-
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
-
「日本の良心」藤永茂博士のブログから転載。
藤永茂博士の文章は、「文は人なり」という言葉どおり、その誠実な人柄をそのまま表している。嘘ではこういう文章は書けない。こうした人が日本にいるというだけでも、日本は捨てたものではない。
その藤永博士ほどアフリカの真の姿を知り、その事実を日本国民に伝えるために努力してきた人を私は他に知らないが、残念ながら藤永博士の一般的知名度はあまり高くはない。もともと理系の学者だから、その人がこうした社会的発言をしても素人の発言扱いされてきたのかもしれない。もう一つの理由は、これはファンとしての気安さから言うのだが、その文章があまりに生真面目なせいかもしれない。まあ、私のように無知無学をむしろ素人の特権として直観的発言ばかりしているのも何だが、学者的誠実さのために「面白さ」が犠牲になっていることは否めない。博士のファンである私にしても、博士の書いた記事のすべては読んではいないのだ。しかし、そういう誠実さがあるからこそ、博士の書いた記事の内容は信頼できる。
下記のリビアについての記事も、おそらく世間のほとんどの人の知らないアフリカの姿だろう。私自身、これまで藤永博士のブログで学んできたくらいだ。
ともあれ、リビアは死んだ。リビア国民にはこれから地獄の日々が始まることを私は予言しておく。これは無知の罪に対する罰であり、日本国民にとっても対岸の火事ではない。
ついでに今回のリビア戦争について、無知のためか、意図的に欧米プロパガンダに乗っているのかは知らないが、愚劣きわまる論評をしている例をその下に挙げておく。私もよく自分が知りもしないことについて論じるが、無名だから影響力は少ない。大学の先生というものは世間的な権威があるだけに、そういう人間が書いたこういう文章は世間に害毒を流すものだ。リビアと北朝鮮を同一視し、指導者が独裁者であることだけで(本当は独裁者ですらないが)その国を内部から破壊し、無数の人命を失わせたことを正当化している。誰の文章かは書かないが、文体から分かる人もいるだろう。
(以下引用)
2011/08/24
リビア挽歌(1)
桜井元さんから、前回のブログ『中東/アフリカの女性たちを救う?(2)』に、長く重い内容のコメントを戴きました。それにお答えする気持で以下の記事を書きます。まず、桜井さんのコメントをお読みになって下さい。
いま、「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」(日本外務省による呼称)、英語では The Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya という一つの国が、私たちの目の前から、姿を消そうと、いや、抹殺されようとしています。「ジャマーヒリーヤ」はカダフィが作った合成語で「大衆による国」といった意味だそうです。私たちがこの国について殆ど何も知らないままに、歴史の一頁がめくられようとしています。しかし、この地域の人たちが、今からアメリカと西欧の傀儡政権の下で味わう事になるに違いないと思われる悪性の変化を予測するに充分な基本的事実の幾つかが明らかになっています。石油産業、治水事業、通信事業などが国営で、原則として私企業にコントロールを許さなかったことが最も重要な事実でしょう。つまり、WB(世界銀行)もIMF (国際通貨基金)も好き勝手に切り込めなかった国であったことが、米欧の軍事介入による政権打倒が強行された理由です。社会的インフラ整備、教育、医療,生活保障などに注がれていた国家収入は、外国企業と米欧の操り人形であるリビア支配階級の懐に流れて、一般市民のための福祉的出費は大幅に削減されるのは、避けられますまい。カダフィの息子たちに限らず、これまでのジャマーヒリーヤ風の政策を続行しようとする政治家は、オバマ大統領が早くも約束している“民主的選挙”の立候補者リストから、あらゆる手段で排除しなければなりません。前回のブログで指摘したように、ハイチやルワンダがその典型的な例を提供しています。暗殺も極めて有力な手段の一つです。
反カダフィ軍のトリポリ制覇のニュースに接して、私の想いは、過去に逍遙します。チトーのユーゴースラヴィア、サンカラのブルキナ・ファッソ、ルムンバのコンゴ、・・・・・、その土地の人々がせっかく何とかまとまって平和に生きようとした試みを米欧の悪の力は一つ一つと地表から消し去って来ました。現在に戻って、ムガベのジンバブエ、イサイアスのエリトリア、・・・、こうして考えを巡らして行くと、カストロのキューバがどんなに奇跡的な歴史の例外であるか、あったかが、痛切に胸を打ちます。
テレビのスクリーンで、「カダフィは倒れた。自由を取り戻した」と、新品らしい自動小銃を天に向かって発砲しながら叫び躍る若者たちにとって本当に大切な自由とは何でしょうか。空腹からの自由、失業からの自由、医療費の心配からの自由、教育費からの自由、・・・、これらを失って、いわゆる言論の自由という何の腹の足しにもならないものを手にいれることで彼らは新政権下の“民主主義的自由”を謳歌しつづけることが出来るでしょうか。考えてみると、ここに数え上げた四つの基本的自由はアメリカ本国の数千万の下層階級の人々には与えられていません。自国の民草にも与えない自由をアメリカが、“人道主義的立場”から、自腹を切ってリビア国民に与えるだろうと信じる人は世界に一人もいないでしょう。最近の米国内の状況を見ていると、パトリオット条令の下で、言論の自由も消えつつあると思われます。
この「リビアの春」は本当の春ではありません。北アフリカの青年たちはもう一度立ち上がらなければなりません。そう言えば、トリポリで火器を乱射しながら自由獲得を謳歌している人たちの中に、アフリカ黒人らしい黒い肌の人たちがほとんど見当たらないのも気になります。
藤永 茂 (2011年8月24日)
(引用終わり)
(以下、第二の引用。これは批判対象としての引用である。上の藤永博士の文章とはリビアについての知識の量も質も、人間性の品格の違いも明らかだろう。この筆者の考えではリビア戦争は「正義の戦争」であり、失われた人命の量が少ないからこの戦争は成功だったんだそうだ。)
2011年08月24日
◆ リビアと戦争の原理
リビアの内戦は、独裁者の追放という形で集結した。このような形の「戦争」をどう評価するか?
──
一般に、「すべての戦争は悪である」という発想がある。
しかし、今回の戦争は、「独裁者の追放」という形で集結した。それによる被害は、
・ 政府軍側は、傭兵が多くて、かなりの死者数
・ 反政府軍側は、地方部族の国民が多くて、死者数は少数
という形となり、国民の側の被害は少なかった。
それでいて、「独裁者の追放」という利益は大きかった。全国民が独裁者の圧政から解放されたことは、とても喜ばしいことだと言える。(そう思わない人は、独裁者のいる北朝鮮で暮らせばいいだろう。)
つまり、「すべての戦争は悪である」という発想は、今回においては成立しなかった。リビア解放の戦争は、正義の戦争だった。被害も最小で済んだと言えるだろう。
──
このような戦争について、私は以前、どう評価したか? 初期の時点で、次のように評価した。
→ リビア情勢とカオス理論
ここにすべては書いてある。それを読んでほしい。
簡単にまとめるなら、次の原理だ。
「流れを右から左へ変えるような戦争は、多大なコストがかかるので好ましくないが、流れが右か左か迷っているような分水嶺となる戦争は、小さなコストによって(右か左かという)大きな違いをもたらす。ゆえに、そのような戦争では、介入することによって、好ましい結果に導く方がいい」
この原理によって、次のように説明した。
「リビアの状況は、二つの状況のあいだで揺らいでいる。体制側の勝利で安定するか、反体制側の勝利で安定するか。そのどちらの状況になるとも決まらずにいる。ここでは、外部の力によって、一方の側に安定させることが可能だ。国際社会の要望が、カダフィ追放による民主主義政権の樹立であれば、その方向に進むように力を入れると、容易にその方向に進めることができる。(今のようなどっちつかずの状況であれば。)」
「しかしながら、いったん状況が安定したあとでは、それを反対方向に動かすことは、非常に困難である。たとえば、カダフィ側が勝利したら、それをひっくり返すことは非常に困難である」
そのあとで、次のことを提言した。
「国連主導のもとで(あるいは米国中心の主要国の連合で)、リビアに介入する。カダフィ側の傭兵を壊滅させる」
具体的には、降伏を呼びかけたあとで、次々と空爆して、傭兵を壊滅させればいい。
そして現実には、そうなった。つまり、NATO 軍の介入のもとで、空爆により、カダフィ側の軍を壊滅させた。
私の提言通りと言える。ただ一つ、違いがあるとすれば、NATO 軍の主力が米軍でなくフランス軍であったことだ。しかしまあ、そのくらいの違いは、どうでもいいだろう。
私としては、フランスの決断を高く評価したい。サルコジ大統領というのは、ろくでもない大統領なのだが、リビア内戦への介入については、きちんと正解を出したことになる。おかげでリビアの国民は救われた。
________________________________________
[ 余談 ]
私のことを「戦争好きの軍事マニアめ!」と思っている人もいるだろうし、私のことを「軍事のことも知らないで平和を好む軟弱な素人め!」と思っている人もいるだろう。
しかし私は、どちらでもない。合理主義だ。(人的な)コストがとても小さくて大きな戦果が得られるならば、戦争をした方がいい。(人的な)コストがとてもかかるならば、戦争をしない方がいい。物事を一律には考えない。その点では、軍事マニアの右翼とは違うし、降参することしか知らない左翼とも違う。
________________________________________PR -
「朝日com.」から転載。
戦後65年以上もたつと、戦争の悲惨さも忘れられ、「戦争加害者」の子供の世代が社会の上位に来るようになる。そうした連中は当然、先の戦争を正当化するのである。
先の戦争で生き残った人間の中には戦争加担者が多いのだが、実際に戦場に出て、加害者意識のある人間は戦後、自分から発言することは少ない。発言すれば自分の加害体験を語ることになるのだから。ところが自分は銃後の安全な場所にいて戦争利益のみを手にしていた連中は、あの戦争を正当化する発言を堂々と行うのである。厚顔無恥とはこのことだが、そういう図々しい人間ほどこの社会では上に行きやすい。そういう発言をふだんから聞いているその子弟も、右翼的傾向を持つわけである。
戦争記憶の風化とともに社会の右傾化が始まるのは、右翼の本質、つまり「保守とは所有に伴う傾向である」にある。どんなわずかな財産であれ、所有しているとそれを失いたくないと思う。そして、それを失う可能性のある変革に対して攻撃する。それが右翼だが、その攻撃性が好戦性となり、戦争擁護の傾向になるのである。要するに自己防衛本能である。ただし、他人を戦場に行かせて自己防衛をするのだが。
(以下引用)
つくる会系教科書、沖縄で初採用 八重山の3市町
沖縄県石垣市など3市町の教育長らによる教科用図書八重山採択地区協議会の会合が23日、開かれ、同地区の中学校で来春から使う公民教科書に「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版が選ばれた。委員8人の多数決で決まった。同県内で、つくる会系の教科書が選ばれるのは初めて。
3市町は石垣市と竹富町、与那国町。玉津博克・石垣市教育長が会長となった6月以降、教育委員会の指導課長ら5人を委員から外し、学識経験者ら4人を加えた。県教委が学校関係者を加えるよう求めたが、応じなかった。
育鵬社版は、つくる会を脱退した元会長らが編集に携わる。公民教科書では在日米軍基地の沖縄集中に触れつつ「戦後の日本の平和は米軍の抑止力に負うところも大きい」と紹介する。 -
「泉の波立ち」から転載。
私は経済のことはほとんど知らないのに経済「学」的なのが好きなのは、それがまるで推理小説みたいだからだ。いや、現実に密着している分、本当の推理小説よりも、面白い。しかも、経済的に見た世界は壮大な詐欺の世界であり、「経済の世界とは犯罪の世界である」と言いたいくらいだ。なぜこれほど面白いものを世間の人間が興味を持たないのかと言うと、もちろん経済を難しいと思っているからだが、なあに、経済用語の大半は犯罪者の隠語でしかない。
要するに、「馬鹿な大衆から金を吸い上げる理由をいかにこじつけるか」が御用経済学の使命のようなものである。その一方で、一般大衆のために戦う経済学もある。まるでモリアーティ教授対シャーロック・ホームズの戦いである。現実には、そのモリーアーティが、竹中のように表に堂々と出ているわけだが。アメリカで言えば金持ち優遇政策を推し進めるのに寄与した新古典派(すなわち自由放任主義者、言いかえれば「新自由主義者」)、マネタリストなどがそれだ。
下記記事の南堂氏は、私とぶつかる面もいろいろあるが、基本的には国民の中流層ないし下層に金を流すことで景気回復を図るべきだという思想を持っており、ケインジアン(政府の経済への介入を良しとする点で、社会主義的経済学派・反自由放任主義者)の一人だと見られる。その点では私とまったく同様である。
今回は「ビッグマック指数」という面白い言葉が出てきたが、それで見るとアメリカで4.07ドルのビッグマックが日本では320円のようだから、1ドル79円が適正水準であり、現在の1ドル76円(75円になったのか?)はやや円高という程度で、わざわざドル買い介入するほどではない。そもそも、何の歯止めもなく無闇に印刷し、湯水のように世界に溢れさせているそのドルを買えば買うほど日本国の金が紙屑になっていくだけである。
(以下引用)
● ニュースと感想 (8月22日b)
「円高・ドル安」について。
円高・ドル安が進んでいるので大変だ、という記事があふれている。
→ とどめ刺された・壊滅だ…超円高に町工場悲鳴
しかしよく読むと、自分の製品が売れなくなるというよりは、「自動車会社からの注文が来なくなる」という心配。
しかし現実には、自動車会社は世界における総生産台数を増やしつつある。(前日分で記したとおり。)
だから、上記のような「空洞化の心配」は、当てはまらない。
そもそも、今回の現象は、特に「円高」というほどではない。なぜなら、海外では物価上昇があるので、物価上昇のない日本と比べると、時間がたつにつれて少しずつ円高になるのは当然だからだ。(物価上昇があると、貨幣価値が低下するので、その国の通貨は価値が低下する。)
この点を補正すると、「購買力平価」というものが出るが、この値を見ると、現時点では特に遠田なに(徽宗注:もちろん、「円高に」の間違いだろう)なっていないことがわかる。
購買力平価の一種として、「ビッグマック指数」というものがある。
→ 購買力平価説 - Wikipedia
→ ビッグマック指数 - Wikipedia
この数字に着目すると、現状は別に円高というほどではない、とわかる。そういう報道がある。
→ ビッグマック指数だと…極端な円高ではない?
→ 2011年エコノミスト誌のビックマック指数(表) - Bloomberg.co.jp
結論。
「円高だ、円高だ」と大騒ぎしている人が多いが、現状は「ほんのちょっとの円高」というにすぎない。本当は、今までは円安だったのが、いくらか補正されたという程度のことだ。
また、対ドルでは円高になっているが、他の国との比較では特に円高というほどでもない。
要するに、たいして騒ぐほどのことじゃない。一時的な変動を是正するために、いくらか介入するのは構わないが、大幅にレートを変動させることはできないし、そうしようとめざすべきでもない。適正レートは 78円ぐらいだろう。現状(75円)は、あえて大幅介入するほどのレートではない。放置しても、特に問題はない。 -
「ちきゅう座」掲載の浅川修史という人の記事の一部である。
ここに引用された某エコノミストの言葉の通り、「日本では革命は起こらない」かもしれない。だが、それは「解脱」と言うよりは「無知」「無気力」「ニヒリズム」「あきらめ」のためだろう。確かに、与えられたもの(与件)をそのまま受け取り、それに満足して、あるいは我慢して生きていけば、周囲に波風を立てずに平穏無事に生きていくことはできる。世の中の人間の大半はそういう生き方をしている。そして「変革」を叫ぶ人間を冷ややかに見て、自分の生き方こそ大人の生き方だと考える。だが、それは自分の臆病や無気力を正視する勇気が無いからである。
東洋的諦念は、為政者にとっては都合の良いものだ。
日本人はあらゆる物事に対し、変革する気力を持たず、ウォルフレンの言う「シカタガナイ」ですべてを片づける。まあ、生ける屍に近い。特に若者ほどそうである。実際、それ自体は当然なのであり、先の無い老人とは違い、彼らはこの奴隷的社会でこれから生きて行かねばならないのだから「革命」などという無謀な行為は彼らにはできないのだ。
だが、やはりそれは臆病だという自覚は持った方がいい。その屈辱を心に抱くことが大事なのだ。特に、社会の底辺にいる人間は、下の人間はどうあがいても絶対に上に行けない、この社会システムを自覚するべきだ。
また、中年以上の人間は、自分たちの政治的無関心や無知、無気力が東日本大地震や福島原発事故の処理、いや放置に見られる最低の政治システムを自分たちが作ってきたことを自覚しなければならない。
我々は官僚(為政者)を監視し、コントロールする義務があったのである。(その逆ではない。現実は官僚に国民が支配されているが、それは正しい姿ではない)その義務を怠ってきたツケがこの、弱者を踏みつけにし、悪を放置する残酷な社会なのである。
「革命」はまず心の中から始まる。国民の一人一人が社会悪を正しく認識し、それに対する自分の責任(選挙における投票の義務)を考えるだけでも、この社会は変わるだろう。そういう意味では「革命」は可能である。
下記記事の最後の「解脱とはノーリタンという意味である」という言葉は意味不明だが、私に言わせれば、社会悪に目をつぶって自分だけ無事に生きようとし、結局はその社会悪に自分も飲み込まれる生き方は「ノータリン(脳足りん)」とまでは言わないが、あまり賢い生き方でもないのである。「気が飢える」という言葉があるが、表面的には満足できても心の底に忸怩たるものがある生き方で、気持ちのよい生き方でないことは確かだ。
いや、卑怯なら卑怯でもいい。自分がそうだという自覚を持って生きるなら、いざと言う時に行動できる。自分で自分を騙すことだけはしないことが大事だ。
オスカー・ワイルド曰く「意識してなされたことはすべて正しい」。逆に言えば、自分で自分を騙すことこそが悪なのである。
(以下引用)
しかし、奇妙な現象がある。世界恐慌になれば、日本も当然影響を受ける。だが、日本は先にバブル発生と崩壊を経験して地獄を見ているので、「時限爆弾がない」ということだ。国民も若い世代を中心に、「モノ離れ、不況慣れ」という状況だ。
スペインの有名リゾート地であるコスタ・デル・ソル。熱海や伊豆とあまり変わらない景観だ。ここのリゾートマンションは、20年前には筆者の記憶では1000万円程度(当時のペセタと円で換算)だった。だが、欧州バブルの最盛期、ユーロ高の時期には2億円くらいに上昇した。
コスタ・デル・ソル以上にインフラが整い、景観も豊かな伊豆の中古リゾートマンションは1000万円以下で買えるだろう。数百万以下かもしれない。
「日本は世界経済の負け比べ競争の勝ち組になる」というのが、筆者の見立てだ。
とはいえ、生活者にとってはさらに厳しい時期を迎える。インフレ、増税、年金・医療など社会保障の縮減などが容易に想像されるからだ。
余談になるが、世界恐慌になっても、少なくとも日本では、団塊の世代の一部が期待するような革命運動は起こらないというのがこのエコノミストの見立てである。その理由は、就職氷河期や、ワーキングプアなどの経験で痛めつけられた若い世代が、「モノ離れ」「贅沢をしない」「他人やイデオロギーを受け付けない」ということで悟りを開き、解脱しているからだという。解脱とはノーリタンという意味である。 -
「反戦な家づくり」に掲載された一文を、拡散のため転載する。明月氏も言うように、現在の政治状況を理解するのに格好の小論である。こうした認識が世間一般の共通認識となれば、19年夏の衆院選以降なし崩しに変質させられてきた「日本革命」を正しい道筋に戻すことも不可能ではないだろう。この間、目に余るふるまいだった大マスコミ・検察の腐敗ぶり、それを背後で操る官僚たち、さらにそれを背後で操るジャパンハンドラーズについても国民の共通認識が形成されることを期待したい。
(以下引用)
平野貞夫氏ひきいる日本一新の会から、下記のメッセージが発信された。
現在の政治状況を理解するためには、格好の小論だと思われるので、会の趣旨により全文転載し、読者の皆さんにも拡散を呼びかけたい。
********************************
日本一新の会 メルマガ配信
本号はより多くの方に読んでいただきたく、転載・コピーも自由といたしま
すので、よろしくお願い申し上げます。
なお、転載・コピーはテキスト、PDFいずれでも構いません。
日本一新の会事務局
━━【日本一新】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第62号・2011/8/18
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
顧問:戸田邦司
発行:平野貞夫
編集:大島楯臣
(特別無償配信号・転載自由・無限拡散希望)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
<メルマガ・日本一新第62号>
◎「日本一新運動」の原点―69
日本一新の会・代表 平野 貞夫
○ 巨大メディアの「小沢排除」が国を滅ぼす
8月9日(火)、菅首相が国会の答弁で、ようやく退陣の段取
りについて発言して、この後に想定外のアクシデントがなければ、
8月中には辞めることになる。それに合わせるように、民主党の
岡田幹事長は、政権交代マニフェストの基本部分を自民党と公明
党の要求を丸のみして修正・見直すとした。事実上、菅首相を辞
めさせるために民主党の心を売ったといえる。
巨大メディアの関心が、後継代表選出に移った矢先、野田財務
相が飛び出し、巨大メディアの太鼓たたきが始まった。おそらく
背後には財務省があってのことだろう。何しろ「大増税」と「大
連立」を、早々に打ち上げさせて世論づくりを始めたのだ。この
流れでは、まともな代表選なんか期待できない。民主党は実質的
には崩壊したといえるが、ここに至った原因やこれからの問題を
整理しておきたい。
(小沢一郎に於ける政治理念の進化)
21世紀に生きる政治家がまず認識すべきことは、20世紀で
謳歌してきた「資本主義」が、変質というよりも崩壊したことで
ある。残念ながら、わが国の多くの政治家や有識者はこの認識に
欠けている。これが混迷する日本が立ち上がることができない原
因である。この基本的歴史認識が国民的に合意できれば、新しい
日本を創ることができる。
小沢一郎氏は平成元年(1989)、自民党海部政権の幹事長
時代、米ソ冷戦の終結を体験して私にこういった。「誰もが資本
主義が勝った。これで世界が繁栄して平和になると思っているが、
僕はそうは思わない。ソ連の崩壊はパンドラの箱を開けたような
混乱になる。過激な経済戦争で世界中に不公平が生まれ、それが
原因で各地で紛争が多発する。大変なことになる」と。この予言
は的中した。
これが20数年前の自民党幹事長・小沢一郎の世界観だった。
当時、こんな考えを持つ政治家は他にいなかった。「パンドラの
箱」が開いた世界で日本はいかに生きるべきか。そこで小沢氏を
中心に議論を行い「あらゆる技術の異常な進歩とグローバル化に
よって、これまでの資本主義が変質した。新しい資本主義、新し
い人間社会を考えよう」ということになった。
こういった歴史観にもとづいて、これまで日米安保条約に依存
し、米ソ冷戦を利用して、わが国が生きてきた「一国平和主義・
一国繁栄主義・一国民主主義」を反省する。そして、「自立・責
任・共生」を国民のコンセンサスとし、国家運営の基本とすべき
であるという、小沢一郎の政治理念が形成されていく。
この理念にもとづき、平成5年に『日本改造計画』が刊行され、
大ベストセラーとなった。自民党の政策として実現するつもりで
あったが、当時の自民党の大勢から反発をうけ、離党して「新生
党」を結成することになる。平成5年8月に非自民細川連立政権
の政治理念の主役となるが1年足らずで自民党が政権に復帰する。
小沢一郎の「自立・責任・共生」の理念は「新進党」で議論さ
れ「日本再興のシナリオ」となり、そこには「人間の絆」が追加
される。新進党が解党し「自由党」を結成した小沢一郎は、これ
までの考え方を統合発展させ、人づくり基本法案をはじめとする
「日本一新11基本法案」にまとめて国会に提出した。少数会派
の自由党なるが故に、国会で議論されることなく廃案となった。
平成15年に民主党と自由党が合併する。自由党は、政権交代
という大義のために人事・政策などすべて民主党の方針を丸のみ
した。民主党には政治理念も基本政策もなく、政府権力に就きた
い亡者、既得権を維持し特定の政策しか考えない労組出身者、自
民党の長老より悪い不良政治家、市民運動の美名に隠れた過激派
などの溜り場であった。
平成18年の通常国会での偽メール事件で民主党の体質が国民
に知られ、それを立ち直らせたのは小沢一郎が民主党代表に就任
してからであった。小沢代表は、自己の利益しか頭にない民主党
の亡者たちをどうにかまとめ、「国民の生活が第一」という政治
目標のもと、「逆転の夏」と銘打った平成十九年の参議院選挙で
勝利を得たのである。そして、自民党に代わる政権交代を国民に
期待させ、2年前の夏の総選挙でそれが現実となったのだ。
(何故、小沢一郎を排除しようとするのか)
小沢氏は「国民の生活が第一」という政治目標を達成するため
に、「共に生き共に幸せになる」という「共生社会」を創ろうと
呼びかけている。そこで「自立・責任・共生」という理念を実現
しようとしたが、民主党の党是にできない宿命があった。それは
雑居政党民主党にとって、この理念を持てば、自分の否定になる
政治家が多勢いるからだ。
問題はそれだけではない。わが国では巨大メディアや官僚など
既得権で生きる人たちが「小沢排除」こそが自分たちが生き延び
る条件だと思っているのだ。世界は1980年代から激しい情報
革命が起こり、巨大メディアがかつてのように社会の木鐸として
機能しなくなった。21世紀となり、慢性的不況で民間の広告収
入が減った巨大メディアは、税金を使う政府広報に依存するよう
になった。小泉政権での「裁判員制度」、菅政権の「納税者背番
号制度」などがその一例だ。
さらに情報社会化の進展に応じて必要となる改革が、巨大メデ
ィアの収益を減らしていく。自己改革を怠った日本の巨大メディ
アにとって、小沢氏が改革しようとする記者クラブ制の廃止、ク
ロスオーナー・シップ(新聞社とテレビ会社の株の持ち合い)禁
止、電波料金のオークション制の導入などは、健全な情報社会の
ために絶対必要なことである。それを断行されると経営に大きな
支障が出る巨大メディアは、小沢一郎なら実現すると恐れおのの
いている。かつて私は複数の巨大メディアのオーナーから「小沢
から離れて我々の味方になれ」と口説かれたことがあり、その子
細は昨年のメルマガにも書いている。
小沢一郎にとって「自立・責任・共生」の政治理念を実現する
ためには、巨大メディア改革が欠かせない。本来ならメディアが
先んじて新しい日本社会の建設理念を提起すべきであるが、20
世紀資本主義の影を慕い経営を変えようとしない。この巨大メデ
ィアと政権交代を阻止したい麻生自民党政権が、検察権力の悪質
な部分とコラボレーションして行われたのが、小沢一郎を政
界から排除するための「西松事件と陸山会事件の捏造」であった。
二つの事件が手続的にはともかく、実質的には菅・岡田民主党
も絡んだ政治的謀略であったことが、国民の目には明らかになっ
た。残念なことには、巨大メディアがこれまでのことを反省する
ころか、ポスト菅の代表戦についても、「小沢排除」の再現を報
道しはじめた。その一例が朝日新聞(8・11、東京版)の社説
である。
「古い発想の旧リーダーが裏で糸を引き、代理戦争を演じたので
は、世代交代の意味がない。これまで党を引っ張ってきた菅・小
沢両氏に鳩山由紀夫前首相の『トロイカ』は今回、行動を慎むべ
きだ」
恐ろしい発想だ。この1年余、さんざん菅首相を煽ててきた朝
日新聞の責任は大きい。性懲りもなく小沢一郎の政治理念と政策
を拒否し続ける巨大メディア、中でも朝日新聞社説の姿勢が日本
を滅亡の道へ向かわせていると私は思う。小沢一郎が掲げる政治
理念のどこが古い発想か。自らの改革を怠る陳腐さを棚に挙げて
よくいえたものだ。
今の日本の政治家で、資本主義の変質と崩壊を認識しているの
は小沢一郎氏しかいないことは縷々述べた。日本人の自立と責任
の精神で共生社会を創るべく、「日本一新11基本法案」を策定
した小沢一郎という政治家を、巨大メディアと民主党はいつまで
「党員資格停止」のままにしておくのか。
菅首相を筆頭に民主党執行部と、谷垣自民党総裁ら二大政党の
指導者に問う。貴君らはこの国を何処へ向かわせようというのか。
歴史観を持たない政治は衆愚に通じ、国を滅ぼす愚か者とのそし
りが免れないことをもう一度指摘しておく。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
******************************************
日本一新の会
メルマガ配信登録・解除はこちら
http://www.nipponissin.com/regist/mail.cgi
****************************************** -
この前は「徽宗(偽)皇帝の内閣」を書いたが、日本の政治を実質的に動かしているのは政治家ではなく官僚である。政治をやる者を政治家と呼ぶなら、実は代議士ではなく役人こそが政治家なのである。したがって、
日本改革の中心課題は「官僚システムの改革」である。
これが無いかぎり、日本は変わらない。もっとも、その前に「米国からの独立」が必要だが、それは別に論じることにして、ここでは官僚システムの改革をするために、まず現在の官僚システムの根本的欠陥は何かを「池上技術士事務所のブログ」というブログからの引用で勉強しておく。これは、例の「異端官僚」古賀茂明氏の著書の要約で、こういう要約があると、非常に助かる。
内容は、ずっと前に日本の官僚の実態を暴いた宮本政於氏の著書などからもだいたい分かっていたことではあるが、今の現役官僚の証言であるから信頼性は高い。
この要約をさらに一言に煮詰めると、「官僚が国民の利益のためではなく省利省益のために働いていること」が根本的欠陥だということになる。まあ、これも常識に近いが、では、その改善方法は、というと、誰もそれを論じてくれない。そこで、私が解答を言う。
これも一言でいい。
「官僚の働きに対し、信賞必罰のシステムを導入する」ことである。
どの世界でも、そのやった仕事に対しては賞と罰がつきものだ。それを免れている唯一の存在が官僚である。まあ、大手企業経営者もそうだが、彼らの場合は業績悪化で退陣することもある。しかし、官僚は国民にどんな迷惑をかけても、罰されることはない。所属する省に迷惑をかけないかぎりは、だ。つまり、官僚の真の主人である国民には官僚を罰する方法も賞を与える方法も無いのである。これでは官僚が国民のために働くはずがない。
ここに官僚の腐敗の根本原因があるのだから、改善点も明確だ。だが、その具体的なシステムをどうするかは、まだ思案中である。
(以下引用)
国民のためより自己保身しか考えない日本の官僚機構のしくみ
「古賀茂明著:日本中枢の崩壊、講談社、2011年」の「第2章:公務員制度改革大逆流」の「年金を消した社保庁長官はいま」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.現在の霞が関の最大の問題は、官僚が本当に国民のために働く仕組みになっていない点である。官僚志望者の大半は、国民のために持てる能力を発揮したいと望み、官僚を日指す。ところが、この純粋無垢な気持ちは、いつの間にか汚濁にまみれていく。そういう構造的な欠陥を現在の官僚機構が宿している。
2.第一の欠陥は縦割りの組織構成である。国家公務員採用一種試験の合格者(いわゆる「キャリア官僚」候補)は、省庁回りを経て各省に採用される。いったん入省すると、生涯所属は変わらない。民間に置き換えれば、公務員という職に就くというよりは、経産株式会社や財務株式会社に永年雇用される。途中、出向することはあっても、「経産省の役人」の名札は退官するまで変わらない。だから自分の役所のことを「わが社」などという。一生お世話になる組織の利益のために働く。これはごく自然な感情だ。また民間であれば、組織に貢献した社員は高く評価されるべきである。社員が稼いだカネを企業が利益還元し、そこで働く者が豊かになるのも、至極まっとうである。公共のために働く公務員の役割は、利潤追求を最大の目的とする企業の従業員のそれとは根本から違う。公務員は、国民から徴収した血税を使ってどのような施策を立案すれば国民生活が向上するかを第一義に考えるのが仕事だ。省利省益の確保と縄張り争いに血道を上げ、職員の生活が豊かになっても、国民の誰も賞賛はしないどころか、それは悪でしかない。一度入省すれば、自分の所属する省への利益誘導体質ができあがっている。これを本来の国家公務員の使命である国民のために働くという体質に改善する新たな人事システムの導入が必須となる。
3.第二の欠陥は、年功序列制と身分保障である。かつて日本企業の強味の一つは従業員の忠誠心を育む年功序列制にあるといわれていた時代もあった。いまどき、年功序列制を採用している民間企業はほとんどない。勤務した年数で人事を決め、待遇を上げていくというシステムでは、厳しい国際競争には勝ち抜けず、生き残れない。いま大半の企業は多少の年功制の色合いは残しながらも、能力主義や実力主義を採用している。とりわけ幹部職員はそうである。日産自動車、ソニー、日本板硝子などは経営トップに外国人を就けている。2011年に入ると、オリンパスが次期社長にイギリス人を就けた。民間企業では経営者の選抜は完全な能力主義になってきた。能力があれば年功どころか国籍も問わない、逆に業績が上がらなければ経営責任を厳しく問われる。身分保障などといったら笑い草である。
4.官庁では、ポストも給与も入省年次で決まる。能力がなければ係長で終わりでも仕方がないのに、キャリアならまず確実に課長にはなれる。課長職以上のポストとなると出世競争があるが、評価はどれだけ省益に貢献したかで決まる。だから、幹部候補のエリートは余計に国民のことは考えなくなる。親方日の丸で国家財政破綻寸前になっているいまも、年功序列にしがみつき、ぬくぬくと暮らしている官僚に、民間企業や国民の二―ズに応える適切な政策が立案できるわけがない。天下りを生む根っこにあったのも年功序列制と身分保障である。
5.自民党政権時代までは、霞が関では次のようなシステムが慣行となっていた。課長職は毎年採用されるキャリア官僚の数にほぼ対応できるよう設けられているが、審議官・部長、局長と、徐々にポストの数は減っていき、トップの事務次官にはたった一人しかなれない。しかも審議官・部長以上は、同期の者が出世すると、出世競争に敗れた人は、退職するという慣行になっていた。
6.同期は勝ち抜き戦を戦っているのだ。スポーツなら、負ければ、文句もいわず退場するしかないが、なにせ霞が関では年功序列制と身分保障が絶対の規範である。霞が関の論理では、出世競争から脱落した者にも、年次に応じて同等の収入を保障しなければならないとなり、大臣官房が省庁の子会社ともいえる特殊法人や独立行政法人などに再就職を斡旋していた。すなわち、出世競争に負けた人のための受け皿が必要なので、無駄な独立行政法人、特殊法人、そして無数の公益法人を役所は作る。
7.年功序列制を守るために再就職を斡旋するのだから、その人物の能力は関係ない。なかにはまったく役に立たない人も交じる。受け入れる独法・特殊法人・公益法人や民間企業にしてみれば、そんな人にまで高給を保障しなければならないのだから、何かお土産をもらわなければ割りに合わない。役所もそれは重々承知で、補助金など見返りをつける。あるいは原子力行政のように、業界に遠慮して、規制が不十分になることもある。つまり、無能な人に高給を保障するために、国民の税金が使われ、国民の生命の安全が犠牲にされている。
8.年功序列制の弊害はまだある。官庁では先輩の意見は絶対という不文律ができている。過去に上の者が推進した政策を非難することはご法度で、悪しき慣習も改められない。国益そっちのけで省益の確保に奔走する先輩たちの姿を見て、おかしいと思っても、上を否定すれば組織の論理とは相容れない存在になり、はみ出すしかない。
9.霞が関では「先輩に迷惑がかかる」ようなまねは一切許されない。年功序列による負の連鎖は連綿と続いており、若手が改革案を実施したいと考えても、現役の上層部だけでなく、OBからも圧力がかかり潰される。核燃料サイクルに反対した若手官僚三人が左遷され、うち一人は経産省から退職を余儀なくされた。電力業界の逆鱗に触れ、OBからもクレームがついたためである。
10.公務員制度改革に賭けた原英史氏、埋蔵金をはじめとする数々の霞が関のカラクリを暴いた高橋洋一氏、小泉改革を支えた岸博幸氏ら、改革意欲に燃える能力の高い役人は結局、自らの組織を見切るしかなくなった。霞が関だけは過去の遺物ともいえる年功序列制と身分保障をいまだに絶対的な規範にしている。国民に対して、結果を出せなければ責任を取るべきなのに、悪事を働かない限り降格もない。年金がなくなっても、歴代の社会保険庁の長官は、いまだに天下りや渡りで優雅な生活を保障されている。
11.実績は関係ないので、国民のために働こうという意欲はどんどん失せてく。身分保障と年功序列制度が縦割りの組織と一体となり、がんじがらめになっている現在の状況が続くのなら、霞が関が自ら改革に踏み切る日は永遠に来ない。民主党政権は天下りの根絶を目指し、斡旋を表向き全面禁止した。だが、禁止しただけでは問題は解決しない。出口を閉じても結局は、いままで外に出していた人を省内で抱え込むことになるからだ。(抜け道だらけである) -
「NHKニュースウェブ」から転載。直接には「東海アマ」ツィッターで知った記事である。
原発関連の記事にはほとんどの人がもはや不感症になっていて、聞いても何も感じないだろうし、あるいは放射能と共に生きる覚悟をしているかもしれない。だが、それは大人の話であって、子供の未来を大人が無責任に扱うわけにはいかないだろう。
下記記事の「専門家」の発言、「微量なので、健康に影響が出るとは考えにくい」は、おそらく何の根拠もない発言だと私は考えている。日本に放射能研究のデータがどれくらいあるというのか。
戦後に広島・長崎でデータが集められたにしても、不完全なデータであったはずだ。そもそも、生きるのに精いっぱいだったあの当時に、子供の放射能被害の研究がどの程度行われたか疑問である。
彼ら「専門家」は、「国の放射能基準がこうだから、その基準値を下回っていれば問題ない」という程度の判断しかしていないはずだ。ところが、その「基準値」が福島原発事故直後に大幅に上方修正されたのである。そんな「基準値」に何の正当性があるだろうか。
甲状腺から放射線が検出された子供はすでに「内部被曝」をしているわけであり、内部被曝は外部被曝の何十倍何百倍の危険性がある、と私は理解している。チェルノブイリ原発事故でも子供の甲状腺から放射能が検出された例が多く、それらの子供たちはのちに甲状腺の手術を必要とした。
福島原発周辺の若者や子供たち(子供を持った親)はやはり他県への移住を決断するべきだろう。
「嘘も百回言えば真実になる」と並ぶ人民支配の原理は「人の噂も七十五日」である。あまりに同じような話ばかり聞かされるとうんざりしてきて、どうでもよくなるのだ。3.11直後は社会批判の記事や政治批判の記事でにぎわっていた各種ブログも、最近は下火になりつつあるという印象を私は受けている。
日本人はもともと持続力に乏しい民族である。すべてを「水に流す」のが好きなのだ。
怒りを持続すること、戦いの気力を持続すること、それがこれからは大事になってくるだろう。
(以下引用)
子どもの甲状腺から放射線検出
8月13日 16時48分
東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、福島県内の1000人以上の子どもの甲状腺を調べたところ、およそ半数から放射性ヨウ素による放射線が検出されたことが分かりました。専門家は「微量なので、健康に影響が出るとは考えにくいが、念のため継続的な健康管理が必要だ」としています。
この調査結果は、13日、東京で開かれた日本小児科学会で、広島大学の田代聡教授が報告しました。田代教授らのグループは、国の対策本部の依頼を受けて、今年3月下旬、福島県いわき市や飯舘村などで、1149人の子どもを対象に甲状腺への被ばく量を調べる検査を行いました。その結果、およそ半数の子どもの甲状腺から放射性ヨウ素による放射線が検出されたということです。田代教授によりますと、甲状腺への被ばく量は100ミリシーベルト以上に達した場合に健康に影響が出るとされています。しかし、今回検出された放射線から換算される甲状腺への被ばく量は、子どもへの影響を最大限に考慮しても、最も多い人で35ミリシーベルトで、「健康に影響が出る値ではない」ということです。田代教授は「微量なので将来、甲状腺がんが増えるとは考えにくいが、万が一の場合にも対応できるよう継続的な健康管理が必要だ」と話しています。検査の結果は、来週以降、国の対策本部から子どもや保護者に通知されることになっています。 -
菅総理の退陣が確定して、次期総理の話がかまびすしいが、現在出ている総理候補はどれも総理の器ではない。
もちろん、小沢一郎がベストだし、小沢が駄目なら森ゆう子という手もある。あるいは田中真紀子なども、米国の支配に敢然と立ち向かえる人材だろう。
これまでろくな政策構想も持たず、日本の政治と日本の未来のために戦ったこともないくせに、総理になりたがっているだけの樽床とか鹿野とか、小沢鋭仁とか、野田とか、海江田とか、あるいは米国の御用聞きの前原などが、なぜ総理候補として名前があがるのかと言えば、もちろん、それが米国の意思だからだ。そういった連中を総理にしたら、日本にとっては菅総理以上の災厄だろう。
そこで、現在の民主党、あるいは政権与党の人材の中から、仮に小沢政権が誕生した場合の閣僚を選んでみた。べつに彼らについて調べたことはないから、ほとんど直感だ。
この中の、たとえば蓮舫など、悪評だらけだが、その悪評の大半は弁のたつ才女・美人への嫉妬や反感がほとんどだろう。だが、事業仕分けは彼女の一存でやったことではない。無駄な政府事業をカットするのは菅内閣の方針だったのであり、彼女がそれを熱心にやりすぎたからといって非難されるのはおかしいだろう。それが間違っていたなら枝野も同罪なのである。人格はともかく、彼女が才能のある人間であることは確かだろう。
また、松本龍は、あの傲岸不遜な知事会見放映のせいで最低の政治家と見做されたが、あれは外資による松本潰しの策略に引っ掛かったのであり、実際には有能な政治家だという評判も聞く。米国によるTPP日本収奪作戦と戦うためには、あれくらい強面の政治家がいいだろう。もっとも、他に適当な人材がいれば、松本ドラゴンにこだわるまでもない。
そういう意味では枝野も使える政治家なので引き続き官房長官にしてみたが、松下政経塾出身者は売国奴集団であり、内閣に入れないほうが安全かもしれない。まあ、おしゃべり(政府広報)だけなら沖縄選挙区出身の玉城デニーもタレント上がりだから、使えるはずだ。なあに、レーガン大統領の例を見れば分かるように、しゃべるだけなら、政治家とタレントは、脚本家次第である。レーガンやブッシュジュニアなど、ただの操り人形にすぎなかったことは誰でも知っているだろう。
福田衣里子など、まったくの新人だが、森ゆう子と同様に、女性らしい健全な人生観・生命観・正義感がある人間であるなら新人が大臣になってもかまわないだろう。もちろん、彼女を選んだのは、何と言っても「顔が可愛い」からだが、経歴も筋が通っている。
防衛大臣を横路孝弘にしたのは、もちろん旧社会党の持つ「憲法第九条尊重精神」を期待してだ。
その他は説明を省く。中には、ボディビルをやっていて筋肉自慢の馬淵澄夫なら、国土建設という土方仕事向きだという冗談からの選出もあるが、彼は実際、「耐震偽装証明問題」でよく働いた実績もある。まあ、総理よりは大臣クラスの人物だろう。
最後になったが、総務大臣は電波関係を扱う担当大臣でもあるので、森ゆう子には、ぜひ電波利権にメスを入れ、日本のマスコミの腐敗を徹底的にあぶり出してほしい。小沢問題でほとんど単身で戦ってきた彼女なら、それができる。そして、小沢の次は亀井か森ゆう子総理である。
小沢一郎が現在訴追されていて総理になれないというなら、亀井静香総理が現在のベストの選択だろう。もちろん、それも常識では不可能だろうが、いやいや、世の中、何がどうなるかは分からないよ。何でこんなのが総理になれたの、という例は自民党時代にゴマンとある。いや、自民党だけでなく、細川にしても村山にしても、偶然が偶然を呼んでマグレで総理になったようなものだ。
念のために付記しておくが、大臣名は不正確な略し方をしている。正式名称を書くと長くなるし、正しい略し方はよくわからないからである。財務大臣など、昔は大蔵大臣でよかったのだが、大蔵省は、現在は財務省と財政省とに分かれているかと思う。
もう一つ補足すれば、鈴木宗男が官僚内部の反ロシア勢力の陰謀で現在、監獄に入っていなければ、彼は何かのポストにつけるべき人間である。それだけの骨のある人物だ。
小沢(亀井)内閣試案
総理大臣:小沢一郎(亀井静香)
副総理大臣:亀井静香
官房長官:枝野幸男(玉城デニー)
総務大臣:森ゆう子
財務大臣:鳩山由紀夫
経済産業大臣:田中康夫
法務大臣:川内博史
防衛大臣:横路孝弘
文部科学大臣:福田衣理子
厚生労働大臣:長妻昭
国土交通大臣:馬淵澄夫
環境大臣:蓮舫
農林水産大臣:松本龍
まあ、私は皇帝を僭称しているので、彼らを任命する資格もあるわけだ。任命式は日本の「敗戦記念日」の8月15日でどうだろうか。
ついでと言っては何だが、次期総理に関して「毎日崖っぷち」ブログに、崖っぷち社長とスロウ忍氏とのやり取りがあったので、それも掲載しておく。
(以下引用)
ところで、この件に関連して、スロウ忍どのからコメント入ってたので、ちょっとその話を。
------
毎度!
またまた紹介ありがとう。
さて、ポスト菅についてだが、小沢一郎はあの通りだし、亀井静香や田中康夫が就くことも当然ないわけで、国民はまともな選択肢がゼロという絶望的な状況である。
石を投げればアメポチ松下政経塾か民主党のフリをした自民シンパ(大連立を掲げている馬鹿幹事長筆頭に)のマニフェストクラッシャーしかいないわけだ。
だから、消去法的に菅継続しかないだろう、、、そう俺は思っていたわけだ。
それに、デフレ政策をやっているのも菅本人というよりも、内閣に何故か入り込んでるデフレ妖怪とか自民シンパだからね。ちがうかな。もちろん、首相としての責任は当然あるわけだが。
まぁ菅が退陣する状況で盛り上がってるマスゴミを見ていると、絶望という文字しか浮かんでこないのだ。
民度に合った政治家が選ばれるというけど、本当にそうかなぁと最近思い始めた。政治家を選んでいるのはマスゴミだろう、と。おっと、其れも民度の表れか。
------
言ってることメチャクチャよくわかるよ(笑)。
ていうか、スロウ忍どのもおいらも、基本的には同じこと言ってんだよね。
マスコミから聞こえてくる総理候補って、ほんとに新自由主義系のとか、増税路線のとか、原発大好き系とか、TPP大賛成とか、ほんとにろくでもないのばっかりなんだよね。
そいつらが政権を取ることを考えたら、そりゃまあ菅直人のほうがはるかにマシってことになるのは間違いない。
でも、なんというか、そんな不幸な選択をしなきゃならんというか、スロウ忍どのほどの人が菅直人なんぞを肯定しなきゃならんような政治情勢って、ほんとになんか辛いよね。
この間のいろんな騒動を見てきて思うわけだが、ほんと、表でも裏でも構わんので、小沢一郎に頑張ってもらうしかないってことだな。 -
「darkness of asia」というブログから転載。直接には「株式日記と経済展望」の今日の記事から知ったブログ記事である。
イギリスでの暴動は、国民の経済的困窮と政治全般への不満によるものだろうが、その原因となったのがグローバリズムと、それに伴う移民の増加である、という指摘はおそらく正しいだろう。記事の後半には、日本でも「日本人対韓国人」の暴力闘争が起こるという予測が書かれているが、そこは割愛した。そうした記事は、意図がどうであれ、かえって両者の民族間憎悪を煽るきっかけになる可能性があるから、あまり触れないほうがいいと思うからだ。
日本では移民はそれほど多くはないから、政治への不満が移民への憎悪に転化することはなさそうだし、日本は今年に入ってからの大災害の連続にも関わらず、本当は世界最高の経済的体力があるという増田俊男の分析に私も同意している。政治による所得再分配をもう少しちゃんとやれば、日本国民は世界有数の幸福な国民となれるはずだ。まあ、国富(国家利益)の大部分を米国に献上していては無理、という面はあるが。
したがって、日本でイギリスのような暴動事件が起こることは無いと私は見ている。まあ、せいぜいが反韓デモでのこぜりあいくらいか。
ついでながら、イギリスでかつての植民地インドの財閥がイギリスのブランド企業の所有者となってイギリス人の憎悪を買っているという記事も同じブログの別記事にあったが、これは日本における韓国とまったく同じである。つまり、かつての被支配者を属国での支配者に仕立て上げ、属国国民の憎悪をその「現地統治者および統治民族」への憎悪に振り向けるという方式だ。もちろん、そのインド財閥や韓国人大金持ちは、ユダヤ・アングロサクソンによる「傀儡」である。これはローマによるユダヤ支配の方式をユダヤが学び、踏襲したものだ。
(以下引用)
2011年8月7日日曜日
暴動・デモ・政府批判。日本でも民族対立の暴力がやがて生まれて来る
現在、イギリスで暴動が起きている。これは銃犯罪取り締まりの警察官がタクシーに乗っていた黒人の男性と撃ち合いになって射殺したことによる抗議デモが発端になっている。
このデモは300人規模の小さなものだったが、一部が暴徒化して火炎瓶が飛び交う騒ぎになり、パトカーや2階建てバスに次々と燃え広がったという。近くのスーパーも襲撃されて略奪も発生している。
移民と住民の軋轢が底にある
多くの新聞はその背景についてはあまり触れていないが、いくつかの英語のサイトを当たっていると、その背景にはイギリス社会に巣食う複雑な事情が垣間見える。
イギリスは現在、ニューヨークとも並ぶほどの「移民都市」になっているのだが、それと同時に移民排斥や宗教嫌悪、人種差別が強くなってきている。
具体的に言えば、有色人種の移民である黒人・インド人に対する排斥や差別、イスラムに対する嫌悪がイギリスでも野火のように広がっている。
イギリスも暴力事件や治安の悪化が叫ばれるようになっているし、先日急逝したばかりの歌手エイミー・ワインハウスがドラッグ漬けだったのを見ても分るとおり麻薬も蔓延している。
住宅街にも麻薬の売人がうようよしているような状況で、かつてのクリーンなイメージはもはやイギリスにはない。
最後まで麻薬と縁が切れなかったエイミー・ワインハウス
なぜここにきて突如として移民や有色人種に対して軋轢が生じているのかというと、現在世界を覆っている不況がその一因となっているのである。
不況になると相対的に仕事が減る。仕事が減ると移民の排斥運動が起きる。「奴らが我々の仕事を奪っている」となって不満の矛先が移民に向くのである。
現実には、不況になるともっとも先に首を切られるのは移民側なので、困窮した移民の中には犯罪に手を染める人間も続出して、それがますます移民の見る目を厳しいものにする。
国に余裕があるとき、移民は3K(きつい、汚い、危険)な仕事に従事させられて社会から無視されるが、余裕がなくなると見捨てられて治安悪化の原因にさせられる。
グローバリズムがローカルと対立
そういったこともあって移民側と住民側の対立や軋轢や反目は、事件があるとそれがきっかけとなって暴発していくことになる。
今回の暴動もまたそういったイギリス社会の底に溜まったマグマの爆発のひとつだと見れば分かりやすい。
2011年7月22日に起きたノルウェーのテロはひとりの男が移民やイスラムの流入することに反旗を翻した事件だが、この事件とイギリスの暴動は根のところでつながっている。
グローバル社会とは人も金も国境を越えるのを認める社会である。それによって弱まっていくのは「国家」と「民族」の概念だ。
企業はモノを安いところで作って、高いところで売れば儲かることを知っている。だから、多国籍企業は常にそうやって動いて来たし、常にグローバル派である。
どこでも工場を作れることやどこでも売れること、あるいは持っている金をどこにでも動かせることや、それに規制がないことは、企業にとっては今やもっとも重要な命題になっているのである。
だから、グローバリズムは推進される。そして、それこそが地域愛、郷土愛、愛国心のあるそれぞれの国の人たちと鋭く対立していくことになっているのである。
金儲けに愛国心は必要ない。むしろ邪魔なものだ。また労働者は安く使えればそれに越したことはないので安く働いてくれる移民は大歓迎である。
政府も人口が増えれば税金が増えるし、移民で企業が潤えば企業からの税収も増えるから移民には積極的になる。
騒乱の嵐になっていく
ノルウェーの移民反対・異宗教反対のアンネシュ・ブレイビクは、「極右」「精神異常者」と烙印を押されてそれ以上の分析はされない。
しかし、アンネシュ・ブレイビクのテロは、企業や政府が国民の感情と対立するかのように進めてきたグローバリズムに対して真っ向から暴力で挑んだ姿でもある。
どのみち、平和運動で「多文化反対!」「グローバリズム反対!」とやっても埒があかないと悟った上で、入念に計画して世界を揺るがすテロに走ったのだと言える。
もしアンネシュ・ブレイビクがプラカードを持って「グローバリズム反対!」とやっているだけなら、私たちは彼の名前を死ぬまで知らなかったはずだ。
そして、ノルウェーでこのようなグローバリズムが社会を破壊していることにも気がつかなかったはずだ。
彼は大量殺戮というデモンストレーションを通して、世界にノルウェーの問題を知らしめたということになる。
暴力は激しい嫌悪と批判を巻き起こすのだが、暴力によるインパクトは歴史すら変える。
これが反グローバリズムの巻き返しだという見方をすれば、移民の暴動やデモに加えて今度は反グローバリズムのテロや暴動まで加わるのだから、ヨーロッパが騒乱の嵐になっていくのは容易に推測できる。
騒乱を収めるには経済的な成長が必要なのだが、今の欧州はどうなっているのか。ギリシャ問題から派生したユーロ危機は、今やイタリアにまで伝播している状態だ。
イスラエルの抗議デモ
経済状況が良ければ人々は寛大でいられるが、経済的に追いつめられる人たちが増えていくと、寛大さは失われて不満は何らかの形で暴発していくことになる。
今日はイギリスが暴発しているし、ここ最近はイスラエルでも大きなデモが起きているのが報道されている。
2011年1月から起きた北アフリカの暴動は、チュニジアの国民が起こした「物価高」に対する抗議が発端だった。
今イスラエルで起きている30万人規模の超巨大デモもまた「住宅価格高騰」「物価高」を背景にしたものである。イスラエルのデモと言えば、今までは宗教的・政治的なものばかりだった。
ところが、今起きているのはそんなものではない。経済的なものなのである。
チュニジア、エジプト、サウジ、イエメン、ヨルダン、シリア、リビアとまわりの国が民主化デモで大混乱しているこの最中に、イスラエルでも物価高騰を背景にした大規模デモが起きている。
アラブの民主化運動が、アラブではないイスラエルにも伝播しているのはどこか奇妙な姿に見える。イスラエルがアラブ国家に「民主化デモ」を起こさせて混乱させていると主張している人もいたからだ。
今起きているのはイスラエルそのものに民主化デモが起きて混乱している姿である。
イスラエル政府は常に擁護されるので、イスラエルのデモはあまり大きな扱いにならないが、30万人の人々が集まるデモと言えば尋常ではない。数日後には内閣が瓦解するレベルである。
物事を単純に考えるのであれば、国民が経済的に困窮しつつあり、不満が渦巻いているのだと考えれば分かりやすい。
日本でも民族対立の暴力が生まれる
貧しくなっていく国民は必ず暴動やデモや政府批判を行動で示すようになる。
日本も恐らく例外ではない。 -
「ロックウエイ・エキスプレス」から転載。
私はイギリスの暴動を面白がって見ていることを告白する。正直に言えば、この暴動がもっと拡大し、イギリス政府が潰れれば一番いいと思っている。いや、フランスにもこの暴動が飛び火し、アメリカにも飛び火すればいいと思っている。
「世界同時革命」などと全共闘みたいなことは言わないが、世界を覆う「強欲資本主義」と、それによる世界人民の奴隷化からの脱出を願うからである。最終的には、政治の表舞台に出てこない影の支配者、経済的世界支配層を表に引きずり出し、彼らをギロチンに掛けることをしないと、根本的な解決にはならないだろうが。
つまり、これまでのような「革命」は真の革命にはならない、ということだ。時の政権を倒しても、問題は何一つ解決しない。またしても「彼ら」が意のままに扱える別の傀儡政権が政権を取るだけだ。
それは日本でも同じであり、自民党政権が倒れ、民主党政権が誕生したら、「彼ら」の息のかかった売国奴集団が民主党執行部を乗っ取り、民主党を根本から変質させてしまった。
いたちごっこである。しかし、我々はこのいたちごっこを、あきらめることなく続け、「彼ら」を追い込んでいくべきだ。「彼ら」もけっして全能ではない。ただ膨大な金と巧妙な支配システムを持っているだけだ。
作家殊能将之のツィッターを私は愛読しているが、そこに「全共闘くずれのような爺さんが革命を煽っているが、革命が実現したらそういう爺さんたちが真っ先に叩き潰されるんだぜ」という趣旨の発言が載っていた。他の人の発言の引用のようだが、もしも彼がそれに同意しているのなら、残念なことである。何度も言うが、革命は必ずしも暴力革命だけではない。現状をできるだけ早く、根本的に変えたいという気持ちがあるなら、それは革命を望んでいるということなのだ。選挙での投票行動による政権交代こそが、もっとも正しい革命だと私は何度も言っている。一度で駄目ならもう一度政権を交代させる。それを何度でもやればいい。
ついでながら、私は学生時代には学生運動を嫌悪していた人間であり、年をとってから社会主義を信じるようになった者である。その社会主義は、マルキシズムなどではなく、漸進的社会主義の方だ。G・B・ショーなども参加していたフエビアン協会などの考え方である。当時の進歩的知識人の多くは、社会主義に肯定的だったのであり、ソ連の抑圧的社会主義と資本家による「反共プロパガンダ」のために、社会主義嫌悪が世界中に広がるのはその後のことだ。
(以下引用)
ロンドンは燃えさかり、トリポリは静穏に
ロンドンは燃え盛る
◆8月10日
ロンドンの大騒乱状態にイギリス警察も取り締まり強化を図っているようだが、リビアでイギリスがしたように、今度はイギリスで起きた「反乱」にリビアが武器の支援でもしたら、どうか? と指摘することで、欧米とくにフランス、イギリスなどのリビア戦争の急先鋒諸国に対する、対リビア姿勢の欺瞞性を明らかにしている記事が以下である。
既にこのブログでは、「彼らの足元から始まる(7月5日号「フランスは反カダフィ派に武器供与」)、と正に今回の事態がおきることを予想していたことを指摘しておく。もっともフランスではなくもう一方のリビア攻撃主要国のイギリスからだったが。自分達が行う事がやがては反射して自らに戻ってくるのがこの世界の原則である。そして今や時間の進み方が加速しているから、反射して返ってくるのにあまり時間を要しなくなっているので、すぐ結果が出るようになってきているのだ。
従ってこの分では、フランスで似たような事態が生じるのにもあまり時間は掛からないのではないだろうか?そしてサルコジ大統領の終焉は無残な結果となるだろう。
またリビアでは反乱組の指導者の将軍が殺害されたのも、反乱組そのものが雑多なグループに分かれていて、300億ドルのリビア凍結資産を誰が獲得するか、という点で仲たがいする可能性があったからだ。既にこのブログではそのような事情を示していた(7月5日号「フランスは反カダフィ派に武器供与」。
昨日のブログで指摘したように、最近の「アラブの春」は「中東の春」となり、やがては「ヨーロッパの春」、「アメリカの春」、「中国の春」、へと続いていく。ロンドンの通りで起きたことは今度はフランスのシャンゼリゼで、アメリカのタイムズ・スクウェアで、中国の天安門広場で起き出すのが遠い未来の話ではなくなるだろう。
(実際今月13日には、アメリカはハーレムでリビア戦争反対の100万人大行進が計画されている・・・これが今回のアメリカの経済・金融崩壊と相まってどんなデモに変化するか、場合によっては今回のロンドンのような事態が早くもニューヨークでも出来(しゅったい)する可能性があると指摘しておく)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●ロンドンは燃えさかり、トリポリは静穏に
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=25949
【8月9日 Black Star News】
もしもリビアが今、ロンドンの「反乱者」に武器を支援したとしたらどうか想像してみて欲しい;もしもリビアが軍事顧問団をイギリスに送り、「反乱者」に訓練を施したらと想像してみて欲しい;フランスとイギリスは何十名もの軍事顧問団をベンガジに送り、「反乱者」に訓練を施したのだから。
リビアのトリポリの通りは静穏だが、リビア戦争に介入している帝国主義勢力の主要国であるイギリスの首都ロンドンの通りでは、炎の騒乱が起きているというのは、皮肉な事態ではないだろうか?
三日目となるこの日、ロンドンでの大荒れの抗議活動は継続しているだけでなく各地に飛び火しだしている。29歳の男性が警官に殺害されたのを受けて、バーミンガム、リバプール、マンチェスター、ブリストル・・・企業メディアの言う「民俗学的に多様な低賃金地区」に広まっているのである。
言い換えれば、失業率と強硬な警察行動が顕著なところだ。
国内の問題に集中する代わりに、経済的に問題の多いイギリスはそれでもリビア戦争に介入し石油支配をめざしている。これは常軌を逸したフランスのサルコジ大統領が、彼の友人であるベルナー・オンリ・レビの要請によって始めた戦争だ。この人物は、この戦争をファッショナブルで、「シック」な戦争であり、やればフランスが再び世界的に存在感を示せると考えたのだ。サルコジは外務大臣にさえ連絡をしないで、リビアの運命を決定するような事柄を神のようにレビに自由に意見を述べさせ、そしてリビア介入を決定したのだ。
その間、こちらも最近では最悪となる経済・金融危機に直面しているアメリカは頑固にもアフリカ連合の和平プランを正式に承認することを拒否している。この計画は、殆どのアフリカ諸国が支援しているものだが、まず停戦を呼びかけ、ついで憲法のための交渉を行い、あらゆるリビア人が参加する民主的選挙を行うというもの。
同時に、ベンガジにいるサルコジの「反乱者」はお互い同士でやり込めあっている。サルコジの「反乱者」は最近彼らの軍司令官のアブデル・ファタ・ヨウネス将軍を殺害した。彼の弾丸を浴びた体は彼の二人の高級将校の体と共にベンガジの通りで焼かれ投げられた。
正に本日、このサルコジの「反乱者」はベンガジで自分達の政府を解散してしまった。ヨウネス将軍の支援者らの殺害に対する報復の誓いと共に、非難とそのまた非難がアルカイダやイスラム戦闘戦線を含む多くの「反乱者」組織間で飛び交った。
これらの者たちは、いうなれば、「リビア民主勢力」であり、アメリカ国内で凍結されている300億ドルのリビアの資金を自由に出来る権利を獲得するところだった者たちだ。この者たちは今や明らかに分裂した別々の道を取り始めている。
しかし、この反乱者らの反民主的な実態は前もってニューヨーク・タイムズ、CNN、BBCなどを含む柔軟性あるメディアによって覆い隠されていた。NATOの戦争のチアリーダー的立場にあるこれらの企業メディアは、他のアフリカ諸国からやってきた移民労働者や黒リビア人に対する反乱者らによる処刑の事実、あるいは6月21日ウォール・ストリート・ジャーナル紙の報じたミスラタでの黒リビア人の民族浄化の仕打ちを無視してきた。ベンガジで集団墓地がブルドーザーで埋められたことは、タイムズ誌、CNNあるいはBBCでは報じられていない。
◆しかしプロパガンダは多くを隠すだけ
皮肉にも、ヨウネス将軍の殺害は、イギリス王国が愚かにもこれらの黒リビア人の殺害者を「正当な」リビアの代表者であると承認したその当日に起きているのだ。イギリスの決定はフランス、イタリア、アメリカが似た形で追った。
トリポリの150万人を含むリビアの西半分に住んでいる大多数のリビア人は、サルコジの「反乱者」が勝利することを願っていることを明らかにする何物も示していない。反対に100万人以上のリビア人がトリポリで、サルコジの「反乱者」を非難し政府を支援することが判明したと言われている。
イギリスの指導部によりロンドンの通りの騒乱からなんらかの教訓を引き出す事ができるかもしれない;外国の主権国家の問題に露骨に干渉することに対する訓話だ。
もしもリビアが今、ロンドンの「反乱者」に武器を支援したとしたらどうか想像してみて欲しい;フランスは国連決議1970に違反してリビア西部に武器をパラシュートで投下して支援し流血の惨事を加速させたのである。
もしもリビアが軍事顧問団をイギリスに送り、「反乱者」に訓練を施したらと想像してみて欲しい。フランスとイギリスは何十名もの軍事顧問団をベンガジに送り、「反乱者」に訓練を施したのだ。
もしもリビアがロンドンの「反乱者」の「指導者ら」に聖域を与え、その他の国々を招待し、ロンドンの「反乱」の進展をモニターし、資金提供を誓約するため定期的に会合を持つ「接触グループ」を作ったとしたら、どうか想像してみてほしい。
もしもリビアがアフリカ連合に戦闘機を連合軍に提供させ、「イギリス国民を保護するため」、アフリカ連合によって承認された「必要とされるあらゆる手段」を使用することで、ロンドンとダウニング10番街の空爆を開始したらどうか想像してみて欲しい。
もしも、世界からの親「反乱者」のジャーナリストの群れがロンドンに来て、一方的なニュースを報じたら、「反乱者」側からだけのニュースを、どうなるか想像してみて欲しい;キャメロン首相や警察官たちからの報告も含めてイギリスとロンドンの正式な筋からの声明に対して嘲笑や疑惑でもって対したら、どうであろうか?
◆教訓はロンドンを越えて行く
アメリカと西欧の経済は、金融的混乱と市場の不安定さの中で長期に渡って困難が継続するであろう。世界経済の中で自らの位置を回復できない国々が出てくるであろう。警察関連も含めた政府関連支出の削減と共に、また社会福祉政策費の削減などで、これからもっと社会的騒乱が増大することだろう。
このようなシナリオを見れば、ロンドンは始まりに過ぎないのであり、NATOメンバー国の大通りが炎で消失する騒乱が起きている時に、NATOが腐敗した「反乱者」のためのリビア空爆を継続することはまことに馬鹿げたことである。
アフリカ連合はリビア問題への平和的解決策を提案している。
