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徽宗皇帝のブログ

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煽動政治(大衆煽動選挙)の最新形態としての斉藤選挙
「世に倦む日々」記事の一部で、この部分での「斉藤分析」は切れ味が鋭い。ただし、末尾のトランプ批判は「リベラル論者(インテリ)のトランプ嫌い」が露骨に出ただけで、トランプ現象の本質を見ていない浅薄なものだが、そのまま載せる。

(以下引用)記事末尾の「契機」は「きっかけ」という一般的意味ではなく哲学用語で「要素」に近い意味での使用である。


今回の問題をめぐる論点の一つとして、斎藤元彦は元総務官僚なのに公職選挙法を知らなかったのか、それとも知りながらこの容疑事実を行ったのかという点がある。私は後者の意見の立場だ。キャリアの元総務官僚が公職選挙法の罰則規定や総務省のガイドラインを知らないなどあり得ない。むしろ、それを熟知して、法解釈を巧妙に操作してグレーの部分を作り出し、屁理屈を捏ねてクロをシロにするのが官僚だ。官僚は法律のプロである。今回の斎藤元彦はどうだったかと言うと、まさか、折口楓があのようなヘマをしでかすとは予想してなかったのだろう。しかも選挙から4日後に。計算外だったのだ。いずれは発覚して問題化するという想定はあったのだろうが、その前に、相生市長がひれ伏したような勝利の絵を積み重ね、維新支配下の関西マスコミの与力で百条委も突破し、選挙PR問題(公選法違反)が少々出たところで動揺することのない斎藤王国体制を固める思惑だったに違いない。


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だが、そうだとしても、あのような公選法違反を堂々と躊躇せず実行するという神経が、常識からすれば尋常ではないし、それは、あの立花孝志の凶悪な暴力をこの選挙に持ち込んで、自分が選挙に勝つために活用したという一事も全く同じである。時間軸を長くして見れば、公益通報者保護法を踏み躙り、告発者を探し出して本人の弱みとなるプライバシーを握り、脅迫して死に追いやり、さらには故人を誹謗中傷して名誉棄損しまくるという悪業も同じだろう。常軌を逸した幾多のパワハラやタカリも同じである。全国から非難が集まる中、斎藤元彦は鉄面皮の開き直りを通し続け、精神がどこか異常ではないかと世間から訝られた。思い出すのは、丸山真男軍国支配者の精神形態で、ドイツのファシズム政権幹部のアブノーマルに触れていた点と、「無法者」の概念がキーワードになっていた点である。法を堂々と violate する者がファシズムの政治に登場し、その政治を強引に牽引し全面化する。


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斎藤元彦を見て直観するのは「無法」の契機であり、無法政治の表象であり、その台頭と常態化だ。そこには、無法政治を歓迎し喝采を送って下から支持する、エーリッヒ・フロム的な憂鬱な愚衆現象がある。けれども、よく考えてみれば、それは今年始まった問題ではない。橋下徹がそうだったし、安倍晋三がそうだった。森友、加計、桜を見る会..恐ろしい無法がまかり通り、司法が止めず、マスコミも素通りさせ、国民が選挙で止められなかった。司法も、マスコミも、アカデミーも、橋下徹と安倍晋三の無法政治を正当化し合法化するばかりだった。斎藤元彦は橋下轍や安倍晋三を見倣っているのであり、彼らの成功体験を延長した政治行動を実践しているのであり、彼らと同じように自分は成功して勝利すると確信しているのだろう。もっと言えば、海の向こうの宗主国アメリカには無法政治の権化のようなトランプがいる。"模範的なリーダー"たちに彼はラディカルに準拠しているだけだ。

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