家族もある意味では組織であり、それを「束ねる」場合には強制力が必要になる場合もある。このエピソードに出てくる父親にとって、家族が自分勝手な行動を取ることは許せない行為だったのだろう。そして、記述されているような、凄まじい暴力の場面となる。
はたして、これは家族だけの話だろうか、と私は思う。組織というもの、あるいは人間が作る小社会というものには、常にこういう側面があるのではないか。その暴力性が、構成員の「自発的隷従」の形を取る場合にはそれが見えないだけの話で。
そして、この家族の姿をテレビ画面でしか見なかった視聴者には、その裏側の暴力性はまったく見えないわけである。
(以下引用)
これを読んでいて、『検索禁止』という新書のなかで著者の長江俊和さんが紹介していた話を思い出しました。
長江さんは、自らがかかわっていた『大家族スペシャル』の思い出を書いています。
編集される前の撮影された映像をスタッフが集まってみる試写の中に、こんな場面があったそうです。
ある地方に暮らす大家族。画面にはしばらくの間、大勢の子供に囲まれた、賑やかな家族の日常風景が映し出されている。だがある日の夕食のことである。高校生の長女の姿が、食卓になかった。穏やかそうな父が、兄弟たちに聞くと、テレビに出たくないと、部屋に閉じこもっているのだという。「みんな出るって約束したのにな」。そう言って父親は二階にある子供部屋に向かった。カメラも、その後を追う。
子供部屋のドアを開けると、ふてくされた長女が勉強机に向かって座っている。どうして食卓に来ないのかと父が尋ねると、「テレビに出たくないから」と言う。突然、父は豹変する。娘に平手打ちを浴びせたのだ。一発だけではなかった。二発、三発。「みんなでテレビに出ると約束しただろ」。そう言いながら、父親は長女を殴り始めた。慌ててスタッフが静止しようとするが、父親は聞く耳を持たない。娘は必死に許しを請うが、父親は容赦しない。彼女の服が破けても、暴行は続けられた。再びスタッフが止めに入ると、父親は鬼のような顔でカメラを睨みつける。
「撮るな」
怒鳴りつけるように言うと、スタッフを追い出し、力任せに子供部屋のドアを叩きつけた。閉じられたドアだけを映しているカメラ。中からは、娘を殴打する音と、「お父さんやめて」と懇願する声が響いている。やがて、その声も悲鳴に変わってゆき……。
場面は変わった。畳の一画に、ポタポタと血のしずくがこぼれ落ちている。カメラを振り上げると、食卓についた長女が、鼻血をすすり上げながら味噌汁をすすっていた。唇の端からも血を流し、味噌汁を口に含むと痛そうに顔をしかめている。何事もなかったかのように、夕食を囲んでいる大家族一同。父の表情は、もとの穏やかな顔に戻っていた。しばらくすると、父が言う。
「やっぱり家族は、みんな一緒が一番いいな」
どうやら異変は、その夜だけだったようだ。翌日からはまた、賑やかで楽しそうな家族の日常風景が映し出されていた。
もちろん、父親が豹変した件の場面は、放送されることはなかった。
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