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「ちきゅう座」の記事を転載。
昨日に続いて鉢呂辞任(馘首)問題の話だが、下記記事に書いてあるのは全く正論であり、一つも付け加えることはない。マスコミもこれからは自分の発言を自分で縛ることになったわけだ。だが、マスコミを批判する記事はマスコミには載らないから安心、と思っているのだろう。
日本では「空気」がすべてを決定している、というのは山本七平の鋭い考察であり、批判だったが、今ではそれがむしろ当然視され、「KY」の人間(空気を読めない人間)の方が逆に批判される有様だ。
社会が空気を読んで行動することの弊害は、言うまでもなくすべてが空気を作る側の思い通りになることだ。論理には論理で対抗できるが、空気には抵抗する手段がない。その結果、昭和初期の日本は太平洋戦争に突入していったわけである。
そして今も、空気は日本社会を支配している。
(以下引用)
あまりにひどい鉢呂「失言」報道
2011年 9月 12日時代をみる メディア報道の在り方を検証する藤田博司
<藤田博司(ふじたひろし):共同通信社社友>
発足からわずか1週間の野田内閣で、鉢呂経済産業相が辞任した。辞任に追い込んだのは、鉢呂氏の「失言」を追求したメディアの報道だった。しかし一連の報道の中身はあまりにひどかった。これが日本のジャーナリズムのありようだとすると、暗澹とした気分にならざるを得ない。
8日に野田首相とともに福島県の原発事故被災地を視察した鉢呂氏は、9日の閣議後の記者会見で視察の印象を語った。そのなかで、人っ子一人いない市街地の様子を「まさに死の町のようなかたちだった」と表現したことが、被災地の人たちの感情を逆なでするものだとして「不適切だ」と批判された。批判を受けて鉢呂氏はその日のうちに発言を撤回し、謝罪した。
ところが10日の朝刊各紙は鉢呂氏の「もう一つの失言」を問題にした。8日の深夜、夜回りに来た10人ほどの記者と議員会館の前で囲み取材を受けた際、毎日新聞の記者に防災服の袖をすりつける仕草をして「『放射能をつけたぞ』という趣旨の発言をした」(毎日)というのである。他の新聞はどうやら毎日を後追いしたものと思われる。毎日は1面トップのほか、2面、社会面トップにも関連記事を載せて、大きく扱った。他の各紙も1面で扱うなど、大きなニュースに仕立てていた。
各紙ともこれで鉢呂氏に対する「批判が出るのは必至」「進退問題に発展する」などの見通しをそろって報じていた。そしてその見通し通り、その日の夜には鉢呂氏が辞任を発表する展開になった。翌11日の読売、日経、産経各紙は「経産相の辞任は当然、首相の任命責任も重大」と早々に辞任を支持する社説を掲げた。
報道のひどさが際立ったのは「放射能」発言をめぐる記事だった。まず、鉢呂氏の発言が実際にどうであったかがはっきりしない。各紙が引用した鉢呂氏の言葉がまちまちだ。朝日は「放射能つけちゃうぞ」、読売は「ほら放射能」、東京、産経は「放射能をうつしてやる」。わずか10文字にも満たない言葉なのに、一致しない。毎日に至っては、鉢呂氏に声をかけられたのが自社の記者だったというのに、「『放射能つけたぞ』という趣旨の発言」と、わざわざ「趣旨」とことわる不自然な書き方をしている。当の鉢呂氏も記憶にないと言っているから、真相はやぶの中だ。要するに、新聞が問題としている発言そのものがはっきりしない。この程度の事実をもとに閣僚の責任など、どうして問えるのか。
仮に毎日の報道した通りの発言があったとしても、どのような文脈でその言葉が語られたのか、記事を読む限りではわからない。「防災服をこすりつけるような仕草をして」というだけでは、鉢呂氏がどういう意図でその言葉を発したのか、推し量ることもできない。しかし新聞報道も、それを受けた与野党の政治家諸侯も、まるで鬼の首をとったかのように「閣僚としてあるまじき発言」などと息巻いている。夜回りの記者に対して鉢呂氏が見せた言動のごく一部を垣間見せられただけで、発言の状況や文脈を確かめもせず「閣僚としてだけでなく、人間として不適格」(石破自民党政調会長)などという、それこそ軽はずみな批判がどうしてできるのだろう。
政治家のお粗末な対応はさておき、問題はメディアの報道にある。前述のように各社の報道した鉢呂氏の発言内容が不確かな上に、その後、記者の側が当事者に発言の中身や真意を再確認する努力をした形跡がない。非公式な夜回り取材の場で(朝日によれば)「冗談まじりで」鉢呂氏が見せたという言動を、その進退を問うほどの問題として取り上げるなら、事実関係を十分確認し、本人の言い分も聞いたうえで報道するのがジャーナリズムの基本だろう。その基本を踏んだ取材をした様子が(少なくとも)紙面に載った記事からは読み取れない。この点は、先頭を走った毎日だけのことではない。後追いしたと思われるほかの各社も、確認や検証をしているようには見えない。
毎日は10日の朝刊社会面で、この失言に対する被災地福島の声を伝えている。「ふざけるな/あきれ、怒りあらわ」という見出しで、福島県民の怒りを紹介している。しかし福島で取材した記者は取材対象に鉢呂発言の内容や状況、文脈をどのように伝えて、声を聞いたのだろうか。鉢呂氏を取材した当事者の記者さえ「趣旨」を理解するのが精いっぱいだった発言の「不適切さ」を、福島の記者はどのように伝えたのだろうか。おそらく「怒り」の声を引き出すのに必要な材料だけを提供して、聞きたい声を聞いたということだろう。その結果、紙面は鉢呂氏の責任を追及する空気をあおるだけのものになる。(朝日も10日夕刊社会面で、同じような記事を掲げていた)。これが公正な報道といえるだろうか。
もう一つの「死の町」発言についての報道にも問題がなくはない。これは9日の記者会見で語られたことばだから、当然その内容については責任を負わねばならない。被災地の印象を「死の町」のようだと表現したことを、被災地住民の心情を理解しないもの、と批判することはできる。しかしこの「死の町」という表現が、どのような文脈で語られたのかは、新聞報道だけではわからない。
常識的に言って、住民が避難した後の、人の姿がまったく見えない市街地を見て「死の町」と感じるのはごく自然だろうし、それをそのままことばで表現することがそれほどひどく間違ったこととは思えない。(被災者に直接語りかけるような場ではむろん控えねばならないだろうが、一般論として被災地の印象を語る際に、その種の表現を使うことが非常識なこととは言えないだろう)。
しかしメディアの取り上げ方は鉢呂経産相の「死の町」発言を「不適切」と一方的に決めつけて揺らぐところがなかった。被災地や被災者への配慮、思いやりを錦の御旗に掲げると、まったくそれに逆らえないような空気が、この問題を伝えるメディアには漂っている。「死の町」発言を問題にするのも、冗談まじりの「放射能」発言を問題にするのも、この空気ではあるまいか。
3・11以降、メディアは「被災者に寄り添う報道」を半ば震災報道のスローガンにしてきた。それ自体、悪いことではないが、今回、鉢呂氏を辞任に追いやったメディアや政治の動きの背景にこうした空気があるとすれば、メディアとしては自分たちの振る舞いによほど用心しなければならないだろう。この空気は、うっかりするとメディア自身の手足を縛ることにもなりかねないからだ。
経産相に対して「死の町」という表現を「不適切」と批判したメディアは、今後、被災地を取材した時の記事で「死の町」に類する表現を使えるのかどうか。政治家は選挙民の神経を逆なでするようなことばはなかなか発せられない。選挙民が耳にしたくない事実を口にするのははばかることになる。しかしメディアは、真実を伝えるためには、読者、視聴者の嫌がることでも伝えねばならない。被災地の人々に不快なことでも、必要な事実は提示しなければならない。それができないとジャーナリズムの役割が果たせない。
鉢呂氏を辞任に追い込んだメディアが、その区別をしっかり自覚しているのかどうか。はなはだ心もとない。被災地に寄り添うために、無意識のうちに自分たちの手足を縛っているようなことはないか。今回の鉢呂「失言」報道を見ていると、正直なところ、危うさを感じてしまうのだ。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1605:110912〕PR -
「産経ニュース」から転載。
下記記事から分かるように、鉢呂経産省大臣は農水族議員であり、そうである以上TPPに対しては慎重派であるはずだ。そういう人間が経産省大臣であることはマズイと思う人間が、例の「放射能つけたぞ」をわざわざ大々的にニュースにして首にもっていったのだろう。そもそも、あんなのは冗談でしかない。まあ、幼児的冗談だが、それを記事にするほうがよっぽど悪質だ。これでは政治家は記者との接触などまったく不可能になる。おそらく、これからは公式記者会見以外でのインタビューは完全拒否するしか、政治家が身を守ることはできないのではないか。
あの松本龍と宮城県知事との会見での「これはオフレコだぞ」発言が完全に無視されて公表されて以来、政治家をめぐる状況は変わっている。もはや政治家の権威も権力もマスコミ以下なのである。
そういう状況がどれほど怖いものか、この国の国民は理解していないようだ。
下記記事は例によってTPP推進の内容である。これを転載したのは、鉢呂馘首(辞任ではなく、マスコミ主導の馘首だ)の深層にあるものを推理するネタとしての意味であり、記事内容はお笑いでしかない。
なお、山科恭介のブログも、鉢呂辞任事件では、私とほぼ同じ考えで書いている。彼も日本の政治状況・マスコミ状況にはつくづくうんざりしているようだ。
(以下引用)
原発再稼働 TPP…経済政策迷走へ
2011.9.10 23:45
鉢呂吉雄経済産業相の辞任により、日本の経済政策が迷走することは避けられない。鉢呂氏の発言は民主党の政権担当能力への疑問を抱かせ、原子力発電所の再稼働や環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉への参加など意見の対立が根深い問題について、野田佳彦政権が議論をリードすることが難しくなる。政府にとっては信頼回復という新たなハードルが加わった。
「どうして首相はわざわざこんな人を大臣に選んだのか。混乱は必至だ」。経産省幹部は鉢呂氏の辞任の知らせに天を仰いだ。
元農協職員、旧社会党出身の農水族という鉢呂氏は経産相としては異色の経歴の持ち主。「農水族だからこそ、TPP問題で産業界と農業関係者の仲介役となれる」「原発がある北海道選出の政治家として原発の地元を説得できる」と期待されての就任だったが、政策以前の「政治家としての資質」が引き金となって辞任に追い込まれた。
鉢呂氏は10日、辞任後の会見で「重い責任をもつ大臣として、期待があったと思っている。きちんと貫き通せなかったのは無念」と述べた。しかし鉢呂氏の言動は、野田政権全体への不信感を招いており、次の経産相が誰であれ、信頼回復から始めなければならない状況に陥った。
TPP交渉参加9カ国は11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議での大枠合意を目指し、協議を継続中。交渉参加が遅れれば、それだけ日本の要望を盛り込むことは難しくなる。
また、電力不足問題では、原発のストレステスト(耐性検査)の1次評価の結果が出る年内にも地元への説明を始めなければならない。山積する課題を前に、政権の信頼回復は一刻を争う。 -
「現代ネット」から転載。
値上げをする前に、東電幹部社員の給料を半額カットし、退職金は没収しろ、と言いたくなるが、まあ、本当のところ私は東電の電気料金はもっと上げてもいいと思っている。福島県民への補償は、東電の電気料金値上げで支払うことにすれば、東京の人間が福島の犠牲の上で享受してきた電力メリットへの罪滅ぼしになる。それに、自腹を切らないと他人の痛みは分からないものである。
これが、税金への上乗せで賄うことにすると、東京都の負担すべき分を全国民で負担することになる。まあ、よく東京の人間は、地方交付税交付金の配分に文句を言うが、あれはまた別の議論だ。
とにかく、「受益者負担の原則」は大事である。受益者負担の原則を捻じ曲げると、配分者(役人)の汚職の源泉になり、利用者(国民)のいい加減な無駄遣いが生じることになる。
高齢者医療費の膨大さも、根本原因は受益者負担の原則が弱いために無駄な医療費が膨れ上がったためだと私は見ている。いや、健康保険制度そのものがそうであり、ちょっとした風邪で病院に行く人間があまりにも多すぎる。まあ、それは市販の売薬が高すぎる、というせいでもあるが。
(以下引用)
値上げなんてフザケるな!東電 電気料金15%安くなる
【政治・経済】 2011年9月8日 掲載
高額報酬の9億円、ムダな宣伝費269億円、料金踏み倒し補填21億円まで原価に計上
どの面下げて「値上げ」ができるのか。東電が電気料金を15%程度引き上げようとして大ヒンシュクだ。停止中の原発の代わりに火力発電を増やすため、「火力の燃料費負担が収益を圧迫する」というのが値上げの理由だが、冗談じゃない。東電には燃料費“水増し”疑惑が浮上している。
東電の経営状況を調査する政府の「経営・財務調査委員会」によると、98年以降の料金コストのうち、燃料費などの予測値が実績値を恒常的に上回っていたのだ。
「原油相場や為替レートの変動で燃料調達費が左右することをいいことに、常に予測値を水増し。過剰に料金をつり上げてきた疑いがあります」(政府関係者)
こんなインチキが許されるのも、東電が奇怪な料金システムに守られているからだ。日本の電気料金は「総括原価方式」といって、必要なコストを積み上げ、そこに「適正な事業報酬」として3%を自動的に上乗せして決まる。
「普通の会社は売り上げからコストを差し引いた後に利益が確定します。利益を出すにはコストを削らなくてはいけない。電力会社は真逆の発想で、コストを増やせば増やすほど高い電気代を徴収できる。巨額な原発が乱立したのも、そのためです」(経産省関係者)
経営原理を無視した“ぼったくりシステム”がまかり通った結果、日本の家庭は米国の2.5倍、世界一高い電気料金を払わされているのだ。
しかもコストには何でもかんでも計上できる。経営・財務調査委員長の下河辺和彦弁護士(元産業再生機構顧問)が「こんなものまで原価に計上すべきか」と驚愕(きょうがく)したほどだ。
東電の電気料金の算出基準となる「電気事業営業費用明細表」(10年度)を見ると、年収7200万円と高額批判を浴びた勝俣恒久会長はもちろん、「全役員の報酬」8億6500万円のほか、全社員の「給料手当」約3000億円を計上。原発安全神話の宣伝やPR施設の運営に消えた「普及開発関係費」は269億円といった具合だ。
「こんなデタラメ料金、二度と払うか!」と言いたくなるが、コストには「電気料貸倒損」といって、不払い分の電気料金の補填費用が21億円も計上されている。
総額約1兆5000億円と、コスト全体の3割に上る燃料費の水増し分をキチッと精査し、高額給与やムダな宣伝費をカットすれば、値上げどころか、アッという間に15%の値下げだって可能である。 . -
映像による宣伝広告、あるいは洗脳は現代の愚民支配の一番の手法である。
NHKの番組などでカダフィ政権打倒の実現に喜ぶリビア民衆の姿が撮影されており、やはり一般民衆はリビア「革命」を喜んでいるではないか、映像こそが真実だ、という考えを持った人も多いだろう。だが、映像が真実だとは限らない。あるいは、映像は真実でも、その伝えるメッセージが真実だとも限らない。
藤永茂博士の「私の闇の奥」ブログへの、あるコメントが、「革命」前のリビアの様子をよく伝えているので、それを転載・紹介する。
下記記事にある、
「反カダフィ派への残虐行為などは為にするデマであり、むしろ反乱軍・過激派への恐怖から一般市民は「反カダフィ」の姿勢をとらざるを得なくなっているのではないか」
という見方が、おそらく正しいだろう。後に自国民100万人余りを粛清するポル・ポトがカンボジアの政権を握った時も、おそらく大多数の国民はそれを「喜んだ」はずだ。たとえ内心がどうであれ、「喜んでみせた」はずだ。そうでないと自分の命は無いかもしれないのだから。
我々の見る「映像の真実」というのは、そういうものでしかない。
(以下引用)
藤永先生が紹介されていたダイアナさんのインタビュー記事を読んでみました。英和辞書を引きながら、わからない単語や表現は読み飛ばしつつ、なんとか大意はつかめたと思います。
ダイアナさんのプロフィールが紹介されていましたが、とりわけカダフィ革命を擁護するような経歴を歩んできた人ではなく、本当にごく普通の市民です。
リビアでは、カダフィ革命後、識字率が向上し、人々の暮らしのレベルが飛躍的に向上していったこと、伝統的なイスラム慣習による女性への束縛が解かれたことなどが語られていました。藤永先生がブログでまさに示されていたことです。
①カダフィが打ち出した資源国有化によって生じた欧米との対立。②第四次中東戦争で生じたエジプトとの亀裂(エジプトはカダフィ体制転覆のためリビア東部の反体制派を支援工作)。③国富を官僚が吸い取ることなく国民に直接還元するためにカダフィが打ち出した刷新策に対して既得権にまみれた側近たちが示した反発…。こうした歴史的事実に触れながら、カダフィがいかに多くの敵に囲まれてこの40年近くの国家統治を進めてきたかが語られていました。そして、それ以前の時代のリビアよりも格段に良い成果(国民にとって)を短期間で生み出した点を評価していました。
もともとカダフィ体制の敵は多く、こうした勢力(海外に亡命していた勢力など)が政権転覆の時機をうかがっていたところ、今回の「アラブの春」を好機として動き出したという点(リビアの多数市民の意思と行動ではないという点)、そして、そうした軍事反乱に対して、どこの政府でも治安行為に出るのではないかという点が語られていました。反カダフィ派への残虐行為などは為にするデマであり、むしろ反乱軍・過激派への恐怖から一般市民は「反カダフィ」の姿勢をとらざるを得なくなっているのではないかとも見ていました。
リビアの政治は「直接民主主義」とは名ばかりで「独裁」にすぎないと叩かれていますが、ダイアナさんは、低い投票率の選挙の結果、少数の政党間で権力をたらいまわしし、国民の権利を制限する法律を次々に生み出していく現在の「民主主義国」の姿を指摘していました。インタビュアーもコラムの中で、例えばアメリカでニューディール政策を推進したフランクリン・ルーズベルト大統領などは明らかに「独裁的要素」を取り込んで統治に当たったといった事例を挙げていました。こうしたやりとりのなかで、現実の世界における「民主」と「独裁」の相対性を鋭く突いていました。
また、このインタビュー記事を読みますと、カダフィが個人資産を貯めこんでいたというのも怪しい情報のようです。
これだけでも検証が必要な事項が多数存在するのですが、マスコミは、反カダフィ・NATO側、欧米側の声だけを反映して報じている状態です。「カダフィは狂った冷酷な貪欲な独裁者、それに立ち向かう反カダフィ派と欧米を支持すべきだ」といった言論が日本社会を覆っています。
かつて、ベトナム戦争のとき、南ベトナム民族解放戦線を「ベトコン」の蔑称で呼び、米軍側の情報しか伝えなかった主流マスコミのなかで、初めて解放戦線側に入りもう一方の側の声や実態を伝えたのが本多勝一さんという日本人ジャーナリストでした。ベトコンの残虐行為などはほとんどがデマということもわかり、むしろ米軍の残虐行為がその後次々と浮き彫りになりました。
リビアについては報道がまったく一元化してしまっていますので、藤永先生のブログやダイアナさんの声など限られた貴重な情報から判断していくことが求められます。
投稿 櫻井元 | 2011/09/02 02:28 -
「現代ビジネス」の佐藤優の評論の末尾のみを転載。(引用1)
福島原発事故によって日本経済のネックがエネルギー問題になったわけだが、ロシアはサハリン3計画を日本に提案する可能性がある。(引用2、引用3参照)
つまり、海底の液化天然ガスを日露共同で開発し、それを日本に供給するわけだ。すでに共同開発事業・サハリン2は実現している。
日本の右翼は反共主義からのソ連嫌いが多く、その延長でロシア嫌いが多いが、今のロシアはただの資本主義国にすぎない。それにロシア人は全体的には親日家が多いという。かつての日露戦争はロシア王家と日本が戦ったに過ぎず、逆に日露戦争のおかげでソビエト革命が実現したとも言える。つまり、ロシア国民にとって日本はけっして敵ではない。
そして、ロシア連邦には広大な土地と豊富な資源があり、これからの経済発展はほぼ確実である。日本の商社などはすでにロシア参りをしている会社も多いだろう。サハリン2はその一端である。
ロシアの資源と土地を日本人が協力して開発したら、鬼に金棒である。資本も日本には豊富にある。何なら、米国債を全部売ればいい。(笑)
ロシアについてはまったく知識がない人も多いだろうから、ロシアの政治状況について(引用4)を転載しておく。
(以下引用)
コーシキン教授、パノフ教授という対極的立場にある日本専門家のコメントを通じ、ロシアは野田新政権を日露経済協力に誘おうとしている。ロシアは日本経済のネックがエネルギーにあると認識している。野田新政権の原発政策を見極めながら、ロシアはLNG(液化天然ガス)カードを切ってくると筆者は見ている。
(引用2「ウィキペディア」より)
サハリン2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
サハリン-2 プロジェクト
国 ロシア
地域 サハリン州
陸上/海上 海上
運営者 サハリン・エナジー社
共同運営 ガスプロム、ロイヤルダッチシェル、三井物産、三菱商事
開発史
発見 1984年 (ルンスコエ); 1986年 (ピルトン・アストフスコエ)
開発開始 1994年
生産開始 1999年
生産
原油生産量 395,000 barrels per day (~1.97×107 t/a)
ガス生産量
(1日平均ミリオン
立方メートル) 53
推定原油埋蔵量 1,200 ミリオンバレル (~1.6×108 t)
推定ガス埋蔵量
(ミリオン
立方メートル) 500
サハリン2(ロシア語: Сахалин-2)プロジェクトとは、サハリン州北東部沿岸に存在する石油および天然ガス鉱区と関連する陸上施設の開発プロジェクトの名称。サハリン・エナジー社(en)がプロジェクトのオペレーターを務める。
このプロジェクトにおいて、ロシアで初めて天然ガス液化プラントが建設された。このことはロシアのエネルギー政策上重要な意味をもち、後、ガスプロム社が強引にサハリン・エナジー社の株式を取得した理由のひとつとされている[1]。なおプラント建設工事は2003年日本の千代田化工建設、東洋エンジニアリングがロシア企業と共同で受注した[2]。
(引用3「ウィキペディア」より)
経緯 [編集]
サハリン島周辺に豊富な化石燃料資源が存在することは早くから予想されていた。その中で、1991年にソビエト連邦政府はサハリン北東部沖の2鉱床(ピルトン・アストフスコエおよびルンスコエ鉱区)の開発を国際入札を用いることを発表した。この入札には複数の会社が手を挙げた。
1994年にロイヤル・ダッチ・シェルと三井物産、三菱商事の三者が合同でサハリン・エナジー社を設立し、ロシア政府と生産物分与協定(PSA)を締結した。
サハリン・エナジーへの出資比率は英蘭シェルが55%、三井物産25%、三菱商事20%であり、開発にかかる総費用は当初約200億ドルと見積もられた。
1999年には第1フェーズ原油生産が行われ、さらに2001年に全体開発計画がロシア政府によって承認された。
2008年中の本格稼働を目指し、最終的には日量18万バレルの原油生産、天然ガス産出量はLNG換算で年間960万トンを見込んでいた。これは日本の総輸入量のそれぞれ4%、18%に相当する。開発計画は順調に進行し、1997年にはピルトン・アストフスコエ鉱区の第1段階開発計画が承認された。
2009年2月18日、日露両首脳が出席する中、サハリン2の稼動式典が行われた[7]。
(引用4「ウィキペディア」より)
国際地位の向上 [編集]
2000年に大統領となったプーチンは、国内の安定と政府権力の強化を目指し、ロシア経済を半ば私物化していた新興財閥「オリガルヒ」の解体に乗り出し、石油・ガス会社ガスプロムの国有化をはじめ、親欧米・反政府的なオリガルヒはプーチン時代を通してほぼ一掃された。また、政権初期に頻発したテロの報復としてチェチェンへの軍事作戦を再開するとともに周辺各共和国への締め付けも図った。報道管制も強化し、反政府的な報道機関は露骨な圧力をかけられた。対外的には、上海協力機構を通じて中華人民共和国との関係を強化し、また中央アジア各国とはエネルギー開発の面での協力を強めた。ウクライナで親西欧政権ができると、ガス供給停止措置を採ることで圧力をかけ、間接的にドイツやフランスへの自国の影響力を誇示した。また、就任当初は蜜月と言われた米国との関係も、イラク戦争・イラン核疑惑といった諸問題を扱う中で悪化、米国による東欧のミサイル防衛構想によって冷却化しているが、首脳同士の懇談は頻繁であり、かつての冷戦とは違った様相である。プーチンが行った事業はいずれも強圧的で批判が多いものの、結果的にはロシアの国際的地位を向上させている。これにはプーチン政権発足後から続くエネルギー価格の急騰により、対外債務に苦しんでいたロシアが一転して巨額の外貨準備国となり、世界経済での影響力を急速に回復した事も寄与している。2007年には2014年の冬季オリンピックを南部のソチで開催するソチオリンピックの招致に成功した。
2008年に側近のドミートリー・メドヴェージェフが大統領に就任したが、プーチンも首相として引き続き残留しており、プーチン政権時の政策は今後も継続すると思われる。同年、メドヴェージェフ大統領下で南オセチア問題を原因とする南オセチア紛争が発生。これはソ連崩壊後、初めての対外軍事行動となっている。これらの行動から国際政治での多極主義を唱えて、ロシアが新たな一極となろうとしていると思われる[誰?]。事実、「アメリカの裏庭」であるベネズエラ、エクアドルなどの反米的な中南米諸国との関係を強化している(逆にアメリカは「ロシアの裏庭」であるウクライナ、グルジアなどとの関係を強化している)。このように、冷戦終結後の一極主義の維持を目指すアメリカ側と対立する「新冷戦」の開始をもいとわないとも見られ、緊張状態が続いている[要出典]。 -
「阿修羅」より転載。
右翼新聞の産経の記者がこのような官僚批判を書いたことに驚くが、
「今の日本には国家の進路やビジョンを持つ責任ある政府は不在、リーダーも不在、顔の見えない官僚集団が財務官僚を頂点に自己の権益拡張に奔走しているだけです。」
という田村記者の発言は、この国の政治の本質を突いている。
官僚による政治支配の根本にあるのは、政治家の大多数の政治的無知と無能力(それはあるいは人の良さだ)であり、彼らは自分の知識に自信がないから官僚の指示(判断は相手に仰ぐと見せかけながら、実は最初から選択肢は一つしかないと示されている)に唯々諾々と従うのである。上辺は政治家に従うように見せながら、自分の望むように政治家をコントロールするのが高級官僚の腕の見せどころだ。
要するに、政治の実務に関する情報は、官僚の手の中にしかないのである。政治家は意気込んで官僚改革に乗り出すが、彼らから政治の実務を聞いて、「目から鱗がおちました」となり、易々と彼らの教唆(実質的命令)に従うようになる。ミイラ取りがミイラになるわけだ。かくして大臣の座にはミイラならぬ、ゾンビ大臣が顔を並べることになる。
(以下引用)
顔の見えぬ官僚に支配される政権、沈む日本・・政治を動かす財務官僚の「経世思想」を問え
http://www.asyura2.com/11/hasan73/msg/104.html
投稿者 尚林寺 日時 2011 年 8 月 31 日 11:30:35: JaTjL5JPya4go
http://tamurah.iza.ne.jp/blog/entry/2424017/
民主党代表選で増税路線の野田佳彦財務相が選ばれた。見事なまでの財務官僚の勝利である。前任の菅直人氏の場合も財務相時代に「洗脳された」(海江田万里氏)し、首相になってからは何でも増税路線で突っ走った。「政治主導」を掲げて登場した民主党政権がいとも簡単に、また、自民党政権時代以上に、財務官僚主導になってしまった。問いたいのはここまで政治を動かす財務官僚の「思想」、言い換えると天下国家をどうしようと考えているのか、という点である。
財務官僚はまず答えるだろう。増税しなければ財政再建できない。日本はギリシャみたいになる。公的総債務が国内総生産(GDP)の2倍に達するのに、消費税を5年ごとに増税しないと社会保障財源は確保できない。東日本大震災からの復興財源も所得税、法人税などの増税により現役世代が負担するしかない、と。
この財政足し算引き算の発想は、国家公務員上級試験の定番の設問になっている「財政均衡乗数の定理」と呼ばれる理論の裏付けがある。この定理は、たとえば「20兆円増税して20兆円使ってしまえば、景気は20兆円分刺激される」(伊藤元重東大教授)というのだが、いくら増税してもその分支出に回せば景気がよくなるというなら、そもそも財政問題など生じえない。この浮世離れした論理をうのみにしたのが、菅、そして野田の両氏であり、何でも増税容認路線を突っ走る。
増税は家計や企業から所得を奪い、需要を縮小させる。1997年度の橋本龍太郎政権による消費税増税を中心とする緊縮財政は阪神淡路大震災後の復興基調をブロックしたばかりか、日本経済を慢性デフレに追い込んでしまい、現在に至る。デフレ下で一般会計税収全体は縮小の一途をたどり、財政の基礎的収支(プライマリーバランス)悪化を引き起こしている。なのに、過去の教訓を省みることなく、財務官僚は財政再建=増税の一点張りである。与謝野馨経済財政担当相のように、脱デフレよりも財政再建、つまり増税を優先するという発想である。
そんな論理で政権を引っ張るなら、消費税、所得税、法人税の税率を引き上げるとその計算通り税収は増えるのか、デフレは解消し景気は回復するかという根本的な設問に、財務官僚はきちんと答える義務があるはずだが、答えは「内閣府が経済計算している」。
実態は「内閣府の経済見通しは財務官僚の指示通りになっている」(内閣府エコノミストOB)ようだが、小ざかしい官僚に実務的な問いを重ねてもむなしい。むしろ、財務官僚には国家パワーエリートとして、堂々と日本国をどうするのか、語ってほしい。デフレでも増税しても円高でも、日本という国はよくなる、というなら、聞いてみる価値は、官僚追随の野田氏よりもあるかもしれないのだ。(産経新聞編集委員・田村秀男)
追記)
小論の意図は、「政治主導」と銘打った民主党政権の無能、自壊の裏で進む、得体の知れない官僚なる集団と組織による国家支配の危険性に警鐘を鳴らすことにあります。
ポストもくるくる変わり、誰が責任をとるのかも曖昧模糊とした官僚は、それをよいことに無謬(誤りを犯さない)の神話を演出しているのです。
そんな集団が日本国を支配していることに変わりないのですから、ならば、天下国家を論じてみよ、と問いかけたのです。もちろん、彼らは無反応、そんな挑発に乗るはずはありません。もとより、天下国家を論じ、論戦を戦わせるのは基本的に政治家の役割であり、この肝心の政治の機能が無能力と使命感や責任感の欠如のために失われていることこそが民主党政権の恐るべき現実です。であればこそ、財務官僚が国家政策を主導するという化け物のような政官体制になっているわけです。
今の日本には国家の進路やビジョンを持つ責任ある政府は不在、リーダーも不在、顔の見えない官僚集団が財務官僚を頂点に自己の権益拡張に奔走しているだけです。(中略)
拍手はせず、拍手一覧を見る
コメント
01. 2011年8月31日 12:10:17: Pj82T22SRI
>財政均衡乗数の定理
均衡予算乗数定理のことか
流石に、彼らも、これが正しいと信じていはいないだろう
もっと単純に、政府債務がGDP比で発散することと
自分たちの管轄する既得権が減ることを恐れている
ただ、いいかげん、官僚に責任転嫁して、政治の無策を誤魔化すのは止めた方がいいだろうね
人事権があり、いくらでも民間から登用することはできるのだから
実際は、政治家が構造的に無能にされてしまう日本の仕組みにあり
その根本は大部分の国民が無知で無関心で愚か過ぎるということだ
それでも大部分の外国よりはマシだから、あまり文句は言えないなw
http://abcr.co.jp/assets/media/2011_1g_keizai_6_p180_p187.pdf
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1010318070
02. 2011年8月31日 16:41:49: Ts9mvepc96
何か気になるなぁ・・
大財政赤字なのに、富裕層高額所得者や、議員や年功序列公務員の一人当たり人件費の大幅見直しもできない。
まさか国民第一ではなく、議員や公務員第一を考えてるのかと思ってしまう。
まさか国民第一ではなく、議員や公務員第一を考えてるのか?
03. 2011年8月31日 20:00:26: TUAFQ8sImY
野田首相よ、国債日銀直受け派の馬淵を財務大臣に抜擢せよ!
■フランスの所得格差がヤバイ …でも日本はもっとヤバイ
パリ(ロイター通信)
貧困層はより貧しく、・・・拡がる格差
2009年におけるリーマンショックに端を発した経済不況では、多くのフランス人が生活に直接影響を受け、
特に貧しい人々に大きな打撃を与えたとの調査結果をフランス国立統計経済研究所が今週火曜日に発表した。
貧困ラインは平均的な生活水準の60%未満となっており、2011年度で言えば月々の所得が約10万5千円以下の人々という事になる
(これは毎月の最低賃金の71%ほどである)。
また、この貧困層は2008年度から33万7000人増加し、現在では820万人の国民が貧困ライン以下の生活を余儀なくされている。
フランスの場合、2010年度の人口が約6,278万人である事から、人口の1割以上が最低ライン以下の生活を送っている事になる。
2009年度の貧困率は13.5%に達し、2008年から増加した。また、820万人の内の半数は1ヶ月当たり8万円以下で生活をしている。
そしてこの半数の人々は、光熱費・住宅費・食費を除けば自由に使える金額が月々約2万7千円ほどでしかない。
より厳密に作られた貧困の「程度」を示す数値(これは貧困のラインと実際の貧困層の平均所得の差を示す数値)は5年間で19%も悪化し、
失業率に関しては2008年度では7.4%で合ったのに対し、2009年には9.1%にまで増加したのだ。
こうした危機的状況から回復させるため、フランス政府は2008年後半から貧困層である400万世帯に対して月々約2万2000円の支給と、
学費として約1万6千円の支給を行うとした。
この政策は、2009年度における貧困率を0.2%低下させる効果を生んだとしている。
補記:日本の貧困率とフランスの大学制度
日本の2009年度の貧困率は16.0%(フランスは13.5%)で過去最悪の水準となっている。
生活保護の受給者は、2010年度に日本で198万人(143万世帯)を記録した。
一方、フランスでは約300万人が何らかの生活保護を受けている。
一見すると日本よりもフランスの方が深刻に見えるが、日本では所得が生活保護支給基準以下となっていても、
約10~20%ほどしか受給できていない。
一方で、フランスなどのヨーロッパ先進国では保護基準以下の場合80~90%の人々が受給出来ているのである
(ちなみに、フランスで受給できない人は基本的に住所不定か書類上の不備がある人である)。
また、子どもの学費に関してもフランスは日本と比べて大幅に安い。
フランスでは学費の高騰が問題になっていたが、それでも大学では年3万円にも満たないのだ。
(ただし、学部ではなく特殊な専門課程に進む<MBA取得など>場合は日本の学費と近くなる)。後略。
http://blog.livedoor.jp/panda_translator/archives/51886027.html
>こうした危機的状況から回復させるため、フランス政府は2008年後半から貧困層である400万世帯に対して月々約2万2000円の支給と、
>学費として約1万6千円の支給を行うとした。
日本で、こういう直接給付(大人手当て)政策を国債日銀直受けを財源にして実施すれば、
「失われた20年」と呼称される長きにわたるデフレから脱却できるのになぁ。
野田首相よ、国債日銀直受け派の馬淵を財務大臣に抜擢せよ!
04. 2011年8月31日 20:12:09: Pj82T22SRI
>>03
国債日銀直受けするかどうかは関係ないよ
逆にインフレが5%になっただけでも、貧困層の実質生活水準はかなり下がる
急速に進む高齢化の効果を除去した後の、真の貧困率の改善にとって重要なのは、
BIなど再分配と社会保障改革を行うかどうかだ
05. 2011年8月31日 22:43:02: YRyE4hspJA
野田になった事でアメリカへの年貢の提供が加速する。
06. 2011年9月01日 18:11:47: BC6djvcU8Q
顔の見えぬ官僚に支配される政権?
バカなことを言うな。
一人一人顔が有るじゃないか。
議員官僚第一を考えているようなことだから顔が見えなくなるんだ!
国民第一を考えたら必ず顔は見えるようになる。
国民が議員や官僚を支配?していることを忘れるな! -
現代を「新帝国主義の時代」と規定すれば世界政治の真の姿が見えてくる。新帝国主義とは、要するに「カモフラージュされた帝国主義」であり、戦いの内容が植民地争奪の戦争(土地そのものを奪い合う戦争)から石油利権や貿易利権などの実質的利権争奪の戦争に変わり、口では詭弁的弁明を述べながら実際には強盗行為を行う帝国主義である。
かつては「力は正義であり、強い国が弱い国を切り取るのは当然である」と考えられていた。これが帝国主義である。今は強盗行為をする際にいろいろと口実を言うようになっただけである。
佐藤優氏は自らを右翼と規定している人物で、私と思想的立場は反対だが、世界政治認識においてはまったく同一である。つまり、現代世界は「新帝国主義の時代」であるという認識だ。
書かれた本の一部だけを引用されるのは不本意だろうが、該当部分だけを引用する。
(以下引用)*原文は縦書きのため数字表記のみ変更。
2008年9月のリーマン・ショック以降、米国発の新自由主義経済の限界が明らかになった。主要国(少し昔の言葉で言えば列強)は、口先では「保護主義に反対する」と言いながら、実際には保護主義的傾向を強めている。主要国はエゴイズムを露骨に示し、まず、自国の要求を最大限に提示する。そしてそれに対して他国からの反発が大きく、結果として国益を毀損することになる場合にだけ、国際協調に転じるという勢力均衡外交が復活している。かつての帝国主義外交の復活だ。もっとも、19世紀後半から20世紀前半の帝国主義外交では、植民地の獲得が大きな争点だった。植民地の時代は過ぎ去った。それは、世界が文明化し、人道的になったからではなく、植民地を維持するコストよりも、主権国家間の貿易や外交という手段の方が、主要国の国益に適うからである。それだから21世紀は、新帝国主義の時代であると私は考える。日本は、米国、ロシア、中国、イギリス、ドイツ、フランスなどとともに、周辺国に決定的な影響を与える帝国主義国である。帝国主義国としての責務を自覚し、品格のある形で国家の生き残りについて考えなくてはならない。
国家には生き残り本能がある。新帝国主義のゲームのルールも、帝国主義と同様に「食うか、食われるか」だ。日本国家としては、自国と自国民が食われることがないように総力を結集しなくてはならない。
(引用終わり。以上、「日本国家の神髄」のまえがきより)
この後に、「日本の国家体制を強化する思想が必要なのである。その思想は、現実に役立たなくてはならない。日本国家と日本国民の生き残りに資する思想でなくては意味がない」と続けて、『国体の本義』という書物の研究に入っていくわけだが、そこで述べられた皇室中心の国体がはたしてこれからの日本にとっての最適解かどうかは問題だろう。ただし、それも解の一つである、というのは心情左翼の私も認める。つまり、日本の歴史は天皇を中心とした歴史であり、歴史の転回点で天皇の存在が大きな意義を持ってきた、というのは確かである。そして、政治的「権力」を持たない天皇が、ある種の「権威」となって、揺れ動く社会のバランスを取る重心のような存在になってきたというのは、世界史的にみてもまったくユニークであり、あるいはこれは日本という国の貴重な財産ではないかと思っている。
しかし、そういう皇室尊重の姿勢が行きすぎて「国家神道」まで復活されると、これはまた最悪の事態であるとも思う。すなわち、国民全員がマインドコントロールされた社会は、確かに「国家維持」や「国家生き残り」の面では有効だろうが、それが国民にとって幸福な社会だとは言えないだろう、ということだ。もちろん、明治から昭和前半までの天皇支配下(実質的には天皇を神輿とした官僚支配だが)の社会でも国民はマインドコントロールされながらも幸福であったと考えることもできる。それはカトリック支配の西欧中世でも同様だろう。いや、マインドコントロールの無い社会は存在しない、とも言える。では、そういう社会を容認するべきか?
山上たつひこが初期の短編「光る風」で描いたように、争闘の無い究極のユートピアは社会構成員全員が同じ思想になることである。つまり、まったくの機械になることだ。言い換えれば「時計仕掛けのオレンジ」になることである。それは為政者が望むユートピアだ。だが、そんな社会での人間は、生きた人間ではない。 -
藤永茂博士の「私の闇の奥」から一部転載。
リビア戦争は、その不徳義性から見て現代の「阿片戦争」と言っていい。どこをどう探してもモラルのかけらもない侵略戦争である。それが示すのは、世界はまだ帝国主義の時代にあるということだ。
世界はモラルと政治においては(経済も含めてもいいが)何一つ進歩していない。
かつては自国の利益のために他国を侵略することは当然の権利と認められていた。だから、帝国主義的侵略者の代表的存在であるセシル・ローズなどは当時の先進国全体の英雄だったのである。日本の韓国併合や中国侵略は、当時の世界の風潮から言えばある意味当然の行為であったのだ。(←この部分だけをコピーして引用すれば、私も立派な右翼ということになるだろう。あわてないで、後を読んでほしい)それが時代のエートス(気風)というものであり、後世のエートスによって過去のすべてを断罪するのは確かに正しいとは言えない。しかし、また、人類普遍の道義というものもあり、帝国主義的侵略はその観点から見れば当時でも現在でも犯罪的行為であることは間違いない。
要するに、アングロサクソン諸国、あるいは白人国家は世界にとって災厄でしかない、ということだ。彼らの性根が変わることは永遠にないだろう。彼らはもともと海賊やバイキングの子孫であり、自分で生産することを馬鹿にし、他人の生産したものを奪うことを当然とするモラルで生きているのである。
それは金融界や経済界においても同様である。奪うためには、自分たちがルールを作る立場になればいい。都合の悪いルールはいつでも変更すればいい。スポーツでも同じことだ。弱体化して国家の威厳が失われれば、黒人をイギリス人やアメリカ人として出場させればいい。メダルの数を確保すればそれで威厳は保たれる。芸術でも学問でも同じことだ。自分たちが評価する立場になればいい。それを世界の常識とすれば、ノーベル賞などが白人の権威づけに使われていても、たまに非白人が受賞するだけであの猿どもは大喜びだ。
これが世界を自分たちの植民地として看做す白人の思考法である。
(以下引用。途中省略あり)
カダフィの政府軍による大虐殺からリビア国民を守るという名目の下に開始されたNATOによるリビア空爆は、想像を絶する物凄さで行なわれました。8月23日のNATOの公式発表、:
http://www.jfcnaples.nato.int/Unified_Protector/page190905552.aspx
によると、過去五ヶ月間にNATO空軍機の出撃回数(sorties)は2万回を超えました。一日あたり130回の物凄さです。
対地攻撃を行なった戦闘爆撃機が一機に複数の爆弾や誘導ミサイルを搭載しているとすると、正確激烈な破壊力を持った数万の爆弾やミサイルがリビアの人々の上に降り注いだことになります。リビアの人口約650万人、人口的には福岡県と佐賀県を合わせた位の小国です。ミサイルの標的が戦車であれ、輸送車両、船舶であれ、カダフィの住宅であれ、放送局、大学であれ、無人ではない場合が普通でしょうから、多数の人間が殺傷されたに違いありません。8月上旬に、NATO空爆による死者2万という報道がちらりと流れたことがありましたが、あり得ない数字ではありません。しかも、NATOの反政府軍支援は空爆に限られたわけではありません。大型ヘリコプターなどによる兵器,弾薬,物資の補給も行なわれ、地上でも多数のNATOやCIAの要員が間接的に参戦した模様です。しかし、こうしたNATOの活動の具体的報道は殆ど完全な管制下にあります。これだけの規模の軍事暴力が、国際法的には全然合法性のないままで(UNの決議内容をはるかに超えて)、人口数百万の小独立国に襲いかかったのです。
(途中省略)
ANC(徽宗注:南アフリカ政府与党)はリビアの内戦の始めからNATOによる爆撃に一貫して反対し、その停止を求めてきました。党青年部幹部の一人は「国外に侵略行為を及ぼさず、国内の市民の大部分が平和で順調な日常生活を営んでいる独立国に対して、外国が一方的に軍事攻撃を加えて、その市民の生活を破壊することは断じて許すことが出来ない」と発言していました。私も全く同感です。 -
「山科恭介のブログ」から転載。
何も言う必要はない。これほどすぐれた評論を読んだのは久し振りだ。(福島原発事故直後の「反戦な家づくり」明月氏の、「政府は福島を核廃棄物処分場にするつもりではないか」という推理以来である。)政治の表層から透けて見える深層を分析するその論理は、まさしく名探偵そのものだ。
小沢について論評する人間は、その前に、何も言わず、これを読め、と言いたい。
政治家個人の人間性に対する深い洞察があって初めて政治現象の深層が見えるということだろう。
(以下引用)
政治力学の表層
2011.09.01 (Thu)
今の日本で、最も政治家らしい現役政治家を一人だけ挙げよ、という質問があったとき、100人のうち100人が、小沢一郎の名を出すだろう。
ところが、1000人いたら、そのうちの一人ぐらいは馬鹿がいて、別の名前を言ってしまう。
そしてそれが1億2000万人になれば、小沢の名を挙げるのは、せいぜい2000万人ぐらいで、残り1億人は別の名を挙げるか、ダンマリを決め込む。
これが日本の現状だ。つまり、猿の列島である。(笑)
私は、この度の民主党代表選を面白可笑しく拝見させてもらった。
ただ、少し前から世情に疎い生活をしているので、よく理解できない状況もあってか、一体何がどう展開しているのがが、いまいち判らなかった・・・・
尚、本稿中段以降、あるシミュレーションを提示するが、こういう一つの考え方は、実際に政治の場で実現するかどうかは別にして、多くの人達に、こういう角度からも物事を考える余地があるのだということを判って貰いたいと思い、敢えて時間を割いて披瀝することにした。
私は、この種の考えにかなりの自信があるが、賛同して貰えるかどうかは判らない。
しかし、否応なく訪れる現実が、それを証明するだろう。
小沢一郎が推す海江田万里が代表選に負けたことで、ガックリしている人も多いと思うので、遅ればせながら残暑見舞いだ。(笑)
結論から言えば、
あれは、小沢陣営の敗北ではあるが、小沢一郎の完全勝利である。
小沢政治哲学の真髄は、あらゆる具体策がもたらす失敗の連鎖により、目に見えないその奧に流れる思想が次第に現実世界に顕在化してくるということにある。
姿かたちを変え、その本質までもが疑われる中で、それでも貫かれている一本の筋が存在しているわけで、それが小沢の政治哲学であり、彼の生き方そのものだ。
これで小沢は終わりだとか、もう消えていくしかないとか言っている馬鹿がいるが、小沢が消えていくのは、自らの捨て身の意志であり、それは二年後だ。今ではない。
かつて、民主党代表であった前原誠司が 「メール問題」 の責任を取った形で党代表を辞任し、2006年4月、小沢一郎は菅直人を破り、民主党代表の座に就いた。
多くの人が承知しているこの出来事が、実は 「スタート」 だったのだ。
だが、その後実現する政権交代へのスタートという意味ではない。
そして、2007年7月、参議院通常選挙にて民主党は小沢代表の下、参議院第1党となり過半数を獲得、鳩山、菅、小沢のトロイカ体制と共に、前原、岡田を加えた挙党態勢を築き、政権交代へと臨むこととなる。
この、一見当たり前と見える 「挙党態勢」 は、今後、本格的な民主党政権が誕生するための布石である以上に、本質的な問題を含んでいた。
だが、その本質は、世間一般で言われるような、<確執> ではない。
ところが、代表小沢一郎は、こともあろうに、同年11月2日、自民党との大連立構想を打ち出す。政権末期の自民党を率いていた福田康夫との秘密裏の大構想だったが、事が公になると民主党内からの大反発を喰らい、混乱の責任を取って小沢は代表辞任を表明するが、鳩山由紀夫の説得をうけ、同年11月6日、代表続投を表明し、翌7日、両院議員総会にて続投が承認された。
この時の小沢一郎の真意を誤解している多くの人間達がいる。
それは同じように、自民党福田康夫の真意をも誤解していることに繋がる。
福田は退陣の折、重要な言葉を残している。
「私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたと違うんです」
多くの人々は、海江田万里を担いだ小沢一郎に幻滅していると言い、また、鳩山由紀夫にまたもや騙されたとも言っていた。
事あるごとに小沢一郎は鳩山由紀夫に騙されたとか、利用されたとか言っている人間が多くいるが、私にはそういった人間の考え方が理解出来ない。
彼らは一体何をさして、そう思い、そう言っているのだろうか?
代表選に限らず、多くの選挙戦の時に表明した小沢一郎の言説がその通りにならず、また、鳩山の右往左往する態度や言動をみて、そう思うのであろうか。いつも小沢一郎は、自分の意に適わず、鳩山に言いくるめられているとでも思っているのだろうか。
もしそうなら、彼らは、鳩山由紀夫のみならず、政治家小沢一郎をも馬鹿にしていることになる。
私は、小沢一郎という政治家は、日本憲政史上屈指の政治家だと思っているので、彼がそんなトンマな事を繰り返すとは、到底思えない。
もっとも、小沢とて人間だから、そして人の良いことで有名だから、一度や二度は些細なことで人に騙されたこともあるだろう。自分で失敗したと思った時もあるに違いない。
しかし、表向き盟友と言って憚らない鳩山に、何度も騙されるなんてことがある訳がないじゃないか。(笑)
しかも、それらはみな、小沢の政治生命に関係している事柄だ。
鳩山由紀夫が小沢を陥れるなんて、馬鹿も休み休み言えよ。
鳩山は、おっちょこちょいだ。(爆)
ろくすっぽ政治の本質を考えないで行動するお坊ちゃま政治家であることは確かだ。
だが私財を投じ、政党を作り、一国の総理まで経験した政治家が、世間が言うようなオバカであるはずがないだろう? ましてや、彼の立ち振る舞いが腹黒い行動だと感じてしまうのは、その人間が腹黒いことと同義だよ。(笑)
鳩山が小沢を潰そうと思ったら、そんなチャンスは幾らでもあるし、小沢とて鳩山を潰すことは容易に出来たはずだ。
そんなタヌキとキツネの騙し合いみたいな、まどろっこしい手は使わないよ。彼らは共に、この日本を代表する政治家だ。(笑)
さて、冗談はともかく、本題に入ろう。
小沢一郎は、1942年5月24日生まれで、現在、69歳である。
彼は最近、「最後のご奉公」 という言葉を使うようになった。
このまま順当に民主党が4年間の政権を全うすれば、2013年夏、彼は71歳になる。高齢者が多い政界にとって、71歳という年齢はさほど高齢とは思えないが、それでも現役引退を考えるには十分なる年齢と言えるだろう。
ここで、押さえておかねばならない点がいくつかある。
まず、小沢一郎が代表の座に就いたとき、即時に行おうとした大連立なのだが、これは、お坊ちゃま民主党連中達の大反対で頓挫したが、その構想自体を小沢は捨ててなかったと、私は最近思うようになった。
あの大連立の基本概念は、少なくとも民主党側からだけ言えば、まだ政治のセの字も知らない新人議員達を実践の場に投入して、現地学習、つまり官僚の態度ややり方、あるいは彼らとの対峙の方法を勉強し、それを政治という場に活かす為に、<時間> が必要だったということだ。同様に、対政治家同士の関係性についても、学習する必要があった。
さらに、内外の政策や対外問題、特に米国と中国について、その影響力を知る必要があった。
それらをやらなかった為に、その後、民主党が政権を担った後に発生した問題は多々あり、それを官僚が逆手にとって民主党をコントロールしてしまったことは、小沢一郎にとっては、忸怩たる思いだったろう。
これが、<発想> 出発点だ。
政権交代を実現し、日本の改革を根底から本気でやろうとした小沢一郎にとって、多くの民主党新人議員達の力は、現在、そして未来にかけて、絶対必要だったのである。
この観点に立ってみれば、どのような仕打ちを受けても、小沢が党を割らない大きな理由の一つが見えてくる。
つぎに、これは最も重要な観点だが、
民主党代表として政権交代を実現しようとした小沢一郎は、既得権益層からの強烈な反撃に遭い、ズタズタにされた。
それは、官憲やマスコミをも動員した国家を挙げての政治家潰しだったが、辛うじて小沢はそれに持ち堪え、代表辞任、その後幹事長職就任を経て、2009年夏、念願の政権交代を成し遂げる。
しかし、多くの民衆の期待を背負った鳩山民主党は、8ヶ月の短命で終わり、小沢一郎も鳩山退陣に併せて、幹事長職を退く。
その後、党副代表であった菅直人が首相に就任するが、菅一派・・・・誰とは言わないが(笑)、連中達との連携で、小沢一郎はさらなる苦境に立つこととなる。
しかし、彼は、依然として、党を離脱するとは言わず、党内融和、挙党態勢を言い続ける。
多くの人々が小沢一郎のその言動に不満を持ち、その行動力に疑問を抱き始めたのは、このあたりで、私も、もういい加減に民主党を割って、政界再編をやったほうが結局は良いと思っていた。
だが、この考えは間違っていたのかも知れない。
小沢の我慢強さに象徴される挙党一致態勢が本当だったのかも知れない。
むろん、鳩山由紀夫は、その点で揺るがなかった。
それを自分が作った政党が可愛い為だとか、影響力を残しておきたい為だとか、もう一度政党を作るのが面倒だとか思ってしまった人間達(私をも含む)は、ある意味、思考停止状態だったのかも知れないのだ。
その種の質問が出たとき、当の小沢は、決まってこう答えていた。
今、党を割ると、より日本は混乱することとなり、これは今の日本の現状として、ふさわしくない、だから、私は民主党を支えていく・・・・と。
この 「ヌルイ」 言葉が、不満だった。
それは、何も私だけではないだろう。
そして、民主党が政権交代をした当時と現在とでは、決定的に違うことがある。
それは、「3.11」 であり、東電福島原発の致命的な事故だ。
ひと言でいえば、国家全体にわたる放射能汚染である。
これは、国家の存続を揺るがしかねない、いや、潰れるか潰れないかの瀬戸際まで追い込まれる日本開闢以来の大惨事だ。
そして、その最も大事な時に、政権は機能しなかった。
政治を知らない民主党内の連中達が単にオツムだけで権力の座に居座っていたからだが、これは自民党でも大差ないだろう。
そして、「明治以来140年間続いた官僚支配体制」 の欠陥でもある。
東北震災は別だが、東電の原発事故は日本人に限らず、人間の手に負えるものではなかったことが事の重大性に拍車をかけた。
そして、これは現在も続いている。
ここが、小沢が事前に想定していなかった大きな問題点だ。
当然ながら、政策と今後の政治体制は、変わらざるを得ない。
既に近日中の出版を予定していた 『日本改造計画・改訂版』 は、延期せざるを得なかった。
だが、そんなことは、小沢一郎にとっては、些細なことだ。
今回の代表戦が今までで一番面白いと言ったのは、小沢一郎の本心が見えるかも知れないと思っていたからだ。彼は今回ばかりは前面に一切出ず、水面下にて終始したようにみえる。少なくとも一般大衆に対してはそうだ。これをもって小沢戦略の失敗だとか、またまた鳩山に裏切られたとか言っている人間は、一体何をみているのだろうかとの疑念を持つ。
小沢の意向が真っ正面から成功せず、それでも小沢が鳩山と連携しているのを観て、多くの人は鳩山の言動を疑い、さらには小沢の稚拙さを揶揄し、一体何をやっているのだという意見は、相変わらず多い。
そんな奴らは、ろくすっぽ物事を考えてないという証拠だな。(笑)
いわゆる、思考停止だ。
こういうことは、大物政治家同士の精神の中で余人には判らない共通項目が存在すると考えた方が理解しやすい。
小沢一郎ほどの政治家が何度も何度も同じ政治家に騙され、同じ手を喰らうなんて、あり得ない(笑)
小沢がその程度の政治家だと考えている人間は、小沢がどうの、鳩山がどうのなんてことは言わないほうが良い。外野でワイワイやっても、精神衛生上悪いだけで何も良いことはない。
さて、代表選の結果だが、ついに最後の戦いの幕が開いたようだ・・・・
民主党幹事長職に拘る小沢にとって、前原誠司が難色を示したことが決定的だった。小沢一郎は現在刑事被告人であり、同時に党員資格停止状態にあり、本人が幹事長職ならびに党の要職、さらには閣内に入ることは常識で考えても無理だ。
となれば、小沢の息のかかった人物、例えば、輿石東などがその職につくのが望ましい。
そして、実際にそうなった。
つまり、野田代表は、小沢の意向を呑む形になったわけだ。
代表選演説の際、気になった言葉があった。
一つは、馬淵候補の 「私の政治の師である田中角栄・・・・」 という言葉だ。
二年前、鳩山由紀夫代表を決定づける両院議員総会で、馬淵は小沢戦略に激しく反論し、横暴だと言った。そしてその一年後、菅、小沢の戦いの際、彼は菅サイドに付いた。
私は、馬淵澄夫という民主党国会議員は基本的に小沢一郎が生理的に嫌いで、それに自身の保身や権力欲が重なって、菅直人を応援したのだと思っていたが、本当は少し意味合いが違うのかも知れない。
田中角栄が政治の師という言葉は、小沢一郎の常套句だ。
まさか馬淵の口からその言葉を聴くとは思ってもみなかった・・・・、本当なのだろうか?(笑)
野田佳彦の演説には、マイッタ。(笑)
昔話と個人的な心情のみに終始し、およそ代表選の演説とは思えなかったからだ。
冗談だろ? とさえ思った。(笑)
朝顔とドジョウまで登場したし。(爆)
ふと・・・・後から考えてみると、前原包囲網の可能性も捨てきれない・・・・
小沢にとって、一番悪いパターンは、前原誠司が首相になることで、その為にはどうしても代表の座を与えたくない、少なくとも、今は駄目だと思っていたに違いない。
震災復興と放射能対策を最優先にして、景気浮揚の為に増税は無理、TPP締結は遙か向こうにうっちゃっておきたい・・・、そして米国が望んでいる米国債のチャラは、承認し難い。
こういった難問を前原では乗り越えられないと踏んだに違いないし、その適役は、ベターな選択として海江田、その次ぎに野田・・・・だったのかも知れない。
馬淵陣営の決選投票における票の投票先は、馬淵氏が代表選前に陣営に伝達していたことで、これは既成の事実だ。当然、小沢陣営および小沢本人も承知していただろう。
だから、NHKが確信犯的フライングをしたことを聴いて、苦笑したに違いない。(笑)
鹿野道彦の上着を脱ぐ作戦は、あまりにも漫画チックだ。(笑)
彼や彼の側近がそんなことを勧めたのなら、即、国会議員を辞めることをお勧めする。
時代劇じゃあるまし、冗談もいい加減にしろ。
しかし、この代表選で鹿野道彦が果たした役割は、非常に大きかった。彼の決断如何では、今後の展開が真逆になった可能性すらある。
だから、鹿野姓というのか・・・・(冗談、爆)
一方、カヤの外の実力者は、落ち込んでいた。
仙谷由人が主導した菅政権は、岡田克也に悲劇をもたらした。
幹事長時代に 「自分で自分の足を撃っているようなものだ」 と激しい党内対立を振り返り、「敵をたくさん作ったし、政治家としての資産を使い果たした」 と泣きが入った。幹事長職を出来ればやりたくないと当初言明していた岡田にとっては青天の霹靂だったろう。かつてのイメージは完全に崩れ、政治生命が危ぶまれる事態に陥った。岡田は、財務大臣など引き受けるべきではなく、しばらく休養したほうが良い。
尚、ご老体は、依然元気だ。(笑)
平成の黄門・・・一説には肛門との表記が正しいという説もあるが、まあ、そんなことはどうでも良い、はやいとこ、ゆっくり(め)されよ。(爆)
で、そのご老体ではなく、西岡参院議長だが、彼はこの度の代表選に本気で出馬する予定だったらしい。
しかし結局は断念し、その後、意味深な言葉を残している。
「こういう問題は下りた幕の物語をする必要はない。次の幕をご期待ください」
西岡が言う、「次の幕」 とは、一体何か? (笑)
さて、長々と書いてきたが、ここからが本当の本番だ。
野田政権は、よほどの事が無い限り、一年続くだろう。
逆に言えば、一年しか続かない。
党内融和、挙党態勢を唱えていたが、菅直人が二度にわたり裏切ったのと違って、彼はそれを実現しようとしているように見える。
その第一が、幹事長職に小沢一郎の側近中の側近である輿石東を据えたことだ。
これで、民主党の300億円は、小沢の視界に入った。
輿石は、参議院議員会長と幹事長を務めることになった。誰かが言っていたが、参院は輿石でなければ纏まらないので、彼の幹事長職就任に際して、輿石が最初に難色を示したのは、参議院議員会長を辞めねばならないということが条件であったかどうか、ということなのだ。野田は、幹事長職と参議院議員会長職との兼任を認め、さらに参議院からの初の幹事長となった。異例中の異例である。
その他、野田は随所に 「挙党態勢」 のエッセンスを散りばめ、今後の政局に臨むだろう。
そして、野田が山積する問題、やらねばならないことを取り敢えずやり終えた一年後、2012年9月、再度、現職総理大臣として、民主党代表選に臨むことになる。
臨まざるを得ない。
国会議員が選挙に落ちれば、それはタダの人だ。
だから、彼らにとっての地位保全として、一番大事なのは、選挙に勝つことである。
その為には、小沢一郎が必要だ・・・・という空気が起こってこないはずがない。
あと任期一年を切り、不人気の民主党国会議員がこう思わなかったら、その人間はオツムがどうかしている。(笑)
鳩山、菅、野田と失敗し続けた民主党政権に再度栄光をもたらすのは、選挙に強い小沢一郎を先頭に立てて戦うのが一番良いと思うはずだ。
野田は、先の政権と同様、失敗する。
野田にはそれが判っている。
そして、海江田、馬淵、鹿野にも判っている。
判っていないのは、前原だけだった。
だから小沢は、前原には総理は不適任だと判断した。
つまり、ただでさえ大変なのに、その上に震災が加わり、原発による放射能汚染まで加わったのだ。菅、仙谷、枝野、玄葉、前原らには、それが判っていない。
要するに、鳩山・菅と、沈んでしまった民主党政権をマイナスから、プラマイゼロにするのが野田政権の役割である。
それから浮上するのは、民主党本来の政権、つまり、小沢一郎政権の役目となる。
したがって、来年の代表選は、小沢対野田の戦いになる。
だが、野田にその意欲はもう無いだろう。
小沢に譲るべき代表選であり、その為のセレモニーだ。
かくして、民主党代表小沢一郎が再度、誕生する。
その時は、もう二度とあのような悲劇は訪れない。
何人も、小沢一郎を潰すことが出来ない。
もしそのようなことがあれば、民主党全体で対抗するだろうし、今度は、小沢は既に総理大臣だ、やれるものなら、やってみろ。(笑)
では、あの時なぜ、小沢を擁護しなかったのか?
どうして、既得権益層からの攻撃である理不尽と民主党は戦わなかったのか?
理由は、極めて明瞭である。
既得権益、権力というものの本質を彼らが判っていなかった。
しかし、四年間(実質三年間)、彼らはその渦中にあって、それを学んだはずである。
もう、四年前の民主党ではない。
与党を続けた三年間であり、権力を手中に収めた三年間だからだ。
もし、小沢を潰せば・・・・、
官僚は、民主党国会議員達と切ったハッタの大勝負を展開しなければならなくなる。
バックには、総理大臣小沢一郎がいる。権力の魔性を知った人間は強いぞ。(笑)
さて、多くの人が気になっている小沢の党員資格停止は、輿石が唱えているように、近々解かれるだろう。
そして、来年三月の結審をまって、いよいよ、小沢一郎が最後の舞台へと躍り出る。
民主党が政権を担って丸三年、その間、多くの新人議員達は十分とは言えないが、政権内で、必要最小限の勉強をしてきたはずであり、小沢はそのことを異様に気にしているように思う。なぜなら、それは姿かたちを変えた、あのかつての 「大連立の果実」 であるからだ。
だから小沢は艱難辛苦に耐え、党を割らず、その時を待った。
多くの人が懐(いだ)く小沢幻想とは違って、一人では結局何もできないということを小沢本人が一番よく判っている。
来年4月、春の訪れを待たずに、ついに、小沢政権への静かなる準備が始まるだろう。
野田政権では、民主党は総選挙に勝てない。
選挙に勝つためには、やはり小沢一郎が幹事長もしくは、党の代表でなくてはならない。
4年間という月日は過酷なもので、1年2年なら可能だったものも、4年経つと不可能になることも多い。
政権与党の代表もしくは、党ナンバー2である幹事長を仕留めることなど、もう出来ないのである。
そして、小沢は、明言するはずだ。
最後のご奉公をやらせてほしい・・・本当に最後のご奉公だ。
民主党代表を再度やらせてもらい、来たるべき総選挙に勝利し、民主党を揺るぎない政権党としたい。
私は、今度の総選挙に民主党が勝利したのを見届け、政界を引退する所存です・・・・と。
小沢は、自らの引退を担保に民主党代表の座と総理の座を射止め、そして一年の時間を与えられる。だが、民主党が再度、政権党になったとき、小沢一郎は、もういない・・・・
このレトリックが、最強の小沢一郎を生み出すのだ。
小沢の幻影が消えた時、小沢一郎は最強の政治家となる。
背水の陣を敷いた民主党と小沢の敵は・・・・、いないだろう。
小沢が代表の座についている一年、むろん選挙対策は怠りないだろうが、その選挙に勝つためには、民主党は絶対的な実績を残さねばならない。
その為の、小沢政権なのだ。
「国民の生活が第一」・・・・やはり、この原点に戻り、民主党は次々と小沢首相の下で政策を実現していくだろう。
時間は無い。だが、一年あれば、小沢なら十分だ。
しかし、小沢が願う本当の戦いは、次世代へと託さざるを得なくなるだろう。
寄り道をし過ぎた・・・・
また、これは余分だが、海の向こうのあのクソタレジジイは、すでにあっちの世界へ旅立っている可能性が高い。(爆)
こんなこともまた、小沢は頭のどこかで計算しているに違いない。
レールを敷き、総選挙に勝利し、そしてついに政界引退の時期を迎える小沢一郎の顔には、翳りはないだろう。あとは育ってきた若い連中に任せると言いつつ、花道を歩いて消えていくはずだ。
そして、
その小沢無き民主党を率いる一人の政治家は、この度の代表選のさなか、こうつぶやいた。
「しばらく静かにしていなさい。ためを作りなさい。誰よりも汗をかいて頑張りなさい。」 政治の世界の師匠の親心。自分を突き放してみると今まで見えなかった絆や光が見えてきました。https://twitter.com/#!/kharaguchi -
アメリカは、今や火薬庫の上で寝ているようなものだ。火がつけば、一瞬で大爆発である。下記記事では1937年との類似性が言われているが、1937年と言えば、第二次世界大戦前夜だ。ユーロの破綻も言われていることだし、世界大恐慌から第三次世界大戦へというシナリオも、可能性としてはないではない。
しかし、今回の経済危機は、どこかの国と戦争をやることで解消できるような性質のものではないだろう。何より、当時の欧米は第二次産業国だったのである。戦争によって消費需要が起これば、その需要に応じていくらでも生産でき、それによってどん底の経済状態から浮上することができた。しかし、今の欧米は工業生産を東南アジア諸国に頼っている状態だ。戦争で需要が生じても、活性化するのは東南アジア諸国の経済だろう。そもそも、欧米が戦争する相手がいない。
ならば、欧米、特に米国の経済破綻はどういう形で世界、特に日本に影響を及ぼすか、考えてみよう。
たとえばQE3(金融緩和)から始まる次のような経過が考えられる。
1) 国内の経済的不満を解消するため、あるいは国債の利払いのために米国はQE3を実施。ドルが暴落する。おそらく1ドル60円台にまで下がる。
2) ドルの暴落によって、所有していたドルの価値が減じ、大損害を被った中国が、QE3への報復措置として、所有する米国債を大量に売り、米国債の価格が暴落する。
3) ドル暴落、米国債暴落による自国の損害を食い止めるために欧州諸国もドル売り、米国債売りに走る。日本はアメリカの属国である以上、ドルと米国債を売ることはできない。日本が所有する米国債の価値は現在の3分の1程度になる。ドルも50円台になる。
4) ドルの大暴落に伴って、米国でハイレベルのインフレが発生する。現在のドルの価値は米国内では3分の2以下に下がり、物価は1.5倍以上になって、貧困層はほとんどが破産状態・生存不可能状態になる。
5) 財政悪化のために、米国政府はフードスタンプ制度を廃止し、貧困層は生命の危機を知って暴動を起こす。暴動鎮圧のために警察と軍隊が出動し、自国民を射殺する。怒りに燃える群衆は警官隊に抵抗し、ホワイトハウス襲撃に至る。中には、金持ちの住宅を襲撃する者も出る。金持ちの一部は米国を脱出する。
6) かくして、米国は内乱状態になる。このどさくさにまぎれてアジテーターも現れ、イスラム教徒とキリスト教徒の殺し合いも発生する。
7) 欧州の一部でも内乱や暴動が起こるが、米国ほどの規模にはならない。米国の内乱は、ほとんど革命に近いものになるが、それはただオバマの「悪政」に対する革命にしかならない。なぜなら、真の支配者は表に名が出ていないからである。
8) オバマは任期が来る前に辞任し、それでもって責任を取ったという形になる。つまり、オバマは最初からこの時のために作られた「黒人大統領」だったのである。(「だから黒人は駄目なのだ」という印象を与えるための捨て石ということ)臨時の大統領選が特例として行われ、短期決戦でヒラリー・クリントンが新大統領になる。
9) 新大統領は「新ドル」を発行することでインフレ収束(終息)を図る。(これは主に心理的効果を狙ったもの。マスコミはこれに協力して、これでインフレは収まると書きたてる。)これまで米国が発行してきたドルや国債は、その額面の10分の1の新ドルと交換することを強いられる。つまり、諸外国は、借金の9割棒引きを呑まされる。
10) 新ドル発行で米国の国家再建に道筋がついたという錯覚によって、米国内の暴動は終息する。米国内には今回の内乱の原因である「虚構経済」への反省から、第一次産業と第二次産業への回帰を呼び掛ける人々が出てくる。これから10年ほどかかって米国の経済回復が少しずつ進んでいく。
11) 日本はこの間、輸出企業の大半が極端な円高のために赤字経営に陥る。しかし、巨大な内部留保と人件費削減によって、そのほとんどは倒産を免れる。中には、この機に乗じて米国の有望企業を傘下に収める野心的企業も出てくる。企業群の人件費削減によって日本の庶民の貧困化は加速する。
12) 輸出企業の苦境を救うために、政府はトヨタ、日産、ソニーなどの大企業(のみ)への資金援助を行う。その財源を作るために、(もちろん別の口実を使って)消費税は10%に上がる。この間、東北・福島の被災者援助はほとんど無し。雀の涙程度の補償金が出るだけである。
13)日本は米国の命令によってTPPを受け入れ、それに伴う経済自由化(無関税化による外国製品の流入と外国企業の日本参入による企業競争激化、外国人労働者の流入による労働市場激化)のために賃金は一層引き下げられ、民間給与水準は現在の8割程度まで悪化する。さらに失業も増える。そして、次の国政選挙では、民主党の失政を非難するマスコミのアナウンス効果によって自民党かみんなの党が大勝利を収める。
以上が米国の経済破綻とその影響のシナリオである。もちろん、株式の大暴落や銀行の支払い停止なども生じるが、それは米国内部にとどまるだろう。
要するに、世界恐慌には進まないが、世界の庶民生活は相当に悪化する、と私は見ている。
1930年頃の世界恐慌の根本原因は、実は当時の世界の生産力不足にあったのであり、金融の世界でのバブルやバブル崩壊は、それを補うだけの実態経済の体力があれば恐慌にまでは進まないというのが私の考えだ。また、投資銀行と商業銀行が分離されている場合も金融バブルが庶民生活に影響することはない。つまり、あの世界大恐慌は、個々の国家の経済的体力(つまり生活必需品生産能力)が無いのに、急激に金融経済の国際化が進んだために、アメリカのバブル崩壊が世界経済まで巻き込んだのである。
大恐慌の反省に立って作られたのが商業銀行と投資銀行の分離を義務づけた「グラス・スティーガル法」であった(注:
“ 19世紀と20世紀の初期には、銀行家とブローカーは、時々見分けがつかなかった。それから、1929年以後の大恐慌において、議会は1920年代に起こった「商業」と「投資」銀行業の兼業を調べた。審理によって、一部の銀行業務機関の証券活動における利害対立と詐欺が明らかになった。これらの活動を混合することに対する恐るべき障害は、それからグラス・スティーガル法によって対処された[7]。
”
[ウィキペディアより])が、それが1999年に廃止されたのは、今回のアメリカ経済の意図的崩壊(大資本と国家による国家的偽装倒産)を目論んでのものだろう。
現在の世界は、当時は欧米に独占されていた工業生産能力が世界中で共有されているのであるから、金融バブルが崩壊しても世界の実態経済までは崩壊しない。もちろん、世界的なインフレにはなる。しかし、米国を除いては、インフレ率は2割から3割程度でとどまるだろう。これは米国が世界に垂れ流したドルの水膨れ相当分である。
世界恐慌にはならないが、世界的な、庶民の生活悪化は生じる、というのが私の結論である。まあ、要するに、米国のドル垂れ流しと高所得者による富の独占によって、世界的に庶民の生活水準低下が起こっていたのがこの20年の世界経済の姿であったのだが、その総仕上げが米国の経済崩壊なのである。
一番不幸な目にあうのは米国の庶民であるが、世界中の庶民も似たようなものだ。それもこれも、世の中の真実を見ようともしない、無知と知的怠惰のなせるわざである。
こんな悲観的予測など私もしたくはないが、日本が鎖国でもしないかぎり、こうなるのは必定だろう。だから、私は鎖国論者なのである。
(以下「現代ビジネス」から引用)
実際アメリカ経済の惨状は目に余るものがある。日本ではほとんど報じられていないその実態をいくつか紹介しよう。
■アメリカではいま大量のレイオフが復活している。『チャレンジャー・グレイ・クリスマス』のレポートによると、この7月だけで労働力削減数は6万6414人。前月よりも60%も増加した。医薬品、コンピューター、小売りなど、これまで労働力削減が少なかった産業でレイオフが起きたことがその理由。
■しかも一度解雇されると、〝復活〟するのが非常に困難。『ナショナル・エンプロイメント・ロー・プロジェクト』によると、求人広告の多くは「現在雇用されていなくてはならない」という条件付き。そのため失業者は長期にわたって職を得られないでいる。約630万人が6ヵ月以上も失業中で、このままレイオフが続けば貧困が蔓延し、破産が増加すると予測されている。
■さらに『ウェルズ・ファーゴ・セキュリティーズ・エコノミクス・グループ』の報告によると、平均的労働者は20週間職探しをした後、労働市場からドロップアウトしている。つまりは多くの人が政府や友人・家族の援助を受けていることになる。
■結果、アメリカ人は「ギリギリの生活」を強いられている。『ナショナル・ファウンデーション・フォー・クレジット・カウンセリング』のレポートによると、「予期せぬ1000ドル(約7万7000円)の出費が起きた時どうするか」という調査で、その額を預金口座から引き出せるのは、回答者の36%だけという結果だった。
■またブルッキングス研究所のレポートによると、調査した約半数の人々が30日間で2000ドルをえられる術がなかったという。
産業の空洞化も深刻だ。
爆発的なヒット商品を次々と生み出すアップルは、ついに米国企業で時価総額1位になった。しかし、同社がいくら成長しても、アメリカ国内にはほとんど新しい雇用は生まれない。
なぜなら製品の生産はほとんどが台湾などアジアのメーカーが行い、大多数の販売担当は世界中に散らばる拠点で雇用されるからだ。アメリカに残るのは、少数の開発部門だけである。日本でこれから本格化する産業の空洞化が、アメリカでは「先取り」する形で顕在化している。
すべての事の発端は米国議会の対立が激化したことで、アメリカの政府債務返済が滞るのではという不安が世界中に広まったことにある。しかし8月2日に議会が和解した後も、相場は乱高下を続けている。「問題解決」したはずなのに、ドル離れが止まらないのはなぜか。
在米ジャーナリストの肥田美佐子氏もこう語る。
「大きな専用のオフィスも持ち、管理職として1000万円を稼いでいたような人たちが、40代後半から50歳くらいで失業、2~3年以上仕事が見つかっていない。そのため家賃や住宅ローンをクレジットカード(借金)で支払ったり、50歳を過ぎてから無料インターン(見習い)に応募したり、大学院に戻って大枚をはたいて資格を取っても仕事が見つからなかったりといったケースはいくつも聞きます」
深刻な不況、失業の背景にあるのは産業の衰退である。デトロイトで自動車を作っていた時代は遠い昔、リーマン・ショックで「ビッグ3」は事実上崩壊した。いまやデトロイトのダウンタウンはドラッグと犯罪に汚染された一大治安悪化エリアに成り下がっている。
「アメリカの小売店を歩けば、『産業不在』の実態はよりわかる。売られている日用品から家電製品までほとんどがメイド・イン・チャイナ。一方で中国国内を見渡してもメイド・イン・USAの製品などまったく見当たらない。中国からは毎年『調達団』という買い付け代表団がアメリカを訪問するが、買いたいのは航空機くらいしかない」(拓殖大学教授の朱炎氏)
産業がないから雇用は生まれない。借金に下支えされた「大量消費」が限界を迎えたいま、新規産業を育成してこなかったツケが回ってきている。
偽りの金融工学で作った好景気のバケの皮が剥がれ、政府の財政による下支えも限界に達した。
アメリカ人自身がその「ぬるま湯」につかり、汗を流してせっせと働くエネルギーもパワーも失ってしまった。一部の金融マンが、マネーゲームだけで数十億円の儲けを稼いでいたのはやはり異常だった。
ニューヨーク市立大学教授の霍見芳浩氏が言う。
「いまアメリカに必要なのは成長戦略しかない。ただ政府は財政赤字にばかりとらわれて、政府支出を切り下げることで、衰弱している経済を死に至らしめようとしている。
このままいけば英国で起きているような暴動が起こるかもしれない。最悪の場合、2008年のリーマン・ショック、つまりは〝ブッシュ恐慌〟が再来することになる」
アメリカ経済戦略研究所のクライド・プレストウィッツ所長もこう語る。
「政府は軍事費を削減すべきなのに、経済刺激に必要な支出を削っている。消費が減少、貿易赤字の増加が続けば、アメリカ経済は景気の二番底に向かっていく。それは世界的なリセッション(不況)へ波及していくかもしれない」
3年前に世界中が苦しんだ「同時不況」が目の前に近づいているのだ。
最悪のケース
さらにそれに拍車をかけているのが欧州の惨状。アメリカと同じく市場から「不信任」を突きつけられており、世界の「ユーロ離れ」が止まらない。
「欧州では経済規模も成長性も異なる国々が同じユーロという通貨を共有したことで、実態以上の信用力を持つ国が出てきた。ギリシャ危機を契機にこれがイリュージョン(幻想)だったことがばれて、ユーロバブルが崩壊。投資資金が逃げ出し、スペインからフランスまで各国の国債が売られ、国債を多く保有する欧州銀の株が急落する事態にまで発展している」(BNPパリバ・チーフストラテジストの島本幸治氏)
アメリカが金融工学なら、欧州は通貨統合という幻想でマネーを集めていた。その実態が見えて、市場の信頼を失っている構図はまるで同じだ。
違うのは、欧州はまだ産業が力を維持しているように見えること。ただフォルクスワーゲンなどほんの一部の有力企業を除けば、折からのユーロ安にもかかわらず輸出を大きく減らし、業績悪化に苦しむ企業が急増している。
足元には不況の暗い影が落ちている。例を挙げれば、こんな惨状だ。
■庶民が〝スレスレ〟の自己防衛を始めている。それはフランスでは「ノワール」、イタリアでは「ネーロ」と呼ばれるもので、請求書と受領書なしの取引が横行。たとえば街の水道工事会社に修理を依頼した場合、普通は請求書と受領書が交換されるが、書類は一切交わされない。そうすることで税金支払いを逃れている。
■イギリスで起きた暴動の原因はひとつに民族問題があるが、より重要な点は若者の失業率が高止まりしていること。ロンドンでは若者の失業率が20%に及ぶといわれており、その不満が暴動につながった。かつては移民の天国といわれていた地が、不況によって暴動の地に堕ちた。
■フランスでは「心のレストラン」など伝統ある食料支援組織に加え、低所得者やホームレス向けのレストランが街中にできている。ホームレスへの食料、毛布支援などを行う救急機関「SAMU」の活動は昔からあるが、自殺願望者や鬱病患者の心のケアを行う〝精神科医集〟・の活動が活発化している。
さらに欧州では金融機関の「破綻リスク」が高まっている。欧州銀行の多くはユーロ建て商品や欧州国債を保有している。これが暴落すれば「逆資産効果」で金融収縮が発生、実体経済に波及して未曾有の大不況に陥る可能性が指摘されているのだ。
ここのところ欧州各国政府首脳が頻繁に電話会談を実施、共同声明を発表したり、バカンス返上で「財政は健全だ」などと会見するのはこうした「最悪のケース」を恐れているからにほかならない。
「財政規模の大きいスペイン、イタリアの2国で債務問題が逼迫すれば、とても救済できない。そこでユーロ圏のみならず、アメリカを含めた世界の先進国が両国への危機波及を阻止しようと、いま打てる手はすべて打つ覚悟で臨んでいる」(第一生命経済研究所・主任エコノミストの田中理氏)
ただこうした対策も奏功しそうにない。
ユーロの崩壊は近い、それは間違いない。ユーロを最終的に支えられるのはドイツしかいないが、いまドイツの学識経験者や議員の一部がユーロ諸国への支援は「財産権などの権利の侵害にあたる」として訴訟を起こしている。もしこれがドイツ国内で認められれば、「ドイツはユーロから脱退する可能性もある。そうなればユーロ圏は空中分解して、通貨ユーロは崩壊することになる」(同志社大学教授の浜矩子氏)。
ドル、ユーロが信用力を失墜し、一時的に円が買われているが、それも長くは続かない。国内産業が衰退し、今後長期にわたって人口が減少しつづける日本も、いずれ欧米と同じ道をたどるのは火を見るより明らかだ。
先進国の失墜---。そしてマーケット関係者の間では「1937年の再来」が語られ始めた。
不吉な9月
1937年は世界大恐慌から回復しかけていた景気が再び〝二番底〟へ転落する転換点となった年。インフレ懸念が高まったことから米国が金融引き締めと財政緊縮へと大きく舵を切って景気が失速、株価が1年間で半値ほどに大暴落した。
「いまの世界経済はリーマン・ショックで暴落した株価が各国の財政出動により回復してきた。ところがこの先は財政を緊縮せざるをえない状況であり、当時と似ている。世界中で株価が大暴落、『第二のリーマン・ショック』に発展して'37年の再現になると見る市場関係者もいる」(日本総研理事の湯元健治氏)
1937年との類似点はほかにもある。
そのひとつが、欧米各国の右傾化・保守化である。たとえば米国では国民皆保険などに反対する保守系のティーパーティ(茶会派)が力を持ち、ドイツでもメディアを中心に「勤勉に働いて納めた税金でギリシャなどを救済するのはおかしい」という論調が目立ってきている。しかし、ドイツがギリシャを見離せば、その瞬間に危機が再燃する。
「米欧、そして日本では株価が現在の3分の1ほどまで暴落する世界恐慌となりかねない」(信州大学経済学部教授の真壁昭夫氏)
先進国が総崩れなら、中国をはじめとする新興国の資本・産業に頼るほかない。事実日本がここ数年、食いつないできたのは、中国との交易なしには語れない。
リーマン・ショック後の世界同時不況を救ったのは中国の巨額の財政支出であり、「世界の消費の受け皿となった役回りを再び」との視線が集まっているのだ。
8月に入って温家宝首相は国務院常務会議で「関係各国に財政赤字を削減し、債務問題を適切に処理するよう要求する」と暗に米国を批判、王岐山副首相とガイトナー米財務長官は頻繁に電話協議しているとも言われる。中国が1兆ドル以上保有しているという米国債の「売却」をちらつかせながらの綱渡りの交渉が続けられている模様だ。
「電話協議では中国側からQE3(量的緩和第3弾)をやらないように要請、アメリカはその見返りに追加で米国債の保有を求めているでしょう。ただ財政政策を打てないアメリカはQE3をやらなければ景気失速が確実、オバマは来年の大統領選で当選できない。
一方の中国も暴落危険度の高いドルという〝リスク資産〟をこれ以上増やすわけにもいかない。こうした騙しあいの交渉が行われているのです」(富士通総合研究所・主席研究員の柯隆氏)
ただ中国も、目下、不動産バブルが悪化し豚肉の価格が50%上がるほどの食品インフレに悩まされている。この段階で、大規模な財政支出は難しいと見られているのだ。
「むしろ中国はアメリカの動きを警戒している。もしオバマ大統領が新たな金融緩和策としてQE3を発動すれば、ジャブジャブと溢れたマネーが中国に流入し、バブル増長とインフレ悪化をもたらすのではと懸念している」(同前)
中国とアメリカの交渉は、「大国」同士のメンツのぶつかり合いとなる。
互いに国内に政治問題を抱え、国民の不満が溜まっていて、妥協するのは容易ではない。とくに中国は、国内の不満から目をそらすために対外的に強い態度をとり続けているのは周知の通りだ。
そして交渉が決裂、中国が報復として大量の米国債を市場に売り浴びせ、米国債が大暴落するのが「最悪のシナリオ」だ。
1929年の大暴落、1987年のブラックマンデー、'08年のリーマン・ショックは、いずれも9月~10月に起きた。そして今回もまた、「不吉な9月」に向けてマーケットが不可解な動きを見せ始めている。
「いま、日経平均がリーマン・ショック後の最後の下げ局面にそっくりの動きをし始めた。このままいけば9月中旬にかけて大暴落が起きることになるでしょう。日経平均は7000円台に突入、もちろん米欧の株式市場も崩壊する。
そこからは何が起こるかわからない、さらに株価急落が止まらない事態になるかもしれない。こんな〝暴落相場〟の中で、いかに自分の資産を守るか、しっかりと考えなければいけない時期に来た」(証券アナリストの植木靖男氏)
北半球はいま、かつてないほどの酷暑の真っ只中だが、暑い夏を越えれば、凍えるような秋が待っているかもしれない。
「週刊現代」2011年9月3日号より
(注釈的引用)
QEとは、経済用語の「量的緩和=Quantitative
Easing」の事です。
そしてQE2はその第2弾という意味で、現在遂行中です。
FRBが行っている金融政策ですが、概要としましては以下のようになっています。
<QE2>
期間は2010年8月~2011年6月(終了予定)、額面規模は約9000億ドル(約73兆円)、紙幣を増刷して買取対象は米国債。
<QE1>
QE1は2008年11月~2010年3月(終了)、総額1.75兆ドル(約140兆円)、住宅ローン担保証券(MBS)・政府機関債の買取り。
このような紙幣の増刷(乱発)を行いすぎるとインフレリスクが伴います。
経済成長に準じたインフレ率なら問題ないのですが、これが「ハイパーインフレ」なる状況では、世界中の国民の負担は計り知れません。
しかし反面、借金大国の負債は額面的に減らすことができるため、一方的に悪政とはいえないのです。
そして、QE3とは日本語で量的緩和、それの第3段ということです。
量的緩和は主に中央銀行が国債を買うことで、金融緩和を目的としたものです。
今アメリカではQE2が行なわれていますが、再び景気が悪化すればQE3が行なわれるかもしれません。
