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徽宗皇帝のブログ

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今の時代にあえて「反体制」を標榜する意義
小田嶋師の「ア・ピース・オブ・警句」記事の一部だが、現在のSNS状況についての実に鋭い指摘である。ただ、「マルチアンチ」という言葉は、彼らに共通する特性である、「現体制擁護」(権力追従)という重要な性格を(あるいは意図的に)排除した言葉だと思うので、小田嶋師自身が「反体制派」あるいは「反体制派シンパ」だと思われたくない気持ちがあるにしても、現在のように体制という体制のほとんどすべてが腐りきっている状況では、あえてこの陳腐化した「反体制」や「体制(擁護)派」という言葉を新たに使う意義もあるのではないかと思う。
つまり、体制擁護派というのは、体制自体が優良な物件である場合にのみ建設的な意味を持つのであり、体制が悪の塊りである状況で体制擁護派であるというのは、権力追従の意味しかなく、当人(発言者)が富者の食卓の肉のお下がりを狙う犬であるということを自ら表明しているのである。

(以下引用)



 しかしながら、今回、私が本当に伝えたいと思っているのは、実は上記のポイントではない。私の本意は、特定の事件についての見解とは別の話にある。それは、冒頭でBLMの話を持ち出したことと関連している。


 どういうことなのかというと、私は、女性であれ、アメリカの黒人であれ、あるいは在日コリアンであれ辺野古の基地建設に反対している沖縄の住民であれ、何らかの理由で、抑圧や差別と戦っている人々を見つけると、反射的に逆張りをする人たちが、実は同じ集合に属する同じ人々であることに今回あらためて気づいたということをお知らせしたいと思って、それでこの原稿を書きはじめた次第なのである。


 実際、まるで別々な背景を備えた様々な別個の出来事についての、彼らの足並みの揃いっぷりは、ほとんど神秘的ですらある。


 彼らは、正義を要求していたり権利を主張していたりする人間へのいらだちを隠さない。


 その彼らの論法はいつも一緒で、
 「正義の反対語は別の正義だ」
 「自分の正義を確信している人間はどんな残酷なことでもやってのける」
 「地獄への道は善意の煉瓦で舗装されている」
 「正義に酩酊し糾弾の快感に嗜癖している人々が世界を破壊する」
 「反逆クールに酔っている人間は反体制という体制を防衛している」
 「弱者憑依の言説を唱える人間は、無敵の弱者を盾に自分たちの権益を拡張しようとしている」


 てな調子の逆張りのスローガンを連呼しながら、弱者に寄り添ったり差別に抵抗したり、人権の擁護を要求する人々を嘲笑し、攻撃し、相対化し、最終的には無効化しようと日々励んでいる。


 おそらく、彼らは、現状が現状のままであることを強く願っている人々で、そのためにこそ、あらゆる場所で、反人権、反・反差別、反PC(Political Correctness)、反BLM、反フェミニズムの旗を振っているのだろうと、当面、私はそんなふうに考えている。


 気をつけなければならないのは、彼らに「ネトウヨ」という雑なレッテルを貼る愚をおかしてはならないということだ。
 実際、彼らはいわゆる「ネトウヨ」とはかなりかけ離れた人々だ。
 主張において、ネトウヨと重なる部分を多く持っているとはいえ、彼らはほとんどまったく右側の人間ではない。


 では、彼らはいったい誰なのだろう。


 実は、私はいまもって彼らの正体をつかまえきれずにいる。


 いずれ、誰かが適切な名前をつけてくれることだろう。


 それまでは、単に「マルチアンチ」と呼んでおくことにする。






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