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徽宗皇帝のブログ

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DSを主人公とした「現代経済史」その5
(承前)

帝国の経済学

国民国家は自国民に課税するが、帝国は他の国民国家に課税する。帝国の歴史は、すべての帝国の経済的基盤が他国への課税であることを教えている。

帝国(略奪と強姦の非常に丁寧な世界)の課税能力は、常に、より良い、より強い経済と、より良い、より強い軍事力にかかっている。臣民の税金の一部は帝国の生活水準を向上させるために使われ、もう一部は税金の徴収を強制するために必要な軍事的優位を強化するために使われた。

歴史的に、臣民への課税は様々な形で行われてきた。帝国が要求し、臣民が提供できる経済的財は何でもよかった。帝国は常に直接税であった。臣民国家は経済財を直接帝国に引き渡した。

ドルが金の裏付けからペトロダルに移行したとき、世界経済の状況は悪い方向に変化しはじめた。

20世紀、アメリカは歴史上初めて、インフレを通じて間接的に世界に課税することができるようになった。その代わりに、自国の通貨である米ドルを他国に配布し、商品と交換した。米ドルを膨張させて切り下げ、後で少ない経済商品で1ドルずつ返すという意図的な結果、その差額がアメリカ帝国税を捕らえることになったのだ。

私たちは、これがどのように起こったかを読んだ。

基本的に、アメリカは自らを帝国であると宣言した。アメリカは世界から膨大な量の経済物資を引き出したが、それを返すつもりも能力もなく、世界はそれに応えることができなかった。

世界は税金を取られ、何もできなかった。それ以来、アメリカ帝国を維持し、他の国々に課税し続けるために、アメリカは経済的な商品と引き換えに、下落し続けるドルを受け入れるよう世界に強制しなければならなくなった。さらにドルを保有する経済的理由を世界に与えなければならなかった。その理由とは石油である。

「コントロールされた崩壊」(Controlled Disintegration)

1975年、CFR(Council on Foreign Relations:ロックフェラー一族のための政策立案シンクタンク)は、1980年代の一連の政策の青写真を起草した。それは、1957年の不況という重要な転換点に行ったのと同様であった。


そしてこの新しい政策は、今度はジョン・D・ロックフェラーの1972年の著書『第二のアメリカ革命』をそのインスピレーションとして用いたのである。


CFRはその中で、「世界経済の崩壊をある程度コントロールすることは、1980年代の正当な目標である」と述べている。


しかし、崩壊するのは、第三世界の伝統的な産業と農業の発展の構造全体である。第一世界も例外ではなかった。


1980年代の10年間は、超富裕層(1%)と大衆の間の格差を拡大させることになる。そして、エリートは1%に仕えることになる。

この事実は、「大衆には理解されないだろう」という理由で、大衆には知らされなかった。エリートは、「同意の製造」と呼ばれる方法で、幻想を形成しなければならない。

このモデルのアメリカ版は、血縁貴族に依存するイギリス版ではなく、金銭貴族によって形成されることになる。

しかし、次第にロックフェラー帝国の経済政策決定の結果として、アメリカは変質していった。

かつて世界の多くの人々にとって自由の理想であったアメリカは、70年代から80年代にかけて、「自由と解放」という美辞麗句を保ちつつ、その正反対の姿に一歩一歩、しかも急速に変貌していったのである。

鉄道、高速道路、上下水道、電力などの長期的な政府出資のインフラは、1980年代初頭にこの政策によって壊滅的な打撃を受けた。世界の鉄鋼業界は、1930年代以来最悪の不況に追い込まれた。その狙いは、先進国の大半で、経済政策を長期的な産業と原子力の発展の方向から遠ざけることにあった。

こうして、産業発展よりもウォール街が主導権を握る、2つのファミリーの相対的な力が再び優勢になることが決まった。工場を建てるよりも金融投機の方が重要であり、利益を生むのである。1980年代から90年代にかけての10年間は、1970年代のショックがなかったら、想像もできないような時代であっただろう。

1980年、ロックフェラー出身のポール・ボルカーがFRB長官に任命された。すぐに金利を1年前の3倍である20%に引き上げた。これはアメリカ経済に影響を与えた。インフラ整備が進まず、産業界は閉鎖的になった。

これは、アメリカの産業基盤を意図的に崩壊させるものであった。さらに、長期的なインフラや産業への投資も断ち切られた。今後、アメリカの生産は、メキシコ、台湾、そして中国など、労働力の安い国々に移っていくだろう。

国際的には、この金利引き上げは「南半球」の経済に打撃を与えた。このため、英米の銀行に対する債務の支払いが増えるだけでなく、集合的な西側への原材料の輸出のために支払われる価格が低下した。

全体として、1980年代は、アメリカの多国籍企業が世界に進出する道を開き、世界中の垣根を取り払ったのである。このことは、ロックフェラー帝国が世界経済を「グローバル化」することを容易にした。

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