大阪の話をせねばならない。
気が重い。
というのも、最大限に気を使った表現を心がけても、話題が大阪に及ぶと、高い確率で、大阪の人々の反発を買う結果になるからだ。
これは、昔から変わることなく続いている傾向だ。
オダジマは、大阪では好まれていない。
残念だが、このことは認めなければならない。
当欄でも何回か書いたことだが、20代のはじめの頃、私は、大阪の豊中市というところに8カ月ほど住んでいたことがある。その当時から、自分がどう振る舞っても誤解されることに、当惑を感じたものだったのだが、その印象は現在に至っても変わっていない。
ものを言っている当人の自覚としては、特段に気取っているつもりはないのだが、私の素のしゃべりは、彼の地では
「気取っている」
というふうに受け止められる。
ほかにも
「インテリぶっている」
「ええかっこしいやな」
「あえてややこしい言い回しで人をケムに巻こうとしている」
と、評判は、さんざんだった。
私としては、普通の関東の言葉をしゃべっていたにすぎないのに、だ。
もっとも、身近に遠慮なくやりとりできる同年輩の友人が少なかったためなのか、当時は、他人行儀な敬語を使うケースが多かったとは思う。とはいえ、私は葬祭場の係員みたいなかしこまった日本語を振り回していたのではない。アカデミックな言葉を並べ立てていたわけでもない。
にもかかわらず、地付きの大阪の人たちは、私の舌先から漏れ出る早口の関東弁をどうにも軽佻な浮言として受け止めたのである。
お互いさまで、私の側も大阪の地元の人間に大阪の方言で話しかけられることにうまく適応できずにいた。そんなわけで
「はい? アカンというのはどういう意味ですか?」
などと、要らぬ波風を立てるリアクションを返してしまうことも少なくなかった。不幸な関係だったと思う。
このたびの衆議院議員選挙の結果で一番驚いたのは、大阪府の19ある小選挙区のうち、維新が候補者を立てた15の選挙区すべてで、自民党をやぶって当選したことだ。
これは並大抵のことではない。
新聞やテレビは
「大躍進」
「4倍に」
「第三極」
といった言葉を使って、今回の選挙における日本維新の会の勢力拡大をしきりに持ち上げている。
私の見方は少し違う。
維新は、第三極ではない。
かねての彼らの主張を仔細に検討すれば、日本維新の会の議員たちは、第三極どころか、与党である自公政権の補完勢力にすぎない。
「大躍進」
というのも違う。
今回の41議席という数字は、公示前の11議席から比べれば確かに4倍近い増加だが、2012年の衆院選の54議席と比べてみれば、若干ながら減少している。2014年のそれは41議席で、元に戻ったというだけの結果だ。
今回の議席配分を、維新が大躍進して、立憲民主党が惨敗した結果として総括するのは、過剰反応だと思う。
今回の投票結果を正しく評価するためには、前回2017年の総選挙で50議席を占めていた「希望の党」所属の議員たちが、各党に吸収された経緯と結果を勘案しないといけない。
この点を考慮すると、立憲民主党の96議席という結果は、簡単に「惨敗」と決めつけて良い数字ではない。また、小選挙区で得た57議席が過去最多であることを考え合わせれば、野党の選挙協力が功を奏した結果と見ることだって不可能ではない。
専門家ではないので、このたびの衆院選の結果分析にかんして、これ以上の言及は控える。
ひとつだけ申し上げたいのは、日本維新の会が、国政政党として全国的な存在に成長したのではないということだ。ついでに言えば、政策や立ち位置において、維新が「第三極」の地位を確保したわけでもない。
彼らは、いまもって大阪の地域政党だと私は考えている。実際、41人の当選のうち小選挙区での当選は16人で、内訳は大阪で15人、兵庫で1人だ。自民と対抗して勝ったと胸を張るが、それは大阪を中心としたごく一部の地域なのだ。
というのも、維新を動かしているエンジンの大きな部分は、大阪という土地の風俗と人情に負うところが大きいからだ。
その風俗と人情の話をする。
いったいに、大阪の人たちは、上からものを言われることを嫌う傾向が強い。ことに東京の人間にあれこれ決めつけられることに対しては、全力で反発することになっている。
だから、東京の人間が維新をバカにするのは、逆効果を招くと言われている。
その通りだと思う。
東京のメディアや文化人や評論家が維新をバカにすればするほど、彼らの対抗意識はいよいよ燃え上がって勢いを増す。
とはいえ、だからといって、逆効果を恐れて、彼らをおだて上げて持ち上げれば良いのかというと、それこそ相手の思うツボだ。維新はいよいよ調子に乗って思い上がることだろう。
つくづく扱いの難しい存在だ。
とすれば、ここは一番、黙殺に徹するのが、唯一の正しい選択肢であるのかもしれない。
第三極だなどと、おいしいことを言ってさしあげるのは禁物で、まして媚を売るなどはもってのほかだ。
無視するに限る。無視しようではないか。
さて、大阪の人のリアクションの独特さは、東京の人間が、特にバカにしているわけでもないのに、そう受け止めてしまうところにある。
しかも、大阪の人々は、自分が大阪人であることに強い誇りを抱いている。
であるから、「どや? 大阪はええとこやろ?」
と、私が大阪に住んでいた当時、大阪の人々は、必ずといって良いほど、この同じ質問をしてきたものだった。
私も、
「ええ、最高ですね」
「食べ物がおいしいですよね」
「にぎやかな場所でもギスギスしてないところがいいですね」
などと、はじめのうちはあたりさわりのない回答を提供していたのだが、ある時期を境に、あまりにも頻繁に同じ質問を浴びせられることに疲労をおぼえるようになった。
で、少々ヘソを曲げて
「ええ、大阪人さえいなければ素晴らしい土地ですよね」
と答えたりした。
もちろん、私としては、
「ははは、兄ちゃんもキッツイこと言わはるなぁ」
くらいに受け止めてくれたらうれしいと思っていたわけなのだが、どっこいこのジョークは絶対にわかってもらえなかった。
「おのれケンカ売っとるのんか?」
「あ? もっぺん言うてみいや」
と喧嘩腰で対応されたことも二度や三度ではない。
「ははは冗談ですってば」
と撤退しても、許してもらえなかった。
つまり、大阪の人に対しては、どういうニュアンスであれ、大阪を批評する言葉を発してはいけないということだ。
特に東京の人間が何かを言う場合、どういう言い方をし、何を言ったところで、ほぼ必ず反発を食らう。そういうことになっている。
……という、この言い方自体、大阪を批評する言葉になってしまっている。
難しいものだ。
最後にひとつ、私が大阪で体験した話をしておく。
解決のための参考にはならないかもしれないが、考えを深めるための手がかりにはなるかもしれない。
1980年の春、新大阪駅のトイレに財布を置き忘れたことがある。
当時の私にとって大金がはいっていた財布でもあれば、地下鉄御堂筋線の定期券やら免許証やら社員証やら貴重なものがすべて収められているブツでもあった。だから、駅を出たその足で、即座に駅前の交番に駆け込んだ。
果たして、対応に当たった警察官は、半笑いだった。
「そりゃ災難でしたなぁ」
「……あのぉ、一応、遺失物とか紛失届とかの書類を……」
「ははは、駅のトイレじゃ出て来まへんな」
「……でも、万が一、交番に届けられた場合の連絡先を……」
「はは。だから、出てけーへんと……」
「でも、とりあえずカタ通りに手続きを……」
「……あんた、誰が届ける思うてはる?」
「ですから、あの、拾ってくれた人が……」
「ははははは。そんな天使みたいなモンがトイレにおってたまるか? なあ」
「そや。天使は便所なんか行かへんでぇ。ははははは」
といった調子で、もう一人の同僚の警察官も笑っていた。で、遺失物の書類は、結局作ってもらえなかった。
しかも、オフィスに戻って、交番で味わった理不尽を訴えると、誰もが
「そら、出て来んわ」
「いさぎよくあきらめぇ」
「ポリさんだって忙しいんや」
と、異口同音にそう言ったのである。
私の知る限り、大阪では警察官は、おおむね信用されていない。
のみならず、大阪の一般庶民はお役人にも敬意を抱いていない。
そして、当時の大阪の警察官や役所の職員は、尊敬されていない多くの働き手がそうであるように、自分たちの業務に対してあまり誠実ではなかった。彼らは横柄だったり怠慢だったりしたものだった。
維新は、まさにそういうところに、待ってましたとばかりに登場した無駄と怠慢をとがめる正義の行政権力だった。
役柄としては、けしからぬお代官を懲らしめる先の副将軍やお忍びで町を歩く暴れん坊将軍に近い。
とすれば、お役人のクビを切ることや、公的な経費を削減する政策を前面に押し出す維新の政治家が支持を集めないはずはないではないか。また、学者や大学のセンセイやマスコミの記者や、文化人だの東京の気取ったインテリだのを攻撃してやまない維新寄りの芸人の口吻が共感を集めない道理もまた存在しないのである。
てなわけで、維新を攻撃するのは逆効果だ。
スリッパで叩かれたことでかえって開き直って勢いよくブンブン飛び回るある種の昆虫みたいに、彼らは「敵」の攻撃をも養分にして成長する。
放置するのが一番だ。
……などと言いながら、今回のテキストは放置に失敗したリアクションの見本になっている。
エサを与えてしまったかもしれない。
私は、いずれ、報いを受けることになるだろう。
40年前から、大阪には勝てない。負けっぱなしだ。
とても残念だ。
(文・イラスト/小田嶋 隆)
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