http://my.shadowcity.jp/2015/06/post-7224.html
<転載開始>
総理補佐官がTwitterで一般人に喧嘩をふっかけたら、それがなんとか弱き女子高生で、しかも、完全に論破されて、みっともなくもブロックして退散という醜態だそうでw このスゲェ女子高生何者なのか? ミンコロのネーチャンだという噂もあったりするんだが、見たところ、普通の娘ですw
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徽宗皇帝のブログ
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東京オリンピックの目玉プロジェクトの一つとされる新国立競技場の建設が暗礁に乗り上げている。いや暗礁に乗り上げているというよりも、一度も船出ができないまま、下手をするとお蔵入りになる可能性すら出てきていると言った方がより正確かもしれない。
しかし、何にしても決断を急がなければ、このままでは国立競技場の建設が2019年のラグビーワールドカップはおろか、2020年の東京オリンピックにも間に合わなくなりかねない深刻な事態に陥っている。
報道レベルでは下村文科相が東京都に新競技場の建設費として500億円を負担するよう求め、舛添東京都知事がこれを一蹴したことが報じられているが、問題の本質はそんなことではない。新国立競技場の建設に伴う様々な問題を指摘し続けている建築エコノミストの森山高至氏によると、現状は、そもそも国際コンペで決定した当初の計画通りに競技場を建設することが本当に可能なのかどうかすら定かではなく、また仮に可能だったとしてもコストがどこまで膨れあがるかがおよそ見当がつかないといった状態にあると指摘する。そのため、旧競技場の解体がほぼ完了している現段階でも、本体工事の受注業者さえ決まらない状態が続いているのだ。
ここに来て、オリンピックには屋根無しで臨むという話や、8万人収容の計画を5万人規模にまで縮小する案などが乱れ飛んでいるのも、当初計画のままでは実現可能性が見えてこないことが背景にあると森山氏は言う。
新国立競技場は東京オリンピックの招致が決まる前の2012年に国際コンペを実施し、話題性に富んだド派手で近未来的なデザインを提案したイラク出身の英国人建築家ザハ・ハディド氏の案が選ばれた。しかし、「脱構築」で有名なザハ氏の近未来的なデザインは、実際の建築物に落とし込むのが容易ではなく、いまもって総工費が幾らになるのか、そもそも東京霞ヶ丘の旧国立競技場の跡地にそれを建てることが可能なのかすら、明確な見通しが立っているわけではない。既に旧競技場は解体してしまったのに、である。
もともと新国立競技場の建設は1300億円の予算が見積もられていた。これはロンドンオリンピックのオリンピック・スタジアムの700億円、北京オリンピックの北京国家体育場の600億円と比較しても、当初から破格の予算だった。ところが、ザハ案をそのまま実現しようとすると3000億円を超えるとの見通しも囁かれるなど、ドタバタが続き、未だに受注業者すら決められない状態が続いている。どの建設会社がいくらであればザハ案を実現できのかについては、現状では大成建設と竹中工務店との間で調査契約を結び、調査を行っている段階であり、まだ全く見通しは立っていないのが現状だと森山氏は言う。
前回の番組でも森山氏が指摘しているが、そもそもザハ案は日本の消防法との整合性に問題があり、またキールアーチと呼ばれるザハ特有の構造が、予定地の条件と合わないなど、建築設計上無理があることもわかってきた。それを無理矢理建てようとすれば、膨大なコストがかかる上にどれだけ時間がかかるかも定かではないということのようだ。
ここは誰かがリーダーシップを取り、ザハ案を破棄し、より現実的な計画への転換を図ることが最も現実的だと森山氏は言う。通常のスタジアムの建設であれば、まだ時間は十分に間に合うし、コストも従来のスタジアム並で済む。そもそもオリンピックの招致は決まっているわけだし、IOCのトーマス・バッハ会長もスタジアムのデザインにはこだわらないと助け船を出してくれているのだ。
ところが、この現実的な選択肢を選ぼうとすると、コンペを実施して有識者に選んで貰ったザハ案を破棄するという決断を下せる人が誰もいないという、ガバナンスの問題が立ちはだかる。直接の監督官庁は文部科学省になるが、文科省は数億、数十億円規模の教育施設の建設は扱ったことはあるが、1000億円単位のプロジェクトとなるとお手上げなのだという。
今回、日本がオリンピックの招致に成功した背景には、日本人の勤勉さがもたらす技術レベルの高さやプロジェクトの緻密さなどへの評価があったと言われている。ところが、その日本で、オリンピックのメインスタジアムの建設が間に合わなかったり、国際コンペまで行って一度決めたデザインが宙に浮いたままになっているという状態は、日本の信用にかかわりかねない重大な問題と言わねばならない。
行政官僚が、一度決まったことは何があっても推し進める「暴走列車」的な習性を持っていることは、数々の無駄な公共事業がごり押しされる場面でわれわれはこれまでも繰り返し見てきた。それを仕切れるのは政治しかない。
ザハ氏は優れたデザイナーかもしれないが、元々、明治神宮の風致地区でも神宮の杜には、ザハ氏の巨大な脱構造的建築物は似つかわしくないとの異論が根強かった。そして、それが構造的にもコスト的にも、そして何よりも時間的に難しいことがわかった以上、政府は一度下した決定に固執せずに、ここで設計変更の英断を下すべきだと森山氏は言う。それができなければ、本当に2019年のラグビーワールドカップや2020年のオリンピックまでに間に合わないなどの最悪の事態も覚悟しなければならないところまで事態は来ている。
新国立競技場問題の現状と今後の見通し、そしてそのドタバタから透けて見える「日本国の問題」について、森山高至氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
(以下引用)
毎日新聞 2015年06月12日 19時03分(最終更新 06月12日 21時06分)
集団的自衛権行使容認を柱とする安全保障関連法案について、山崎拓・元防衛庁長官ら戦前生まれの政治家4人が12日、日本記者クラブで記者会見を開き、「歴代政権が踏襲してきた憲法解釈を一内閣の恣意(しい)によって変更することは認められない」などと反対を表明した。出席したのは山崎氏のほか亀井静香・元金融担当相=無所属、武村正義元官房長官、藤井裕久元財務相。亀井氏以外は政界を引退しているが、いずれも要職を経験した名だたる保守系政治家だ。彼らがなぜ、反対の声を上げたのか。会見の模様を詳報する。【石戸諭/デジタル報道センター】
「我々の共通点は戦前生まれで、戦争を直接、間接に体験した」。防衛政策に詳しい山崎氏はこう切り出した。4人に共通するのは、集団的自衛権行使容認に対する強い危機感だ。
「安保法制は集団的自衛権行使容認の法整備、自衛隊の活動の舞台を地球規模に広げること。この二つが大きな柱になっている。前者に注目が集まり、自衛隊の海外活動の強化という観点が議論されなくなっている。(安倍晋三総理は)『積極的平和主義』の名の下に、審議を進めているが、この言葉に確たる定義はない。今でも日本は積極的平和主義に徹している。裏付けになっている憲法上の理念は9条に書かれている。『積極的平和主義』は、軍事力を使うことが『積極』の部分に当たるのではないか。これはやってはならない。後方支援は兵站(へいたん)活動であり、戦闘行為をやるということだ」(山崎氏)
亀井氏は国会での議論を批判した。「(自衛隊員に)リスクがあるかないかなんて生易しいものではない。一内閣で議論を進め、しかもそれを一国会でやる。子供が考えてもむちゃなことがまかり通ろうとしている。国会議員だけで国是を変更していいのか。(国の)基本の問題は国民の意思を問うのが当たり前だ」
藤井氏は「集団的自衛権行使容認に問題の根がある。(存立危機事態など武力行使の)『新3要件』はインチキだと思っている。すべて個別的自衛権の話だ」と語気を強めた。「集団的自衛権とは対等な軍事同盟を意味する。中国との問題は、軍事同盟ではなく国連で対応すべきだ。このままでは日本が誤った道を歩む」と警告した。
武村氏は「安倍さんは70年続いた『平和主義』をがらりと変えようとしている。海外で武力行使をしない日本が、行使できる国になる。『専守防衛』こそが最大の抑止力ではないか。安易な解釈改憲という道で、議論が未成熟なまま一挙に手をつけようとしている」と指摘。さらにこう提起した。「自衛力を強化する道を選ぶことはあってもいいだろう。集団的自衛権の導入が必要と考えるなら堂々と国民投票を前提にした憲法改正の道を歩むべきではないか」
山崎氏は自身の戦争体験にも触れ、「空襲で天井を突き抜け焼夷(しょうい)弾が落下してきた。不発弾だったので、命は助かった。山に上がったら福岡市全体が燃えさかっていた。翌日、町中に遺体がごろごろしていた。目を背けるような状況があった」と振り返った。
自民党内で戦争を体験した議員が減るにつれ、安全保障関連の議論が変質してきたという。「今の自民党の政治家はことごとく戦争を知らない世代。平和と安全は、空気や水と同じようにタダで手に入るという感覚を持った世代。安全保障問題に関心がない」(山崎氏)
藤井氏は会見に先立って配布した声明文で、安倍政権に対してこう警告した。「現総理の祖父・岸信介(元首相)が現行憲法では海外派兵はできないし、したがって憲法改正が必要だと考えていたことを重く受け止めるべきである」







志位和夫の党首討論が話題になっているが、元官僚だった松井孝治(慶応大教授、元民主党議員)のフェイスブックの投稿が面白かった。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1630450053835851&id=100006126152789
興味深かったのは党首討論の内容もさることながら、質問通告をうけての議員と当局側の駆け引きの緊張感について松井の投稿が触れていることだ。
松井の投稿を読むと、党首討論は普通の質問と違って、かなり粗い質問通告が許されている。「クイズ質問」といわれないように、ポツダム宣言という、戦後認識の根幹にかかわり、しかも非常に短い重要文書への認識を問うという戦略をとった志位のやり方を、うまくやりやがったなあと評価しているのである。
このあたりは志位氏のうまいところで、戦後レジームからの脱却を唱える総理が、ポツダム宣言を読んでないとは言いにくいことを承知の上で、恐らく事前通告なしに、ポツダム宣言の連合国側の認識に重ねて総理の戦争観を訊ねたわけだ。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1630450053835851&id=100006126152789
松井の投稿が指摘するように、安倍首相は、志位の仕掛けてあるロジックの「トラップ」をおそれて慎重な答弁に徹する。
しかしそれが全体としてみると
結果として、安倍首相としては、かの戦争の「侵略性」については言及しないという規定〔既定?──引用者〕路線は堅持できたものの、「ポツダム宣言も読まずに戦後レジーム脱却を謳う首相」「そこまでしても戦争の誤謬を認めない修正主義者」とのレッテルを志位氏に貼られたことは、まさに志位氏の術数にはまり恰も王手飛車取りに遭った如き感がある。
となっちゃった。
「孔明の罠」を恐れて、煙があがっている方にいっちゃうパターンw*1
7分という短すぎる時間(しかも答弁あわせて!)の中で、国家政策にかかわる基本問題を浮かび上がらせ、なおかつ相手を追いこむロジックの檻をつくらねばならぬのであるから、常人にはできないことだ。
松井が官僚時代に志位の質問取りをしたことを回顧して、
実を言うと、約20年前に官僚として官邸に勤務していた時、首相の国会での質問取りも重要業務のひとつであった。その時に、圧倒的に「王手飛車取り」的な質問を繰り出した手練れが志位氏であった。僕のひそかな楽しみは、その志位氏の質問の狙いを、「質問取り」で焙り出せるかにあった。
と書いているくだりが実に興味深かった。
さらに、松井の「質問取り」能力に逆に志位が魅了されて、
何度か、志位氏の質問取りで、先生、質問2と質問3の間に実は別の質問があるのではないですかなどとと食い下がるようなやりとりをしているうちに、志位氏から、君はどこの役所から参事官室(内閣)に来てるのかとか、出身地はどこかと訊かれるようになった。そして、ある時、何と「選挙に出てみる気はないか」と訊ねられた。
というのはご愛嬌、というか、志位の質問を的確すぎるほどに読み込んだ松井を、共産党のシンパではないかと志位が勘違いしたのではとぼくは読んだ。冗談にしても「優秀な官僚」というだけではこういう冗談を言わないだろうから。それくらい松井の読み込みが非凡だったのだろう。
地方議会でも答弁の準備や「勉強会」と称して、職員が議員に「質問取り」をする。
ある共産党議員に聞いたのだが、議員になったばかりのころに、職員が「勉強会」と言って共産党の控室に複数でやってきた。一人の職員が「それで先生、質問原稿の方はいつもらえますか」と言ったので、その共産党議員は「は?」とびっくりしたという。同席していた同僚職員があわてて「バカ、ここの先生は違うんだよ」と小声で掣肘した。
与党議員では質問は完全に当局が把握し、答弁をすっかり完成させているというわけである。議場から傍聴していると、自席で質問している場合、赤い字がみえる。当局の答弁がそこに書いてあるのだ。
いや、ひどいのになると質問も当局がつくっている。
ぼくも議場でしばしば出会うが、自分がつくった「はず」の質問原稿の漢字が読めずに前に進まなくなっている、若い2世議員が本当にいっぱいるのだ。
共産党の兵庫県議(喜田結)のブログにはまったく同じことが生々しく書かれている。
先日、民主党のあるベテラン県議が、「僕は(議会の)質問を全部自分で作るんです」と誇らしげに話していました。
そのとき私は意味が分からず、「わざわざ言うほど、何か特別なことなのか(T_T)?」と思いました。
ところが、その謎が次第にわかってきました。
ある委員会でのことですが、自民党の県議の質問が、いかにも原稿の棒読みという感じで、さらに何回かでてくる用語(漢字)がどうしても読めず、そこでつまってしまうということがあったそうです。
同僚の杉本ちさと県議が「読む練習くらいしてこなあかんで…」とぼやいていました。〔強調は引用者〕
http://higashinadaku.jp/765/
そこで紹介されている朝日新聞の記事(2007年3月11日付)でも
一部の県議を除き、質問を原稿にまとめて事前に手渡す。財政課が並行して知事らの答弁書を作成。こうして質疑の「台本」は完成する。
とある。
これも共産党の地方議員に聞いた話だが、非常に優秀な職員になると、共産党側の質問展開まで全部見通してしまって、議員側が粗い流れしか言わないのに、「先生の質問はこういう流れなのではないですか。だとすると、この展開が抜けますよね」とまで言ってくる。共産党側はあくまで手の内を明かさないのだが、内心舌を巻く。
松井が、
何度か、志位氏の質問取りで、先生、質問2と質問3の間に実は別の質問があるのではないですかなどとと食い下がるようなやりとりをしているうちに
というのはまさにそれだ。
議会質問に対しては当然答える方は事前に準備が要る。なので議員側も事前にある程度は告げる。しかし、すっかり言ってしまえば、議会質問は単なるセレモニーになってしまうので、準備をさせる範囲までしか言わない。そこに二元代表制としてまっとうな緊張感が生まれる。*2
集団的自衛権の行使容認とそのための「解釈改憲」を主張する産経新聞が、その社説(「主張」)において、過去の日本政府の集団的自衛権に関する答弁を、悪意があるかどうかはともかく、かなり曲解ないし改竄して社論に都合よく紹介していることはすでに批判した(拙稿「岸内閣が集団的自衛権を容認する答弁をしたというのは本当か?」)。そこでとりあげた同紙社説のうち、新しいものは3月1日付けのものであったが、その5日後、今度は同紙のオピニオン欄(「正論」)に、「今一度、集団自衛権の論議ただす」と題した論説が掲載された。
集団的自衛権の行使を容認するべきかどうかという政策の是非論はさておき、この論説には重大な事実誤認が含まれているので、本稿では、取り急ぎその誤りを指摘しておきたい。
この論説の筆者は、元駐タイ大使の岡崎久彦氏である。岡崎氏といえば、安倍晋三首相のブレーンの一人であり、とくに、佐瀬昌盛防衛大学校名誉教授と二人三脚で集団的自衛権の行使容認を目指してきた論客であることがよく知られているだろう。両氏は、10年以上前から安倍首相に集団的自衛権の行使容認を勧めてきたようである。たとえば、2014年3月3日の朝日新聞は、つぎのように書いている。
安倍(首相)のめざす(集団的自衛権の)行使実現を長年後押ししたのが、90年代の対米外交で苦い経験を味わった人たちだ。外交安保に携わった彼らにとって安倍は「金の卵」だった。01年初夏。元駐タイ大使の岡崎久彦は、集団的自衛権研究の第一人者、佐瀬昌盛の自宅に電話した。元防大教授の佐瀬は当時、新書「集団的自衛権」を出版したばかり。「あなたの本で政治家教育をしよう」。岡崎は佐瀬に提案した。「どうやるんだ」と尋ねる佐瀬に岡崎は「各個撃破だ」と答えた。「誰からやるのか」。岡崎は衆院当選3回のホープの名を即答した。「安倍晋三だ。あれは、ぶれない」(……)
安倍首相の私的懇談会である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は、第一次安倍内閣時代の2007年4月と、現在の第二次安倍内閣における2013年2月の2度、設置されているが、岡崎氏も佐瀬氏も、ともにその両方のメンバーとなっている。第二次安保法制懇の報告書は今年の4月にも提出されることが予想されており、おそらくそこには岡崎氏の主張も色濃く反映されるに違いない。しかし、3月6日付けの産経新聞に掲載された同氏の「正論」を読む限り、少なくともその事実誤認ぶりには、危惧を覚えざるをえない。
岡崎氏は、まずつぎのように言う。
私は改憲論者である。占領軍が1週間で書き上げた英語の翻訳をいまだに日本国憲法として奉っている現状に満足できるはずもない。少なくとも前文には、日本の歴史、伝統を反映した日本自身の歴史観がなければならない。
いわゆる「押し付け憲法論」を主張する旧態依然たる改憲論者に共通するこのような物言いについては、ここでは立ち入らない(とはいえ、GHQから日本政府が英文草案を提示されたのが1946年2月13日、日本政府が日本語草案を発表したのが3月6日、枢密院での審議を経たうえで帝国議会に憲法改正草案が提出されたのが6月20日、衆議院・貴族院での審議・修正を経て最終的に衆議院で憲法改正案が可決されたのが10月7日、それを枢密院で可決したのが10月29日という日付とともに、その間どれほどの日本人が日本国憲法制定に尽力したかを少しでも想像できれば、まるで「1週間」で「占領軍」によって作り上げられたかのように言うレトリックが、いかに我々の先人に対する侮蔑であるかに思い至るはずである)。憲法前文に独自の歴史観を書き込むべきとの主張も、そんなことを実現したとして法的・法理論的にいかほどの意味があるか疑問なしとはしないけれども、ここではこれ以上取り上げない。
問題はそれに続く部分である。岡崎氏は、上記の部分で要するに現行憲法には不満であると言いながら、しかし、集団的自衛権の行使容認については現行憲法のままでよいーーつまり、憲法改正をする必要はないーーと主張するために、つぎのように言うのである。
ただ、こと日本の安全保障に関しては憲法問題はすでに解決している。(……)最高裁の砂川判決は、日本が固有の自衛権を有することを認め、その故に自衛隊を合憲と認めている。
これには心底驚愕した。「最高裁の砂川判決」は、たしかに「日本が固有の自衛権を有することを認め」てはいるが、「自衛隊を合憲と認め」てなどいないからである。言うまでもなく、国家に「固有の自衛権」があるとしても、それをどのような組織がどのような場合にどのような方法で用いることができるのかは、憲法の定めに依存する。
砂川判決というのは、1957(昭和32)年7月、東京都北多摩郡砂川町(現在では東京都立川市)の米軍立川飛行場の拡張計画に反対する住民らが、飛行場内に正当な理由なく立ち入ったため、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)第3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法」(いわゆる旧安保刑特法)違反の罪で起訴された事件についての判決のことである。第一審の東京地裁判決(裁判長の名字をとって伊達判決とよばれることが多い)が、旧安保条約に基づく駐留米軍を憲法9条2項に違反すると判断したため、検察側が最高裁に跳躍上告した。これに対して下された1959(昭和34)年12月16日の大法廷判決(全文PDFはこちら)が、ここで岡崎氏の言う「最高裁の砂川判決」である(なお、伊達判決と最高裁判決の間の経緯について記した秘密文書がアメリカの国立公文書館で最近になって発見されたことなどについては、水島朝穂「砂川事件最高裁判決の『超高度の政治性』」(今週の直言2013年4月15日)を参照されたい)。
「最高裁の砂川判決」は、法廷意見は15人の裁判官の全員一致による判断であったが、田中耕太郎長官を含む10人の裁判官が合計8本の補足意見や意見を執筆しており、全体では4万字を超える非常に長大なものである。ところが、そのなかに「自衛隊」という単語はほんの一度たりとも登場しない。この判決は、自衛隊が違憲かどうかを判断したものではないのである。旧安保条約とそれに基づく駐留米軍の憲法適合性こそが実質的な争点だったからである(そしてこれらの争点についても、砂川判決は、(1)駐留米軍のような「外国の軍隊」は憲法9条2項にいう「戦力」にはあたらないとし、また、(2)旧安保条約は「主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するもの」であって「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであ」る、としていわゆる「統治行為論」の一種と考えられる立場にたって、「違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない」とは言うものの、さらに進んで詳細に検討すれば合憲なのか違憲なのかについては判断を避けた)。
砂川判決が自衛隊の合憲性について判断を下したものでないことは、法学部で憲法の授業を受ければ当然学ぶはずのことがらである。そしてまた、砂川判決のみならず、最高裁判所はその後の判決においても、今日に至るまで、自衛隊が合憲か違憲かについて一切判断していない、ということもまた同様である。市販されている憲法の教科書にもそのことはきちんと書いてある。ここでは、一例として著名な教科書を3冊のみ紹介しておこう。
最高裁判所は、(……)砂川事件判決で、(憲法9条)2項が「いわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」と述べるにとどめ、その後も自衛隊の合憲性の問題に直接答えることを避けている(佐藤幸治『日本国憲法論』〔成文堂・2011年〕98頁)。
これまでに自衛隊の合憲性を争う訴訟がいくつか提起されてたが、最高裁は一貫して判断を回避しており、今までのところこの問題についての最高裁判例は存在しない(高橋和之『立憲主義と日本国憲法〔第3版〕』〔有斐閣・2013年〕55頁)。
警察予備隊令(1950年)、保安庁法(52年)、自衛隊法(54年)によってすすめられてきた日本の軍備、および、日米安保条約(1951年成立ーー60年に重要改定)にもとづくアメリカ軍への基地提供と軍事協力については、その憲法適合性が争われてきた。何度か裁判所の判断も求められ、いくつか下級審の判断も出ているが、最高裁がこの点につき実質判断を公にしたことはまだない(樋口陽一『憲法〔第3版〕』〔創文社・2007年〕145頁)。
また、内閣法制局の元長官がこれまでの日本政府の憲法解釈をまとめ、解説を加えた本でも、同様につぎのように書かれている。
自衛隊の憲法適合性についての司法の判断としては、自衛隊を違憲とした長沼事件第一審判決や、統治行為に属し、司法審査の外にあるとした同事件の控訴審判決などがあるが、周知のようにこれまで最高裁の見解が示されたことはない(阪田雅裕『政府の憲法解釈』〔有斐閣・2013年〕10頁)。
岡崎氏の論説は、砂川判決が自衛隊を合憲と認めたという事実無根の謬説を堂々と披露するだけでなく、さらに、(1)同判決が集団的自衛権をも認めているとか、(2)集団的自衛権は有するものの憲法上行使できないとする内閣法制局の解釈は「もし、この解釈を最高裁に持って行ったら(……)100%否定される」とか、(3)「権利あれば行使は当然だ」とか、とにかく日本で基本的な法学教育を受けた者であれば到底言わないであろう主張を繰り広げる点で、異様である(ただし、公平のために敢えて細かい点を言うならば、(1)は、砂川判決は「わが国が主権国として持つ固有の自衛権」は否定されていないと述べており、そこに集団的自衛権をも読み込むことは言語学的には不可能とは言えまい。もちろん、判決の文脈からして、また時代的背景からして、敢えてそのように読むべきだと主張する学説はおそらくないであろうが)。
産経新聞のオピニオン欄に関するポリシーを私は知らない。オピニオン欄に掲載される見解は、その著者の個人的な見解であり、たとえ事実に反することが書かれていても産経新聞としては何も対応しない、ということなのかもしれない。それにしても、このようなーー繰り返すが法学部生にとってはごく基本的な知識に属するであろうーー事実に明白に反する主張が、権威ある有識者のものとして新聞に掲載され、そしてそれがネット等を通じて世の中に拡散していく(たとえば、民主党の長島昭久議員は、そのツイッターにおいて、この岡崎氏の論説を「最高裁砂川判決に基づいて集団的自衛権行使の正当性を論じたパワフルな正論」と賞賛した)とすると、やはり危惧を覚えざるをえない。安倍首相の政策判断に大きな影響力をもつ人のものであれば、なおさらである。報道機関には、少なくとも正確な事実の伝達に努力することを求めたい。
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週3日しか働きたくない人のための会社って意外と需要あんではないかと思うのですがね。給料そこそこでも定着率上がるんではないかと。鬱になりにくいし、他にないし。
【ワロタ】自民党の全国一斉演説、聴衆から批判の声が殺到!「おもちゃにするな自国民」「戦場にはあなたが行け」「安保法制は違憲」 | ||



