日本の敗戦の直前に、ロシアの前身であるソ連は、まだ有効期間中だった「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄して日本に宣戦し、わずか一週間の参加で南樺太から千島列島までの広大な地域を占領したのだった。しかもその大部分は、日本の降伏後に、アメリカ軍の不在を確かめながら行われた。まさに「火事場泥棒」の所業である。
(抜粋)
 
連合国(米ソ)の共同作業だったソ連軍対日参戦

宗純  2022年03月25日 10:23


>「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄して日本に宣戦し、わずか一週間の参加で南樺太から千島列島までの広大な地域を占領したのだった。しかもその大部分は、日本の降伏後に、アメリカ軍の不在を確かめながら行われた。まさに「火事場泥棒」の所業<
ですが、これは歴史的事実とは違っています。
樺太南部の返還と千島列島の引き渡しと引き換えに、ソ連の対日参戦が決まった45年2月のヤルタ会談の直後、ともに連合国だった米ソは「プロジェクト・フラ」と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた。
米国は45年5~9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与。
4~8月にはソ連兵約1万2千人を米アラスカ州コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。コールドベイには常時1500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の指導に当たったことが資料で判明しています(★注、今回1945年に失効している第二次世界大戦のアメリカ製軍事物資の貸与法を77年ぶりにアメリカ議会が可決しているのですから不気味)

「行われるはずだったが、行わなかった本土決戦」


ソ連の独断ではなく米ソの共同作業なのですが、それならアメリカのルーズベルト大統領の目的とは白井総が指摘している「行われるはずだったが、行わなかった本土決戦」の回避なのです。


ところが、この一番核心部分を日本では右翼左翼の区別なく全員が認めたくないのである。結果的に日本では奇妙な与野党や右翼左翼の区別が無い挙国一致のソ連(ロシア)バッシングが行われることになる。


もしも、ドイツ降伏から3カ月後のソ連軍対日参戦が行われなければ、御前会議は開けれることもないし日本のポツダム宣言受諾(無条件降伏)もない。もちろん「玉音放送」も無いので日本全土が沖縄と同じ地獄の地上戦に突入します



「日本沈没」の小松左京の創作動機の根本に「必ず実行するはずだったのに、・・・行わなかった本土決戦」というテーマ


日本人全員が難民となる「日本沈没」や、それ以上に今の正体不明、奇妙奇天烈摩訶不思議な新コロ騒動に一番ピッタリの「復活の日」の小松左京の根本命題とは、新進気鋭の政治学者白井総によると、「やるはずだったのに、やられなかった本土決戦」ということだったらしい。目も眩むほどの何とも恐ろしい話である。


自分が知らない日清日露戦争の日本軍を天まで持ち上げるが自分が経験した悲惨な日中戦争やもっと悲惨な第二次世界大戦(対米戦争)は書かなかった不愉快で不真面目な司馬史観の原因とは、敗戦直前に満州から本土決戦で配置換えになったが、予定されていた本土決戦が回避され命拾いした司馬遼太郎の経験から生まれたらしい。(★注、戦争を経験した当時の知識人にとって「やるはずだったのに、やられなかった本土決戦」とは誰でも知っている一般常識と言うか必須項目。大人の日本人のイロハのイだったのである)


それなら「やるはずだったが、やられなかった本土決戦」との発想が何処にも無い今の志位和夫など道徳的なお題目を繰り返すだけの(思いっきり甘やかされて育った幸福な幼稚園児のように「自分の周りの大人に悪党は一人もいない」と信じている)、子供じみた「平和ボケ」の日本共産党執行部の今のような劇的な転向は、ある意味では必然だったのでしょう。2022年02月01日 | 共産党 【祝】与党入りした日本共産党 \(^o^)/