「世に倦む日々」記事の一部だが、非常に重要なことを言っている。
それは「人々が気づきにくいプロパガンダ工作」であり「見えない洗脳用語」である。それを気づかせてくれた「世に倦む日々」氏の功績は大きい。
(以下引用)
それは「人々が気づきにくいプロパガンダ工作」であり「見えない洗脳用語」である。それを気づかせてくれた「世に倦む日々」氏の功績は大きい。
(以下引用)
この25年間、自民党や経団連以上に、財務省が強力に弱者から収奪する政策と制度を主導するようになり、無産庶民の負担を重くし、富裕者の負担を減らし、日本を純然たるネオリベ経済に改造して行った。そしてその政策方向性を、マスコミを通じて巧妙・狡猾に正論化して国民を洗脳した。”バラマキ”という言葉(悪性語)がその佞悪な政治を象徴する道具だ。
昔は”バラマキ”などという言葉はなかった。小泉・竹中の「改革」以前は、社会保障や教育や生活支援に充当する政府の政策経費に対して、”無意味で不要な散財”を意味する”バラマキ”という表現をあてがうことはなかった。90年代に入って、竹中平蔵など過激なネオリベ論者がこの言説を唱えることはあっても、政治家が言う図はなく、まして官僚や官僚の説明を代弁するテレビの報道関係者が言う幕はなかった。00年代以降、ネオリベ思想が支配的になり、社会保障や教育や庶民救済の政策予算が悪玉表象化され、それらの削減や後回しが当然視されるようになり、”バラマキ”の語に人々が痛痒を覚えることがなくなった。最近では、”バラマキ”の語の頻用は減ったけれど、”持続可能性”とか、”現役世代の負担減”とか、”世代間の公平感”などと、ネオリベ富裕支配層に便利な言葉が次々と開発され、無産弱者の収奪を正当化する言論と観念の体系は補強され、綻びを見せる気配がない。
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