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#107 道義と経済
あまり人の気がつきにくいことだが、世の中の出来事のほとんどは、経済的理由から起こっている。ところが、そこに「大義名分」が宣伝文句として加わると、本当の原因である経済問題は見えなくなってしまい、しまいには教科書や歴史書までも勝者の大義名分のオンパレードとなってしまうのである。人は、(特に集団としての人間は)自分の損になることは絶対にやらないものである。まして、権力者や金持ちというのは、何よりも権力や金を愛しているのだから、彼らが利他的行為をするというのは、それが何らかの意味で自分の利益となってはねかえる場合だけである。
たとえば、アメリカの南北戦争を奴隷解放のための「人道的戦争」だと思い込んでいる小中学生は多い。いや、大人でも大半の人はそう思っている。だが、あれは南部と北部の経済問題上の対立から生じた戦争なのである。それを奴隷解放のための戦争にすり替えたのがリンカーンで、いわば、太平洋戦争で日本が途中から「アジアの解放」を言い出したようなものである。戦争なんて、勝者の言い分しか残りはしない。先の大戦でドイツや日本が勝っていたら、ヒトラーや東条英機こそが英雄で、英米のチャーチルやルーズヴェルトは極悪政治家、悪魔、鬼畜として断罪されていたに決まっている。
というわけで、アメリカが奴隷制度をやめたのも、欧米諸国が植民地制度をやめたのも、実はそれが経済システムとしてメリットが少なかったからだけの話である。PR -
#106 奴隷の作り方
ジョン・スタインベックの『アメリカとアメリカ人』の中に、奴隷の作り方について要を得た言葉があるので、紹介しよう。奴隷の作り方とは、奴隷を統制・支配する方法のことである。それには、奴隷自身に、奴隷制度を嫌わせないように仕向けることか、奴隷制度に抵抗しても無駄だと思わせることが一番である。
その第一の方法は、奴隷に、子供の頃から、お前たちは劣等で、愚かで弱く、無責任だと思い込ませるように洗脳を施すこと。第二は、抵抗を芽のうちに摘み取り、容赦なく罰すること。第三は、家族、友人を分散させ、同族が集まったり同族を作ったりさせないこと。第四は、(これがもっとも重要だとスタインベックは述べている。)けっして奴隷に教育を施さないこと。
この第四の点は、第一の点と結びついている。つまり、(これもスタインベックの言葉だが)教育によって必然的に質問と意思伝達が起きてくるからである。
質問とは、現状への疑問であり、意思伝達は、彼らが徒党を組んで反抗に立ち上がる契機だと考えれば、スタインベックが述べたこの四つのポイントは、権力が民衆を支配する手段として簡にして要を得た説明だと言えるだろう。これを「教育による洗脳」と、「マスコミによる洗脳」に置き換えれば、そのままで現代における人民支配の方法である。我々が奴隷でないなどと、誰が言えようか? -
#105 少数者による多数者の支配
「哲学的な目で人間社会を眺めたとき、もっとも驚くべくことは、少数者による多数者の支配が容易に行われていることである」というのは、デビッド・ヒュームの言葉らしいが、同じ疑問は多くの人が感じているだろう。たとえば、現代社会は、明らかに権力と癒着した大金持ちが、「合法的」ではあるが不正な手段を使って他企業を倒し、雇用者や消費者を搾取し、甘い汁を吸っているが、その状態を変えることができないのはなぜか。それは、権力に逆らえば、自らの生存が不可能になるという一般庶民の恐怖のためである。
権力による支配の基本にあるのは暴力である。社会の初期の段階では、武器や軍隊といった暴力手段を握ることが権力への道であった。あるいは、神の懲罰を背景として、宗教で人々を支配することも行われた。後者は暴力ではないが、暴力を匂わせた威嚇である。その暴力の主体が人間ではなく、神であるというだけのことだ。
暴力および、暴力を背景とした威嚇が権力の基本であり、やがてそれに法律とマスコミが加わってくる。法律とは、人民の権利を守る存在でもあるが、権力への反抗を封じ込める手段でもある。ほとんどの国で、警察や軍隊は、国民を守る存在ではなく、国民の反抗から権力者を守る存在である。そして、暴力行使の権利はすべて国家に握られ、国民が私的に暴力を行使すると、法律で処罰される。たとえば、高校生が決闘(ルールを決めて行う喧嘩)をしたということで警察に逮捕された事件があったが、これなどは、法の本質が国家(権力者)による暴力の独占であることを良く示した事件ではなかろうか。 -
#98 ヒトラーを研究せよ
ヒトラーとナポレオンの類似点は多い。どちらも新しい戦法によって連戦連勝したこと。どちらも最後に冬のロシアに侵攻することで自滅したこと。この2点だけでもそっくりだ。さらに、どちらも演出を重んじ、すぐれた演技者であったことも入れてもいい。だが、ナポレオンは今でも肯定的に描かれることも多いのに、ヒトラーを肯定する人間は皆無に近い。小室直樹が、彼の政治的、軍事的能力を高く評価していたと思うが、それ以外ではあまり見たことがない。というのは、ユダヤ人迫害という一事が、彼にとっての永遠の呪いになっているからである。ヒトラーを肯定すること、イコール、ユダヤ人迫害を肯定するものとして、逆に社会的批判の対象とされてしまうから、誰もヒトラーを肯定できないのである。私も彼のユダヤ人迫害を肯定する気はないし、人格的にも彼はギャングかヤクザのような人間だっただろうと思う。だが、彼の政治的、軍事的天才だけは認めるべきだろうし、彼を研究することは生きた政治や軍事の良いヒントを与えるはずである。ヒトラーの電撃作戦がなぜ、あれほど簡単に欧州を征服したのか、ヒトラーが思いのままに欧州を荒らしまわるのを、なぜ他国の政治家、政府は手をつかねて見ていたのか。それを研究し、理論として一般化するなら、それは未来の政治教科書の一つとなりえるはずである。単に、ヒトラーを一人の稀有な悪党として、ただの例外的存在としてとらえるなら、歴史を学ぶ意味は無い。政治には、本当は悪党も善玉も存在しない。政治力学があるだけなのである。 -
#97 ヒトラーという天才
A.L.サッチャーの『戦争の世界史(燃え続けた20世紀)』は、20世紀の世界を政治家の人物像を中心に描いた、いわば20世紀の『史記』である。『史記』同様に、切れば血の出る人間たちが織り成す生き生きとしたドラマが素晴らしい、お勧めの本だ。ただし、政治の表舞台の現象を、ストレートに受け取ったならば、という保留条件付きで読む必要はあるが。というのは、この本の中には、政治を陰で動かしてきた経済人の姿が一つも無いからだ。この本を読むと、政治がまるで一握りの政治家の思惑だけで動いているように見えてしまう。英雄豪傑伝としてなら面白いが、実際の政治はそんなものではないだろう。
また、この本ではチャーチル、ルーズベルトがほとんど全面肯定されるような感じで描かれているが、それはヒトラーを否定すべき存在として見た時、初めて首肯できる描き方である。ヒトラーを否定するのは当然ではないか、と大多数の人間は言うだろう。だが、そうした硬直的姿勢からは何も新しいものは生まれない。
この本の中で描かれるヒトラー、ムッソリーニ、スターリンは、まるでゴロツキかギャングである。実際、人格的にはそれに近いものだっただろう。だが、政治家としてはそれぞれに偉大な天才であったはずだ。でなければそもそも権力を握ることなどできなかっただろう。中でもヒトラーは政治の天才だっただけでなく、ナポレオン以来の軍事的天才でもあった、というのが私の印象である。 -
#93 見えないものは存在しない
題名の言葉は二通りに解釈できる。一つは、「見えないものなどはない。あらゆるものは見える」という乱暴な言葉であり、もう一つは、「見えないものは、その見ている人間が気づかない以上、存在しないも同然である」という意味である。前者が現実にありえない内容である以上、誰でも後者の意味に解釈するだろう。しかし、大多数の人々は、この言葉が多義的であることにすら気づかないはずである。世の中にはこうした事柄が多い。まさしく、彼らにとって、見えないものは存在もしていないのと同じなのである。あらゆる社会的事象がそうであり、多くの人々は学校教育の中で学んだことを真実だと思い込んで一生を終えていく。新聞に報道されること、テレビで流される映像を真実だと思い込んで生きていく。まあ、それで幸せならばそれでいいのだが。
だが、そうした情報の中の矛盾を疑問に思い、そこに合理的な答えを見つけようという努力をするならば、見えなかったものも見えてくるものだ。たとえば、9・11事件など、アメリカ政府がテロリストの仕業だというから人々はそう信じ、アフガニスタンが悪いというからそう信じ、次はイラクが悪いというからそう信じる。しかし、そもそもそうしたテロリスト集団の存在など、誰もその正体を知らないのである。で、一連の行為によって利益を得たのは、アメリカ政府やその背後の一部の企業である。では、誰が本当の犯人か。こんなのは、子供でも分かる問題だ。でも、大人でも見えない人には見えないのである。 -
#92 分割して統治せよ
「分割して統治せよ」とは、ローマ帝国の植民地支配の秘訣だった考え方だが、これは帝王学のアルファであり、オメガだろう。まさしくローマは支配のエキスパートだったから、あれほど続いた帝国を作り上げることができたのだろう。そして、その考え方は現在の「見えない植民地」の支配にも生かされている。たとえば日本の場合、第二次大戦後にアメリカによって支配されたが、表向きは日本が独立した後もアメリカの支配は続いている。その手法は、まずCIAを通じた資金援助で自民党が作られ、その一方では革新政党にも援助を行なうことで不断の政治的対立を作り出すというものである。もちろん、常に保守勢力がやや優位になるように調整されているが、少なくともこれで表向きは民主政治が行なわれているという形にはなっているわけだ。完全にアメリカの支配を受けているグループが自民党だけでは弱いので、野党の一部に第二与党となる「中道勢力」を作って、さらに分割する。もちろん、あらゆる政治家のスキャンダルはCIAの手に握られているから、アメリカからの指示に本気で反対できる人間は政治家の中には存在しない。
このように見たときに初めて、なぜ日本の政治家が、日本の国益に反してまでもアメリカにとって有利なようにしか行動しないのかが分かる。つまり、日本はとっくに滅びた国なのである。現在の日本は、アメリカの植民地なのであり、それが目に見えないだけの話なのだ。……という仮説はどうでしょうか。え、常識でしたか? -
しばらく小説的な作品から離れていたので、次回からのシリーズは小説にする。例によって、雑談まじりの半エッセイ的小説だ。題を「風の中の鳥」と言う。
この作品の前に、西洋中世を舞台にした「少年マルス」「軍神マルス」という少年小説を書いて、少年小説らしい健全さを守るために性的描写をまったく入れなかった、その反動からか、ややエロ場面の多めの作品になったものだ。と言っても、事実描写が苦手な私のことだから、ただの「説明」によるエロであり、法律の条文における性的事件の説明と似たりよったりである。しかし、それでも真面目な青少年には刺激が強いかもしれないので、あらかじめ警告しておこう。と言って、また過度の期待をされても困る。もともとケストナーばりの少年小説を理想としている人間の書いた小説なのだから、せいぜいが、同じケストナーの「ファービアン」程度を想像してくれればよい。少し長い作品なので、明日あたりアップする。 -
補遺1 賞罰の適用。賞は下っ端に。罰は大物に与えよ。処刑される人間は大物であるほど、表彰される人間は小物であるほど反響は大きい。このことで、賞罰が厳正に適用されていることを知らしめることになる。
補遺2 天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかずとは真実である。将帥たるもの、天文気象に左右されず、地勢の不利にも動揺せず、他人の意見に盲従せず、縦横に独歩すべきである。それによって勝敗の帰趨を握ることができるのである。有能な者を抜擢して用い、法令を明確詳細に規定して実行し、人民を労わり用いれば、結果はおのずと吉となるのである。
総括
以上、マキァベリと尉繚子の中から、特に興味深い部分を書いてみた。馬と大砲についての「戦争の技術」の中の記述は、目からうろこが落ちるようである。我々は、騎馬は歩兵より有利で、大砲の破壊力は脅威であると盲目的に信じているが、そうではないことが、論理的に示されている。ちなみに、これらの言葉は、マキァベリの同時代のある軍人の言葉をマキァベリが記録したものである。単なる兵法家ではなく、現実の戦場の体験者ならではの発言と言えよう。
尉繚子は孫子や呉子ほど有名ではないが、古代の戦争の要諦を的確かつ総合的にまとめてある点では、孫子呉子以上に優れていると私は思う。孫子は兵法の始祖的存在で、いわば歴史的価値があるにすぎず、本質的価値という点では尉繚子はもちろん、呉子にも劣ると私は見ている。しかし、もちろん、戦争の一般論としての価値の高さは言うまでも無い。孫子が乗り越えられたことは、前の時代の思索を元に、後の思索が加算された当然の結果ではあるが、孫子の中には魅力的なフレーズも沢山あり、人生の戦略にも通じる古典としての価値は今でもある。そこが、他の戦術書との違いだろう。もっとも、尉繚子にも日常の組織論として読んでも意味深い言葉は多々あるのだが。
