さて、テレビ録画のドラマなど見ながら考えてみようとしたが、まったく考えられなかった。やはり、思考には集中力が必要なようだ。それも、今ではパソコン画面を前にして考えることが習い性になってしまい、ノートなどを前にしては頭が働かない。字を書くこともまったく無くなった。
閑話休題。
日本の経済状態を良くする手段には大きく見て三つある。
1)収入を増やす
2)支出を減らす
3)分配方法(比率)を変える。
の三つだ。上記の1)と2)はよく論じられる。1)は経済界が十年一日のごとく論じている。「これから儲かる産業は何か、これから儲ける方法は何か」こればっかりである。2)は上級官僚が常に仕事としていることだ。既得権層の取り分を減らさずに、政府の歳出をいかに減らすか、である。福祉予算カット、年金支払いカットwww もちろん、1)も考えるが、その手段はこれも十年一日のごとく増税である。日本人のように「長いものには巻かれろ」主義の奴隷根性民族でなければ、明治以降、百回くらい革命が起こっていただろう。
3)は一番重要だと思う(あまり論じられないが、それは言うまでもなくマスコミや教育界ではこの問題が「タブー」だからだ。)が、先に1)から考えておく。
現代の世界において、これから発展する産業があるだろうか、またそれは日本にとって可能なのかどうか。
20世紀終盤は「情報革命」の時代だったと言えるだろう。IT産業は第二次産業とも第三次産業とも厳密には言い難いもので、全産業に関係するものだった。コンピュータの存在が、全産業に関わってきたわけだ。これによって機械の合理化が進み、人手がどんどん不要になっていった。これは「IT革命」ではなく「コンピュータ革命」と言うべきものだろう。もっとも、私は未だに「IT」の意味を良く知らないのだが、「情報技術」あるいは「情報機器技術」の意味だと解している。コンピュータを「情報機器」とするのは、「電子計算機」とするよりも不正確な捉え方だろう。コンピュータは「汎用制御装置」と見做すのが一番適切なのではないか。したがって、農作業機器から工場の機械から事務機器から携帯電話まで、どこにでも使用できる。要するに、「用途の最適解の制御システム」を維持する装置だ、と見るべきだろう。
話が長くなったが、とにかくコンピュータの出現で世界の産業に革命的変化が起こり、1)人手の多くが不要になった。2)どこの国でも、「機械の単純操作だけで」物が作れるようになり、企業が場所に縛られなくなり、利益を求めて簡単に移動するようになった。(その分、税の捕捉が難しくなった、などの問題も派生する。)3)多くの職種で人員が不要になり、失業と給与水準低下がどこの先進国でも起こってきた。これは中進国へもすぐに波及するだろう。
つまり、「コンピュータ革命」は世界の産業形態を変えたのである。では、日本一国が、この流れに抗して、何か「儲かる産業」を案出し、現実化できるだろうか。
その前に補足すると、上記の「コンピュータ革命」は企業の合理化を進めるわけだから、うまくそれを使った企業は利益を上げることができる。しかも、合理化された仕事の多くは単純労働だから、「下の労働者」に支払う給与は低くてもいい。中間職は不要だから、この分の給与も不要、というわけで企業利潤は増大し、それは上級管理職と株主の手にほとんど入ることになる。彼らは税を払わないために全力を尽くす。つまり、国家税収も国民の平均所得も急激に低下していくのである。(もっとも、平均所得では「上級国民」の数字も入るから、平均的国民の懐具合とは数字が乖離するので、これだけを見て論じるべきではない。)では、上級管理職になるのはどういう人々か、と言えば、「親の地位が最初から高い人」か、「超難関大学を最優秀の成績で出た人(一種のロボット)」か、「弁舌達者で出世のためならどんな悪事でもやる人間」かになるだろう。どうもあまりいい世の中にはなりそうもないwww 現実も、まさにそうなのではないか。上級国民www
さて、新しい、日本独自の産業は今後出てこないか、と言えば、それは出てくる可能性はあるだろう。何より、日本がこれまで捨てて顧みなかった、「日本文化」「古いもの」「愚劣低劣だとされていたもの」の中にこそ新しい産業の種子があるはずだ。だが、日本全体として取り組むべきものは、産業構造の改革だろう。その前に、もう一つ。
まあ、前から書いていたことの繰り返しだが、「コンピュータに置き換えられない仕事」というものが身近にたくさんあり、「人の世話をする仕事」はほとんどがそれだ。幼児の世話、老人の世話、病人の世話、その他である。ただ、これらは「利益を生む仕事」ではないし、むしろ「利益を生んではいけない仕事」だろう。つまり、利益を生むためには利用者負担を大きくしなければならないが、病人や老人の多くは貧困者であり、幼児はもちろん金など無いwww 企業や施設の利益を増大させることがそのまま「非人道的行為」となる、という難しい仕事なのである。
長くなったので、いったんここで切る。
閑話休題。
日本の経済状態を良くする手段には大きく見て三つある。
1)収入を増やす
2)支出を減らす
3)分配方法(比率)を変える。
の三つだ。上記の1)と2)はよく論じられる。1)は経済界が十年一日のごとく論じている。「これから儲かる産業は何か、これから儲ける方法は何か」こればっかりである。2)は上級官僚が常に仕事としていることだ。既得権層の取り分を減らさずに、政府の歳出をいかに減らすか、である。福祉予算カット、年金支払いカットwww もちろん、1)も考えるが、その手段はこれも十年一日のごとく増税である。日本人のように「長いものには巻かれろ」主義の奴隷根性民族でなければ、明治以降、百回くらい革命が起こっていただろう。
3)は一番重要だと思う(あまり論じられないが、それは言うまでもなくマスコミや教育界ではこの問題が「タブー」だからだ。)が、先に1)から考えておく。
現代の世界において、これから発展する産業があるだろうか、またそれは日本にとって可能なのかどうか。
20世紀終盤は「情報革命」の時代だったと言えるだろう。IT産業は第二次産業とも第三次産業とも厳密には言い難いもので、全産業に関係するものだった。コンピュータの存在が、全産業に関わってきたわけだ。これによって機械の合理化が進み、人手がどんどん不要になっていった。これは「IT革命」ではなく「コンピュータ革命」と言うべきものだろう。もっとも、私は未だに「IT」の意味を良く知らないのだが、「情報技術」あるいは「情報機器技術」の意味だと解している。コンピュータを「情報機器」とするのは、「電子計算機」とするよりも不正確な捉え方だろう。コンピュータは「汎用制御装置」と見做すのが一番適切なのではないか。したがって、農作業機器から工場の機械から事務機器から携帯電話まで、どこにでも使用できる。要するに、「用途の最適解の制御システム」を維持する装置だ、と見るべきだろう。
話が長くなったが、とにかくコンピュータの出現で世界の産業に革命的変化が起こり、1)人手の多くが不要になった。2)どこの国でも、「機械の単純操作だけで」物が作れるようになり、企業が場所に縛られなくなり、利益を求めて簡単に移動するようになった。(その分、税の捕捉が難しくなった、などの問題も派生する。)3)多くの職種で人員が不要になり、失業と給与水準低下がどこの先進国でも起こってきた。これは中進国へもすぐに波及するだろう。
つまり、「コンピュータ革命」は世界の産業形態を変えたのである。では、日本一国が、この流れに抗して、何か「儲かる産業」を案出し、現実化できるだろうか。
その前に補足すると、上記の「コンピュータ革命」は企業の合理化を進めるわけだから、うまくそれを使った企業は利益を上げることができる。しかも、合理化された仕事の多くは単純労働だから、「下の労働者」に支払う給与は低くてもいい。中間職は不要だから、この分の給与も不要、というわけで企業利潤は増大し、それは上級管理職と株主の手にほとんど入ることになる。彼らは税を払わないために全力を尽くす。つまり、国家税収も国民の平均所得も急激に低下していくのである。(もっとも、平均所得では「上級国民」の数字も入るから、平均的国民の懐具合とは数字が乖離するので、これだけを見て論じるべきではない。)では、上級管理職になるのはどういう人々か、と言えば、「親の地位が最初から高い人」か、「超難関大学を最優秀の成績で出た人(一種のロボット)」か、「弁舌達者で出世のためならどんな悪事でもやる人間」かになるだろう。どうもあまりいい世の中にはなりそうもないwww 現実も、まさにそうなのではないか。上級国民www
さて、新しい、日本独自の産業は今後出てこないか、と言えば、それは出てくる可能性はあるだろう。何より、日本がこれまで捨てて顧みなかった、「日本文化」「古いもの」「愚劣低劣だとされていたもの」の中にこそ新しい産業の種子があるはずだ。だが、日本全体として取り組むべきものは、産業構造の改革だろう。その前に、もう一つ。
まあ、前から書いていたことの繰り返しだが、「コンピュータに置き換えられない仕事」というものが身近にたくさんあり、「人の世話をする仕事」はほとんどがそれだ。幼児の世話、老人の世話、病人の世話、その他である。ただ、これらは「利益を生む仕事」ではないし、むしろ「利益を生んではいけない仕事」だろう。つまり、利益を生むためには利用者負担を大きくしなければならないが、病人や老人の多くは貧困者であり、幼児はもちろん金など無いwww 企業や施設の利益を増大させることがそのまま「非人道的行為」となる、という難しい仕事なのである。
長くなったので、いったんここで切る。
PR
コメント