鈴木エイト氏の「相手の発言分析」は見事である。だが、馬鹿視聴者は、そういう論理的判断はおそらくできず、自分にとって印象的な部分だけで判断し、愚劣な情報を仕入れ、周囲にも喋り捲るのだろう。そのようにして馬鹿ネトウヨが増殖するわけだ。(言っておくが、私自身右翼的部分があるが、ネトウヨのような下種や白痴とは同類ではないと思っている。ネトウヨが右翼なら、米国崇拝、白人跪拝をするわけがない。右翼とは、日本の伝統と文化を守る思想だからだ。)
(以下引用)
旧統一教会などの宗教問題を20年以上にわたり追及するジャーナリストの鈴木エイト氏が、10月15日放送の『そこまで言って委員会NP』(読売テレビ)に出演。安倍晋三元首相銃撃事件を巡り作家の竹田恒泰氏、門田隆将氏と“舌戦”を展開した。
これを皮切りに、SNS上では引き続き論争が起こり、未だ終わりを見せる様子がない。みんかぶマガジンでは、番組では伝えきれなかった竹田氏らによる「指摘」に対する、鈴木エイト氏の回答を掲載する。
パネリスト二人から執拗な“口撃”
読売テレビ『そこまで言って委員会NP』での私と竹田恒泰氏及び門田隆将氏とのやり取りが話題になっているという。X(旧Twitter)でも、私の名がしばらく上位にトレンド入りしていたそうだ。番組で両氏が発した主張は、相手にする意味すら見出せないものだったが、本コラムの執筆依頼をいただいたので私の認識を示しておく。
当該番組において私がゲスト出演した回は『読めば読むほどためになる!そこまで読んでブックストア』というシリーズ企画の第4弾。番組が選んだ書籍4冊の著者4人が一人ずつゲストとして登場し、委員会メンバーからの質問に答えるというものだ。講談社+α新書から7月に発刊した私の著書『「山上徹也」とは何者だったのか』が必読図書の一冊として最初に取り上げられた。収録は10月6日、放送は10月15日だった。
司会は「議長」の黒木千晶氏と「政策秘書」の野村明大氏。私の書籍では山上徹也被告がどのような絵を描いて事件を起こしたのか、彼の外部へのアプローチの形跡などからどこかで事件を止めるタイミングはなかったのかなどを探った。事件の傍観者から、ある意味当事者となった私自身の軌跡も辿った。
書籍の内容を要約した再現VTRが流れたあと、8人の各パネリストへ順番に「鈴木エイト氏に聞きたいことは?」として振られる。その段になってパネリストの二人、竹田氏と門田氏が一番目のゲストである私へ執拗に絡んできたという構図だ。
山上は門田氏が指摘するような「短絡的な人物」ではない
まず「なぜ財産収奪の張本人を狙わなかった?」とのパネルをバックにした門田氏が「この本の前提からして疑問。山上の主張に沿ってこの本、前提ができている。本当に統一教会に恨みがあるなら20年間財産を奪い、同じ奈良市内にいる教会幹部を狙わないのか」と主張。
私は「山上被告が問題の構造を俯瞰的に見ていたからではないか」と答えた。これは彼のネットにおける発信の痕跡やSNS分析などから導き出せる。山上は組織の構造、財産収奪の構造自体を俯瞰し、安倍晋三元首相と教団との関係性も時系列に沿って正確に捉えていた。その“構造”自体を見ていた山上は、門田氏が指摘するような短絡的な人物ではないということだ。だが、自身が拵えた「前提」なるものに拘る門田氏には理解が及ばないらしく、私の応答に被せてきた。
「安倍さんはこの統一教会の霊感商法に徹底的な攻撃をしてあの消費者裁判手続特例法を作った総理大臣ですよ。施政方針演説でもわざわざ言うくらい熱心にやってます」
門田氏が力説する「消費者裁判手続特例法」は、正式名称を「消費者の財産的被害の集団的な回復のための民事の裁判手続の特例に関する法律」と云い、2013 年に制定され2016 年 10 月 1日に施行された法律だ。
「消費者裁判手続特例法」は統一教会による霊感商法を念頭において制定されたものではない
この「消費者裁判手続特例法」は、統一教会による霊感商法を念頭において制定されたものではない。「安愚楽牧場事件などの消費者被害を念頭に立法されており、統一教会による霊感商法は関係ない」というのが識者の共通した見解だ。
「施政方針演説でもわざわざ言うくらい」との門田氏の指摘については、安倍氏が国会において「霊感」「統一教会」という言葉を発したことがあるのか、国会会議録検索システムで検索したが確認できなかった。もし仮に安倍元首相が首相在任時、統一教会問題に取り組んでいたとすると、その裏で同教団に組織票支援を依頼し首相官邸に教団幹部を招き、韓鶴子総裁を礼賛するビデオメッセージを贈ったこととの整合性が取れない。門田氏の主張は端から論理破綻している。安倍氏を擁護したいがためにバイアスがかかっているのではないか。
私が小学館から発刊した『自民党の統一教会汚染』シリーズで詳らかにしようとしたのは、なぜ安倍氏が一定の距離を置いていた反社会的な団体と関係を持ち、自身の命まで狙われるようになったのかということだ。
相手の主張をゆがめて引用し、ゆがめた主張に反論する竹田氏
次に割って入り絡んできたのが「第二の山上」パネルを背にした竹田氏。
「聴いていて違和感しかない。関係ないのに一生懸命関係を作っていってジャーナリストとしての名声を立てていこうというアグレッシブな軌跡を歩んでいるように見えます」
竹田氏の個人的な「見え方」、つまり個人の感想レベルに取り合う必要性は感じない。さらに「関係ないのに一生懸命関係を作っていって」との決めつけや思い込みに竹田氏のスタンスが表れている。竹田氏が続ける。
「彼のような悲しい存在を生まないようにと言いながら、第二の山上が現れましたよね?『そうか、暗殺事件を起こせば自分の政治信条が全部のテレビ新聞で紹介されるんだ』と犯人は思っていたはずです」
竹田氏の主張は事件の犯人の動機を報道すべきではないといったものだ。これはメディアの調査報道を否定するものであり、的外れと言わざるをえない。私の発言中に言葉を被せる竹田氏。
「事件が起きてすぐに動機(を調べる)ってやると、さらに真似する人が出てくる。アメリカやヨーロッパではそれをやらない」
さらに激昂して叫ぶ。
「教団に被害を受けている人は救済すべきですよ。だけど普通、人は殺しに行かないんだ!」
切り分けて個別に議論すべきものを混ぜる“論法”だ。山上被告への量刑判断については事実を裁判官へ適示し適切な量刑判断が下されるべきものであり、それ以上やそれ以下のものではない。事件の背景を取材し、取り上げるべき社会問題があれば報じるというのは事件報道では通常のことである。
「テロリストに寄り添って、『あ~だからやったのね~』とかね、そういう言論を吐くこと自体が社会悪だ」
スタジオでも述べたが私はそんなことは一言も言っておらず、書いてもいない。竹田氏が決めつけや印象でしか語っていないことが判る。
短絡的な論理の展開は単純な人ほど賛同しやすい
本編ではカットされていたが、収録時に竹田氏はニュージーランドのアーダン首相(当時)の発言も持論を補強するものとして挙げていた。(2019年に起こったモスク乱射事件後のアーダン首相は「男はテロ行為を通じていろいろなことを手にしようとした。その一つが悪名だ。だからこそ、私は今後一切、この男の名前を口にしない」と語っていた)
実際には事件後、ニュージーランドでは犯人の実名や生い立ち、背景思想などが報じられ、勧告と原因探求が調査レポートとしてまとめられている。これも竹田氏が自分の印象でしか語っていないことを示している。
他の事件では動機面を報じ、要人を狙った“テロ事件”のみ動機を報じるべきではないという主張は明らかに偏っている。欧米と日本の事件報道や司法構造の違いを考慮せず、単に「アメリカやヨーロッパでは~」との主張を展開することは無意味だ。
短絡的な論理の展開は単純な人ほど賛同しやすい傾向がある。実際には報じ方の問題である。事件の背景や動機を報じることは犯人やその犯罪の正当化に与するものではない。事件の背景にある社会問題を事実として報じた各メディアには何の問題もなかった。
竹田、門田氏の主張には何の価値も感じない
再発防止のためにも事件の背景や動機の解明、原因の検証は必要だ。検証もせずに再発防止などできるわけがないのは自明のことであり、警察や政治家など権力を持つ側が情報を統制する危険性こそ注視すべきである。国民の知る権利とそれに応えるメディアという関係性は何より担保されるべきものである。
昨年7月の事件以後の報道によって統一教会自体の問題や政界との関係性が社会へ周知された。憲政史上最長期間首相を務めた政治家への銃撃という重大な事件が起こるまで可視化されてこなかったことが問題なのであって、問題視されるべきは事件後の報道ではなく事件前の報道である。昨年の事件以降、なぜこのような重大事件に発展するような問題を見落としていたのかという後悔が私を含めたメディアの側にいる人間には常にあった。
重大な社会の関心事としてすべてを調べ尽くし、報じる責務がメディアにはある。そんなメディア報道に対して苦言を呈する“論客”の意図がどこにあるかという見極めも必要だ。
両氏に統一教会との関係性において意図的に安倍元首相を擁護しようという考えが根底にあるとすれば論外である。実際に安倍元首相を擁護しようとする余り、教団自体の問題性を敢えて無視する論調も界隈では散見される。
門田氏の主張は統一教会に対する安倍元首相のスタンスを曲解するものであり、竹田氏の主張は両者の関係性を無視した上に事件報道・調査報道自体を否定するものだ。両氏の“論説”は無意味であり、私はこれらの主張に何の価値も感じない。
(文=鈴木エイト)
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