おとしめられる日本語 日本の公式言語は英語である
今年の内でないと、書く機会を逃すので、安倍談話について書き止めておきたい。
内容ではなく、形式的な論点だ。
戦後70年の安倍談話を読んだ誰もが、敬体と常体を混用した文章に違和感を持ったに違いない。
ところが、この点を問題としたマスコミはないように思う。
安倍談話は敬体で書かれている。
数カ所に常体を混用する必然性があったとは思われない。
常体が混用された部分を敬体にして反芻してみたが、常体の混用が明白に効果的だという部分はほとんどなかった。
効果があるとしても、せいぜいが趣味、好みの範囲である。
要するに安倍談話は、趣味で常体の中に敬体を混用してみせたのである。
敬体と常体を混用するのは、文学的な修辞の世界でなら何も問題はない。
文法破りに効果があるかどうかは、作者、筆者のセンスによる。
しかし、一国の総理大臣が、戦後70年という節目に、後世に負担を負わせないという決意を込めて発したとされる談話が、文法破りを犯していることには、強い違和感が残った。
総理個人の談話ではなく、閣議決定も経ている。
閣僚の誰も、さして修辞的な効果もない、文法破りに異議を唱えなかったのだろうか。
たとえば、弁護士会の意見書や弁護士会会長声明で、ですます調と、である調を混在させたら、理事者会でひんしゅくをかうのは、必至である。
新聞社に至っては、である調で書かれた投稿を、わざわざ、だ調に修正する。
今では取っていない朝日新聞に何度か投稿したが、である調子ですら許さないのが新聞業界のようで、渋々、だ調に従わされた。
ちなみに、法律業界は、である調であって、だ調の書面は殆ど見ない。
それほど厳格に守られてきた文法を、閣議決定を経た総理談話という最も形式を重んじる筈の重要な分野で、安倍総理は、破った。
米上下両院合同会議で、下手くそきわまりない、英語演説をしたことと無関係ではないだろう。
戦後レジームからの脱却を掲げる総理は、日本語を貶め格下げしたのである。
本人がどう思っていようが、英語演説を勧めた官僚は、日本語を格下げした総理談話に快哉したに違いない。
TPPの正文には、日本語は含まれない。
TPPは6カ国以上、交渉参加国のGDPの85%以上の国が批准書を寄託したときに効力を発する。
交渉参加国全体のGDPの20%を占める日本の加盟はTPPの成立に不可欠である。
であるにも拘わらず、日本語は正文となっていない。
悪評高い米韓FTAでも韓国語は正文とされている。
日米安保条約ですら、日本語は一応は、正文となっている。
にも拘わらず、TPPでは日本語は正文ではない。
このことは異様ではないのか。
TPPでは、カナダのケベック州の住民820万人のためにフランス語は正文とされた。
にも拘わらず、GDPでTPP加盟国全体の20%を占め、人口1億3000万人に上る国の母語は正文とされなかったのだ。
米国が日本語を正文とするのを拒んだのか。
そうではない。
日本の官僚は、日本語を正文とするよう要求すらしなかったのだ。
これを伝えたのは、日本農業新聞だけのようだ(その後日刊ゲンダイ)。
しかも、記事ではなく、コラムの扱いだ。
同コラムは、三橋貴明氏のブログ(11月20日)によれば、次の通りだ。
『小話往来「日本語軽視が露呈」
政府が「日本と米国がリードした」(安倍晋三首相)と誇るTPP交渉。実際、日米で参加12カ国の国内総生産(GDP)合計の8割近くを占め、日米の批准がなければ発行しない。しかし、大筋合意した協定文には「英語、スペイン語 およびフランス語をひとしく正文とする」と定め、日本語は入っていない。
19日の民主党経済連携調査会。篠原孝氏(衆・長野)が「(日本語を)要求してけられたのか」とただすと、外務省の担当者は「日本語を正文にしろと提起したことはない」と認めた。
同省は以前、日本が遅れて参加したことを理由に挙げていた。だが、同様に後から参加したカナダは一部地域でしか使われないフランス語も正文に認めさせた。矛盾をつかれても同省は「カナダには政治的に非常に重要な課題だ。日本語をどうするかという問題とは文脈が違う」と言ってのけた。
政府自ら自国の言語を軽視しているともとれる発言に岸本周平・同調査会事務局長は「今のは聞かなかったことにする。議事録から削除」と切り捨てた。(東)』
TPPは、6000頁に及ぶという膨大な条文の束である。
日本に直接関係する部分だけでも、2000頁を超える。
(紙の無駄であるから、確かめていないが、そう言われている)
これが根本規範として、立法、行政、司法の全ての作用を拘束する。
地方自治体の条例や行政も同様である。
国会議員は、TPPの条文を参照して、これに反する法律を改廃しなければならない。
将来の立法に当たっては、常にTPPを参照してこれに違反しないか検討することを強いられる。
裁判官も、その他の公務員も同様の立場に置かれる。
TPPは、国政(地方政治も含めて)の根本規範になる。
(その拘束力が事実上、憲法以上のものになることは合理的に予測可能だ。)
その根本規範が英語なのだ。
こんな恐ろしい事態に文句も言わない与党の議員は、どうかしている。
こんなにも屈辱的な事態に声も上げない与党議員に愛国心を云々する資格などありはしない。
施光恒氏の『英語化は愚民化』の中に、津田幸男氏の『英語支配とことばの平等』から次の図が引用されている。
特権表現階級には、英語を母語とする英米加豪などの国民が属する。
中流表現階級には、英語を公用語とする旧イギリス植民地(インド、マレーシア、ケニアなど)と米国の占領下にあった諸国(フィリピン、プエルトルコ等)が属する。
これらの諸国では、中等教育ないし高等教育を母国語で行う素地がない。
母国語以外に余分な負担をして、英語を使う努力を強いられる。
日本やフランス、ドイツなどは、英語支配の構造では、せいぜいが英語を外国語として使う、労働者表現階級に止まるのだ。
そして、英語が使えない日本国民は、安倍総理や多くの与党議員も含めて、沈黙階級に属する。
この構造を受け入れてしまえば、労働者表現階級から上昇するには、英語を公用語とする以外にない。
官僚が、日本語を正文とすることを要求すらしなかった事実は、英語を公用語化することをすでに決めていることを示している。
公用語化された英語は、同じ公用語である日本語より優越する。
公式な場では、英語が使われる。
日本語は現地語としての公用語でしかない。
安倍談話の文法破りが、なぜ許容されたかは、こうしてようやく理解可能になる。
日本語は、たかが現地語に過ぎないから文法破りが許容されたのだ。
政府は、署名するまで日本語訳を示すつもりはないとしている(三橋貴明氏ブログ12月11日施光恒「民主主義の終わり」)。
署名したら、日本語訳をすると約束している訳でもないらしい(外務大臣政務官は和訳文の公表について「他の参加各国の同意を得て」と条件を付けている)。
そんな政府の言い分を、沈黙階級に属する多くの与党議員が、後押している。
国会は、英語のまま6000頁に及ぶ条文の束を、わかった振りして、そのまま同意する可能性すらある。
日本語なんかどうなってもよい。
日本語に由来する日本の文化や伝統や社会のありようなんかどうなってもよい。
これが、この国の支配層の本音だ。
TPPに注目しながら、その最初の衝撃が日本語の没落にあることに、気づかなかった不明を恥じるばかりである。
なお、「日本農業新聞 TPP 日本語」で検索すると、日本農業新聞の同じコラムの20104年10月19日の次の記事がヒットする。
日本語を正文とすることを求めもしなかったと伝えたコラム記事は、探すのが困難である。
日本語を正文とすることを求めもしなかったことは、最高度の国家機密のようである。
[小話往来] 日本語で日本批判 全米豚肉生産者協議会 (2014/10/19)
「(全ての製品の関税撤廃を)日本が拒否し続けるならば、米国および他のTPP参加国は日本抜きで交渉を終結すべきである」
断定調のこの厳しい表現は、NPPCの日本語による声明そのまま。農産物や自動車をめぐって物別れに終わった9月23、24日の日米閣僚協議を受け、NPPCは同25日にまず英語で声明を発表。翌日の26日に、これを翻訳した日本語版を出した。
日本のある交渉関係者は「日本人に読んでもらうためではない。日本語を使うことで、日本が悪いという印象をより強めたいのだろう」と分析する。
ただ、NPPCは同様の内容の声明をこれまで何度も発表していることから、「翻訳しないと日本人には分からないとでも言いたいのか。小ばかにしている」と怒り心頭。(鷹)
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