緑の木々に赤いバラが見える/それは僕たちのために花開く/僕はしみじみ思うんだ/なんて素晴らしい世界かと/青い空や白い雲を眺める僕/明るく喜びに満ちた昼、暗く神聖な夜/そして僕はしみじみ思うんだ、なんて素晴らしい世界なのかと/七色の虹が空に美しく映え、行き交う人々の顔を染めている/友人たちが握手をして「ご機嫌いかが」と挨拶する姿が見える/彼らは心から言うのさ「アイ・ラヴ・ユー」と/赤ん坊が泣いているのが聴こえる/あの子たちが大きくなって/僕よりずっと沢山のことを学ぶだろう/思わず感動してしまう/なんと素晴らしい世界じゃないか/そうさ、僕はしみじみ思うんだ/嗚呼、この世はなんて素晴らしい世界なのかと
上の歌詞は、ご存じ、ルイ・アームストロング歌う「この素晴らしき世界」で、訳は「文芸ジャンキーパラダイス」というサイトの管理人さんである。
こういう素晴らしい世界を我々は与えられた。
だが、我々が残す世界はどうだろうか。
放射能に汚染され、労働者は陰鬱な顔をし、子供は勉学と競争と人間関係に疲れ、自分たちの未来に何の希望も抱けない、そんな世界ではないだろうか。
では、なぜそうなったのか?
政治家が悪い?
よその国が悪い?
「水になった酒」という話がある。
ある村で、尊敬されていた老教師が定年となり、村の人々は彼の長年の業績に感謝し、プレゼントを贈ることにした。老教師はお酒が好きなので、この村特産のワインを贈ることに決まり、各自が瓶1本ずつワインを持ち寄って、それを樽に詰めて贈るということになったのだが、慰労の宴会が終わって、客たちが帰った後、老教師が楽しみにしていたワインの樽を開けて飲んでみると、それは完全な水であった、という話である。
べつに推理するまでもなく、村人は全員、自分の瓶に水を詰めて樽の中に入れていたのだ。
この話のポイントは
「自分だけならちょっと悪いことをしても大勢に影響はないさ」
という思想が、大きく積み重なった結果、「大惨事」に至る、ということだ。
ワイン一樽程度なら笑っても済ませられる話だし、「大惨事」はもちろんおおげさだ。
しかし、現実には、それと同じことが社会では無数に起こっているのである。
日本社会における原発群も、「少しならかまわないさ」「自分ひとりが反対してもしょうがない」「これで自分が利益を少々得てもいいじゃないか」の積み重なった結果なのである。
もう一つ、「文芸ジャンキーパラダイス」から引用しよう。
これも有名な言葉である。
●「最初にナチスが共産主義者を弾圧した時、不安に駆られたが、私は共産主義者でなかったので、何の行動も起こさなかった。次にナチスは社会主義者を弾圧した。私はさらに不安を感じたが、社会主義者ではなかったので何の抗議もしなかった。それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、その度に私の不安は増したが、それでもまだ行動に出なかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。だから立ち上がって行動に出たが、その時はもうすべてが遅かった」(マルチン・ニーメラー牧師)
PR
コメント