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徽宗皇帝のブログ

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2025年展望

あけましておめでとうございます。
と言いたいが、特におめでたい話は無い。
特に転載したい記事もないので、新年そうそうだが、政治論、それも少しぶっそうな政治論を書く。
その趣旨は、「現実に政治を変えるのは言葉ではなくテロである」という話だ。言い換えれば、政治における行動とはテロほど有効なものはない、ということである。

これは、安倍政治を終わらせたのは安倍元総理の死、殺害というテロであり、完全にロシア有利に進んでいたウクライナ戦争(NATO対ロシア、欧米勢力対ロシアの戦争)に大きな打撃を与えたのは、欧米勢力がバックにいるテロ組織によるシリア制圧であったことが間近にあり、さらに世界政治をがらりと変えたのが「911テロ事件」だったことがある。

これを言い換えれば、国会における論戦も選挙運動も街頭デモも、すべてほとんど無意味だということである。むしろ、ネットでの言論活動のほうがはるかに「人の心を変える」ことで、よりよい世界に向かう機運を作るのではないか。


などと考えたのは、今読みかけの司馬遼太郎の「最後の将軍」に書かれた幕末の政治情勢が頭にあるからでもある。明治維新はテロによって成功したということである。「大政奉還」はテロへの恐怖で政権を維持することが不可能になった江戸幕府が政権を投げ出しただけにすぎない。
その前の「安政の大獄」は江戸幕府(井伊直弼)による江戸幕府批判層への「白色テロ」であり、「桜田門外の変」はその報復としての討幕派浪士によるテロである。
その後の京都の状況は、長州浪士を中心としたテロ行為の蔓延で、「幕府に与する」と見られた武士や公家たちがどんどん殺され、恐怖の街になっていたようだ。つまり、自分が殺されるかもしれないと思った公家たちは長州浪士たちの言うがままに行動するしかなかったのである。孝明天皇は攘夷思想ではあったが、江戸幕府とは融和的であり、長州派浪士のそうした行為を嫌っていたのであり、おそらくそのために長州派に暗殺されたのだと思われる。つまり、彼らは「尊皇」でも何でもなく、天皇は「道具」でしかなかったということだ。それは彼らが天皇を将棋の「玉」にたとえていたことからも分かる。ましてや平気で人を殺す彼らが「天下万民のため」など歯牙にもかけていなかっただろう、と言いたいが、彼らの本心は想像するしかない。

ただ、結果的には明治維新によって、もはや倒壊寸前だった江戸幕府が大政を奉還して近代的政府に生まれ変わったことで「日本が救われた」という事実がある。そして以前の階級社会から名目的にでも「四民平等」になったのはこの上なく大きな改革である。江戸幕府が続いていたら、いまだに日本ははっきりとした階級社会だったわけだから。つまり、武士支配という大原則を失えば、江戸幕府の意味は無くなるからである。

さて、今後の世界はますますテロが蔓延し、政治は無意味化するだろうと思う。と同時に、ドル崩壊で西側諸国で大不況が起こり、非西側諸国もそのとばっちりを受けるだろう。つまり、2025年という年は、明るい年になりそうもない。まあ、日本はアメリカと適切な距離を取ることで、災害から免れる可能性もあるのではないか。



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