「逝きし世の面影」記事の一部で、例によって文章が曖昧模糊としていて論理の道筋がつかみにくいが、そこが宗純氏のズルいところでもあり賢いところでもあるのだろう。まあ、基本的に賢者が高い所から谷底を見て、瓜や茄子の花盛りじゃわい、と呟くようなブログであり、それはほとんどのブログに共通している。私のブログも他者批判ばかりだが、褒めるところは褒め、他の賢者は素直に認めているのは、私自身が自分の頭をさほど信じていないからだろう。まあ、宗純氏のようにマスコミウォッチをする気力も趣味も無いから、「逝きつつある世の面影」を知るには便利なのがこの「逝きし世の面影」だ。宗純氏のシニカルさも文章の薬味であるが、論理がつかみにくいのは少々困る。
なぜこんな事を言うのかと言えば、下の記事の中で「やるはずだったのにやらなかった本土決戦」がどのような意味を持つのかが書かれていないからだ。それが現在の日本の知的退廃と政治腐敗の原因だ、とでも言うのなら、明確にそう書くべきだろう。
「やるはずだったのにやらなかった本土決戦」は実は庶民に至るまで当時の日本人のほとんどが思っていたことなのである。そのために天皇や時の政府を批判したのは「この世界の片隅で」のすずさんだけではない。だれもがその覚悟をしていたのだ。無条件降伏受諾で膨大な数の日本人の命が救われたが、それを不満とした「国と共に死ぬ覚悟をしていた国民」もまた膨大にいたわけだ。
私は昭和天皇が(主に軍部の暴走と天皇への甘言で)戦争を始めたことは批判しない。批判点は「やめ時を間違った」ことだけだ。沖縄に米軍が上陸した時点でやめるべきだったのである。あるいは日本本土への空襲が始まった時点でやめるべきだったのである。まあ、あの時の「空気」ではやめるのは不可能だったとは思う。
「帝国主義的拡張」は当時の日本人の総意でもあったわけで、今の人間がそれを批判するのも馬鹿げた話である。その思想を批判するより、膨大な犠牲を出したその経験が今も何も教訓になっていないということを批判すべきだろう。その亡霊が自民党や日本神道連(安倍一味)の「日本の軍事国家化」である。
(以下引用)
菅野完事務所 @officeSugano · 2019年1月11日
北方領土返せ!
全部返せ!
ソ連、許さねー!
ロシア許さねー!
威勢のいい右翼のごたるが、これ、今週の赤旗日曜版での、共産党小池書記局長の発言
相変わらず、共産党は領土問題では常に正論。 http://bit.ly/2RJ4fTs
日本共産党(志位和夫)のオウンゴール
今年2月24日のロシア軍ウクライナ侵攻でも政界最左翼の日本共産党が一番過激なロシアバッシングを繰り返しているし、なんとも不可解で捜査が始まってもいない4月4日ウクライナの首都キエフ近郊ブチャ大虐殺でも同じで一番過激な「ロシアが悪い」「ウクライナへの支援」(ロシアやプーチン大統領の懲罰)を絶叫しているのが日本共産党(志位和夫)なのである。(★注、もちろん「ロシアが悪い」が選挙で共産党支持が増えて1票でも得られるなら政治的には正しいので賛成するが、話は180度逆さま。「ロシアが悪い」では必ず日本共産党(志位和夫)が大敗する)
2022年03月23日11:45 志村建世のブログ - ウクライナ侵攻で四面楚歌となっているロシアのプーチンが、日本との戦後処理問題である平和条約交渉を、一方的に打ち切ると通告してきたとのことだ。北方領土については、私にも「ビザなし交流」の事業に参加して、国後島のロシア人家庭を訪問し、通訳つきながら会話した経験もあって、多少は身近に感じている。
日本の敗戦の直前に、ロシアの前身であるソ連は、まだ有効期間中だった「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄して日本に宣戦し、わずか一週間の参加で南樺太から千島列島までの広大な地域を占領したのだった。しかもその大部分は、日本の降伏後に、アメリカ軍の不在を確かめながら行われた。まさに「火事場泥棒」の所業である。
(抜粋)
連合国(米ソ)の共同作業だったソ連軍対日参戦
宗純 2022年03月25日 10:23
>「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄して日本に宣戦し、わずか一週間の参加で南樺太から千島列島までの広大な地域を占領したのだった。しかもその大部分は、日本の降伏後に、アメリカ軍の不在を確かめながら行われた。まさに「火事場泥棒」の所業<
ですが、これは歴史的事実とは違っています。
樺太南部の返還と千島列島の引き渡しと引き換えに、ソ連の対日参戦が決まった45年2月のヤルタ会談の直後、ともに連合国だった米ソは「プロジェクト・フラ」と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた。
米国は45年5~9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与。
4~8月にはソ連兵約1万2千人を米アラスカ州コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。コールドベイには常時1500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の指導に当たったことが資料で判明しています(★注、今回1945年に失効している第二次世界大戦のアメリカ製軍事物資の貸与法を77年ぶりにアメリカ議会が可決しているのですから不気味)
「行われるはずだったが、行わなかった本土決戦」
ソ連の独断ではなく米ソの共同作業なのですが、それならアメリカのルーズベルト大統領の目的とは白井総が指摘している「行われるはずだったが、行わなかった本土決戦」の回避なのです。
ところが、この一番核心部分を日本では右翼左翼の区別なく全員が認めたくないのである。結果的に日本では奇妙な与野党や右翼左翼の区別が無い挙国一致のソ連(ロシア)バッシングが行われることになる。
もしも、ドイツ降伏から3カ月後のソ連軍対日参戦が行われなければ、御前会議は開けれることもないし日本のポツダム宣言受諾(無条件降伏)もない。もちろん「玉音放送」も無いので日本全土が沖縄と同じ地獄の地上戦に突入します
「日本沈没」の小松左京の創作動機の根本に「必ず実行するはずだったのに、・・・行わなかった本土決戦」というテーマ
日本人全員が難民となる「日本沈没」や、それ以上に今の正体不明、奇妙奇天烈摩訶不思議な新コロ騒動に一番ピッタリの「復活の日」の小松左京の根本命題とは、新進気鋭の政治学者白井総によると、「やるはずだったのに、やられなかった本土決戦」ということだったらしい。目も眩むほどの何とも恐ろしい話である。
自分が知らない日清日露戦争の日本軍を天まで持ち上げるが自分が経験した悲惨な日中戦争やもっと悲惨な第二次世界大戦(対米戦争)は書かなかった不愉快で不真面目な司馬史観の原因とは、敗戦直前に満州から本土決戦で配置換えになったが、予定されていた本土決戦が回避され命拾いした司馬遼太郎の経験から生まれたらしい。(★注、戦争を経験した当時の知識人にとって「やるはずだったのに、やられなかった本土決戦」とは誰でも知っている一般常識と言うか必須項目。大人の日本人のイロハのイだったのである)
それなら「やるはずだったが、やられなかった本土決戦」との発想が何処にも無い今の志位和夫など道徳的なお題目を繰り返すだけの(思いっきり甘やかされて育った幸福な幼稚園児のように「自分の周りの大人に悪党は一人もいない」と信じている)、子供じみた「平和ボケ」の日本共産党執行部の今のような劇的な転向は、ある意味では必然だったのでしょう。2022年02月01日 | 共産党 【祝】与党入りした日本共産党 \(^o^)/
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