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なかなか興味深い話なので、メモとして保存。
(以下引用)
第2次大戦の激戦地ラブアン島、租税回避の秘境に
末永 恵 2018/12/25 06:00
リアルさない「東大ベンチャー」の裏
韓国が一転、日本との主張真っ向対立
© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 アジアのタックスヘイブンの秘境、マレーシアの連邦直轄地のラブアン島にあるオフショア国際金融センター。日本の三菱UFJや三井住友銀行、大手保険会社なども参入。
「我々は断固戦う。起訴は間違っている」
世界最大級の米大手金融、ゴールドマン・サックス(GS)が窮地に立たされながらも、「宣戦布告」を言い渡した相手は、マレーシア政府。
発端は、先週、マレーシア検察当局が、同政府系投資会社「1MDB」の巨額不正資金流用事件に絡み、1MDBの債券発行を担ったゴールドマンサックスと、元幹部2人ら個人4人を証券関連法違反の疑いで刑事訴追したからだ。
このゴールドマンの元東南アジア統括責任者などの元幹部2人(ティム・ライスナー被告、ロジャー・ウン被告)らは、その1か月半前の11月1日、米司法省により、外国公務員への贈賄を禁止する「海外不正腐敗行為防止法違反」の罪などで、すでに起訴されていた。
2010年4月、証券詐欺で米証券取引委員会(SEC)から提訴され、世界の金融界に激震が走った、いわゆる「ゴールドマン・ショック」を覚えている方は多いだろう。
今回の不正発覚で、同社の株価は、その時以来の低迷が続いている。
本コラムでは、先月、ゴールドマンが組織ぐるみで関与し、最高幹部など経営陣の指示が働いていた可能性が高くなっていると指摘。
「ゴールドマンに騙された。不正の証拠を握っている」とゴールドマンを名指しで糾弾するマレーシアのマハティール首相が、「ゴールドマンへの刑事訴追を想定している」と、報じた矢先だった。
ゴールドマンは2012年から2013年に1MDBの65億ドル(約7400億円)の債券を発行。相場の約6倍という破格の6億ドルの報酬手数料を得ただけでなく、27億ドルを1MDBから不正流用した疑いももたれている。
11月の米司法省による起訴では、法人としてのゴールドマンは含まれていなかった。
しかし、マレーシア当局は「ゴールドマンが虚偽の情報開示でマレーシア政府や投資家を欺いた」(トーマス司法長官)として刑事訴追した。
具体的には、債券発行を主導した「ゴールドマン・サックス・インターナショナル」(英国)や「ゴールドマンサックス・シンガポール」などゴールドマングループの子会社を訴えている。
また、同社の元幹部2人とともに、1MDBの元社員のジャスミン・ロウ被告と、国外に逃亡中の事件の「大黒幕」のマレーシア人実業家、ジョー・ロウ被告も刑事訴追した。
(参照:http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43277「マレーシア首相一家と蜜月 大富豪ジョー・ローの謎」)
マレーシア当局が追及する虚偽の情報開示とは、マレーシアのタックスヘイブンの「ラブアン島」の地元当局に提出した書類のこと。これが深刻な証券法違反に相当すると糾弾している。
経済金融特区の「ラブアン島」は、日本ではあまり知られていない。しかし、今年の国際金融シンクタンクなどの調査では、世界の金融界を牛耳る大銀行などの法人登録が約1万5000社にも及ぶ。
投資家、起業家の間ではアジアの「タックスヘイブンの“秘境”」とすら呼ばれている。今、香港やシンガポールに次ぐ、オフショア金融センターとして(https://www.fpl.com.my/)、世界のファンドや投資家から熱い視線を浴びている。
© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 租税回避のラブアン島は、南シナ海に浮かぶ。写真はラブアン港。マレーシアの軍港でもある。
「年々、欧米や中近東諸国からの登録社が急増している」(アジアの投資専門家)ほどで、日系企業もまだまだ少ないが、三菱UFJ、三井住友銀行や大手保険会社など大企業を中心に、160社ほどに増えてきているらしい。
ラブアン人気の背景には、マカオや香港、シンガポールに比べ、法人税や所得税などの税制面の優遇が厚く、「アジアで最も低い税率」が挙げられる。
また、島全体が免税特区に指定され、タバコ、酒、香水など輸入品が格安で購入できることも魅力らしい。
マレーシアの連邦直轄地ラブアンは、マレーシア東部のサバ州に位置し、南シナ海沖合に浮かぶ島だ。ラブアンとは、マレー語で「良港」という意味。
面積は約90平方キロメートルで、大きさは香港と同じくらい。マレーシアの首都・クアラルンプール、シンガポール、マニラ、香港、バンコク、ジャカルタといったアジア諸国の主要都市からほぼ等距離間隔にある好立地も、人気の秘密だ(参照:地図)
© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 アジアの主要都市につながる好立地のラブアン島
島全体を車で1時間もあれば1周でき、市街地は、縦横1キロ範囲。自然環境にも恵まれ、近郊海域では天然ガスや石油が豊富に産出される。
また、日本ともゆかりの深い土地柄で知られる。11世紀、マジャパヒト支配下で、洋上交易の拠点として栄えるが、1848年、英国の直轄植民地が置かれた。
第2次大戦勃発後は、1942年に日本軍が占領。ラブアンを通過した東条英機の命名で、ボルネオ守備軍司令官だった陸軍中尉、前田利為にちなんで島名が「前田島」に改称された。
© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 1945年9月、第二次世界大戦で日本軍は正式降伏し、ラブアン島で文書に調印した
また、ここは第2次世界大戦で日本軍が公式に降伏した場所でも知られる。
連合軍が上陸してから3か月後の1945年9月9日に調印式が開かれ、豪州軍第9師団司令官、ジウッテン少将の立会いで、日本軍37軍司令官の馬場正郎中将が降伏文書に署名した歴史的場所でもある。
さらに、ラブアン戦没者記念墓地は、アジア最大の戦没者墓地で、「サンダカン・ラナウの死の行進」の犠牲者を含め、ボルネオで命を落とした3908人の兵士が眠っている。平和を願い、日本政府が1982年、同地に平和祈念公園を造園している。
© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 ラブアンは、第2次世界大戦で日本軍が占領した島。当時、「前田島」と呼ばれた。アジア最大の戦没者墓地がある。
そして、今やアジア屈指のタックスヘイブンの金融特区になりつつある。
もともとはリゾート地だったが、1990年にマレーシア政府がオフショア会社法を制定し、ラブアン・オフショア金融サービスセンター (LOFSA)を設立。
1996年8月、オフショア金融センター、ショッピングモール、レジャー施設コートなどが建設されたフィナンシャルパークがオープン。
実はラブアン島は、当時、マレーシア政府が、1997年の香港返還時期を狙って、香港の機能をラブアンへ移行させるために意図的に作り上げられたタックスヘイブンなのだ。
LOFSAには、世界の名だたる銀行、信託会社、法律事務所など、オフショア事業関連の企業が入居し、今では日系企業も大手保険会社やメガバンクが入っている。
ラブアン島の魅力は冒頭で「アジアで最も税率が低い」と紹介したが、最近は香港やシンガポールなど東南アジアや中東、欧米の富裕層の間で、節税対策として活用されている。
マレーシアには通常の現地法人制度のSdn.bhdのほか、ラブアン法人という制度がある。これこそ、タックスヘイブンのラブアン島で設立する法人のことだ。
ラブアン法人は居住取締役が不要のほか、上限税額(2018年12月現在、2万リンギ=約60万円)が設定され、いくら収益を出しても、上限以上の税が課税されない。
このほか会計監査免除も特典される。こうした条件が世界の起業家や投資家の間で注目され始めている点だ。
法人登記は、通常、1週間ほどで完了し、外資100%での設立が可能で、外貨規制がなく、ラブアンオフショア口座を経由した取引では、原則、出金、入金ともに制限がない。
法人税と所得税などで税制上の優遇があり、香港やシンガポールなどと比べ有利な点も人気の背景だ。
例えば、法人税の場合、貿易関係とIT関連や投資分野の非貿易分野の事業内容に分れ、課税形態が違う。
ラブアン法人の場合、貿易関係の企業は、税率が当期純利益の3%か、上限税額2万リンギのどちらかを選択。香港法人の場合は、税率16.5%、シンガポールは17%。
また、ITや投資分野の企業の場合、ラブアン法人は完全非課税0%で、会計監査や確定申告も不要。一方、香港法人は16.5%、シンガポールは17%で、双方とも会計監査の義務が生じる(ただし香港の場合、いずれも2018年4月以降から利益200万香港ドルまでに限って「8.25%」に改正)。
こうしたラブアンの租税回避策の恩恵を最も受けているのは、世界を代表するグローバル企業などである。
今回の米金融大手のゴールドマンもラブアン法人設置や顧客を抱え、自らの私欲も膨らませてきた。
米国、マレーシア当局双方から刑事訴追されているゴールドマンの元東南アジア統括責任者で米国で著名なセレブの妻を持つことで知られるティム・ライスナー被告は「親戚や家族への報酬も受けた」ことも自白し始めている。
1MDB不正は、社債などで調達した資金を実態のない複数のペーパーカンパニーなどにまず支払い、ラブアン島やケイマン諸島などのタックスヘイブンなど、極めて複雑な資金経路を通ってマネーロンダリングされ、関係者の口座に送り込まれるという極めて玄人技で実行されてきた。
さらに、米司法省はこのほど、1MDBの汚職問題に関連し、同省の元職員が不正送金を手助けしていたことを明らかにしている。
不正を指揮したマレーシア人のジョー・ロー被告が米国に海外から資金を移す際、米国の銀行に資金目的や送金元などの情報において、同元職員が虚偽の説明をしたという。
米政府筋は、ウォール街の大物バンカーで、ゴールドマンの現会長のロイド・ブランクファイン前最高経営責任者(CEO)が、「ニューヨークのフォーシーズンズホテルでマレーシアのナジブ前首相やロー氏と面会した事実を認めている」と明かす。
マハティール首相の戦いは、世界の経済を牛耳るこうしたユダヤ金融界だけでなく、政権の中枢が“ゴールドマン閥”で固められているトランプ大統領への宣戦布告といっていいだろう。
米政府が、ゴールドマンを起訴するか、政治的判断になり得る。
一方、この醜い汚職の温床となったタックスヘイブンのラブアンは、もともとマハティール首相が提唱して実現したものだ。
皮肉にも、こんな形で“見返り”が自分の身に降りかかってくるとは、想像もしていなかっただろう。
(取材・文 末永 恵)PR -
米国は株とドルの同時安らしい。つまり、経済的に信用されていないということだ。中国制裁とか言っている場合ではないwww 政府機関の一部閉鎖とか、以前にもあったが、米政府というのは民間経営の企業みたいであるwww まあ、実際、政府を経営している「株主」は国民なのだが。つまり、社長がアホなら首を切っていい。
(以下引用)
〔東京外為〕ドル、110円台前半=リスク回避の円買いで下落(25日午前9時)
9時04分配信 時事通信
25日朝の東京外国為替市場のドルの対円相場(気配値)は、米株急落などを受けてリスク回避の円買いが強まり、1ドル=110円台前半に下落している。午前9時現在、1ドル=110円29~34銭と連休前21日(午後5時、111円25~26銭)比96銭のドル安・円高。
日本が休みの前日は、米国時間にドル円が急落した。米政府の暫定予算失効で政府機関の一部が閉鎖。与野党の対立で閉鎖が長引くとの懸念から米株が大幅下落。米長期金利も低下し、安全資産の円買いが強まった。ドル円は終盤に110円20銭台まで下げた後は売り一服となり、東京時間の早朝は110円30~40銭前後で推移している。
本日はクリスマスで海外市場の多くは休みとなり、「参加者も少なく、ドル円の値動きは乏しくなる」(FX業者)とみられるが、米株急落を受けた日経平均株価の下げ幅が「想定以上になるとドル円も売りが強まり、取引が薄い中で下げ足が速まるリスクはある」(大手邦銀)との指摘も聞かれ、株価次第では下値を模索する可能性がある。
ユーロも対円を中心に下落。午前9時現在、1ユーロ=125円75~82銭(21日午後5時、127円59~60銭)、対ドルでは1.1400~1404ドル(同1.1469~1469ドル)。(了)
最終更新:9時04分 -
「逝きし世の面影」から転載。
歴史の或る時期に、なぜ突然世界的に鯨の保護が叫ばれるようになったのか、下の記事は実に明確にその説明をしていて、その内容は合理的で説得力がある。
ベトナム戦争と捕鯨禁止を結びつけた説は、初めて読んだ。
後で、鯨は人間並みに知能が高いから、とか、鯨の保護についていろいろ馬鹿な理屈が捏ねられたが、ぜんぶいい加減な「後付け」だろう。
(以下引用)
鯨保護はベトナム戦争のオレンジ作戦隠蔽工作2008年04月21日 | 社会・歴史
商業捕鯨の禁止は、ベトナム戦争の枯葉作戦と因果関係があったことを知っているものは、今や少なくなった。
『ベトナム戦争における枯れ葉作戦とは、』
現在のイラク戦争と同じような、長引く勝ち目のないベトナム侵略戦争のゲリラ戦に疲弊したアメリカ軍は、対空兵器に劣るベトナム軍に対して、圧倒的空軍力による徹底的な空爆で対抗しようとした。
第二次世界大戦戦時の全爆弾投下量の4倍以上の爆弾を、北ベトナムに投下し『ベトナムを石器時代に戻す』と公言していた。
特に地上戦の行われていた南ベトナムでは、密林地帯に潜む北の解放軍兵士を掃討するために、徹底的に森林をナパーム弾で焼き尽くす作戦に出たが、平坦なメコンデルタ地帯と違い、山岳地帯の密林ではナパーム弾の、焼夷爆弾としての威力が落ちる。
当時のアメリカ軍は、第二次世界大戦の中国戦線にをける日本軍のように、主要都市と主要道路だけは確保していたが、農村部はベトナムの解放戦線軍に押さえられ苦戦していた。
地上戦で苦戦を強いられた米国軍は、劣勢を挽回するために、ベトナム戦争において、有害なダイオキシンを含む除草剤を空から撒いて森林を破壊してベトナム全土を砂漠化する、恐るべき狂気の「枯れ葉作戦」を繰り広げていた。
すべての森林が枯れ木の山なら、ナパーム弾の威力は何倍にも効果的に倍増できるし、ベトナム軍の隠れ家も空から容易に発見できる。
農村の農民に依拠しているベトナム軍の兵糧を破壊でき、地上戦でのアメリカ軍の損害を少なく出来る。
以上の理由によって、強力な除草剤によって、非人道的なベトナム全土砂漠化作戦「枯葉作戦』(除草剤がオレンジ色をしていたので通称オレンジ作戦)が、アメリカ本国や世界には知らされる事なく粛々と行われていた。
当時のベトナムでは、不純物として有害なダイオキシンを含む『除草剤』の大量散布によって、森林は破壊され、奇形児が多数生まれていた。
『特別戦略諮問機関』
1970 年代初め、アメリカはベトナム戦争という泥沼に入り込み、抜きさしならぬ状況に陥りつつあった。
枯れ葉剤(除草剤)大量散布で環境への壊滅的影響と、作戦に従事した米軍兵士の健康被害。
反戦運動の盛り上がりと麻薬禍の拡散、脱走兵の続出等々、反米、反体制、反戦気運を何としても方向転換させる戦略を考え出す必要があった。
その結果、ホワイトハウスに特別戦略諮問機関が設置され、英知を絞った末の作戦として自然保護が全面に打ち出されることとなった。
そして、その象徴として鯨に照準が定められたのである。
自然保護に関してカリスマ性に富む多くの理論家、運動家が動員され、それが 1972 年のストックホルム国連人間環境会議の開催へとつながっていく。
『国連人間環境会議』
1972年6月ストックホルムで開かれた第一回国連人間環境会議で、主催国スウェーデンのパルメ首相は、『枯葉作戦』問題を環境会議で取り上げると予告していた。
ところが会議が開催されると、アメリカは買収と脅しで反対工作をやり、ベトナム戦争の枯葉作戦問題ではなく、突然の鯨保護問題が議題とされる
この時決定されたのがモラトリアムで、商業捕鯨が出来なくなったのである。
それをやったのがニクソンの懐刀で当時大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャーだった。
ニクソン大統領はこの年の11月に再選挙を控えており、ライバルの民主党ジョージ・マクガバン上院議員はベトナム戦争反対を訴えていた。
『モラトリアム』
もし環境会議で、枯葉(オレンジ)作戦問題が取り上げられ、アメリカが国際的な非難を浴びたら、ニクソン陣営は面子丸つぶれとなる。
捕鯨モラトリアムの提案は、このような事態を避け、逆に環境問題でのリーダーシップを誇示して、マクガバンの支持層を切り崩す一石三鳥の作戦だった。
それは見事に成功した。
19世紀には捕鯨大国として太平洋の鯨を激減させ、今まで一度たりともIWCでモラトリアムなど提案したことのなかったアメリカは、この時から反捕鯨陣営(自然保護?)のリーダーに変身したのである。
19世紀には最大の捕鯨大国だったアメリカが、この当時捕鯨をしていなかった。
理由は、捕鯨は食用ではなく灯火用油としてしか利用しなかったので、国内の需要がなくなった為で、決して自然保護、環境問題が原因ではない。
このストックホルム国連人間環境会議で、のちに環境保護運動の象徴となる捕鯨のモラトリアム提案が、何の根回しもないままに電撃的に可決される。
商業捕鯨は、ベトナム戦争で評判を落としたアメリカのニクソンの選挙運動のために、当時のアメリカ人にとって利用価値(実害)のないために、禁止されたのである。
この国連人間環境会議直後の11月の大統領選挙で、ベトナム戦争反対、米軍の即時撤退、軍事支出の削減を訴えていた民主党候補のジョージ・マクガバン上院議員は、共和党現職大統領で「稀代の策士」ニクソンに対して歴史的大敗を喫する。 -
どうせ一過性の騒ぎにしかならないだろうし、私は軍事知識は無いのでこの事件について取り上げる気はなかったが、右翼でかつ元軍人である田母神氏がこう言っている以上、信頼性はあるだろう。明らかに、ポジショントークとは真逆の「専門家としての良心」に従った発言だと思う。
田母神俊雄認証済みアカウント @toshio_tamogami 12月23日
- 今回の韓国の火器管制レーダーの電波照射について今以上に詳しく話すと自衛隊や日本政府に迷惑をかけることになるかもしれないのでこれ以上は言わない。今回ぐらいのことは世界中の軍が日常的にやっていることであり、電波照射をしてもミサイルが直ちに飛んでいかないような安全装置もかけられている。
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歴代天皇の中で最も天皇にふさわしい人だったと思う。
毎度書いているが、日本における天皇というのは(古代は別だが)他国における国王とは異なるもので、「権力的存在」ではない。明治から昭和前半までの日本は歴史的な天皇の在り方からは例外的だったと言えるだろう。つまり、明治維新以来の長州閥による「錦の御旗」の悪用が極まったのが大東亜戦争(この言い方が一番適切だと思う。「太平洋戦争」は米国との戦争しか視野に入れていない。)とその敗戦だったわけだ。
今上天皇は昭和天皇の失敗を深く心に刻み、その贖罪にほぼ一生を費やしたように思う。
(以下引用)「天皇としての旅を終えようとしている今…」 会見全文
【動画】85歳の誕生日を前に記者会見する天皇陛下=宮内庁提供20日に行われた天皇陛下の会見の全文は以下の通り。
◇
《問》天皇陛下として迎えられる最後の誕生日となりました。陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代が担っていくこととなります。現在のご心境とともに、いま国民に伝えたいことをお聞かせ下さい。
【天皇陛下】この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が一日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。
ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。
今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。
私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。
第2次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉(しゅうえん)を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。
しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。
以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠(たいかん)式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。
それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。
そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。
そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。
次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。
障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。
今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。
そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。
明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。
天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います。
そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。
今年もあと僅(わず)かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。
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「琥珀色のざれごと」から転載。
文中に引用されているのは町山智浩の「最も危険なアメリカ映画」の一節。
アイン・ランドの「肩をすくめたアトラス」(私はこの邦訳題名はあまり良くないと思っている。「Atlas shrugged」なら、「アトラスは肩をすくめた」とすべきではないか。つまり、「この地球を支えているのは知的巨人である俺たちエリートなのだ。俺たちが肩をすくめたら、その肩に載っているお前ら凡人どもはみな即死するのだぞ」という、エリートたちの傲慢な宣言なのである。あるいは、アトラス=エリートたちを批判する凡人たちに対する答えが「アトラスは肩をすくめた」なのである。)については、アメリカで聖書に次いで売れた本だ、というのはたしか副島の本かブログで読んだ記憶がある。
(以下引用)ここに書かれている「エリート」の言葉は、ネトウヨに多く見られる言説である。
また『摩天楼』(1949年)の項では、この映画の原作者アイン・ランドという作家のことが紹介されているのです。
1957年、アイン・ランドは『水源』とほとんど同じテーマで、邦訳が二段組み1200ページを超える大作『肩をすくめるアトラス』を発表する。
舞台は、社会正義的な福祉国家になった未来のアメリカ、「反競争法」なる法律で、市場経済が自由に行なわれなくなっている。公共の福祉に反する財産の独占は禁止され、雇用者は自由に労働者を解雇できない。経済的な発展は停滞している。
主人公のジョン・ゴールドは、この平等社会でやる気を失くした知的エリートたちをコロラドの山中に集め、テレビをハイジャックして、知的エリートたちのストライキを宣言する。ここから邦訳で65ページも演説が続くが、内容は『水源』とだいたい同じ。
——我々、知的エリートは諸君らに奉仕するのをもうやめる。我々、優れた者たちの恩恵を受けて暮らす「寄生虫」どもは生存競争という自然の法則に反している。世間の道徳は、他人のために自分を犠牲にすることを善としているが、それは怠惰な「たかり屋」たちが知的強者を搾取し利用するために作ったカルトである。本当の道徳、本当の善とは、自分の幸福を追求すること、すなわち「利己主義」である。だから、自尊心のある者は、この社会に協力することをやめて、我々の必要さを奴らに思い知らせるのだ——(町山さんの抄訳)
ジョン・ゴールドの演説は『公共の福祉』の全否定だ。しかし、この本がアメリカで聖書に次ぐロングセラーになっているという事実は重要だ。先進国で唯一公的医療保険制度がないアメリカで、オバマが国民皆医療保険制度を実現しようとしたとき、ティー・・パーティという保守系運動が起こって、「貧乏人の保険料をどうして金持ちが負担しなければならないんだ」と反対したが、彼らの心にはジョン・ゴールドがいる。
途中まで、「なんだか『と学会』で紹介される自費出版本みたいな内容だな」と思いながら読んでいたのですが、こんな狂った選民思想本が「聖書に次ぐロングセラー」になっているのか、アメリカって……
自分たちが、「知的エリート側」にいると考えている人が、こんなに多いなんて。
ちなみにこの『肩をすくめるアトラス』は2011年に映画化されたそうですが、日本では未公開です。まあ、そりゃそうか、と。 -
最近のNHKの番組ではこうした印象操作や論理の転倒が多いようで、まあ、安倍様のための放送局だから国民の頭を劣化させるのが目的なのだろう。
少し考えれば「えっ、その論理おかしいんじゃないの」と思うような発言でも、テレビ放送は聞き流している人が大半だから、この番組を見た人には「ネット依存は怖い」という「結論部分」しか残らない。それがマスコミに接する怖さである。
なお、テレビがネットに批判的なのは、ネットが現在の「表マスコミ(政権による国民支配の道具)」の仮想敵であるからだ。テレビがけっして言わないこともネットの中では言われるから、国民を洗脳するにはネットは現在のところは邪魔なのである。
(以下引用)
さっきNHKで
「イジメが原因で引き篭もり、そのままネット依存8年。ネット依存の恐ろしさとは」
みたいな事やってたけどどう考えても悪いのはネットではなくイジメである。 -
「つぶやきコミューン」から転載。
現行の「民主主義」では主権者である国民一般が(選挙を通じて)立法に関わることはできても行政に関わることがまったくできない、という指摘は興味深い。
もちろん、安倍政権下の今の日本では「国民のまったく望まない法律がどんどん立法されている」わけだが、それも(不正選挙でないとしたら)選挙で自公政権に過半数を与えた国民の選択の結果だということになる。そして、いくら選挙で民意を示しても、沖縄辺野古の新基地のように住民の望まないことを政府がどんどん強行するわけで、そのどこに「民主主義」が存在しているのか。
では、どうすればいいのか、ということはさておいて、一般国民が行政に有効的に参加できない、という現状を認識することには大きな意義があるだろう。
フランスの国民が「直接行動(デモやストライキ)」によって政府の方針を変更させた、ということは示唆的である。仮に、デモやストライキによって「民意」を示しても政府が態度をまったく変えない場合は、(テロ行為は極力除外するとしても)「革命」以外には方法は無くなるわけである。
(以下引用)國分功一郎『来るべき民主主義』JUGEMテーマ:自分が読んだ本主権とは政治を最終的に決定する権利を指す。なぜその権利を有している者たちが、道路をつくる程度の政策の決定プロセスにすら参加を許されないのだろうか。そして、政策決定プロセスから住民を排除しているこの政治体制がなぜ民主主義と呼ばれ続けているのだろうか?(『来るべき民主主義』p112)
『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)は、小平市に住む哲学者、國分功一郎氏が住民運動に参加する中で直面した「行政」に住民の意見を浸透させることの困難を契機に、民主主義の原理的諸問題を掘り下げた著作である。
都道328号線の建設工事は、半世紀前に策定されながら過去数十年間実施されないままであったが、急に行われることになった。それによって失われてしまう市民の憩いの場である、豊かな生態系を持った森。そして200世帯もの市民の住居。この工事に疑問を抱いた國分功一郎氏は、市民運動に加わり、街頭で立ったり、様々なイベントに参加する中で、いかに行政に市民の意見を浸透させることが困難かを痛感することになる。
この本の中には、今後の市民の政治への参加を考える上での重要な実践的問題だけでなく、原理的な問題が提起されている。
原理的な問題とは、こうである。私たちは、「民主主義」の国で生活していることになっている。確かに、選挙によって国会議員を選ぶことができるし、都道府県や市町村の議員の選挙を通して、意見を反映させることはできる。しかし、それらの行為の多くはもっぱら「立法」に関わるものである。首長の選挙に投票することはできても、地方自治体が実行してゆく事柄に意見を反映させる手段はほとんど持っていない。
「行政」サイドが進めるたった一つの計画さえも、その当事者である住民が変えることができないのである。
それを単に官僚制の閉鎖的性格にのみ帰すべきではないだろう。
近代の政治哲学そのものが、ジャン・ジャック・ルソーかカールシュミットに至るまで、もっぱら民主主義を「立法」を中心として、議論されてきたからである。
中心から外れることによって、重要度が低下したのではなく、手続きや制度設計の議論が行われることなしに、一種の自動機械として、絶縁体の向こうで勝手に機能し続けてきたのがこれまでの「行政」のありかたであった。
近代政治哲学が「立法」のみに関わり、「行政」を視野に入れることのないまま、民主主義の議論が行われてきたことがこのような事態を招いた一因であると言っても過言ではない。
國分功一郎氏は、ここに大きな盲点のあることを指摘する。
「来るべき民主主義」とは、「立法」と「行政」の双方に、市民、住民の意見が反映されるものでなくてはならない。「立法」という中心をめぐる円形の民主主義から、「立法」と「行政」という二つの中心をめぐる楕円状の民主主義へと変わるべき時期なのである。
だが、現状では厚い壁が立ちはだかっている。
そのような民主主義のかたちはまだないが、あちこちに萌芽はある。単に小平の例にとどまらず、徳島における可動堰を巡る住民投票などの例を取り上げながら、これからめざすべき方向性を具体的に提示してゆく。絶縁体の向こう側にある「行政」に、市民の意見という電流を届かせる回路を具体的に一つずつ作り出してゆかなくてはいけない。
これが本書の趣旨である。
本書の書名である「来るべき民主主義」は、フランスの哲学者ジャック・デリダの言葉から来ているが、そこには二重の意味がこめられている。決して実現されてはならない、いわば常に未完成の状態である民主主義。そして、それにもかかわらず、めざすべき目標として存在するべき民主主義。
『来るべき民主主義』は、新たな民主主義のあり方を考える上で、重要な提言や具体的な戦術の方向性を多く含んでいる。しかし、ここにあるのは一つの解決策であって、模範解答などではない。無数に考えうる別の解決策、別の解答が議論され、提示されるべきものである。
本書の内容は、住民運動や市民による政治運動に関わる人に読まれるべきものであるが、同時に政治や思想を学問的に語る人によっても読まれるべきものである。まずは、「民主主義」の既成概念を根本から問い直し、その新しいあり方を模索することこそ、学問の場にある人々の危急の問題ではないだろうか。 -
「ギャラリー酔いどれ」から転載。
いい記事である。
さて、来年の日本は、そして世界は「苦悩を抜けて歓喜に至る」、ことになるだろうか。
(以下引用)
◆https://news.infoseek.co.jp/article/businessjournal_504881/
Business Journal / 2018年12月16日
◎ベートーヴェン 『第九』に秘められた
“危険な 政治思想”
12月も 2週間が過ぎました。
年末の風物詩といえば、皆さんは何を思い浮かべられるでしょうか。
忘年会、クリスマス商戦、師走の大忙し、いろいろとありますが、
芸術文化を一手に担っているのは、『第九』です。
この12月の『第九』公演スケジュールをざっと調べてみたところ、
たとえば、東京のサントリーホールでは9回、
大阪のザ・シンフォニーホールでは6回も演奏されるようです。
日本にあるすべてのプロ・オーケストラが 12月には『第九』を、
一度のみならず、何度も何度も演奏する
といったほうがわかりやすいでしょうか。
『第九』という言葉は、今では俳句の季語にもなっていますが、
正式な名前は、
『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲、交響曲第9番ニ短調 作品番号125』
というそっけのない名前です。
これを、我々は『第九』と簡単に呼んでいるわけです。
ちなみに、「歓喜に寄す」とタイトルをつけたのは、後年の人々であり、
ベートーヴェン自身ではありませんでした。
しかし、「交響曲 第9番」というシンプルな名前だけでは、
ソリストや合唱団が 最終楽章から参加し、
今日でも破格な規模の交響曲とは想像しようがありません。
ちなみに、よく知られている「歓喜に寄す」や「合唱付き」との
タイトルをつけたのは後年の人々であり、
ベートーヴェン自身ではありませんでした。
ベートーヴェンは 交響曲第3番『英雄』、第6番『田園』等、
自分でタイトルをつけることがあったにもかかわらず、
『第九』のように、これまでの交響曲の枠を外れ
メッセージ性の強い作品にどうしてつけなかったのか、不思議に思います。
●ベートーヴェンが『第九』に タイトルをつけなかった理由
僕は、ベートーヴェンはあえてタイトルをつけなかったのだと思います。
実は、『第九』には、強い政治的メッセージが含まれているどころか、
堂々と表現されており、それは一歩間違えれば、
初演当時のウィーンの政治体制の中では、危険思想と
捉えられかねなかったのです。
まずは、当時の社会情勢を考える必要があります。
18世紀までの王侯貴族社会体制に突然起こった、
1776年のアメリカの独立、そして、1789年のフランス革命は
大きな出来事でした。 双方ともに、一般民衆による
国家という共和制の樹立ではありますが、特にフランス革命では、
一般民衆が王侯貴族をギロチン台に送り、ついには皇帝ルイ16世まで
処刑してしまいました。
そして、その後の平民出身の ナポレオン・ボナパルトの大活躍は、
ヨーロッパ諸国の 貴族社会を震撼させました。
その後、1815年にナポレオンが完全に失脚し、
ヨーロッパ諸国の王侯貴族によるウイーン会議での議決により、
ヨーロッパでは君主制によるウィーン体制が始まるのです。
つまりは時計の針を戻したのです。
しかし時間の流れは止められず、その後、この体制も揺らぎ始めていくのです。
このように、ヨーロッパの貴族社会が 一般民衆の動向を恐れ、
自由主義・国民主義を弾圧していた時期でもある 1824年に
『第九』は初演されたのです。
●『第九』に 込められたメッセージ
さて、作曲家というのは、その作品の中に “わかる人には わかる”
ようなメッセージを入れ込むことがあります。
そんな話は、別の機会にゆっくりと紹介しますが、
特にベートーヴェンは、政治的なメッセージを入れることがよくある作曲家です。
それでも、音楽だけであれば意図を言葉で明文化しているわけではなく、
政治警察もその証拠を明解にはできないので、捕まえることもできません。
しかし、『第九』の大きな特徴は、最終楽章に
ソリスト歌手と合唱団が参加する点にあります。
つまり、言葉である 歌詞があるのです。
ここがベートーヴェンにとっては大きなリスクとなります。
『第九』の歌詞は、ドイツの思想家・シラーが
アメリカ独立の前年、1785年に発表した「自由賛歌」が基になっています。
この時代の“自由”というのは、一般民衆が王侯貴族体制から解放されるという、
当時の国家体制にとっては危険な言葉であることを
まずは理解する必要があります。
実際に、フランス革命の前には、現フランス国歌である革命歌
「ラ・マルセイエーズ」のメロディーに乗せて、
シラーの「自由賛歌」が、ドイツの革命思想を持った学生たちに歌われていました。
そのため、シラーがそんな歌詞をそのまま出版したら、
ドイツでは危険思想として出版禁止となるのは当然として、
シラーの身も危うくなったかもしれません。
そんなこともあり、シラーは『歓喜に寄す』とタイトルを変え、
詩を改訂し、出版したという “曰く付き”の作品 なのです。
この詩に当時15歳だったベートーヴェンが深く感動し、
終生これに音楽をつけたいと願い、
死の3年前になって作曲したのが 『第九』なのです。
当時の知識階級の人たちにとっては、シラーが意図する“歓喜”というのは、
すなわち“自由”の意味である ことは明らかでした。
しかも、シラーが“自由”の代わりとして“歓喜”という言葉を選んだことも、
「自由とは、すなわち歓喜すべきこと である」と理解されたのだと思います。
そんな政治的な詩を『第九』のなかで使用するのみならず、
ベートーヴェンはそれ以上にはっきりとした政治的メッセージを、
自身の作詞により加えています。
それは、最初に バス歌手が歌う歌詞です。
「おお友よ、このような音ではない!
我々は もっと心地よい
もっと歓喜に満ち溢れる歌を 歌おうではないか」
“このような音”とは、
「これまでの音(音楽)=貴族社会」を意味します。
これを否定し、「歓喜=自由」を謳歌しようではないか、
という意味が込められていると思いながら、僕は指揮をしてきました。
それからバス歌手は、シラーの詩を歌い出すのですが、最初が変わっています。
「歓喜!」と一言呼びかけると、合唱団が「歓喜!」と答えます。
まるで、デモのシュプレヒコールのようです。
もし、当時のウィーンの広場で同じことを叫んだら、
すぐに政治警察が飛んで来たに違いありません。
そして、もう一度同じ叫び合いをしてから、バス歌手はメロディーを歌い始め、
「歓喜よ、美しい神の炎よ!」と自由を賛美するのです。
ここだけ見ても、ベートーヴェンは確信的であることがわかります。
さて、初演は大成功を収め、観客は大騒ぎします。
自由・国民主義を抑圧してきた 悪名高きメッテルニヒ体制下でも、
もう群衆の勢いは止められなかったのだと思います。
そしてもちろん、ベートーヴェンの素晴らしい音楽が、
すべてを凌駕していたのは言うまでもありません。
残念ながら、音楽家としては致命的な難聴に侵されていたベートーヴェンには、
群衆の熱狂的な拍手の音も聞こえず、コンサートマスターに促され、
やっと客席を向いて、その大成功を知ったと伝えられていますが、
公共の場でもあるコンサート会場で、こんな大それた交響曲を発表したわけで、
民衆の反応を確かめるのに、少々の躊躇があったのかもしれません。
僕は、ベートーヴェン交響曲第9番の合唱稽古の際に、
必ず合唱団に話す曲中の歌詞があります。
それは「Alle Menschen werden Brüder(すべての人々が兄弟となる)」
という一節です。
シラーの1785年初稿では、「物乞いらは 君主らの 兄弟となる」という、
もっと切り込んだもので、
それこそベートーヴェンが青年時代に読んで感動した文だったのですが、
この“兄弟”というのは、“仲間”という意味です。
つまり、貴族であっても、平民であっても、物乞いであっても、みんな同じ。
国籍、年齢、性別、肌の色、宗教すべてを乗り越えて、
全世界の人たちが仲間になろうという、強いメッセージです。
これを年末に歌いあげる 日本という国は、なんと素晴らしいのだろうと、
僕は思います。
(文=篠崎靖男/指揮者) -
「混沌堂主人雑記」引用記事を転載。
プーチンの言葉はまさに、子供でも分かる理屈であり、これに対してどのような反論が可能なのか、ネトウヨ諸氏や安倍工作員諸氏やマスコミのネトウヨ系評論家に聞きたいものである。
(以下引用)
産めよ増やせよ大和撫子 より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
日本国民を間接的に教育するプーチン
、
領土問題を解決したくば
占領下にあることを早く解消しろとの
指示です。
無理なら領土問題は諦めろ、ということ。
戦争の結果なったことで、この問題をわざと残したのはアメリカです。
開始>
プーチン氏 条約締結後の“米軍配備”懸念
ロシアのプーチン大統領は、日本との平和条約交渉をめぐって、「条約の締結後に何が行われるかわからなければ、決定的な判断は難しい」と話した。北方領土へのアメリカ軍配備がないか懸念を示したもの。
20日、国内外のメディアを集めた記者会見で、プーチン大統領は沖縄のアメリカ軍基地を引き合いに出し、「知事や住民の反対があっても、沖縄ではアメリカ軍の基地が強化されている」と指摘した。その上で、こう述べた。
ロシア・プーチン大統領「米軍配備の決定に関して、日本にどの程度の主権があるか分からない。平和条約締結後に何が行われるかが分からないと、決定的な判断は非常に難しい」
平和条約の締結後に、北方領土の色丹島と歯舞群島を引き渡すにしても、そこにアメリカ軍が配備されないよう確約を改めて求めたもの。
また、プーチン大統領は、条約締結には意欲を見せた一方で、「いくつの島が返ってくるのか」との質問には答えなかった。
終わり>
日本には国家主権がないじゃないか、占領下だろう、何を言っているのか、と言っているのです。
日本の政治家が言わねばならないことを外国の元首が言っている。情けない限りだ。
売国利権からの上りで生きているいまの政治家連中は交渉相手になるわけなかろうと。

85歳の誕生日前の記者会見で、声を詰まらせながら話す天皇陛下=2018年12月20日、皇居・宮殿「石橋の間」、代表撮影

