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いやはや、面白いことになってきた。安倍(経団連御用達)政権は思いがけないところから倒れる可能性も出てきた。安倍と麻生は御神酒どっくりだから、普通の閣僚のようにトカゲの尻尾切りでお茶を濁すことはしないだろう。かと言って、日本のマスコミとは違い、ユダヤ人人権団体の影響力は世界的な力があるから、それを無視すれば、政権全体の崩壊にもつながる可能性がある。
私はユダヤ人人権団体(サイモン・ヴィーゼンタール・センター)の活動が、ユダ金の悪行を保護する役目もしている、と批判してきたが、この件に関しては大いにエールを送りたい。それが「日本国民の敵」安倍政権打倒の力になるからである。
安倍(経団連御用達)政権の背後にはユダ金がいるはずだが、ユダヤ人人権団体が安倍政権を批判するとなると、そのユダ金はどうしていいか困るだろう。実に面白い事態になったものである。麻生副総理、よくぞ大失言をしてくれた!
日本の「真の野党」社民党と共産党が、さっそくこの麻生問題で攻撃の手を上げたのも大いに評価できる。で、維新の会やみんなの党が、この問題に直面して、自分たちが裏与党であることをどう誤魔化すか、その手口も見物である。(笑)
(引用1)
ナチスの憲法改正「手口学んだら」 麻生副総理が発言
朝日新聞デジタル 8月1日(木)1時17分配信
麻生太郎副総理が憲法改正をめぐり、ナチス政権を引き合いに「手口に学んだらどうか」などと発言したことに対し、米国の代表的なユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・ロサンゼルス)は30日、批判声明を発表し、「真意を明確に説明せよ」と求めた。
■ユダヤ人団体が説明要求
麻生氏は29日、東京都内でのシンポジウムで「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」などと語った。
シンポジウムはジャーナリストの桜井よしこ氏が理事長を務める「国家基本問題研究所」が都内のホテルで開いた。桜井氏が司会をし、麻生氏のほか西村真悟衆院議員(無所属)や笠浩史衆院議員(民主)らがパネリストを務めた。
発言に対し、同センターは声明で「どんな手口をナチスから学ぶ価値があるのか。ナチス・ドイツの台頭が世界を第2次世界大戦の恐怖に陥れたことを麻生氏は忘れたのか」とした。
同センターはロサンゼルスでホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を展示する博物館を運営。反ユダヤ活動の監視も手がけ、1995年には「ホロコーストは作り話だった」とする記事を掲載した文芸春秋発行の月刊誌「マルコポーロ」に抗議。同誌は廃刊、当時の社長が辞任した。
一方、韓国外交省の趙泰永・報道官は30日の会見で「こうした発言が、過去に日本の帝国主義による侵略の被害に遭った周辺国の国民にどう映るかは明白だ。多くの人を傷つけるのは明らかだ」と批判。中国外務省の洪磊・副報道局長も31日、「日本の進む方向にアジア諸国と国際社会の警戒を呼び起こさないわけにはいかない」との談話を出した。
また、ドイツの週刊紙ツァイト(電子版)は31日、「日本の財務相がナチスの改革を手本に」という見出しで発言を伝えた。同センターなどの反応を伝え、「ナチスの時代を肯定する発言で国際的な怒りを買った」とした。
朝日新聞社
(引用2)*多分、これも「朝日新聞」デジタルから。
麻生副総理発言、野党が批判 「発言撤回と辞職求める」
社民党の又市征治幹事長は31日、麻生太郎副総理がナチス政権の手法を引き合いにした発言について「断固糾弾し、発言の撤回と閣僚及び議員辞職を求める。麻生氏の歴史的な事実に対する認識不足は疑うべくもない。ナチス賛美は欧州連合(EU)諸国などで『犯罪』であるという事実にも留意すべきだ」とする談話を発表した。
ナチスの憲法改正「手口学んだら」麻生副総理の発言要旨麻生副総理の発言の詳細
共産党の志位和夫委員長もツイッターで「(ドイツの)国会放火事件をでっち上げ、『全権委任法』を成立させ、憲法を機能停止させた(ナチスの)手口に学べというのか」と批判した。PR -
「ひろゆき」が麻生副総理発言を批判、というので「へえ、あの2ちゃんねるのひろゆきがねえ」と思って読んでいたら、別の「ひろゆき」だった。どちらも「西」の付く姓(西村ひろゆきと小西ひろゆき)なので、なおさら紛らわしい。小西ひろゆきは「落ち武者集団」民主党の議員のようだ。だが、所属はどうあれ、言っていることは重要だ。ここは全野党が(偽野党は別として)結束して麻生副総理を辞任に追い込むべきだろう。それによって、(あるいは与党閣僚を個々に潰していくことによって)水道民営化や消費税増税を少しでも遅らせていけば、案外と日本の閉塞状況に活路が開けてくるかもしれない。
さあ、共産党の出番ですよ。こういうのは共産党の得意なバトルフィールドだろう。(笑)
(以下「晴耕雨読」から引用)*長たらしい文章なので、前半だけでも十分だが、一応資料として全文を転載。2013/7/31
「「麻生副総理兼財務大臣の憲法改正に関する暴言について」:小西ひろゆき氏」 憲法・軍備・安全保障https://twitter.com/konishihiroyuki
麻生大臣が「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか」と発言。
ナチス台頭は憲法上の「大統領緊急権」という抜け穴の悪用によるもの。
歴史を何も知らないだけでなく、自民党草案「緊急事態条項」がこれよりも恐ろしい内容であることも知らないの究極の妄言。
ナチス・ヒトラーがワイマール憲法上の大統領緊急権を悪用し権力を掌握し、さらに、「授権法(国民及び国家の困難を克服するための法律)」によりW憲法を完全に葬り去った歴史の前後で行った人類史上最大規模の人権侵害等を考えると麻生財務大臣の発言は欧米のまともな民主国家では即解任を免れない。
自民党草案98条「緊急事態条項」はワイマール憲法を完全に葬り去った「授権法(国民及び国家の困難を克服するための法律)」と同等の濫用効力も備えた、ナチスの手口を全て解き放つものです。
麻生大臣発言「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。(国民が)騒がないで、納得して変わっている。喧騒の中で決めないでほしい。」 ⇒W憲法崩壊の過程で進行したユダヤ人迫害等の歴史を何も理解していない。
即刻解任する必要。
国際問題にもなる。
今回の麻生大臣発言はリベラルや保守、護憲や改憲といった政治的立ち位置以前の政治家としての歴史認識と憲法見識に関する資質の問題。
ナチスによるユダヤ人迫害の歴史を正当に評価するものとして国際社会では到底受け入れられないもの。
自民党草案「緊急事態条項」はナチス授権法並の濫用効力がある。
> こいつ、批判のための批判にしか頭回んないのか? 民主党・小西ひろゆき(クイズ小西)がバカな件 http://t.co/7aJPqz52hu
> 民主党の小西洋之(@konishihiroyuki)は自分で頭がいいって思っている愚か者。日本の国益のためとよりも、自分の政治的力のために頑張ってるバカですね。
私は、麻生大臣の暴言を弾劾している暇などないのですが、国民の皆さんのためにやむを得ずやっています。
アメリカ在住経験がおありのようですが、米国なら即刻解任です(違うならご説明下さい)。
底が抜け発言。
日本社会の見識が問われています。
> 国会でクイズやるようなバカは落選するといいですよ。私も貴方みたいなバカに構っている暇はないのですが、国民の皆様の為にやむなくやっています。
お読み頂ければ幸いです。
「麻生副総理兼財務大臣の憲法改正に関する暴言について」とブログにご説明を掲載しました。http://t.co/5xRYfCoNcG
麻生発言は「歴史認識」と「憲法見識」に著しく欠け、本来ならば即刻解任すべきものと考えます
> へえー。返信くれるなんて意外だなあ。ちょっとだけ見直しましたよ。でも貴方の所属する民主党の岡田克也さんは言いました。失言しても許す寛容さが野党には必要なんですよ。でも小西さん、貴方は今まで通りどんどんどうぞ。ちなみに麻生さんのは失言ではないと思う
麻生発言が失言でないのかについては他の皆さんの議論も参考にしてみましょう。
私も学ぶつもりです。
ただ、大切なことは民主主義国家で許される発言とそうでないものがあり、このけじめを持たない社会はかつてのような過ちを容易に犯してしまうことになると考えます。
「麻生副総理兼財務大臣の憲法改正に関する暴言について」の説明文です。http://t.co/5xRYfCoNcG
麻生発言は、「歴史認識」と「憲法見識」に著しく欠けるもので即刻解任する必要がある。
こういう問題を放置すると正にナチスや戦前の我が国の過ちを犯すことになります。
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http://t.co/5xRYfCoNcG
麻生副総理兼財務大臣の憲法改正に関する暴言について
2013/7/30(火) 午後 10:19
報道によれば、麻生副総理兼財務大臣が講演の場で、憲法改正について、以下のような発言を行ったとされています。
ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演
麻生副総理は29日、都内で開かれた講演会で憲法改正について、「狂騒、狂乱の中で決めてほしくない。落ち着いた世論の上に成し遂げるべきものだ」と述べた。
その上で、ドイツでかつて、最も民主的と言われたワイマール憲法下でヒトラー政権が誕生したことを挙げ、「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。(国民が)騒がないで、納得して変わっている。喧騒の中で決めないでほしい」と語った。
(2013年7月30日07時32分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm?from=main2
この発言は、以下のように、政治家として「ナチスによるユダヤ人迫害等の歴史を正当評価する歴史認識なき暴言」かつ「立憲主義に関する見識なき暴言」であり、麻生副総理兼財務大臣は即刻解任されるべき又は自ら辞任すべきものと考えます。
また、この問題は、ナチスドイツによるワイマール憲法の破壊は同憲法48条の「大統領緊急権」の濫用とその後の「授権法」等によるものであり、それらと同等の濫用効力を有する自民党憲法草案98条以下の「緊急事態条項」の危険性とも合わせて追求すべき問題であると考えます。
【説明】
(1) まず、「ワイマール憲法は、いつの間にかナチス憲法に変わっていった」のではなく、ヒトラー内閣の誕生後の1933年2月28に実行されたワイマール憲法48条の「大統領緊急権」の濫用によって、人身の自由、言論報道の自由、集会結社の自由など当時世界で最も民主的であったワイマール憲法の基本的人権条項が停止されてしまったことが契機となります。
(2) そして、続く1933年3月24日に、「ヒトラー政府に対し国会に代わり立法権を与え、かつ、その立法はワイマール憲法に矛盾してもよい」とする通称『授権法(正式名称「民族および国家の危急を除去するための法律」』が制定され、これにより、ワイマール憲法は実質的に破壊されることになり、その後、ナチスドイツは同年4月のユダヤ人公務員を全員休職処分にする「職業官吏制度再建法」を皮切りとしてユダヤ人迫害等を可能とする数々の法制度を制定し、人類史上例のない虐殺等の人権蹂躙を犯して行きました。
(3) そして、これらに至るユダヤ人迫害等の方針は1920年のナチス綱領で宣明されたものであり、またこの間の人権弾圧は、ナチスのドイツ国民に対する巧妙かつ強圧的な宣伝工作のもと、ユダヤ人以外の共産主義者などに対しても行われ(上記の「大統領緊急権」は共産主義者弾圧を大義名分としたもの)、こうした憲法破壊の経緯は、到底、「(国民が)騒がないで、納得して変わっている」などとは言えないものであると考えます。
(4) 以上から、麻生副総理兼財務大臣の発言は、①ワイマール憲法がナチスドイツのもとで破壊された歴史について何も理解せず(なお、麻生発言にある「ナチス憲法」というものは法的には存在しません)、②何より、そのもとで、如何に恐ろしいユダヤ人等に対する人権蹂躙が繰り広げられたかを何も踏まえない発言をしていることになります。
(5) これは、日本国憲法に国際協調主義を掲げる日本社会はもとより、国際社会において到底受け入れられない暴言であり、安倍総理は麻生副総理兼財務大臣を即刻解任すべき(もしくは、直ちに自ら辞任すべき)であると考えます。
また、麻生副総理兼財務大臣はアベノミクスを国際会議等で各国首脳に説明する担当大臣でもあり、国民経済を高度の危険に晒すアベノミクスというリスク政策の最大限の(せめてもの)安全保障という観点からも即刻解任されるべきであると考えます。
※以上に関する参考文献(「ドイツ憲法集」抜粋)はこちらから
■自民党憲法草案の「緊急事態条項」(98条、99条)がワイマール憲法を破壊した「大統領緊急権」及び「授権法」を共に包含する強力な濫用効力を持つことについて
○ 自民党憲法草案98条、99条に規定されている「緊急事態条項」は、①内閣総理大臣の非常事態宣言によって国会の立法権を停止し(98条)、②それに代わって内閣が「法律と同一の効力を有する政令」を制定し(99条1項)、それによって国民の自由や権利を強度に制限することを可能とするものです。
https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html
○ ところが、草案98条等においては、この「法律と同一の効力を有する政令」が規定し得る事項については何の制限もなく(要するに文言上はあらゆる人権弾圧法令が制定できる)、また、この「法律と同一の効力を有する政令」は第98条及び99条に「法律の定めるところにより」とある「法律」についても「政令」で改正することにより国会の立法権そのものを葬り去ることも可能となっています。
○ 以上より、自民党憲法草案の「緊急事態条項」はナチスが濫用した「大統領緊急権」やその下で制定した「授権法(民族および国家の危急を除去するための法律)」と同じ効力を有するものと憲法的に解釈できることになります。
○ なお、基本的人権の包括規定である憲法13条において国民の自由や権利たる「幸福追求権」よりも「公益及び公の秩序」が優先するとする自民党草案においては、98条及び99条の文言解釈のみならず草案全体を通じた憲法解釈上もあらゆる人権弾圧法令を止めるすべが全くないことになります。(13条などを破壊している以上、99条3項の基本的人権の尊重規定は無意味な条文です)
※ご参考 http://konishi-hiroyuki.jp/kenpou/
○ 従って、麻生副大臣兼財務大臣の発言は、「ナチスドイツがワイマール憲法を改正(注:法的には「破壊」)したやり方に学んで日本国憲法を改正すべき」と言いつつ、その改正案として「ナチスドイツがワイマール憲法を破壊していった仕組みをフルパッケージで提供する自民党草案を主張している」という意味においても、日本国憲法の立憲主義を守るために決して看過してはならない暴言であると考えます。
(ご参考)
・ いわゆる「国家緊急権」についてはフランスやドイツのものが有名ですが、ドイツのものは正にナチスドイツ時代の反省を踏まえ、国会の監督下の緊急権となっています。そして、大統領制の下での政府に強大な緊急権を付与しているフランス憲法のものよりも、自民党草案の「緊急事態条項」は上述以外に「緊急事態の宣言の要件に限界がないこと」等々の点でも非常に恐ろしい(=濫用の危険が大きい)ものです。
・ 大規模な自然災害や外敵からの武力攻撃に際して、国民の生命・財産等を守るために「立法権を停止して、内閣総理大臣に立法権を白紙委任する」とする「国家緊急権」を憲法上解禁するべきでないかについては、私は、「以下の理由」から不要であるという考えです。
①政策的に意義を認め難い
(a.現行憲法下の緊急権法制である災害対策基本法(東日本大震災を踏まえ拡充済み)や国民保護法等による対応があり、その「想定外」への備えとしては定足数等を絞るなどした緊急事態特別委員会を国会に常設するなど国会と内閣の連携確保の措置で足りる、b.そもそも「想定外」対処には「内容の詰まっていない中央権限を定めて満足する」のではなく各被災想定地域での関係者の具体的な協力連携体制構築等をひたすら積み重ねていくことが本質である等)
②「国家緊急権」は「内閣総理大臣の白紙委任」でなければ憲法上設ける意味がない。とすると、ナチスドイツのみならず大日本帝国憲法下における「治安維持法の拡充改正」等の「緊急勅令」の濫用などの国家権力の暴走の危険がどのようにしても否定できない。
・ これらについては、別の機会にご説明しますが、以下の国会議事録をご参考としてご紹介いたします。
平成24年5月16日第180回国会参議院憲法審査会
(『東日本大震災と憲法』のうち大震災と国家緊急権について)
高見勝利参考人(上智大学法科大学院教授)意見
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=28370&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=9&DOC_ID=10970&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=28942 -
「陽光堂主人の読書日記」から転載。
日本人は自分が労働者のくせに労働運動や労働組合を嫌う人間が多く、そのために労働運動も労働組合も衰退してきたのだが、その結果が今の骨抜き労働三法であり、格差社会であることは言うまでもない。今でも、労働運動はアカのやるもの、という発言をする親爺は多いだろう。そして、その自分の給与はどんどん減らされ、解雇され、となるわけだ。
毎度言うが、こうした状況は一朝一夕にできたものではない。「霜を踏みて堅氷至る」であり、「彼ら」は注意深く、長年に渡って日本のこういう精神風土を作ってきたのである。
(以下引用)
「国家戦略特区」で解雇自由化が始まる
安倍は先月、アベノミクスを支える成長戦略第3弾を発表しました。頓珍漢な発言で失笑された「GNI150万円増」構想や、楽天を利するだけの医薬品のネット解禁が話題となりましたが、その影に隠れる形で「国家戦略特区」なる仕掛けが施されました。
この「国家戦略特区」構想は中々容易ならぬもので、主謀者の竹中平蔵自らその重要性を強調しています。9日付の「マイナビニュース」によるインタビューの中で、竹中は次のように答えています。(http://news.mynavi.jp/articles/2013/07/09/takenaka/index.html)
"アベノミクス"の仕掛人、竹中平蔵氏に聞いた!「日本経済、どうなりますか?」
…(前略)…
――アベノミクスの「第三の矢」は、構造改革で産業を強くする「成長戦略」です。6月14日、産業競争力会議がそのための政策「日本再興戦略」をまとめました。内容に何点をつけますか?
民間議員として参加している楽天社長の三木谷浩史さんは、日経新聞のインタビュー(6月12日付)で「75点」と答えました。その後の産業競争力会議で、副本部長を務める甘利 明内閣府特命担当大臣(経済財政政策)が「75点という評価の三木谷さん、ご意見をどうぞ」と言ったりして、みんなが笑いました。でも、私は三木谷さんの点数はいい線をいっていると思いますよ。
これから日本経済を成長させるには、日本の景色が変わるような大玉の改革が必要です。例えば、法人税の減税、農業への株式会社の参入、保険診療と保険外診療の併用を認める「混合診療」の解禁などです。しかし、今回のプランにはそれらは入っていません。だから、100点からはほど遠い。ただし、これらの政策は10年以上も議論が続いているんです。それをたった5カ月で実現するのは無理ですよ。
これまでの政権の成長戦略に点数をつけるとすれば、せいぜい40点くらいでしょう。今回の75点というのは、それよりはずいぶん評価ができるという意味です。何が評価できるのか。それは、長年規制が解決しない"岩盤規制"を突き崩す装置が入ったことです。
その装置とは、国主導で規制改革や税制優遇措置を導入する「国家戦略特区」の創設です。これをうまく使えば、"岩盤規制"が突き崩せます。私はこのプランを担当していたので、ここは大いに強調したい。もうすでにワーキング・グループを作り、活発な議論を重ねています。
実際、この数週間のワーキング・グループの動きで、"岩盤規制"が一つ崩れたんですよ。公立の学校を民間が運営できるように開放する「公設民営」です。ワーキンググループが関係省庁の担当者を呼んで、議論をぶつけ、大阪府と大阪市で認められることになりました。
私は会議でこう申し上げました。「"岩盤規制"はせいぜい10だ。総理といえども360度を敵にまわすわけにはいかない。毎年二つか三つ、目標を決めて突き崩していけば、3~5年で達成できる」と。その決意と能力があるかどうかが、安倍政権の腕の見せ所です。
…(後略)… (下線は引用者による。以下同じ)
竹中らは、「日本の景色」を変えようとしているわけです。その一環として、農業への株式会社参入、混合診療の解禁を狙っています。これらは今後、実現することでしょう。
そして目下重要なのが、「国家戦略特区」の創設で、「岩盤規制」の突破口として導入されたことが判ります。大阪では、学校の民営化が進められることになりました。
日本維新の会の橋下共同代表は、こうした改革を進めるために代表を辞めるつもりでしたが、石原慎太郎らに説得されて留任することになりました。それでも大阪の「改悪」は推進されるでしょうが…。
三大都市圏を中心とする「国家戦略特区」の当面の目玉は、解雇を自由化することです。これは大企業の要望に沿ったもので、日本が韓国化することを意味します。
「しんぶん赤旗」は、27日付で次のように報じています。(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-07-27/2013072702_02_1.html)
「解雇金銭解決」特区導入も 産業競争力会議WGが方針
財界人らでつくる政府の産業競争力会議の国家戦略特区ワーキンググループ(WG)が検討している「国家戦略特区」の新たな検討課題として、カネを払えば不当解雇でも合法化される「解雇の金銭解決」など労働法制の規制緩和を盛り込むことが26日、明らかとなりました。
「国家戦略特区」は地域限定で規制緩和や税制優遇など大企業に対する支援を行うもの。「解雇の金銭解決」は政府の規制改革会議が検討していましたが、労働者の批判が強く、6月の答申では見送られたばかり。WGは、7月に行った財界人らの意見聴取を口実に、特区での導入について再検討することにしました。8月末をめどにまとめる予定。今秋から政府の審議会で議論が始まる雇用の規制緩和に向けた突破口にするねらいです。
特区による規制緩和については、第一弾としてマンションの容積率緩和などを行うための関連法案を臨時国会に提出。第二弾として雇用の規制緩和などを盛り込み、来年の通常国会に関連法案の提出をねらう考えです。
雇用の規制緩和をめぐっては、安倍内閣が大企業支援の「成長戦略」として、解雇自由の「限定正社員」、残業代ゼロの「裁量労働の拡大」、非正規雇用増大の「派遣労働の拡大」などがねらわれています。
現行法では、労働者を守るために解雇制限の規定が設けられていますが、特区ではこれを取っ払ってしまおうというのです。これが実現すれば、「追い出し部屋」を設けたり、無理に配置転換する必要もなくなります。何がしかのお金を払えば、直ぐにお払い箱にすることができます。
新自由主義の下では、人件費を圧縮しなければ勝ち残って行けません。世界中で最低賃金を争っている状況なので、賃金水準の高い日本のサラリーマンの手取りは減る一方です。
国民が新自由主義を心棒しているのなら致し方ありませんが、そんな人はごく一部しかいないはずです。新自由主義を採らない選択肢も有り得るはずですが、政府や御用学者はその可能性を示唆することすらしません。
彼らは多国籍企業の代理人に過ぎませんから、国民の利益など端から考えていないのです。皆この点に早く気付くべきです。今憧れの的の正社員も、いずれ限定正社員か非正規に転落し、解雇自由化の恐怖に晒されることになります。
許し難いのは、大多数の国民が生活苦に追いやられる羽目に陥るのに、アベノミクスによって豊かになると幻想を振り撒いていることです。金をジャブジャブにしたり、消費増税を謀ったりして国民からの収奪は激しくなる一方ですが、何を考えているのか、人々は無関心を装っています。きっと恐ろしくてまともに向き合えないのでしょう。
それでも、いずれ過酷な現実に直面することになります。今の流れは止められませんから、対応力のある人は早目に対処すべきです。
規制緩和は三大都市圏から始まりますが、これは「日本の景色」が既に破壊されていてやり易いからです。対象地域はいずれ全国に広がりますから、田舎に引っ込んでも餌食にされるのは時間の問題です。
国外脱出もまじめに考えた方がよいかも知れません。それには資力と強靭な精神力を必要としますから、万民向きではありませんが…。 -
アベクロノミクスの先行きを、「ギャラリー酔いどれ」記事(元記事は「日々担々資料ブログ」か。)から抜粋して転載する。
さて、どうなるやら。昨日今日の株価を見ると、すでに株の暴落は始まりつつあるような気もするのだが。
(以下引用)
なにしろ、黒田日銀が実施している「次元を超えた金融緩和」は、ケタ違いだ。
FRBだって市中に流す資金量は約3兆ドルと国家予算規模にとどめているのに対し、
日銀の供給量は2年間で270兆円と、国家予算の3倍である。
やめた時のハレーションを考えたら、恐ろしくて、やめるにやめられないだろう。
「いま日銀は、毎月7兆円分、政府が発行する国債の7割を購入することで、
市場に資金を流している。国債を買い占めている状態です。もし、買わなくなったり、
購入額を減らしたら、最大の買い手がいなくなるのだから、国債が暴落し、金利がハネ上がる
ことは間違いありません。東京株式市場も暴落必至です。
しかし、常軌を逸した“異次元の金融緩和”は、いずれやめなくてはいけない。
黒田日銀は、ギリギリの判断を迫られることになりますよ」(経済評論家・広瀬嘉夫氏)
(中略)
問題は「異次元の金融緩和」をやめた時、日本経済がどうなるのかだ。
たとえ、黒田日銀が二の足を踏もうが、嫌でも「異次元の金融緩和」をやめざるを得ない時
がやってくる。いつまでも日銀が、大量に国債を買うわけにはいかないからだ。
永遠に買いつづければ、「中央銀行による直接引き受け」とみなされ、
国債の格付けが急降下し、市場の力によって暴落させられてしまう。
「異次元の金融緩和をやめた途端、国債が暴落し、金利が高騰するでしょう。
まず、金融機関が大打撃を受けることになる。数百兆円の国債を保有しているからです。
国債が巨額な不良債権となって、バタバタと倒産していくでしょう。
それ以上に深刻なのは、国家財政です。
ただでさえ1000兆円の長期債務を抱える日本は、重い金利負担に喘いでいる。
もし、金利が1%上昇したら、金利負担は4兆円も増える。5%なら20兆円です。
とても、いまの税収では返済できない。消費税率を15%、20%にアップさせる大増税を行い、
社会保障を大幅に削減せざるを得なくなります。
日本の有権者は、出口も、結末も考えずに劇薬のアベノミクスを支持しているようですが、
常軌を逸した金融緩和の行き着く先は、見えていると思う」(広瀬嘉夫氏=前出)
(中略)
「日銀は次元を超えた金融緩和を行っていますが、大事なことは、
企業がお金を借りたいと思うかどうかです。いくら市場に資金を供給しても、
それが企業にまで届かなければ景気はよくならない。
いま、企業に設備投資をしたり、雇用を増やすマインドがあるとは思えない。
あったとしても、280兆円もの内部留保を抱えているから、銀行から借りる必要がない。
これでは金融緩和を行っても、あり余った資金が株や不動産に流れるだけです」
(経済ジャーナリスト・荻原博子氏) -
「晴耕雨読」から転載。
私は「ミヤネ屋」云々という番組の偏向ぶりについては前々から聞いていたので、見たことも無いし、その番組で山本太郎がひどい扱いを受けたと聞いても、成るべくしてなったとしか思わなかった。しかし、山本太郎へのその扱い(番組の原発反対派抑え込み姿勢)が放映されただけでも大きな進展ではあるな、と思っていたが、そのスポンサーへの視聴者からの苦情がスポンサーを動かす、というのは、思いがけない展開である。これまでのテレビ番組スポンサーには見られない姿勢だ。
あるいは、この出来事は「テレビ・スポンサー・消費者」の関係を大きく変えていく、重大な転回点になるのではないか。テレビはスポンサーの意向には弱いし、スポンサーは消費者の意向を無視できない(これまでは無視し続けであったが)、そして消費者はテレビの洗脳(影響力)に弱い、という三すくみ状態が健全な形で機能すれば、資本主義はよりまともなものになるはずである。
さて、次は全国紙不買運動、あるいは新自由主義企業や経団連傘下企業への不買運動だ。(笑)ただし、その行動をする人々が、なぜ買わないのか、という理由を常にはっきり言わないと、この運動の効果は無いだろう。
などと言いながら、私のジーンズは新自由主義企業の代表であるユニクロ製であることが情けない。女房が買ってきてしまったので、仕方なく着続けている。(涙)
今回のブログ記事タイトルは「フーテンの寅」の決め台詞の一つをアレンジしたもので、元のセリフは、少し下品だが、「見上げたもんだよ、屋根屋の褌」である。まあ、屋根屋という仕事があるのかどうかはしらないし、屋根屋の褌など見たくもないが、このスポンサーは見上げたもんだ。
(以下引用)
「再春館製薬所が、山本太郎出演のミヤネ屋放送内容に関しテレビ局に公平な番組作りを申し入れ:kabumasa氏」 その他
https://twitter.com/onsenkabumasa
山本太郎出演のミヤネ屋放送内容で提供の再春館製薬所が視聴者苦情に「今回の番組内での発言や進め方については、私どもも違和感を覚えたのも事実」とテレビ局に公平な番組作りを申し入れたと文書 http://p.tl/bQzz 。
なかなか誠実な企業。
CM企業への苦情効果満点ドモホルンリンクルで知られる再春館製薬所が、山本太郎出演のミヤネ屋放送内容で自社に視聴者から苦情来たのに対応して、テレビ局に公平な番組作りをと申し入れた素晴しい対応。
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問題となった番組はこちら。
CMでも誠実な製品作りを謳っている企業らしい真面目な対応で、こんな企業の製品なら買いたくなるよね。
頑張って再春館。
> 再春館製薬は賢明だった。普通の企業ならこういう対応にはならなかった。一歩間違えれば不買運動に発展していたかも。スポンサー企業に圧力をかけてマスコミを動かす、という手はありですね。
> 再春館製薬のような企業は、他にもあるはず。どんどんやろう!
>ドモホルンリンクル by 再春館製薬所 月22日のミヤネ屋の放送内容について、いくつかのお声をいただいております。
・・・ http://t.co/uDlvr15HqH
再春館のミヤネヤ文書は誰かのリツイートで知ったのだが、同社のツイッターアカウントがあったんだ。
素晴しい対応です。
鈴木寛のクソ応援団のことなどいろいろと26日のツイート。
再春館製薬所が、山本太郎出演のミヤネ屋放送内容に関しテレビ局に公平な番組作りを申し入れの素晴しき対応 http://bit.ly/14evyk8
> スポンサー(金提供)し続けますよ 文書
こういう視点でしか見られない奴もいるんだな。
通販主体の企業にとってテレビは命綱だろう、しかも同社のターゲットからはミヤネ屋の時間帯など最高のはず。
それでも視聴者の声に少しでも応えようとする姿勢を評価なんだよ。
ミヤネ屋の山本太郎出演時の件で視聴者からの苦情にCM提供の再春館が局に公平な作りを申し入れたんだが、それでも同じような番組作り続くようならどう対応するかだよね、同社の真価が問われるのは。
対象、時間帯など効果的だろう番組だろうから、降りるのも大変だろう、その意味での頑張って欲しい。
> ヤネ屋…原発問題を追及する山本氏に対する嫌がら…この放送にスポンサーである再春館製薬所が声明…宮根誠司よ思い知ったかhttp://p.tl/bQzz ”
> 真面に相手する気ない局にクレーム電話より直にスポンサーにSNSかFAXで理性的クレームが吉
再春館のミヤネ屋文書だが、テレビ局に公平な番組作りを申し入れただけじゃなく、その中で「年々段階的に増設を重ね、やっと今年度内には会社で使う電力の100%を自分たちでまかなうことができそうなところまできました」と、太陽光発電100%で電力を賄える状況になるっていうのが凄い企業だ。
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http://www.saishunkan.co.jp/news/20130726/
「ミヤネ屋」の放送内容について、お声を寄せていただいた皆様へ
7月22日の「ミヤネ屋」における放送内容について、番組をご覧になった皆さまより、様々なお声をいただいております。お声をいただきましたこと、御礼申し上げます。
全てのお声に返信できておらず大変申し訳ございません。この場で、現在の状況についてご報告いたします。
7月23日にお声をいただき、放送内容を確認させていただきました。
テレビ番組は、総務省管轄のもと、放送倫理に従いテレビ局の責任下で制作されており、番組に提供はさせていただいておりますが、私どもが事前に番組の内容を把握したり、指示を出したりすることは、残念ながらできないのが実状です。
ですが、事実を知りたい、公平に生活者に有益な情報をという思いは私どもも同じです。
今回の番組内での発言や進め方については、私どもも違和感を覚えたのも事実です。
その旨も含めて、本日改めてテレビ局に対して公平な番組作りを行なっていただけるよう申し入れを行いました。
またエネルギー問題に対する弊社の立場についてのご質問が数名の方よりございましたが、弊社としては、エネルギー問題にしましても、政治や経済にしましても生活にまつわることすべてにおいて、なによりも生活者の安心・安全が第一だと考えております。
かねてより、自分たちで使う電力を自然エネルギーでまかなう取組みとして、太陽光発電を導入しておりました。
導入した12年前、当時はまだ一部にすぎませんでしたが、年々段階的に増設を重ね、やっと今年度内には会社で使う電力の100%を自分たちでまかなうことができそうなところまできました。
商いをしていくうえでも、次世代の幸せな社会のために自分たちにできることを少しずつ還していきたいと思っております。
取り組みの詳細については、下記よりご確認いただければと思います。
http://www.saishunkan.co.jp/csr/
私どもは通信販売の会社でございます。これから先も、商品を知っていただく貴重な場として、より多くの方が視聴しておられる番組への提供は欠かすことができません。
それだけに、これから先も、皆さまの思いを受け止めて、末永くお客様に愛される会社・商品となれるように、日々努力してまいります。
2013年7月26日
株式会社 再春館製薬所
社長室 室長 安部好男 -
「マスコミに載らない海外記事」からボリビアの「水戦争」(水道民営化との戦い)の証言インタビュー記事を全文転載。同ブログ管理人感想を私自身の感想に換えてそちらも転載しておく。総理官邸前の原発反対運動(デモ)が自然消滅した日本と比べて、庶民の勇気や熱意、行動力、持続力、そして何より彼らの「真実を見抜く目」が羨ましい。
「マルセラ・オリベラ: そうです。民衆が外で花火を使って抗議行動をする音声を聞こえると、彼は言ったのです。“ああ、この類のバックグラウンド音楽には慣れっこだ”と。彼はその音楽が数ヶ月後に、実際大音響になるとは思っていなかったのです。」
という部分は、総理官邸前デモを「大きな音だね」と言ったのみで無視した野田総理の場合とそっくりである。違いは、日本ではその音があっと言う間に無力化し、消えたことだ。
我々の住んでいる国は、そういう国なのである。
今回のブログ記事タイトルだが、「戦う」のもいろんなやり方がある。別にデモに参加することや警官隊に投石することだけが戦いではない。子供が鐘楼に上がって合図の鐘を鳴らすのも立派な戦いだし、「マスコミに載らない海外記事」のように貴重な海外情報を伝えて国民を覚醒させるのも最高の戦い方である。いずれにしても、国民は、自分たちに不利益な政府(私は「国」とは言わない。国と政府はまったく別である。)とは戦わねばならないのである。まずは、マスコミと教育による洗脳との戦いが日本では必要だろう。
(以下引用)
2013年7月27日 (土)
コチャバンバ水戦争:「水戦争」から10年 マルセラ・オリベラ、市営水道民営化阻止の対ベクテル民衆闘争をふり返る
2010年4月19日、月曜
Democracy Now
十年前の今月、ボリビアの都市コチャバンバは、市の最も不可欠な天然資源の一つ、水を巡る歴史的な戦いの中心だった。水戦争は、シアトルの戦いからわずか数カ月後に起きた。コチャバンバ街頭での反ベクテル蜂起は、大企業グローバリゼーションに反対する国際闘争の体現と見なされている。水戦争の十周年を記念して、先週コチャバンバに、世界中から水問題の活動家達が集まった。[下記は番組の書き起こし]
番組の文字起こし
これは急ぎの文字起こしであり、必ずしも最終的文章ではない。
10年前、この路上で、この町コチャバンバの17歳の住民、ビクター・ウゴ・ダザが、ボリビア兵の銃弾に倒れました。水戦争のさなかでした。軍はこの日、コチャバンバに戒厳令を発令しました。でも結局降参したのは軍隊と国でした。米国サンフランシスコに本拠を置くベクテル社と交わした契約を取り消すことになりました。コチャバンバの人々の水を民営化した会社です。
エイミー・グッドマン: ボリビア、コチャバンバからやや外れた所にある、ボリビアの町ティキパヤから放送しています。今日、「気候変動と母なる大地の権利のための世界民衆会議」が開催されます。サミットを一週間報道する予定です。
コチャバンバの水戦争十周年報道に戻りましょう。この十周年にあたり、何百人もの人々が、集まって、一週間祝祭を行っています。日曜にマルセラ・オリベラさんと会いました。彼女は「水と生活の防衛連合」国際連絡担当主任として働いていました。兄オスカル・オリベラさんがこの組織を率いていました。
オスカル・オリベラ: [翻訳] もし政府が水道会社を国から追い出さないなら、国民が追い出そう。
エイミー・グッドマン: ボリビアの、コチャバンバで、十年前に全てが始まった広場に私達は立っています。マルセラ・オリベラさんと一緒です。水の民営化に対する戦いが始まった時、彼女はここにいたのです。マルセラさん、全てがあの垂れ幕で始まったのですね?
マルセラ・オリベラ: はい、紛争が始まった時、あの横断幕があそこに掛けられていました。
エイミー・グッドマン: 何と書いてあるのですか?
マルセラ・オリベラ: “水は皆のものだ、クソッたれ!”
エイミー・グッドマン: “水は皆のものだ、クソッたれ”?
マルセラ・オリベラ: はい。私達が“カラホ=クソッたれ”という言葉を使ったのは、連中が理解しようとしなかったので、強烈な言葉を選んだのです。我々は常に連中に、水が我々にどれほど重要かを訴えてきましたが、連中は理解しませんでした。我々は要求から決して引き下がらないという決意を彼等に伝える強力な方法でした。
カンペシーノス、農民組合が最初に始めたのです。政府が、水に対する彼等の権利に影響する法律を成立させようとしていることに一番最初に気付いたのは農民組合でした。それで、彼等が最初に町にやって来て、もしこの法律が成立してしまえば、こういうことが起きると我々に教えてくれたのです。政府は私達の水源を民営化しようとしていたのです。政府は地域社会が所有している私達の井戸を民営化しようとしていました。政府は市の水道を民営化しようとしていました。この法律は農民、我々全員に影響することになると。
数年間、工場の労働問題と戦う仕事をしてきた、この市で政治活動の中心団体だった工場労働者連合を農民組合は訪ねたのです。農民組合がこちらにやって来て、助けようとしている労働者を見いだしたというわけです。しかし農民組合は、法律を実際に読み解き、法律が将来いかに民衆に影響を及ぼすかを理解できる学者や知識人という非常に重要なグループも見つけ出しました。こうした人々の集団がここに集合したのです。
エイミー・グッドマン: お兄さんのオスカル・オリベラさんも、この運動に顔があったとすれば、確実の彼の顔でしたね。彼は工場にいたのですか? 工場労働者だったのですか?
マルセラ・オリベラ: はい、彼は、当時、工場労働者連合の指導者でした。この運動自体は彼等を運動の指導者とは呼びません。彼等を“広報担当”と呼んでいました。組織の中に幾つか階層を作りました。そこで我々は、例えば、もし連中が、一層目の広報担当達が刑務所に入れられたら、第二層の人々が運動の指導部を引き継ぐ仕組みでした。取りまとめ役は、複数の階層で組織されていました。
エイミー・グッドマン: ベクテルは一体どのようにボリビアに入り込んだのですか?
マルセラ・オリベラ: はい、政府が営業許可を売却する為、企業に、この国に来るよう公に声をかけ、誘致したのです。私が知る限りでは、三社が文書を提出しましたが、二社は後に自辞退しました。ベクテル一社が残ったのです。実際にはコンソーシアムでした。何人か地元の実業家達がコンソーシアムに参加していました。彼等は水道を乗っ取ることにしたのです。契約書の署名は実際、私たちの目の前のビルの中で行われました。彼等が契約書に署名した時、このドアの中には抗議行動参加者達の小集団がいました。当時のバンゼル大統領は
エイミー・グッドマン: 彼は長い間独裁者として有名でしたね
マルセラ・オリベラ: はい。
エイミー・グッドマン: 彼が大統領に選ばれる前
マルセラ・オリベラ: そうです。民衆が外で花火を使って抗議行動をする音声を聞こえると、彼は言ったのです。“ああ、この類のバックグラウンド音楽には慣れっこだ”と。彼はその音楽が数ヶ月後に、実際大音響になるとは思っていなかったのです。
水道民営化と、この法律に反対する最初の動員は、1999年11月、12月頃に始まりました。運動は極めて小規模で散発的でしたが、拡大してゆきました。
エイミー・グッドマン: シアトルの戦いが起きたのと同じ時でしたね。
マルセラ・オリベラ: 私たちは当時、世界の他の場所でそういうことが起きているとは知りませんでした。後になって、こうした戦いがつながっていて、いずれも成功したというのを知れたのはうれしいことです。でも、それは1999年のことです。
1月にも、依然、抗議行動が続いていました。数日間、我々は市を封鎖しました。政府高官達がここに交渉に来ましたが、2月まで、交渉では何の結果も、一切進展しませんでした。2月4日、ここにあつまるよう人々を動員したのです。私達は“ラ・トマ・デ・ラ・プラザ”と呼びました。「広場の奪取」作戦です。私達にとってパーティーのようなものでした。それは地方の民衆の要求であり、都会の我々の要求でしたから、畑、田舎からここにやって来た人々と、都会の人々との会合になるのですから、パーティのようなものになるはずでした。それで我々は音楽を使ってパーティーをする計画をたてました。いくつかバンドを雇いました。そして、まさに本当にパーティーになっていったのです。
町の四つの地点からここに集まるように私達は決めました。一つはこの方向から。もう一つは、コカレロスが橋の方からやって来ました。
エイミー・グッドマン: コカ栽培者達ですね。
マルセラ・オリベラ: 南部の住民達は南からやってきました。工場労働者連合があり、労働者は全員、近くの広場から来ました。そういうわけで一斉に全員が集まったのです。
政府はそのような集会は許さないと言っていました。この数日前、政府は、自動車やオートバイで警官隊を派遣し、町を包囲して、民衆を威嚇したのです。動員当日、彼等は人々に10メートルたりとも歩かせませんでした。そして彼等は人々に催涙弾を撃ちはじめました。
私たちの多くは、自宅に戻り、朝起きたこと、そして依然として起きていることを、TVで見たのです。こんなことは有り得ないと皆言ったのです。警官達は女性を殴っていました。子供達を殴っていました。催涙弾を民衆に向け撃ち込んでいました。それで我々は立ち上がり、その日の午後でかけたのです。すると動員対象でなかった多数の人々が、都市の人々が突然加わりました。“広場は我々のものだ。占拠して当然だ”と言って、我々数万人の人が広場を占拠しようとしました。それは何かを巡る戦い以上のものでした。それは、我々が自分のものと考えている空間を物理的に占拠する戦いでした。我々にはこの空間を占拠する権利があるのです。
しかし、そうは行きませんでした。ある日連中は、ひどいことですが、人々にゴム弾を撃ったのです。多数の人々が怪我をしました。我々が全く予想しなかったのは、翌日、人々が同じ目的の為、再度集合したのです。私達はこう思っていました。“あー、これで終わりだ。もう夜だ。全員帰宅した。何もおこらないだろう。”ところがさにあらず、翌日、チャパレからやって来て、畑から来て、コカ栽培者達が町に留まり、彼等は、
エイミー・グッドマン: エボ・モラレスに率いられて。
マルセラ・オリベラ: はい、その通りです。彼等は街路を占拠し、広場を再度占拠しようとしました。そして、それが他の人々を励まし、学生や近隣の人々や、私たち全員がここに、あの土曜日にやって来て、とうとう広場を占拠したのです。これは大勝利でした。我々は政府と合意し、政府との協定に署名し、政府は水法案を凍結し、ベクテルとの契約の条件について取りまとめ役と交渉する委員会を立ち上げたのですから。
3月のある時点で、政府には何もする気がないことがわかりました。政府は時間稼ぎをしようとしているだけだと。それで、3月に、我々は住民投票と呼ぶ行動をとりました。これは憲法に基づくものではありません。法的なものではありません。しかし我々は正当もなのだったと信じています。そこで多数のボランティア達が、町のあちこちにテーブルを置いて、また地方でも、我々は二、三の明快な質問をしたのです。一つ目の質問は、民衆の要求を反映させて、水に関する法律を変更したいか? 二問目は、ベクテルに国から出て行って欲しいか? そして三つ目は、水道事業を公営に戻したいか? 回答した住民の98パーセントが、ベクテルには出て行って欲しい、法律を変えたい、水道事業を公営に戻したいというものでした。政府は全くそれを考慮しようとしませんでした。我々が出した結果を政府は無視したのです。
そこで我々は、何か他の手を打たねばならないと気がつきました。それで、4月に最終決戦を呼びかけたのです。我々はこう表現しました。勝つか負けるかの正念場でした。他に代案は全くありませんでした。それで私達は再度動員を呼びかけました。そして2月の占拠から一ヶ月後、四日か、五日間、ここに動員したのです。
最初は、この広場にとても大勢の人がいました。多分25,000人はいたでしょう。しかし日が経つにつれ、動員で集まる人数は減りました。警察も弾圧しに来なくなりました。当局は戦略をすっかり変更したことを我々は知っていました。当局は、もし警官を正面に出せば、人々を怒らせることになるのが分かっていました。だから当局はそういうことはしないようにしたのです。連中は、我々を疲労させようとしたのです。
交渉はともかく続いていました。政府は、取りまとめ役を、決して法的実体として見なそうとせず、政府は、取りまとめ役、広報担当との交渉を嫌がっていました。ところが、人々は彼等を交渉に参加させにうとしていました。オスカルはいつも私達に言っていました。ここで交渉が行われる時には、人々で広場を囲もうと。しかし政府はこう言いました。“あなた方は法的なものではないのだから、あなた方とは交渉するつもりはない。出て行きなさい。”それで、代表団は立ち去ろうとしたのです。ところが、ここにいた人々は、代表団が建物から出るのを認めませんでした。彼等は言いました。“だめだ。あなた達は我々の為に交渉しなければならないのだから、あなた方は中にいなければならない”それで広報担当、取りまとめ役達は、外にも出られず、交渉にも参加できず、身動きできなくなり、ホールに留まらされたのです。
あの時には、ここには全く鳥はいませんでした。
エイミー・グッドマン: マルセラさん、公園を四分の三ほど回りましたね。工場労働者の事務所、政府庁舎、公園の反対側には教会があります。
マルセラ・オリベラ: えー。
エイミー・グッドマン: 大司教の役割についてお話ください。
マルセラ・オリベラ: 彼はいわば政府と民衆の仲介をした人物でしたから、水戦争で大司教は非常に重要でした。単に公平だっただけではありません。彼は立場を明らかにしたのです。彼は民衆の側にたちました。我々が正しいということは明白でしたから、彼は人々の要求に完全に同意していました。彼は非常に重要でした。彼は常に民衆の側にたっていました。
エイミー・グッドマン: 彼が十年前にそうしていなかったら、彼は今頃、枢機卿になれていただろうと思いますか?
マルセラ・オリベラ: なれていたと思います。でも彼は、民衆の側に立ちました。教会は紛争に際して、常に中立であろうとしますから、おそらく、教会の普通の役割に反していたでしょうが、彼は機織鮮明にして、民衆の側にたちました。彼は正しい側についたのです。
あらゆる町角に若者、我々が水戦士と呼ぶ連中を配置していました。彼等は自分達を、ゲレロス・デル・アグアと呼んでいました。そこで彼等はあらゆる街角に立ち、この教会にもいました。警官や兵隊が来るのを見たら鐘を鳴らす役の、街中で暮している子が一人いました。彼は塔の最上階にいました。
エイミー・グッドマン: 彼等は鐘の周囲に綱を縛りつけて?
マルセラ・オリベラ: はい。警官や兵隊がやってくるのを見るたび、彼等は鐘を鳴らし、連中が来ると我々は知り、相手と戦う準備をするのです。彼等は、若者は、誰一人、彼等にああしろと支持しないやり方で組織したのです。彼等は自発的にそうしたのです。誰一人、彼等にああしろこうしろとは言っていません。
こういうことになるとは誰も予想していなかったと思います。2月に、私達は思いました。ウワーこれは素晴らしいことだ。一種頂点のようなものだ。それに似たようなことは、もう二度と起きないだろうと。ところが、4月にまた起きたのです。私もこのようなことを体験しようとは思ってもいませんでした。52年の革命以来、このようなものは見たことがないと両親達は言います。ですから、あの当時暮していた人々全員、私は確信していますが、実に歴史的だと感じていました。
ここに軍の基地があります。ある時点で、4月の紛争中に、警官隊がやってくる、軍がやってくる、政府は国民を殺す為、軍隊を派兵する、という噂が立ちました。市民の中には、政府や軍隊に反撃するために、自分達も武装する必要があると考えた人々もいました。その時点では、人々の要求は会社に出て行って欲しいというだけではありませんでした。人々の要求は、この政府を退陣させたかったのです。そしてこの国に自分達の政府を作ろうとしていたのです。それで、これが一体どのような結末になるかわかりませんでしたから、恐ろしいところがありました。運動がどのように発展するか私にもわかりませんでした。運動は自然発生的なものでした。誰かが指揮しているわけではありませんでした。
エイミー・グッドマン: この写真では、女性たちが、道路の向かい側の兵士や警官を、投石器で狙っていますね。これについてお話ください。
マルセラ・オリベラ: はい。人々がしようとしていたのは、これには写っていませんが、ここにも人々がいました。我々は警察非常線の背後にあった広場を占拠しようとしていました。私達は広場からわずか2ブロック先にいたのです。この女性は石を投げているところです。この伝統的な、英語で銃?で。
エイミー・グッドマン: 投石器で。
マルセラ・オリベラ: はい、ケチュア語でウアラカと呼びますが、私たちはそれを野原で、リャマを集団にしておくのに使うのです。
十年前起きたことが、我々が今手にしているもの、そして、今後我々が得るものの為の扉を開いたのです。エボ・モラレスの様な大統領を実現できたのは、2000年4月の社会運動があってこそで、そういう事が起こるのを可能にする扉を開いたおかげです。教訓は、水戦争は終わっていない、ということだと思います。十年前の紛争は、単に水だけを巡るものではありませんでした。何か他のもの、特に我々が民主主義と呼ぶものを巡るものでした。自分達にとって重要なことを誰が決めるかの問題でした。それが我々にとって重要でした。十年後になっても、まだ終わっていないと言うべき位置にいるのだと思います。この場合は、民営化反対ですが、我々は依然として、何かに反対しようとしているというよりで、何かを作り上げる為に戦っているのだと思います。そして、まだ先は長いと思います。
物事の進行方向を、私達がわずかながら変えたのですから、私達は、私は個人的に、歴史の極めて重要な一コマだったと感じています。水戦争の教訓は、何事も、不変のものはなく、我々は物事を変えることができるということです。制度は民営化されてしまいましたが、我々はそれを元に戻せました。我々は決定をひっくり返すことができ、水道事業を我々の手に取り戻せました。まさかそうなるとは全く想像もできないことです。これはオスカルがいつも言っている、街路で常に繰り返しているスローガンは「民衆は団結すれば、決して敗北しない」です。我々が、ここコチャバンバに、十年前に暮していたのはとても重要なことです。そして、こういうことが、また何度でも繰り返して起きると我々が信じているのはとても重要ことです。
私達が勝てるとは全く考えていませんでした。決して。決して勝てるとは思っていませんでした。私達がしていたのは、一瞬一瞬を戦い続けたことです。我々が、この戦いに勝てるとは誰も考えていなかったと思います。
エイミー・グッドマン: 勝利した時はいかがでした?
マルセラ・オリベラ: 信じられない喜びでしたが、我々が望んでいたものを手に入れる途上で、人々、若者を失ったのですから、とても悲しいことであもありました。
エイミー・グッドマン: マルセラ・オリベラさんは、「水と生活の防衛連合」国際連絡担当主任をしておられました。現在この番組をお送りしているここコチャバンバの街路で十年前に起きた出来事のな画像はdemocracynow.orgのウェブででご覧ください。
記事原文のurl:www.democracynow.org/2010/4/19/the_cochabamba_water_wars_marcella_olivera
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日本語字幕つきの画像は、デモクラシー・ナウ・ジャパン!の『コチャバンバ「水戦争」から10年 民営化阻止の民衆闘争をふり返る』でご覧いただける。
コロンブス以来?の西欧・アメリカによる植民地支配から、何百年ぶりに脱出しようと戦う南米の国々と対照的に、強大な帝国主義国家に開国を迫られて160年、とうとう完全植民地化を自ら推進したという、前代未聞、世界に稀な不思議な属国。
副総理は、はっきり、水道民営化を明言しておられる。
医療も宗主国並になるだろう。民族自決でなく、民族自滅を決意する不思議で偉大な皆様。アヒルによる保険乗っ取り、TPPに関わる米国議会図書館議会調査局文書を読んでいれば、容易に想像がつく。
具体的には、例えば、下記文章の「保険、宅急便と、日本郵便」
(TPPでの)アメリカの狙いは、関税よりずっと重大な邪魔者であり続けている非関税施策を日本に解除させることにある 米国議会図書館議会調査局文書
自動車輸出の大幅譲歩しかり。農産物の聖域など全くありえない。「守秘義務が要求されている」という言い訳、植民地化推進の便利な口実だ。今回コタキナバルのTPP交渉にパブリック・シチズンの一員として、ステークホルダー参加されたPARC事務局の内田聖子氏、百人近い交渉団?、まるでお通夜の焼香にならぶ列のようだったとおっしゃる。
集団の交渉の場で、発言できない代表団、まして宗主国との二国間並行交渉では、宗主国の言い分を100%丸飲みし、おまけさえつけるだろう。我々は、税金を払うことで、自分の首を絞めているのだ。税金の一部は、宗主国基地経費やプリズムにも回るだろう。
多数のマスコミが当然居合わせているが、そのお通夜の行列に並ぶ皆様に全く質問しないそうだ。写真撮影の為だけに出張しているのだろうか。
農業・畜産関係者が参加しているのはわかるが、保険や医療関係の参加は不思議なことに皆無なようだ。「連合」もステークホルダーとして?参加しておられるそうだ。「労働者の生活を未来永劫危うくするものだ」として、連合がTPPに反対した、というのは、聞いたことがない。常識的に、高い費用をかけて、はるばる出張する場合、明確な目的をもって、でかける。子供の夏休みの家族旅行ではないのだ。明確な目的なしに参加して得られるものはきわめてわずかだろう。参加していますという、国内向けのアリバイにはなるだろう。どういう立場で、参加しているのか、PARC事務局の内田聖子氏が質問しても、「連合」の方は答えないそうだ。
世界に冠たる属国では、ボリビアと全く違い、宗教団体も、労働組合も、宗主国の傀儡部隊として機能することしか許されないもののようだ。
日本を建てなおすには、宗主国でなく、ボリビア留学こそ必要かも知れない。
法律を実際に読み解き、法律が将来いかに民衆に影響を及ぼすかを理解できる学者や知識人という非常に重要なグループ
日本では、決して「弁護士会」ではなく、
•街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋 TPPに反対する弁護士ネットワーク立ち上げへ
「TPPに反対する弁護士ネットワーク」がそれにあたるのだろう。
マスコミは実質大本営広報部で、読めば読むほど洗脳されるが、ミニコミ?であれば、まっとうな記事が読める。
アジェンダ・プロジェクト刊行の季刊誌『アジェンダ』第36号 2012年春号 特集 TPP vs. 循環型社会に、本山英彦教授の文章がある。
TPP名称の日本語翻訳はインチキと思っているものにとって有り難い記事。 「戦略的」という部分が意図的に省略されていることを鋭く指摘しておられる。
冒頭だけ引用させていただこう。インチキ・タレント提灯持ちの形容がうれしい。先程も「学識経験」有名提灯持ち氏の「大社会党論」なる駄法螺を、時間の無駄と知りながら読んでしまった。われながら恥ずかしい。以下本題。
集団安保条約としてのTPP 大阪産業大学学長 本山英彦
●はじめに
唐突に日本の首相(菅直人)が話し出し、実体のデータもないままに、すべての大手メディアが推進の合唱の足並みを揃え、主流の財界筋が見事な連携プレーでTPP賛成論を披瀝した。例によって例のごとく、権力に擦り寄る「学識経験者」なる「非学問的タレント教授」が跳梁跋扈する。発信源である米国の権力者たちは、何も言わないように腐心している。重大な日米関係の実現に成功したかつての時の経緯をTPP論議は忠実に繰り返している。唐突に現れたTPP論議は、中国脅威論の台頭と沖縄普天間基地問題に対する民主党政権の腰砕けと軌を一にしている。私は、TPPと呼ぶのに抵抗を感じる一人であるが、いまは通弊に従っておく。
詳細は、恐縮ながらご購入の上、お読み願いたい。『経済的、文化的に全く利益皆無で、損害しかない協定TPPになぜ参加する?と問うと、「安全保障の為だ」と答える向きがあるが、それを言ってはおしまいだろう』と、「TPPすぐそこに迫る亡国の罠」を書かれた立教大学・郭洋春教授も仰っている。
しつこく繰り返させていただくが、「無料の良い情報」というのは論理的矛盾だろう。民放TVが良い例。無料かつ劣悪。新聞は有料かつ情報は劣悪。有料国営放送も、ニュース、政治・経済になった瞬間、最高のプロパガンダ機関となる。ともあれ無料では「学識経験者」なる「非学問的タレント教授」のお話しか聞けない。
ところで、このブログ自体無料。本人がブログ料金を払って書かせて頂いている。本人にとって有料ブログだ。英語原文はいずれも素晴らしいが、いかんせん翻訳が酷い。永久に有料になり得ない水準。
皆様におかれては、こうした無料記事にはくれぐれもご用心を。
2013年7月27日 (土) TPP・ACTA, アメリカ, 中南米 | 固定リンク -
想田和弘のブログから転載。
私は大衆心理に関心のある人間なので、こうした考察は非常に面白い。これまで橋下徹について語られ、論じられた中で最高峰の考察だろう。そして、この分析の導く結論は、ヒトラーや小泉純一郎による大衆操作にも通じている。もちろん、マスコミの協力があってのものだが、なぜマスコミが橋下アイドル化に協力したか、という考察部分も素晴らしい。つまり、マスコミが意図的に橋下をアイドル化したというよりも、橋下徹という人物の特性がマスコミアイドル、昔風に言えばトリックスター的な資質を強く持っていた、ということだ。問題は、その才能と裏腹の最低の人格であるが、橋下ファンにはその最低の人格もまったく気にならないようだ。つまり、日本社会では「品性」という観点や価値観は完全に失われたという、恐るべき結論がここから出てくる。また、それを恐ろしく思わない人間が大多数だろう、と当然ながら想像できるわけだ。
さて、そういう社会なのだから、政党として最悪の品性を所有する自民党が圧勝しても不思議ではない、ということである。風向きが少し有利であれば、日本維新の会が飛躍していた可能性もあるのである。だが、橋下の本質的な非論理性、あえて言えば、頭の悪い発言を連発する愚かさによって、その飛躍は最小限にとどまったのだろう。
橋下現象はまだ続く、と私は見ている。それは日本人の精神的堕落と表裏一体の現象なのである。
(以下引用)
Wednesday, April 03, 2013
言葉が「支配」するもの 橋下支持の「謎」を追う
数日前、橋下徹大阪市長率いる日本維新の会が、綱領を発表した。その「基本となる考え方」の第1番目には、「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」とある。この夏の参院選では、改憲勢力として自民と合わせ参議院の3分の2を獲ることを目標としているという。
橋下氏の人気には一時の勢いはないと言われているものの、日本維新の会が日本の政治のキャスティングボードを握る可能性はある。僕はそのことに危惧を抱いている。
岩波書店『世界』の編集部から許可を得て、去年の7月号に寄稿した拙稿の全文を掲載する。
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言葉が「支配」するもの 橋下支持の「謎」を追う
想田和弘(映画作家)
『世界』編集部から、「なぜ、これほどまでに橋下徹氏が支持されるのか」というお題をいただき、原稿の依頼を受けました。
僕は大阪出身でもなければ、府民でもありません。日本に住んでさえいません。1993年からニューヨークに住み、あまり売れているとはいえないドキュメンタリー映画ばかりを細々と作っています。仕事上でも、橋下氏を直接取材したこともなければ、お会いしたこともありません。ある意味、「橋下問題」とはかなり遠いところにいる人間です。
そんな僕にそういう依頼がきたのは、僕がここ数か月、「橋下問題」を気にかけ、ウォッチし、毎日のようにツイッター上で橋下氏の発言や行動を分析したり、批判したりしているからでしょう。そして、橋下氏を支持する人々や、批判する人々と、かなり盛んに意見交換しているからではないかと思います。
でも、正直申し上げて、「なぜ、これほどまでに橋下徹氏が支持されるのか」という疑問に対する明確な答えを、僕は持っていません。その最大の理由は、明白です。僕が橋下徹氏に政治家として可能性や魅力を感じないばかりか、危険だとさえ思っているので、支持する人の気持ちが分からないのです。
もちろん、橋下人気の背景に、既成政党の無能・無策ぶりや、行き詰まった経済や福祉制度、原発政策などに対する、人々の鬱積した不満や怒りがあるのは明白でしょう。現状があまりに酷過ぎて、誰かを救世主に仕立てたくなる気持ちも分からないではありません。しかし、威勢はよいけど強権的で大した実績もなく、遵法意識が低く、発言内容がコロコロ変わり、ビジョンも稚拙といわざるをえない橋下氏を、なぜ救い主であると信じられるのか。僕は理解に苦しむのです。
では、橋下氏を支持する人に聞けば、それが明解になるのでしょうか。僕は、橋下氏を支持する人々とネットを中心にずいぶんやり取りし、彼らの発言をかなりたくさん読み込んできました。しかし、今のところ残念ながら、腑に落ちる、共感できるような見解には出会えていません。むしろ、読めば読むほど、議論すればするほど、謎は深まるばかりなのです。
とはいえ、そうした作業を進めるうちに、橋下氏を支持する言説に、ひとつの気になる傾向があることに気づきました。そしてその傾向には、「なぜ、これほどまでに橋下徹氏が支持されるのか」というお題について考えるための、重要な糸口があるような気がしてならないのです。
その、ひとつの「気になる傾向」とは何か。
それは、多くの橋下支持者は、橋下氏が使う言葉を九官鳥のようにそっくりそのまま使用するということです。例えば、今年2月に起きた大阪市職員に対する「強制アンケート調査」の一件では、アンケート調査の当事者である大阪市役所労働組合のブログに、以下のような書き込みが寄せられていました。
「普通は社長に反抗すればクビ。大阪市の社長は市民が決めた橋下さん。市長や知事を決めたのは大阪府民、大阪市民です。あなたたちの給料は市民からでてます。大阪市民が橋下さんに全て託したんやから橋下さんに従いなさいよ」
「業務命令というなら従いましょう。嫌なら辞めましょう」
「市長が調査に乗り出すと憲法違反を持ち出して公然と批判。調査の原因である自分達がこれまで勤務時間内にやってきたことは完全に棚上げ。既得権益ってこうやって守るんですよというお手本みたいな行動ですね。勉強になります」
「違憲と思うなら裁判でもすればいい。回答しなかったら処分されるまで。もっとわめいて大騒ぎすればいい。大騒ぎすればするほどいい意味でも悪い意味でも注目を浴びるから。今まで絶対的身分保障の名の下に好き放題してきたことも白日の下にさらされる。私は大阪市民!じっと見ているぞ!」
橋下市長の発言によく触れている人なら、これらの発言が、語彙も論理も文体も、橋下氏とそっくりだということに気づくでしょう。
「大阪市の社長は市民が決めた橋下さん」というのは、橋下氏が「民意」を持ち出して自らを正当化したり、市役所を「民間会社」になぞらえて語るときによく使うレトリックですし、「業務命令」「既得権益」「身分保障」などの語彙も、氏が好んで使うキーワードです。「嫌なら辞めろ」というのも、橋下氏の口からよく発せられるフレーズです。これらの文章の主語などを少しだけ書き換えて橋下氏のツイッターに転載したとしても、たぶんそのまま橋下氏の発言として通用してしまうほど、酷似しています。
つい最近話題になった「毎日放送記者の糾弾事件」でも、同様のことが観察できました。橋下氏が記者会見で、教職員の君が代起立斉唱強制問題について質問した毎日放送の記者を「逆質問」で糾弾した、あの一件です。
同事件では、その一部始終を記録した動画がユーチューブで広まり、橋下氏の尻馬に乗って記者を侮辱する言葉がネット上に溢れ返りましたが、彼らが多用したのは、「とんちんかん」「勉強不足」「新喜劇」といった言葉でした。動画を実際にご覧になった方なら分かると思いますが、これらはすべて、橋下氏自身が動画の中で発した言葉です。彼らは、「他人を罵る」という極めて個人的な作業にも、自ら言葉を紡ぐことなく、橋下氏の言葉をそっくりそのまま借用したのです。
これはいったい、何を意味するのでしょうか。
思考は、言葉です。思考の支配は、言葉を支配することによって成し遂げられます。橋下氏の言葉を進んで使う人々は、橋下氏の言葉によって思考を支配されているといえるのではないでしょうか。そして、思考を支配されているがゆえに、行動も支配されているのではないでしょうか。
これは何も目新しい現象ではありません。
僕が今ある種の戦慄を覚えながら思い出しているのは、2001年9月11日に起きた、あの事件です。
あの日以来、ジョージ・W・ブッシュ米大統領や米政府高官は、「War on Terrorism(テロとの戦い)」というキャッチフレーズをことあるごとに使い始めました。するとどうでしょう。まずその言葉をアメリカのテレビのアナウンサーやコメンテイター、新聞記者たちが競うように使い始め、瞬く間に大多数のアメリカ人が口にし始めました。それはまるでアメリカ中の人々が、一斉にブッシュ大統領にのりうつられたような不吉な光景でした。そして、「War on Terrorism」という言葉に支配され、怯え憤ったアメリカ社会は、合計90万人とも推計される犠牲者が出ることになる、二つの無意味な戦争に突き進んでいったのです。
いや、アメリカ社会だけではありません。僕は太平洋を隔てた日本の報道機関や政治家、一般市民までもが「テロとの戦い」という翻訳語を当たり前のように使っているのを聞いて、とても奇妙に感じたのを憶えています。
「テロとの戦い」というスローガンは、明らかにアメリカ側から世界を眺めた、決して政治的に中立ではない言葉です。少なくとも、それを合い言葉に爆撃されたアフガニスタンの一般市民は、米軍の行為を「テロとの戦い」と呼ぶことには釈然としないでしょう。たぶん、彼らにとっての現実を正確に差し示すフレーズは、「米軍による軍事侵略」といった言葉であるはずです。
しかし、日本人の大半は、米国が打ち出した「テロとの戦い」という言葉を、おそらくほとんど無意識に採用した。同時に、それがかたどる政治的な枠組みに思考や世界観を支配されたのです。そして、行動までを支配された。日本政府が「国際貢献」というもう一つのキャッチフレーズとともに、米軍支援のために自衛隊を差し出したことは、みなさんの記憶にも新しいことでしょう。
そう考えると、同様の例はいくらでも見つかることに気づかされます。いや、社会が大きく動かされる際には、人々がそれによって思考を支配されるような、キーワードとなる言葉が必ずあるともいえるでしょう。
最近日本社会を席巻した言葉の例を挙げれば、「構造改革」「抵抗勢力」「規制緩和」「政権交代」「政治主導」…。
大事なポイントは、これらの言葉は為政者が民衆を羽交い締めにして、無理矢理言わせたものではない、ということです。それらは、たしかに政治家たちによって考案され、社会に投じられた言葉かもしれません。しかし、それらを進んで唱和したのは、わたしたち民衆なのです。
いや、もちろん、唱和するのを拒んだ人も多数いたでしょう。僕自身のことを申し上げれば、「政権交代」以外の言葉は唱える気になりませんでした。けれども、唱える人の勢いや数がそうでない人を上回っていたからこそ、社会全体がそれらの言葉に動かされたことは否めないのです。
では、なぜ大多数の人は、好き好んでそれらの言葉を合唱したのか。
僕は、それらの言葉がそのときどきで、ある種の「リアリティ」を持って人々の心に響くと同時に、感情を動かしたからだと思います。
例えば、「テロとの戦い」という言葉が2000年代前半に特に効力を持ちえたのは、9月11日の事件が起きたからにほかなりません。それは、「もしブッシュ大統領が9月10日に同じ言葉を発していたら」と想像すれば容易に分かります。おそらくアメリカ人のほとんどがピンとこなくて、「はあ?」と首を傾げたことでしょう。アメリカ人が9月11日以降、「テロとの戦い」に首を傾げるどころか、それを合い言葉に戦争を始めたのは、「祖国がテロリストの魔の手に晒されている」という信憑が(それが正確な状況把握かどうかは別にして)十分成り立ち、恐れと怒りという感情に支配されていたからなのです。
去年から日本の社会で急速に人々のスローガンとなりつつある「脱原発」という言葉もそうですね。僕は80年代から「脱原発派」の一人ですが、2011年3月10日までは、「脱原発」という言葉を日本で発しても、「ああ、左翼がまた非現実的なことを言ってるな」というレッテルを貼られ、軽蔑の眼差しで見られる場合がほとんどでした。ところがどうでしょう。福島で破滅的な原発事故が起きて以来、この言葉は急激に市民権と力を得ました。言葉そのものは、昔からずっと「脱原発」であるにもかかわらず、まるでそれが別の言葉に生まれ変わったかのように、突然「化けた」のです。そしてその豹変ぶりは、別に脱原発派が急に運動や宣伝がうまくなったことに起因しているわけではありません。原発事故による甚大な被害が実際に起き、急激にリアリティを得て日本人の感情を動かした。だからこそ、「脱原発」という言葉は一夜にして、多くの人々が唱和するスローガンに変貌したのです。
ここで、橋下徹市長の問題に戻ります。
なぜ、橋下氏の支持者は、橋下氏が発する言葉を自ら進んで唱和するのか。
これまでの議論から、おそらく橋下氏が発する言葉が、「テロとの戦い」「脱原発」などの言葉と同様に、ある一定のリアリティを持って人々の心に響いているからだと推論できます。そして、大勢の人々が単純なキーワードによって思考を支配されるような現象は、別に橋下氏周辺に特有なわけではなくて、世界的に頻繁に観察できる「病態」であることが分かります。
とはいえ、「だから橋下徹という政治家を特別視する必要はない」という結論に至るのは早計でしょう。
橋下氏が大阪府知事選に当選し、政治家としてデビューしたのは2008年。わずか4年前です。国会議員でいえば、橋下氏は未だに「一年生議員」のようなものです。その彼が、いまでは大阪府市を制圧し、国政進出を狙い、一部では首相候補とさえささやかれている。
この急速な勢力の伸びは、決して尋常ではありません。このような躍進が可能になったのは、橋下氏が発する言葉に特別な「感染力」があるからこそだと、僕は見ています。
事実、橋下徹という政治家は、いま日本に存在する他のどの政治家よりも、キャッチフレーズやコピーとなる言葉を数多く発しているように思われます。
その例を挙げましょう。
「民意」「選挙で選ばれた代表」「決定できる政治」「既得権益」「二重行政」「大阪都構想」「対案を出せ」「文句があるならお前がやってみろ」「身分保障の公務員」「公務員は上司の命令に従え」「税金で飯を食う官僚」「トップ」「職務命令」「自称インテリ」「学者論議」「マネージメント」「リセット」などなど…。
これらは、橋下氏が好んで繰り返し使う言葉やフレーズです。そして橋下氏の支持者たちが、あたかも橋下氏になりきったかのように、プロパガンダ・マシーンよろしく連呼している言葉です。みなさんも、少なくともこのうちのいくつかは聞き覚えがあるのではないでしょうか。
もちろん、これらのほとんどは、橋下氏が一から作り上げた言葉ではありません。むしろ、ありふれた言葉です。しかしこの際、オリジナリティがあるかどうかは、あまり重要ではありません。重要なのは、橋下氏がこれらの言葉を繰り返し発することによって、事実上の専売特許にしてしまっていることです。そして、彼の支持者たちがこれらの「橋下市長の言葉」を、声高に輪唱している。その事実こそが、問題なのです(そういえば、「維新」という言葉も周知の通り橋下氏のオリジナルではありませんが、いまや「維新」といえば「大阪維新の会」を差す場合が多くなってしまいました)。
僕は野田総理が好んで使う言葉をいますぐ思い出そうとしても、ひと言も思いつくことができません。そして、野田総理の言葉を彼の支持者が合唱する現場を、一度も目撃したことがありません。つまり一国の総理が使う言葉よりも、一地方自治体の首長が使う言葉の方が、世の中に伝染し唱和されている。そういう、かなり特殊な事態がいま日本に生じつつあるのだと思います。
では、なぜ橋下徹の言葉には「感染力」があるのか。
橋下氏お得意のフレーズを並べてみると、人々が社会に対して抱いている不満や懸念を掬い上げるようなものであることに気づかされます。しかもそこに、人々の(理性ではなく)感情を煽り立てる何かを感じます。
例えば「民意」という言葉の裏には、「われわれ民衆の意志が政治に反映されていない」という漠然とした不満が匂いますし、「決定できる政治」というコピーの背景には、「今の政治は何も決定できず無能だ」という恨み節が存在します。「身分保障の公務員」というフレーズの背後にも、「身分保障なんて、俺たち派遣社員には関係ねえよ、チクショー」といった怨念のような感情が基調低音のように鳴り響いています。
逆に言うと、橋下徹という政治家は、そのような人々の感情の鉱脈のありかを察知し、言葉で探り当てることに長けているのです。そしてそこにこそ、彼の言葉の感染力の強さの秘密があるのだと思います。
例えば彼が「民主主義」という言葉よりも「民意」という言葉を愛用するのは、前者が政治制度をクールに描写する言葉であるのに対して、後者が有権者の感情に直結している言葉だからではないでしょうか。
いや、もちろん「民主主義」という言葉も、軍国主義の時代が終わり、新しい時代が始まる予感に満ち満ちていた敗戦直後の日本人にとっては、きわめてダイレクトに感情にアクセスできた言葉であったのではないかと推察されます。だからこそ、「民主主義」という言葉は当時の日本で強力なスローガンとして機能し、社会全体を180度引っくり返す力を持ちえたのだと思います。
しかし、物心ついた頃から民主主義があたり前の、21世紀に生きる現代人、特に若い世代にとってはどうでしょうか。「民主主義」という言葉は、単に政治制度を指し示すか、使い古された、お題目的な言葉に変質してしまっているような気がします。無論だからといって、民主主義そのものの価値が下落したわけでは決してありません。けれども、少なくとも若い世代の多くが「民意」という言葉の方に、より自己を投影し、当事者となり、感情移入しやすいように感じるとしても、そう不思議ではないのです。
そして、橋下氏はこのことをたぶん極めて冷徹に理解し、意識的に操作している。それを僕がなかば確信させられたのは、今年の5月10日の橋下氏自身のツイートによってです。彼は放射性廃棄物の処理方法に関する池田信夫氏のツイートに答えて、次のように述べています。
池田「「海洋投棄はけしからん」という感情論が多いが、1万mの日本海溝に沈める技術は確立しており、地層処分より安全」
橋下「こういう技術論を国民コンセンサスに高めるには膨大な政治エネルギーが必要。それをやらずに論を言うのは言うだけの世界。民主主義は感情統治」
僕はこの短いつぶやきにこそ、橋下氏が考える政治のイメージが集約されているように思います。つまり彼は、「民主主義は国民のコンセンサスを得るための制度だが、そのコンセンサスは、論理や科学的正しさではなく、感情によって成し遂げられるものだ」と言っているのです。
こうした橋下氏独特の民主主義観は、僕を次のような推論に導きます。
橋下氏は、人々の「感情を統治」するためにこそ、言葉を発しているのではないか。そして、橋下氏を支持する人々は、彼の言葉を自ら進んで輪唱することによって、「感情を統治」されているのではないか。
そう考えると、橋下氏がしばしば論理的にめちゃくちゃなことを述べたり、発言内容がコロコロ変わったりしても、ほとんど政治的なダメージを受けない(支持者が離れない)ことにも納得がいきます。そうした論理的ほころびは、彼を支持しない者(感情を統治されていない者)にとっては重大な瑕疵に見えますが、感情を支配された人々にとっては、大して問題になりません。なぜなら、いくら論理的には矛盾しても、感情的な流れにおいては完璧につじつまが合っているからです。
先述した「毎日放送記者の糾弾事件」はその好例です。この30分近くにわたる女性の記者と橋下市長とのやりとりでは、記者は一貫して、「君が代起立斉唱条例」を立案した張本人である橋下氏に対して、府立高校校長によるいわゆる「口元チェック」の是非を問い質しています。
記者としては当たり前の発想です。橋下氏が条例を作ったからこそ、教育委員会が起立斉唱命令を出し、校長が「口元チェック」をした。だから、立案者の橋下氏にそのことについて質問する。極めて自然なロジックです。ところが、橋下氏は「自分は条例を作っただけであり、命令を出したのは教育委員会だから、その問いに答えるのは自分の仕事ではない。だから教育委員会に聞け」と言いはり、記者を「勉強不足だ」と責めたてます。
冷静に考えれば、橋下氏の言うことは論理的に破綻しています。直接命令を出したのは教育委員会かもしれませんが、その元になる条例を作ったのは橋下氏なのですから、彼には記者の質問に答える責任があるはずです。少なくとも、質問をする記者が「とんちんかん」などと口汚くなじられる筋合いはありません。
しかし、動画を観た多くの人々が、橋下氏に対して拍手喝采を送りました。なぜなら、橋下氏が繰り出す言葉には、一貫して「ふざけんなよ、マスゴミのオンナ記者!」という感情が込められていたからです。論理的には矛盾していても、感情的には一本筋が通っていたのです。
だから日頃からマスコミに不満を抱いていたり、ミソジニー(女性嫌悪)的な暗い思いを抱いていたり、あるいは単に誰かをいじめたい気分に駆られていた人々は、彼の演出する感情に波長を合わせ易かったし、合わせることができた。そして彼が発した「とんちんかん」などという言葉をそのまま借用して、自らの感情をネット上などでぶちまけた。これは、橋下氏の目指している「感情を統治する民主主義」が典型的に機能した例だと言えるでしょう。
とはいえ、橋下氏の言葉がいくら感情を喚起し、したがって強い感染力があるとしても、それを流通させる手段がなければ、世の中に広く伝播することはできません。しかしこの点でも、橋下氏は非常に抜け目のない戦略家であると言わざるをえません。
実際、ツイッター上で橋下批判に本腰を入れてまもなく、僕は本当に驚かされました。例えばある日、君が代問題で橋下氏が物議をかもしたニュースについて1日かけてあれこれ論じていると、翌日には職員の入れ墨の件がニュースとして浮上するのでそれについて僕も論じる。ところが次の日には、橋下氏が知識人の誰かをツイッター上で罵倒して、それが問題になる。そして次の日は文楽潰しの問題、次の日は原発、次の日は維新八策…という具合に、ほとんど毎日、日替わり定食のように、何かしら問題、つまりニュースが起きるのです。
これを逐一取り上げると、どうなるか。僕は毎日毎日、橋下さんのことばかりを論評するはめになります。実際、実に忌々しいことですが、僕はここ数か月、「映画作家」というよりも、「橋下評論家」のようになっています。そしてこれこそが、僕だけではなく、関西のマスメディアが多かれ少なかれ陥っている状況なのです。
事実、橋下氏は毎朝30分間もの「ぶら下がり取材」と、週に1回2時間にも及ぶ記者会見を行っています。そして関西テレビ報道局デスクの迫川緑氏からシンポジウムの壇上で聞いた話によると、橋下氏は会見を短く切り上げたりせずに、記者の方が根負けするくらい、とことん最後まで付き合うそうです。
しかも橋下氏は毎日のように新しいネタを提供する。それもたいていは、物議をかもすような過激なネタです。テレビ局としては取り上げざるをえません。しかし迫川氏によれば、ネタがあまりに多すぎるので詳しい取材が追いつかず、とりあえず橋下氏のコメントを主体としたニュースを流す。気がつけば、30分のニュース番組に橋下氏が何度も登場する。そういうサイクルになりがちだそうです。つまり公共の電波で流れるニュース番組が、知らず知らずのうちに「橋下徹ショー」になっているわけです。
だからといって、メディアは橋下関連の報道をやめることができるでしょうか。彼の政治姿勢や政策が大阪市民や、ゆくゆくは日本国民に重大な影響を与えかねない以上、報道機関には報じる責任があります。しかし報じれば報じるほど、橋下氏の言葉は世の中に伝染して影響力を増し、だからこそ更に報じなくてはならなくなる。そういうジレンマと悪循環が生じているのです。
ついでに申し添えておくならば、取材者の立場からすれば、これは同時に「ネタに困っても大阪市役所に行きさえすれば、新しいニュースがある」という状況でもあります。ニュースを常に探し求めている者にとっては、これはある種の楽園です(僕もかつてテレビ・ニュースの現場をかじったことがあるので、実感としてそう思います)。つまり橋下氏は、報道機関にとって「おいしいネタ元」になりつつある。そうなれば記者たちも、できれば橋下氏と仲良くしていたいでしょう。険悪になれば、最高の「情報ソース兼タレント」へのアクセスを失いかねないからです。彼に対して報道機関が厳しい批判を加えにくい背景には、ときおり見せしめのように行われる「記者のつるし上げ」の恐怖もあるでしょうが、そういう現場の心理も働いていると思うのです。
さて、そろそろ紙幅も尽きてまいりましたので、最後に、橋下氏の批判勢力側の言葉の問題について触れたいと思います。
僕はこの数か月、橋下氏を支持する人々と議論しながら、ある種の虚しさを感じ続けてきました。それは馬の耳に念仏を唱えているような、そういう空虚さです。自分の言葉が、驚くほどまったく相手に響かないのです。
しかし橋下氏の言葉の感染力とその原因について考察してみると、僕を含めた批判勢力が繰り出す言葉が、氏の支持者に対して「のれんに腕押し」状態であることにも、理由があるのだなという気がしています。
というのも、僕らが繰り出す言葉も、実はだいたい語彙が決まっているのです。
「民主主義への挑戦」「独裁」「ヒトラー」「マッカーシー」「戦前への回帰」「憲法違反」「思想良心の自由」「人権を守れ」「恐怖政治」「強権政治」などなど…。
こうした言葉は、それらを好んで発する人間にとっては、強い感情を喚起しうる強力な言葉です。これらの言葉を橋下氏やその支持者に投げかけるとき、僕らはまるで最強のミサイルを撃ち込むかのように、「どうだ、参ったか〜」という気持ちで発するのです(『世界』を愛読する方の多くはそうではないでしょうか)。実際、たぶん1970年代くらいまでは、例えば「思想良心の自由」という言葉は、まるで水戸黄門の印籠のように、それを発しさえすれば誰もが条件反射的にひれ伏してしまうような、強力な殺し文句でありえたのではないか。(といっても僕は1970年に生まれたので、実際のところはよく分かりませんが)。
しかし時代は変わり、橋下氏とその支持者に「思想良心の自由を守れ」とか「恐怖政治だ」などという言葉を浴びせても、彼らはびくともしません。「だからなに?」という調子で、面白いくらいに効き目がありません。コミュニケーションが成立しないのです。そして、様々な世論調査で橋下氏の支持率が過半数である以上、かなり多くの日本人が、僕らが繰り出す「黄門様の印籠」には反応しなくなっていると推定できるでしょう。
おそらく彼らにとっては、これらの言葉はすでにリアリティを失い、賞味期限が切れてしまっているのです。したがって感情を動かしたりはしないのです。彼らは、例えば君が代の問題を語る際にも、「思想良心の自由を守れ」よりも、「公務員は上司の命令に従え」というフレーズの方に、よほど心を動かすのです。僕個人としては、極めて由々しき事態であると思います。
とはいえ、彼らを責めてばかりもいられません。
考えてみれば、実は僕らにも戦後民主主義的な殺し文句に感染し、むやみに頼りすぎ、何も考えずに唱和してきた側面があるのではないでしょうか。つまり橋下氏の支持者たちと、同型の怠慢をおかしてきた可能性はないでしょうか。そして橋下氏の支持者たちは、僕らが繰り出す言葉からそのような臭いを敏感に嗅ぎ取っているからこそ、コミュニケーションを無意識に拒絶している。僕にはそんな気がしてなりません。
もちろん、民主主義的な価値そのものを捨て去る必要はありません。むしろ、ある意味形骸化してしまった民主主義的諸価値を丹念に点検し、ほころびをつくろい、栄養を与え、鍛え直していく必要があるのです。
そのためには、まず手始めに、紋切り型ではない、豊かでみずみずしい、新たな言葉を紡いでいかなくてはなりません。守るべき諸価値を、先人の言葉に頼らず、われわれの言葉で編み直していくのです。それは必然的に、「人権」や「民主主義」といった、この国ではしばらく当然視されてきた価値そのものの価値を問い直し、再定義していく作業にもなるでしょう。
橋下氏や彼を支持する人々をコミュニケーションの場に引きずり出し、真に有益な言葉を交わし合うためには、おそらくそういう営みが必要不可欠なのだと思います。
(岩波書店『世界』2012年7月号)
Posted by Kazuhiro SODA at 4/03/2013 0 comments -
「櫻井ジャーナル」の記事が参院選後の日本がどうなるかをうまくまとめているので、全文転載しておく。
もっとも、これは多くの人が言っていたことでもあり、拙いながら私も自分のブログで似たようなことを何度も書いてきた。今さらどうなる、という感じでこの文章を読む人も多いだろう。
今さら、ではないのである。問題はまったく終わっていない、むしろこれからが本番なのだ。
これから始まる暗黒の時代に備えて、まず起こったことを総括し、分析し、これから起こることを想定し、対処法を考えなければならないのである。
日本人は(という大きなくくりで話すのは嫌なのだが)終わったことを水に流しすぎる。だから毎度毎度同じ失敗をし、少しも進歩しない。政治面でも社会面でも。変わるのは表面的な些細な現象だけだ。たとえば携帯がスマホに変わる程度のことに大騒ぎするだけだ。その一方、たとえば原子力村の支配、という根本構造はまったく変わらない。
すべては、根気が無いから、執念深さが無いからだ。この点では西洋人の執念深さを見習うべきだろう。
私のブログは、いつも同じようなことを書いている気がするが、それは当然である。自分が正しいと思うことが、そうコロコロ変わるはずはないからだ。私は「君子豹変す」という言葉(君子は変わるべき時は変わる、というのが本来の意味)も悪くはないと思うが、日本人の場合はあまりに豹変しすぎるようである。それも、ただ毛皮の模様が変わるだけで、中身はまったく変わらないのだ。(戦後すぐに、日本の民主主義に疑問を呈した、伊丹万作の書いた有名なエッセイを想起されたい。)
(以下引用)
2013.07.22
参院選で自民党を勝たせた結果、日本はTPPに参加し、民主主義を放棄することになりそうだが、新体制を維持するために治安システムを強化、軍事力を増強することに
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歴史には節目があり、そこには「ルビコン」が流れている。見た目は大したことのない川だが、渡ってしまうと再び戻ることはできない。今回の参議院選によって、日本はルビコンを渡る準備ができてしまった。が、まだ渡りきってはいない。
目の前にあるルビコンはTPP(環太平洋連携協定)だろう。巨大企業が送り込んだ約600名のアドバイサーの意見を聞きながらアメリカ政府がまとめているようだが、その内容は秘密にされている。
アドバイサーを送り込んでいる企業には、遺伝子組み換え作物で悪名高いモンサント、庶民の住む社会から富を搾り取って金融/投機/博打の世界へ資金を流し込む金融機関、例えばバンク・オブ・アメリカ、巨大石油企業のシェブロンやエクソンモービルなどが含まれているそうなので、それだけでも内容は推測できる。国を巨大多国籍企業に従属させる仕組みがTPPなのである。
今年、アメリカで成立した包括予算割当法の第735条は「モンサント保護条項」とも呼ばれている。遺伝子操作作物の作付けを規制、あるいはブレーキをかけることを禁止しているのだ。TPPでは、この条項が標準になると考えるべきだろう。
1980年代から加速度的に広がった「新自由主義経済」は強者総取りの仕組みで、富は一部に集中して大多数の人は貧困化、滞留した資金は投機市場に流れて金融が肥大化していく。この仕組みを作り上げる課程で、アメリカの政府や議会はグラス・スティーガル法(1933年銀行法)を廃止してしまった。投機の邪魔になるからだが、これを復活させることをTPPは拒否する。オフショア市場/タックス・ヘイブンに対する規制も無理になるだろう。
金融市場で行われていることは「転がし」にすぎず、市場への資金流入が細れば早晩、破綻する。そこで、庶民からカネを巻き上げて市場へ流し込む一方、カモを探す必要がある。1980年代にイトマンなど投機の素人企業が破綻したが、要するにカモになったのである。が、最近は破綻した企業を国が救済する。庶民のカネを渡すわけだ。すでに博打ではなく、喝上げの領域に入っている。
こうした金融の仕組みを問題視する人は増えているが、TPPは金融界に対する規制を許さない。低賃金で劣悪な労働条件で働かせたい企業としては、最低賃金の設定や労働環境の規制にも反発している。大きな事故が起こると殊勝なことを言うが、口先だけ。
生物にとって最も大事な「食」も巨大資本に支配されつつある。すでにアメリカでは家族経営の農家が潰されているが、日本でも同じことが行われようとしている。飲料水も企業が支配しようとしている。
公的な健康保険や年金はすでに日本の政治家や官僚は潰しにかかっている。社会保障システムが破壊されるだけでなく、労働条件、環境汚染、食糧の安全などに関する規制、あるいは健康保険や年金など社会保障の仕組みを各国政府が最終決定することはできなくなる。「著作権」を突破口にして、インターネットから自由を奪い、監視下に置こうとしている。
言うまでもなく、TPPのポイントはISDS(国家投資家紛争処理)条項である。民主主義を破壊する条項だとも言える。この仕組みを守るため、監視システムを強化し、武装警察を充実させ、軍事力を強化しようとしている。この仕組みに刃向かう人間、あるいは国が出てきたならば、力で押さえつける必要がある。
最初に新自由主義経済を取り入れた国、チリで行われたことを思い起こせば、TPPが何をもたらすかが推測できる。軍事クーデターの後、反対勢力を拘束、拷問、虐殺し、この経済システムを導入したのだ。排除すべきだと判断した勢力を攻撃するのは簡単。「テロリスト」というタグをつけるだけだ。
(徽宗追記)先ほど、「播州武侯祠遍照院」を見ていたら、そこに引用されていたマドモワゼル愛さんの言葉に、これからの世界、これからの日本の進むべき道が示されているように思えたので、それを再転載しておく。無力な庶民こそが、(企業に金を与える立場である消費者として)世界を変える本当の力を持っている、という考えは大きな勇気を与えてくれる。
(以下引用)*赤字は引用者(徽宗)による強調。これに「マスコミ」「教育」「芸能界」などを入れてもいいのではないだろうか。つまり、我々庶民がそれによって生きている(と思いこんでいる)現代版「パンとサーカス」のすべてだ。
今、一番行き詰っているのは、庶民ではなくて、実は既得権益を守ろうとしている人たちなのです。だからがむしゃら。嘘もつく。すべて嘘。
しかし、庶民から新しい、地球の命と一体となる工夫、アイデア、実行によって、なんだこうして生きていけるよ、、、と示さなくてはいけない。
その責任が私たちにはあるのです。金をかけず、こうすれば、みんな、生きていけるよ、、、というものを作らなくてはいけない。
化学薬品、化石動力、原発エネルギー、加工食品、こうしたもので生きてきたから、ここまで追い詰められた。
私たちが追い詰められれば追い詰められるほど、儲かる人がいるから、このシステムが終わらない。
私たちが新しい生き方、新しい生活の仕方を開発実行できれば悪いシステムに血がまわらなくなる。悪いシステムをシステム維持する必要がなくなる。そうなれば、既得権益者も舞台を降りて、もしかしたら私たちと一緒になれるかもしれない。
(さらに徽宗追記)上記の「化学薬品、化石動力、原発エネルギー、(加工食品)」に依存した社会をまとめて、「無機物依存社会」というキーワードにできるのではないだろうか。つまり、これからの世界は「有機物(生命体)循環社会」へと進むという見通しができる。前に書いた「木質ペレット利用の発電」などもその一つになるだろう。
無機物の利用は巨大な「便利さ」や「効率」を生むが、結局、形を変えて公害になって終わる、ということである。 -
「velvet morning」から転載。(英語のブログ名は、綴りが間違っているとワードが注意してくれるので楽だ。その反対に漢字の間違いはホッタラカシ、どころか、ワード自らデタラメな漢字熟語を提示してくれる。日本人はこうしてワードを使用することで正しい日本語を忘れていくのだろう。ここにすでにグローバリズムの精神的侵略があるのだ。)
さて、選挙も終わり、巷ではあきらめ半分の、無理やりめいた楽観主義が広がっているが(私もそういう記事を書いているのだが)、あるアニメだか漫画だかの名言を借りれば、「答というものは、それで終わりではなく、次の問題を導くためのものだ」であり、参院選で出た答(理不尽な現実と悲惨な未来)を新しい問題として考え、日本をより良い社会にしていくことが我々大人の未来世代への責務、いや、債務だろう。我々はすでに未来世代に、最悪の政治、最悪のマスコミ、放射能に汚染された国土、拝金主義に汚染された社会という負債を押し付けているのだ。
下記記事は、その第一段で、いかにして不正選挙を無くすか、という、民主主義の根幹に関わる重要かつ画期的な提案だ。この提案を現実化するにはまず不正選挙の事実を明らかにする必要があるが、それは多くの人が既に動いているだろう。しかし、不正選挙を不可能にするにはどうすればよいかという事については、ほとんど言われていないと思う。一種の盲点になっていたわけだ。それでは3年後もまた同じ結果になる。今の時点から、「ベルベットモーニング」さんの提案を現実化するような働きかけをしていく必要がある。特に、今回の選挙で大敗した野党は、まず不正選挙の追求と新しい選挙管理システムの推進から始めるべきだろう。
(以下引用)*後半は供託金の問題で、こちらも重要だが、長い文章が苦手な人は前半だけでも読めばいいかと思う。
絶対に不正選挙出来ない選挙の投票と開票方法とは? ― 2013/07/23 13:13
絶対に不正選挙出来ない選挙の投票と開票方法とは?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/07/23/6913930
不正選挙の解説をする前に、絶対に不正選挙出来ない選挙の投票と開票方法を教えましょう。
これが解決方法です。
まず、投票所を地域の小学校か中学校の体育館にする。
投票箱は半透明か透明
その場で投票し、終了次第、その箱を開けて、手作業で開票。
複数の政党と一般市民の立会人が、チェック
集計した票数を本部に随時送る。
以上
本来、これで何の問題も無いはずです。
たとえば、有権者が10万人居る市で、10カ所の投票所で投票を行ったとすると、1つの開票所で1万人分になるわけです。
これを10人で開票すれば、一人あたり1000票の開票作業なのです。
1000票開票するくらい、機械を使わなくても、簡単に出来ますよ。
1時間あれば充分でしょ。
ようするに、私たちは騙されていたのです。
時間を節約するために、機械を導入する。
投票箱を開票所に移動する。
全ては騙しだったのです。
その場で開票する方が、はるかに速いし、正確だし、簡単でコストもかからない上に、不正選挙も起きないのです。
それをしてこなかったのは、不正選挙のためとしか考えられないのです。
この作業を、現地で見ることが出来るだけでなく、生中継するのも大事ですね。
皆で、選挙の開票を楽しむわけです。
これを実現するだけで、日本の選挙は、あっという間に変わると思います。
書きたいことは様々あるわけですが、今回選挙の仕組みを様々見てきて、出た結論は以上のことです。
有志の方々は、以上の仕組みを選挙で実現すべく、まず、都道府県議会議員選挙や市町村議会選挙から立候補してみてください。
町村議会なら、預託金が無料です。
以下
日本の公職選挙における供託金の金額および供託金没収点
選挙の種類 供託金の金額 供託金没収点
衆院選(小選挙区) 300万円 有効投票総数の10分の1
衆院選(比例代表区) 名簿単独登載者数×600万円
+重複立候補者数×300万円 (注1)
参院選(選挙区) 300万円 有効投票総数と議員定数(注2)の商の8分の1
参院選(比例代表区) 名簿登載者数×600万円 (注3)
都道府県知事選挙 300万円 有効投票総数の10分の1
政令指定都市の市長選挙 240万円
その他の市区長選挙 100万円
町村長選挙 50万円
都道府県議会議員選挙 60万円 有効投票総数と議員定数(注2)の商の10分の1
政令指定都市の市議会議員選挙 50万円
その他の市区議会議員選挙 30万円
町村議会議員選挙 (供託金は不要)
wikipedia
ちなみに、
各国における供託金の金額[6]
選挙 金額 没収点 備考
イギリス £500(約8万円) 小選挙区制で5%
アイルランド €500(約6万5千円) 単記移譲式でドループ基数の25% 政党公認候補と30名の推薦人を得た候補は免除
カナダ $1,000(約10万円) 小選挙区制で10% 収支報告の提出により没収免除
オーストラリア(上院) $2,000(約18万4千円) 優先順位付(単記移譲式)投票の1位票で4%
オーストラリア(下院) $1,000(約9万2千円) 優先順位付投票(Instant-runoff voting)の1位票で4%
ニュージーランド(選挙区) $300(約2万4千円) 5%
韓国 1500万ウォン(約135万円) 小選挙区制で10%
(15%未満は半額没収)
wikipedia
以上のように、日本の選挙システムは、世界的に見て極めて異常だということが分かる。
先進各国の供託金の金額は、5〜10万円
日本は300万円で、しかも不正選挙し放題だったのである。
小さい政党が潰れる。
有権者の声が反映されない。当然のことだと思います。
でも、それは変えることが出来るはずです。
ごくごく簡単な事なんです、本当は。
この記事は、広めていただきたいので、転載フリーとします。
転載する場合は、当ブログのurlを必ず入れてください。
よろしくお願いします。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/07/23/6913930
(徽宗追記)「阿修羅」の或る記事のコメントが、大事な事を言っているので、それも引用しておく。「不正選挙」防止と同時に、「B層への啓蒙」のための新しいマスコミが必要だ、ということである。
46. 2013年7月23日 17:30:24 : XZ2uHaevNs
>>35
>誰がどう考えても、 この選挙結果は自民党による不正選挙でしょう。
>日本人は、こんなバカではない。前回の衆院選で野田が当選してるのみて、私も「ありえねー、間違いなく不正あるなー」
って思ったけど、最近 周囲の人達やカミさん見てると、実際バカ8割…って可能性もあるな…と思っている。
みんな毎日の生活に忙しく、今 直接生活に影響していない原発やらTPPのことなど考える時間もあまりなく、職場で頼まれた自民党候補者によく分からないまま投票。
その後、挨拶まわりしている議員の「いや~ありがとうございました。」って笑顔に「いえいえ、頑張って下さい~」なんて笑顔で応え、その議員の政策など聞いたこともない……みたいな日常風景。
不正選挙があった可能性より、実は日本人はバカ8割…の可能性のほうが高いような気がする今日この頃…… -
「村野瀬玲奈の秘書課広報室」から転載。
最近の私のブログは共産党応援ブログになっていると感じている方もいるだろうが、実はその通りである。(笑)
私は「是は是、非は非」という主義であり、世間の常識とか空気とかを嫌悪するへそ曲がりな人間だ。そして傲慢な強者や弱い者いじめが大嫌いである。そういう人間が共産党に肩入れするのは何の不思議もないだろう。
その共産党の主義の対極にあるのが新自由主義であり、その代表が小泉元首相、竹中、橋下、石原、前原、野田、麻生、安倍、渡辺美樹(とうとう彼も議員様だ!)、三木谷、新浪、そして経団連の全員である。彼らは日本の庶民全体の敵だ、と私は思っている。
私は世間の貧乏人や中流階級の人間がなぜ共産党を恐れ、嫌悪するのか、さっぱり分からない。彼らは共産党に害を与えられたことは一つも無いはずであり、それどころか、共産党は庶民の権利を守るために常に戦い続けてきた、と私は考えている。(現在の日本の労働状況は、官僚と保守政権の手で、長い時間をかけて「労働三法」が切り崩され、骨抜きにされてきた結果だが、その労働三法を守るために常に闘ってきたのが共産党だ、と私は思っている。)
共産党への長年の迫害を考えれば、共産党員や共産党シンパであることを公言するだけでも大きな勇気の要る行為だろう。その逆に、体制(あるいは権力)に肩入れし、体制の犬になるほど容易な(そして下劣な)道は無い。私はそういう人間を軽蔑する。そういう人間がなぜ自分で自分を軽蔑せずにいられるのか、不思議である。(私がこのブログで引用してきたブログの筆者たちの中にも体制の犬になることを選んだ人間はかなりいる。その事は残念だが、「人はパンのみで生きるのではないが、パンが無ければ生きられない、」ということで、彼らはいわゆる「毒饅頭」を食わされたのだろう。けっして、彼らが進んで「庶民の敵」《=「現在の自民党支持者」》になることを選んだとは思わない。)
ただし、何度もこのブログで言っているように、私は共産主義自体は実現不可能なファンタジーだと思っている。しかし、宗教を基盤とする公明党のように、ファンタジーもまた現実的な力となるのであり、共産主義自体の是非よりも、「日本共産党」が日本の政治に起こしうる潜在的な力を重視するべきだ、と私は考えているわけである。言い換えれば、共産主義という一種の理想主義(私に言わせればファンタジー)は看板として用いつつ、より現実的な社会主義を政策にしていけばいいということだ。
そういうわけで、私は「共産主義(あるいはマルキシズム)には否定的な共産党シンパ」だと考えてくれればよい。
私は、下記記事の質問をした小学五年生を心から尊敬する。私が政治や社会についてまともに考えるようになったのは、やっと40歳を過ぎた頃からであった。下の小学生は、それ以前の私よりはるかに優れた精神を持っている。私は彼女の前に頭を下げたい。そして、自分たちの世代において、日本をこういう滅茶苦茶な状況にしたお詫びをしたい。
このような子供や若者が増えてくることが、日本が破滅から再生する道を開いていくだろう。
(以下引用)
「なぜ日本共産党は『白い目』で見られるの?」という小5の質問に答える田村智子・参議院議員
• ジャンル : 政治・経済
• スレッドテーマ : 日本共産党
まず、こちらをよろしければごらんください。
■選挙運動期間中、有権者が意思表示のためにできることをもう一つ提案。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4589.html
2013-07-19
さて、日本共産党の参議院議員・田村智子さんのホームページにあった記事。この小学校5年生の質問もいいけど、田村智子議員の答えもいいですね。私自身が繰り返し読むために転載させていただきましょう。
●田村智子ホームページ
おたより紹介08
■小学5年生から「なぜ日本共産党は『白い目』で見られるの?」という質問が寄せられました。
http://www.tamura-jcp.info/letter/letter09.htm
田村智子様、僕は小学校5年生です。
1つ質問があります。周りの人は、共産党は赤で自民党は良いが赤の共産党は信じてはだめだと、お父さんに言われました。
会社でも共産党というと仲間はずれになるそうです。でも共産党は弱い人や学費も払うのに困っている弱い人を助けているように思います。
なぜ白い目で見られるのか教えてください。
これからも田村智子さんの政治の仕事の成功を祈ります。
(小学校5年生)
あなたが5年生で政治や社会のことに目を向けていることに驚きました。
どこで日本共産党のことを知ったのかな、と興味も持ちました。
自分が日本共産党について知ったことが、事実にもとづくものであれば、自分の意見を大切にしてよいと思います。
なぜ日本共産党が「白い目」で見られるのか。
機会があれば冷静に、お父さんにも聞いてみるというのも、あなたが判断するうえでの材料になるでしょう。
日本共産党員である私からの説明をそのまま信じるのではなく、色々な事実にそって考えてもらえたらと思います。
私の意見は次の通りです。
日本共産党が「アカ」といわれたのは、日本が朝鮮や中国に軍隊を送り、アジアの国々を日本の領土にしようとしていた時代です。
日本は第2次世界大戦が終わるまで、天皇がすべてを決める力をもち、国民はみんな天皇の子ども、天皇のためにつくすことが一番大切とされていました。
そのなかで、日本共産党は、戦争反対、国民が主人公の世の中をつくろう、とよびかけました。 戦争反対、国民主権、このことを主張する人は、天皇に逆らう罪人、「アカ」といわれ、警察につかまったり、命を奪うようなひどい扱いをうけたのです。
いまでも「アカ」という言い方をする人がいるのは、とても残念です。
戦争が終わって、日本は、アジアに侵略した戦争は間違いだったと認めました。
日本国憲法には、国民主権、戦争放棄がはっきり書かれました。日本共産党が求めたものが、たくさんの人の命の犠牲のうえにみとめられたのです。
会社のなかで日本共産党員や共産党を応援する人が仲間はずれにされる、これもとても残念なことです。 私たちの国は、意見の違いで人間を差別することを禁じています。
仲間はずれは、おそらく会社の上の人(社長や役員)の意見によるものでしょう。
働く人を大切にする世の中をつくる、この日本共産党の主張が気に入らないのだと思います。 あるいは、日本共産党が会社をつぶそうとしていると、誤解しているのかもしれません。
私たちは、会社の上の人ばかりがたくさんのお金をかせいで、働く人の給料がとても少なかったり、 「会社のもうけのためだから」と、働く人を苦しめるようなやり方に反対しています。 そういう日本共産党の主張が通れば、「自分たちのもうけが少なくなってしまう」「会社のやり方に反抗するのは許せない」ということかもしれません。
しかし、どのような理由があっても、学校での「いじめ」が卑怯でゆるせない行為であるように、 会社での共産党への差別は、絶対にゆるされるものではないのです。
5年生のあなたにとって、政治のことは、これからたくさん学ぶ機会があるでしょう。
日本の歴史や、社会のしくみを学んでいくと、政党のこと、日本共産党のことも、もっといろんなことがわかってくると思います。
そういうなかで感じた疑問、意見など、またメールなどでよせてください。
それでは、元気に学んで、遊んで、あと1年と少しの小学校生活を大切に!
(田村智子)
(転載ここまで)
私、以前に「共産党差別」という記事を書いたことがあるけど、こういうテーマはこういう風に書くものだという一つの見本を見せてもらった感じです。
この小学校5年生の未来に幸いあれと祈ります。
