「カラパイア」から転載。
私は英語略語は大嫌いだが、「ダニング・クルーガー効果」だと覚えにくいのでDC効果と略称することを提案する。つまり、この効果の知識は拡散に値すると思うからだ。
私の知る限りでは、本当に学問や教養のある人はだいたい謙虚である。底の浅い人間ほど傲慢だ。言うまでもなく、物事を知れば知るほどその奥深さを知り、自分の知識や研究が不十分であることを痛切に感じるからだろう。一方、何の努力も無しに権力を手に入れた人間は、他者への畏敬の念を知らない。だから傲慢で自信たっぷりに振る舞う。そして善良な大衆は「あれだけ自信を持っているのだから、その発言は正しい可能性が高い」と信じ、その発言が嘘や間違いであっても、「たまたまだろう」と許容する。安倍、麻生、橋下の類がその大衆心理を利用してきたのはご存知の通りだ。少し前だと小泉元総理や竹中らがその代表である。小泉の無知さは有名だったが、その自信に満ちた言動を一般国民は支持したのである。(まあ、その頃から不正選挙で政権は作られていたのかもしれないが。)
(以下引用)「イグ・ノーベル賞」は本家ノーベル賞へのパロディだが、このDC効果はなかなか役に立つ理論だと思う。
1999年、ダニングと教え子のジャスティン・クルーガーは、「能力の低い人は、自分の無能さを認識できず、自己を実際よりも高く評価する(ひいては自信に満ちて見える)」という認知バイアスに関する論文を機関誌「Journal of Personality and Social Psychology」に発表。この認知バイアスは現在「ダニング=クルーガー効果」として知られており、2000年にはイグノーベル賞の心理学賞を受賞した。
ダニングとクルーガーは、ある特定のスキルに関して、能力のない人は「自らのスキルの欠如」、「他者の本物のスキル」、「自らのスキル不足の程度」が認識できないと主張した。これはある意味当然のことで、例をあげると、自分が文法をどの程度知っているかを認識するには、その文法に精通している必要があり、能力のない人にはそもそもそれができないので、自分の能力も客観的に判断できない。
しかし、この現象で興味深いのは、能力がないことによって、人はうろたえたり困惑したりするのではなく、むしろ不適当なほどの自信に満ちあふれていることだという。研究の結果、テストでDやFを取る大学生は、自分の答案はもっと高い点数に値すると考える傾向があり、また実力の劣るチェスやブリッジのプレーヤー、医学生、そして運転免許証の更新に臨む高齢者ほど、自分の力を過大評価することがわかっている。
とはいえ、どんな人間も万能ではない。つまり多かれ少なかれ、誰もが何かの領域では能力が劣り、自分をメタ認知できず、過大評価してしまうワナに陥る可能性があるということだ。
ダニング=クルーガー効果の罠にはまらない為に
ダニングは最終的に、こうした現象は「無知」というよりも、「誤った情報や知識」に起因すると考えるようになったという。では情報過多の現代社会で、ダニング=クルーガー効果のワナに陥らないようにするにはどうすればいいのだろうか。
ダニングは、ひとつにはつねに自分のなかに「あえて反論するもうひとりの自分」を持つことが有効だと語る。自分がしばしば到達しやすい結論は見当違いではないのか、自分は間違ってはいないかを自問すること。そして「知らない」と認めることは、実は失敗ではなく、成功への道筋かもしれないことを知ることだという。
via:psmag・原文翻訳:mallika
いるいる、こういうやついる。良く知らないくせに知ったような口を聞き、それに対して突っ込まれると墓穴を掘るのだが、まったく意に介さず、更に嘘をつく。どんなことでも精通しているかのようなそぶりをみせるから、頼ってみたらまったくダメ。それを指摘したところで、まったく反省しないばかりか、責めているこちらに非があるとばかりに逆切れする。
良くいるタイプだな。と思っているそこのあなた。実は自分こそがダニング=クルーガー効果の罠にはまっているのかもしれない可能性もある。自分は絶対間違っていない。などということはないのだから。
私は英語略語は大嫌いだが、「ダニング・クルーガー効果」だと覚えにくいのでDC効果と略称することを提案する。つまり、この効果の知識は拡散に値すると思うからだ。
私の知る限りでは、本当に学問や教養のある人はだいたい謙虚である。底の浅い人間ほど傲慢だ。言うまでもなく、物事を知れば知るほどその奥深さを知り、自分の知識や研究が不十分であることを痛切に感じるからだろう。一方、何の努力も無しに権力を手に入れた人間は、他者への畏敬の念を知らない。だから傲慢で自信たっぷりに振る舞う。そして善良な大衆は「あれだけ自信を持っているのだから、その発言は正しい可能性が高い」と信じ、その発言が嘘や間違いであっても、「たまたまだろう」と許容する。安倍、麻生、橋下の類がその大衆心理を利用してきたのはご存知の通りだ。少し前だと小泉元総理や竹中らがその代表である。小泉の無知さは有名だったが、その自信に満ちた言動を一般国民は支持したのである。(まあ、その頃から不正選挙で政権は作られていたのかもしれないが。)
(以下引用)「イグ・ノーベル賞」は本家ノーベル賞へのパロディだが、このDC効果はなかなか役に立つ理論だと思う。
1999年、ダニングと教え子のジャスティン・クルーガーは、「能力の低い人は、自分の無能さを認識できず、自己を実際よりも高く評価する(ひいては自信に満ちて見える)」という認知バイアスに関する論文を機関誌「Journal of Personality and Social Psychology」に発表。この認知バイアスは現在「ダニング=クルーガー効果」として知られており、2000年にはイグノーベル賞の心理学賞を受賞した。
ダニングとクルーガーは、ある特定のスキルに関して、能力のない人は「自らのスキルの欠如」、「他者の本物のスキル」、「自らのスキル不足の程度」が認識できないと主張した。これはある意味当然のことで、例をあげると、自分が文法をどの程度知っているかを認識するには、その文法に精通している必要があり、能力のない人にはそもそもそれができないので、自分の能力も客観的に判断できない。
しかし、この現象で興味深いのは、能力がないことによって、人はうろたえたり困惑したりするのではなく、むしろ不適当なほどの自信に満ちあふれていることだという。研究の結果、テストでDやFを取る大学生は、自分の答案はもっと高い点数に値すると考える傾向があり、また実力の劣るチェスやブリッジのプレーヤー、医学生、そして運転免許証の更新に臨む高齢者ほど、自分の力を過大評価することがわかっている。
とはいえ、どんな人間も万能ではない。つまり多かれ少なかれ、誰もが何かの領域では能力が劣り、自分をメタ認知できず、過大評価してしまうワナに陥る可能性があるということだ。
ダニング=クルーガー効果の罠にはまらない為に
ダニングは最終的に、こうした現象は「無知」というよりも、「誤った情報や知識」に起因すると考えるようになったという。では情報過多の現代社会で、ダニング=クルーガー効果のワナに陥らないようにするにはどうすればいいのだろうか。
ダニングは、ひとつにはつねに自分のなかに「あえて反論するもうひとりの自分」を持つことが有効だと語る。自分がしばしば到達しやすい結論は見当違いではないのか、自分は間違ってはいないかを自問すること。そして「知らない」と認めることは、実は失敗ではなく、成功への道筋かもしれないことを知ることだという。
via:psmag・原文翻訳:mallika
いるいる、こういうやついる。良く知らないくせに知ったような口を聞き、それに対して突っ込まれると墓穴を掘るのだが、まったく意に介さず、更に嘘をつく。どんなことでも精通しているかのようなそぶりをみせるから、頼ってみたらまったくダメ。それを指摘したところで、まったく反省しないばかりか、責めているこちらに非があるとばかりに逆切れする。
良くいるタイプだな。と思っているそこのあなた。実は自分こそがダニング=クルーガー効果の罠にはまっているのかもしれない可能性もある。自分は絶対間違っていない。などということはないのだから。
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