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徽宗皇帝のブログ

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なかなか自分の希望どおり死ぬのも難しい
「岩下俊三のブログ」から抜粋転載。
冒頭の一文は、安倍政権による「大学の職業訓練校化」政策のこと。話全体は健康論議だから、ここだけの抜粋だと少し分かりにくいかもしれない。だが、全文引用だと、私の共感した部分が見えにくいだろうから、部分転載にした。特に共感した部分は赤字に変えてある。
たしか、織田信長も夏目漱石も49歳で死んでいたはずだ。偉業を成し遂げた人間は、それくらい生きれば十分だろう。もっとも、「長くとも40に足らぬほどにて死ぬこそめやすけれ(感じがいい)」(徒然草)というのは、他人のことなら何とでも言えるという少々無責任な発言だ。(笑)吉田兼好自身、60前後まで生きたはずである。
人間、べつに他人のために生きているわけではないから、自分が好きなだけ生きればいいし、生きるのが嫌なら死ねばいい。ただし、ボケ老人が他人の迷惑になってまで長生きするようでは個人の話としても少々問題があるし、そういう「無理な長生き」の助長が医療業界などのために制度的に作られた社会状況ならなおさら問題だ、ということである。
できるだけ早く、尊厳死(安楽死と言うべきか)制度がこの日本で法整備されることを私は希望する。
もっとも、その気になれば人はいつでも自殺できるが、自殺というのは死後に他人(家族)にかける迷惑が大きすぎる。つまり、家族に問題があったから自殺した、と邪推されかねないのである。仮に私が今後自殺したら、それは私自身の死生観のためであり家族にはまったく無関係だと今から宣言しておく。
できれば、(岩下俊三氏が前に書いていたように)適当なところで誰かに突然殺されるのが一番いい。何しろ、ヘタレだから、いざとなると自殺すべき時に自殺できず、無様にボケ老人になる可能性も十分にあるのだから。もっとも、経済的に余裕があれば、癌などになって、自分の死ぬ時期をあらかじめ知って、その死に向かって毎日を生きるというのも悪くはないかもしれない。

なお、少々余計かつ尾篭な話だが、「ヘタレ」は「へたばる」「へたりこむ」という言葉から来た新語だから、「屁垂れ」の意味ではない。



(以下引用)


なんせ国家権力は暴力装置をもって「反知性」を突き進むのであるから、抗いようもないけれど汎用性にしか価値を見いだせずそれをグローバルと勘違いしている国民を巻き込んでいるさまは日本文化だけでなく日本そのものを著しく劣化させている。

ローカルな特殊な文化を軽視して普遍的なものしか重要視しないというのは実はグローバルとは言えないのであるが、なぜかアメリカの異常なダイエット文化の真似をして健康管理にこれ励むのが今の日本人の実態である。

太っていようが痩せていようがヒトの勝手、たばこを吸おうが吸うまいが自由、たかが人生50年が90年、100年になったところでもう何も面白いこともない。くよくよしないでぱっとつかってパッと散ることが最良の策である。

さすれば内需が喚起されて税収がふえ、老人の医療や年金が減り財政も健全化されるというもの、生にしがみつき、あるかないかのわずかな財にしがみついているから日本国はやばいのだ。

無駄に痩せようなどとはせず、食いたいものを喰い、無駄にグローバルといって約立たない英語などを訓練しないで慣れた日本語でも磨けばいいと思われる。

好きに生きてしっかり仕事をしていれば何も言われる筋合いはない。




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