働分配率によって、庶民の資産はどんどん上昇した。これが1960年代までのアメリカの繁栄の原因である。だが、レーガン以降の(民主党大統領も含め)ほぼ全大統領による金持ち優遇政策により、労働分配率はどんどん低下し、庶民の税金は上昇し、その一方で金持ちの資産は数倍に膨れ上がった。これが現在のアメリカの貧困の姿である。
要するに、国富の総量は決まっているのである。したがって、政治と経済の課題は、その分配をいかにすれば、国民が全体として幸福になるかということなのである。これはべつに共産主義の勧めではない。ほとんどの企業人は強欲という病に犯されている。それが政府や法律まで味方につけたなら、国民の大半が貧困のどん底に陥るのは当然だということなのである。
幸いなことに、世の中には金持ちより貧乏人が圧倒的に多い。これは何を意味するかと言えば、彼らが選挙での投票の権利を正しく使えば、今の状態を変えることは簡単にできるということなのである。口先だけではなく、実効性のある庶民のための政策を主張する政治家に投票することで、今の状態は変えられるのだ。
そういう、投票の威力を前回の衆議院選挙で国民はやっと分かったはずだ。後は、現在の世の中の不合理や不平等、不公平がどこに起因しているかについての理解を国民一人一人がすることである。
この一文も、そのための一助になれば幸いだ。
2010年4月12日
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8 自由主義とは何か
さて、政府の仕事とは何だろうか。それは、放っておけば放埓な「自由」のはびこる社会に、「正義による秩序」を与えることである。言葉を変えれば、弱肉強食の世界に法的な規制を加えて人間らしい生活秩序を与えることである。放任状態での「自由」とは、「力ある者にとっての自由」でしかない。そこに「道義に基づく規律ある自由」を打ち立てるのが政府の役目だと言ってよい。
昔の西部劇でよくあったシチュエーションだが、まだ法の支配が及ばない西部の町では、地方ボスがその町を支配するという状況が生じる。そこで、町の大多数の合意で保安官を雇うことにして、その保安官によって町に秩序が確立するのである。これが「法の支配」の原型である。こうした状況で、「それは自由への干渉だ」と言う批判が成り立つだろうか。
最近は露骨な欲望肯定の発言が幅を利かせており、「正義」という言葉は偽善扱いであまり評判が良くないが、社会的な意味での「正義」とは、「公正」のことである。政府の役目は、社会を公正なものにすることだと言っていい。では、「公正」とは何か。
よく、「機会の平等」と「結果の平等」という区別が論じられる。社会主義や共産主義は「結果の平等」であり、「悪平等」だ、というのが右側の論者によくある発言だが、そのような発言は、資本主義社会あるいは自由主義社会において本当に「機会の平等」があるかどうかという部分を見てから言うべきだろう。もちろん、機会の平等など存在しないのである。機会の平等を言うなら、あらゆる青年は義務教育を終了した時点で同額の金を与えられ、そこから人生にスタートするべきだろう。その原資となるのは、もちろん、全国民に対する100%の相続税である。死ぬ時点で親が子供に金を残すまでもなく、子供には政府から均等な金が与えられるのだから、遺産はすべて国庫に納入すればよいのである。
もちろん、そんな政策など永遠に実施されることはないだろう。人間というものは、自分の「稼いだ」金を子孫に残したがるものなのである。つまり、金持ちは永遠に金持ちで、貧乏人は永遠に貧乏人であるというのが、金持ちの理想とする社会なのである。これがつまり「保守主義」という思想を経済的に見た時の実体だ。もちろん、保守主義とは文化的伝統を守ることだ、という考えもあるだろうが、現状を維持するとは、実際には身分と財産の固定化のことなのである。
そして、本題の「自由主義」だが、自由とは誰にとっての自由なのかが問題だ。貧乏人や下層階級の人間に、どのような自由があるというのか。はたして「やりたいことができる」のは誰なのか。言うまでもなく、権力を持つ者である。かくして、カール・マルクスの名言「自由とは、何よりも権力である」という言葉が妥当するわけだ。それも知らずに、下層階級の連中が、「自由主義」を擁護するという喜劇が行われているのである。その自由は、「君たちの自由」ではないよ、と誰かが言ってあげるべきだろう。
つまり、自由は確かに理想ではあるが、「(経済的)自由主義」とは実は、強者(富者)のための自由を法的・政治的に保障させるための口実なのである。言い換えれば、「俺たちがどんな悪事をやっても、政府はそれに対して口を出すな」というのが経済的自由主義の意味だ。皆さんは、そういう意味の自由をお望みだろうか?
「では、お前は、自由の束縛を望むのか?」とお尋ねになる向きもあるだろう。その通り、私は束縛を望む。ただし、それは私への束縛ではなく、「経済的犯罪者」への束縛なのである。つまりは、自由の束縛の中にしか、社会正義は存在しないと私は考えているわけだ。法律にせよ道徳にせよ、束縛以外の何だろうか。束縛を拒否する人間とは、つまりあらゆる法律と道徳を自分に適用することの拒否を主張しているのである。もちろん、だいたいの「自由主義者」は、そこまでも考えず、ただ幼児的な欲望のままに自由をくれ、自由をくれと叫んでいるだけなのだが。
もちろん、ここでは経済論としての自由を論じているのであり、たとえば冤罪で投獄された人間や独裁国家で自由の束縛に苦しむ人々の場合は、話がまったく別である。
要するに、「経済的自由主義」とは資本家や大実業家が、自らの犯罪的収奪の隠れ蓑としている思想だという、私にとっては常識にすぎないことを改めて主張しているだけである。 -
7 欲望というエンジン
「起きて半畳、寝て一畳」という言葉がある。人間が生きるにはそれだけのスペースがあればよい、ということだ。それは勿論、他の生活物資でも同じことで、人間がいくら頑張っても、一度に飯を10杯も食うのは難しいし、できてもそれは快楽ではなく拷問にしかならないだろう。いくらきれいな衣服が好きでも、一度に服を10枚も着る馬鹿はいない。高級なホテルが好きな人間でも、ベッドで寝ている間は自分がどこにいるのかという意識さえもない。つまり、一日三食喰えて、夜寝るための住居があれば、人間、本当はそれ以上の金はほとんどいらないということだ。だが、それでは資本主義は成り立たない。Aの商品よりはBの方が高級で、Cはそれよりも高級だ、という序列を消費者にマスコミと宣伝を通して「教育」し、彼らに常に消費の欲望を掻き立てる。物を得るには金がいる。金が欲しいから他人と競争して、その競争に打ち勝って出世する。そして高給を得て高級な商品を購入する。これが資本主義社会の庶民の姿である。もちろん、出世競争に敗れた人間は「下流社会」行きだし、能力があっても不運な人間も同じことだ。
「象箸」という言葉がある。ある王様が象牙の箸を作らせたのを見て、その臣下が暇を願って他国に行ったという話だ。なぜ、と聞いた知人に、その男は「象牙の箸を使いだしたら、他の器もそれにふさわしい器にしないと気が済まなくなるものだ。当然、それに入れる食物も、それにふさわしい美味珍味になるだろう。それは食事だけにはとどまるはずがない。やがて生活のすべてが贅沢品で満たされ、その費用をまかなうために国民から苛酷な税を徴収することになり、国民から恨まれて、他国のつけいる隙をつくり、この国は滅びるはずである」と答えたという。まるで、「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話だが、象牙の箸一つから国が滅びるというのは面白い。だが、ここでの意図は、実はこの象箸の話の中に、資本主義社会の欲望の原理があるからだ。それは、欲望は無限連鎖であり、かつエスカレートしていくという原理である。
我々は、かつてはクーラーの無い社会に生きていた。夏は暑いのが当たり前で、時々涼しい風でも吹けば、それでよかった。だが今、我々はクーラーの安楽さに慣れて、それ無しでは生活もできないような気分である。身の回りのあらゆる品々はそうである。我々の年代では、電化製品など無いのが当たり前で、昔はテレビも冷蔵庫も無かったのである。せいぜいがラジオくらいか。しかし、ラジオしか無かった時代の我々には、未知の世界への畏怖と憧れと夢があった。要するに、贅沢品など、無ければ無いで、実はやっていけるのである。ところが恐ろしいことに、贅沢には薬物中毒と同じ禁断症状がある。いや、薬物依存症よりもたちが悪い。なぜなら、麻薬なら、次から次へと新製品やら一段上の高級品が出てくるわけではないが、贅沢品は常に「ワンランク上」の商品を餌に我々を生存競争の渦の中に投げ込むからである。それこそ、「死して後已む」というか、「馬鹿は死ななきゃ治らない」というか、死ぬまでこのレースは続くのである。そうした下等動物の生存競争のエネルギーを利用して金持ちは一層金を稼ぎ、またこの奴隷たちが購入する商品によって一層懐を豊かにする。
いや、私は金持ちの存在自体を否定しようというわけではない。自分が彼らの立場なら、同じようにする可能性も十分にある。だが、悲しいことに、彼らは自分が稼いだ金の使い方を知らない。彼らが、世界中の文化や芸術や科学の発展のために、あるいは人間全体の幸福度を増すために金を使ったことなどない。慈善事業への寄付行為も、節税対策か、別種の金儲けの布石でしかないのである。つまりは、彼らもまた一種の依存症なのだ。金の魔物に取り付かれた精神異常者でしかないのである。私が金持ちを批判するのは、その一点においてである。そう、彼ら自身も不幸な人間なのである。本当は、彼らは不幸なのだが、自分たちを幸福だと信じている。それは、より幸福な状態を知らず、物質的な幸福こそが幸福だと信じているからである。他人の不幸の上に成り立つ幸福など、本当は幸福などではないのだが。
「起きて半畳、寝て一畳」という言葉を彼らは馬鹿にするだろう。王侯貴族の生活も知らない貧乏人が何をほざく、と。
しかし、たとえば日本なら、毎年3万人から4万人の自殺者が出るが、その死体の上に自分の豪華な生活があると知りながら、平然としていられる、そうした神経は、600万人のユダヤ人を虐殺したとされているヒトラーよりも病的だと私は思う。あるいは、平和なイラクに戦争を仕掛け、その国を破壊しつくして、国民のそれまでの生活のすべてを奪って平然としているその神経も、同じである。つまり、日本であれ米国であれ、「自分の金儲けのためなら世界中の人間が死んでも平気だ」という連中が世界を動かしているという、この事態が私には不愉快でならないのである。だから、せめてはできるだけ多くの人々が、そうした世界の裏の姿を知って欲しいと思う。 -
6 金は貧しい者の懐から金持ちの懐に流れる
言うまでもなく、日本の庶民は貧しい。高度経済成長期には、企業が稼いだ金のうち労働者への給与となる支出、つまり労働分配率はかなり高いものだった。しかし、1980年代のバブルの頃から、それは著しく下がり始めたのである。「悪平等」がマスコミで批判され、能力主義がもてはやされた結果、同じ会社内での幹部社員と平社員の給与格差はどんどん広がっていった。幹部社員になれる数は一握りであり、国内消費のほとんどは貧しい庶民が生活の必需品を買うという「生存のための消費」であるから、給与格差の広がりと共に、消費は低迷し始めたのである。(モデル的に考えよう。100名の社員の中でもっとも優秀な人間には2倍の給料を与え、それ以外の社員は1割減俸とする。最初全員が20万円の給与ならば、一人は40万円に昇給し、その他は18万円に下がる。では、収支決算はどうなるか。会社は最初2000万円の人件費だったが、この処置で人件費はどうなったかというと、1822万円となり、178万円節約できたわけである。これが「能力主義・成果主義」の実体であろう。もちろん、全員に1割減俸を言い渡してもいいが、それだと社員が会社に反抗する。ところが、一部だけでも昇給した人間がいれば、「能力と実績の差で給与に差がついたのであり、それに文句を言うのは焼餅であり、見苦しい」ということになる。これが「能力主義」や「成果主義」の一つの側面である。そして、言うまでもなく、減俸された99人の消費活動の減退は、たった一人の昇給者の贅沢ではカバーできないのである。)そして、バブルが崩壊した後は、金持ちによる贅沢品の需要までも無くなり、日本は長期に渡るデフレ時代となった。
繰り返すが、庶民の懐に金が無いという、この一事が、現在の日本の長期不況の根本原因なのである。特に、小泉政権において、(「痛みを伴う改革」! それは、庶民にだけ痛みを強要する改革でしかなかった。)様々な福祉予算の削減と公共料金の値上げが行われ、金持ちはより金持ちになり、貧しい者はより貧しくなる政策が取られた結果、日本がアメリカ的な「格差社会」になりつつあるのは誰でも知っていることである。
金持ちは消費をしない。これは不思議な話だが、彼らは金を使わないのである。いや、使わないで済むように政治を動かし、いつでも損をせず得をするようなシステムを作った結果、金持ちは金を使わなくても済む社会ができるのである。(あらゆる法律の背後には、それで利益を得る一部の人間の姿があると見てよい。)彼らにとって金とは紙の上の数字でしかない。消費をするのは、それが生存と直結している中流から下流の人間たちだけだ。そして、資本主義の原理が、「相手に損をさせて自分が得をするゲーム」である以上、庶民は消費行為によって一層貧しくなり、資本家は一層豊かになっていくわけだ。これは、膨大な金を持った人間と、わずかな金しか持たない人間がポーカーでもする場合を考えればよい。どんなにいい手が来ても、相手がレートを吊り上げれば、資本の無い人間は勝負から下りるしかないのである。これは企業対企業でも同じであり、資本の無いライバル企業が相手なら、こちらは幾らでも安売りすればよい。そして、相手が潰れたら、今度は(ライバルはいないのだから)いくらでも商品の値段を吊り上げることができるわけだ。
要するに、法律による歯止めの無い資本主義とは、弱肉強食のジャングルなのだが、そこにいる猛獣たちは、きれいな身なりをして上品な風をする紳士淑女たちなのである。
もちろん、それで資本主義を否定するわけにはいかない。だが、金持ちという、圧倒的な力を持った存在と、無力な庶民を同じ土俵で戦わせるのは、「公平」な方法かもしれないが、「正義」にかなっているとは言えないだろう。それが、20世紀前半に労働者保護の法律が各国で次々に作られた理由であり、労働組合などができた理由なのである。ところが、日本では貧乏人までが「俺は、労働組合は嫌いだ」と公言する始末だ。あまつさえ、選挙では自分たちから徹底的に収奪し、自分たちをいじめ抜いている与党政権(注:この文章の土台部分が書かれたのは自公政権の頃である。)に投票する始末である。奴隷制度が盛んだったころ、黒人は奴隷であることが幸せなのだという発言をする連中が黒人の中にいたという。これはつまり、「内面化された制度」という奴である。奴隷自身にそう思わせることができれば、それは支配が最高水準に達したということである。 -
5 現実に流通する通貨と幻想の通貨
銀行の「信用創造」機能のことは聞いたことがあるだろう。それを聞いて、不思議に思わなかっただろうか。あるいは、これは詐欺行為だと思わなかっただろうか。
この秘密は、手形、あるいは小切手というものの悪用にある。小切手とは、実は幻想の通貨なのである。小切手は、現金化されるまでは、「現金である必要はない」。そこがポイントだ。そのタイムラグを利用して行われるのが銀行の信用創造という詐欺である。もう一つのポイントは、銀行の信用創造によって、経済は不安定化するにも関わらず、信用創造機能は社会に役立つ大事な機能だという洗脳が行われていることである。
銀行の信用創造で利益を得るのは銀行だけである。けっして世の中全体が利益を得ているわけではない。
私も経済の素人だが、まったくの経済音痴の人のために「信用創造」の原理を説明しておこう。
A銀行にBという人が100万円を預けたとする。するとA銀行はその100万円のうち支払い準備金として一割、10万円だけ残して90万円をCという人に融資した。だが、その金は現金ではなく小切手である。Cはその90万円をDという人への借金の支払いとする。Dはその90万円をこれもA銀行に預ける。同じような行為が繰り返された結果、A銀行が外部に貸し出した金の金額は、100×0.9+100×0.9×0.9+100×0.9×0.9×0.9+……)と続き、10回ほども貸し出せば、573万円になる。つまり、最初の100万円が、その6倍ほどの金額に増えて世間に流通したわけである。そして、その融資ごとに銀行は利子を取るわけだ。すべては、他人から預かった100万円から始まっているのである。もちろん、預け主にも利息は支払うが、たとえば銀行に預ける利息が1パーセントで、銀行の融資利息が5パーセントとすれば、100万円の預け主は自分の金を使ってわずか1万円の収益、銀行は、自分の金は1銭も無いのに、573万円の5パーセント、29万円の収益である。
もちろん、銀行業務には人手も要るから、支出もあるが、基本的に銀行とはこのように無から有を生む商売なのである。そして、そのトリックが「信用創造」の機能である。もちろん、先ほどの話はモデル的に考えたものだから、現実には複数の銀行が関与する。そのトリックの秘密は、銀行が融資をする場合には、現金で貸すことはほとんど無く、小切手を用いることと、銀行に金を預けている人間が預けた金の総額を一度に引き出す可能性はほとんど無いことである。しかし、銀行がCに90万円を融資した直後に最初に100万円を預けたBが100万円の引き出しを要求したら、銀行には10万円しか無いのだから、銀行は支払い不能で倒産ということになる。つまり、信用創造とは、こうした危険性の上に成り立つ綱渡り行為なのである。資本主義社会の血液と言われる通貨は、このような危険な血管(欠陥というべきか)を流れているわけだ。
ところが、こうして他人の褌で相撲を取っている銀行が、この資本主義社会では一番大きな顔をしているのである。
いずれにせよ、銀行の信用創造の結果、社会に流通する通貨は、小切手も含めて、現実の通貨の何十倍にもなる。日本の場合は、1400兆円のうち現金は70兆円しかない。つまり、20倍に膨れているわけだ。
とは言っても、庶民の世界で意味を持つのは現金であり、帳簿上の取引でのみ、その20倍の金額が動いているというだけの話である。
しかし、問題は、庶民の懐にどれだけのお金があるかということだ。
