北林あずみ氏のブログ記事から一部転載。
相変わらず長すぎる上に脇道に逸れることが多いのだが、その部分部分は「自分の頭で」理解した見事な知識と鋭い考察に裏付けられている。つまり、言葉が空疎な概念になっていない。
ここに書かれている、「共産主義」という空疎な概念の、権力による悪辣な利用を一般人はよく理解すべきである。つまり、「共産主義」という言葉の悪魔化によって、現実への批判精神も社会主義の有益性もすべて消し飛んだのである。
(以下引用)
マルクスが「科学的」に社会主義を語る前から、「空想的」に社会主義は語られていた。だからエンゲルスは、『空想から科学へ』を書いたのだ。
資本主義の黎明期である、イギリスの産業革命後の社会をみれば、さながら地獄絵図だったことが分かる。子供が劣悪な労働環境で長時間肉体労働をさせられ、労働力しか売るものがない労働者が奴隷に等しい生活を強いられていたのだから、労働者の救済と団結という視点が出てくるのは当たり前だ。そして、労働者の暴動が起こるのには必然性があった。
資本家にとっての労働者の暴動と暴力は、あってはならないものだし、恐怖でしかなかったから、その反動で労働者の暴動と暴力に対する恐怖と憎悪は計り知れなかったはずだ。
資本主義革命の華々しい象徴がフランス革命(1789年7月14日)であり、実際に一方方向へと走り出した群衆の熱狂と暴力の恐ろしさを記憶に焼き付けたから、資本家が今度は自分達が断頭台に上がることになると震え上がるのは当たり前だ。群衆と化した民衆の暴動と暴力がどれほどの凄まじい破壊力をもっているか、歴史が「現実」として証明してみせてくれたといえる。
震え上がったのは資本家だけではない。資本家と結びついた国家権力も同じだ。その恐怖と憎悪が向かった先は、当然のように社会主義になる。社会主義が労働者の団結と暴動を煽る思想とみえたからだ。国家権力にしてみたら、社会を騒乱させ、国家を転覆させる恐ろしい思想と映ったに違いない。だから、徹底的な弾圧へと向かったのだろう。
その恐怖と憎悪が、1917年(大正6年)のロシア革命で沸点に達する。
現実のものとして社会主義革命が起こったからだ。そして、前編で述べたように、世界革命論が出現し、ソ連主導のコミンテルンが創設され、下部組織同然の「共産党」が雨後の竹の子のように、世界各国に誕生したのだから、世界の資本家階級と国家権力にとってみたら他人事ではない。世界革命論をひっくり返した世界反革命論のような空気が生まれ、社会主義革命を押さえ込もうという動きが出るのは自然だ。そして、国家権力による徹底的な弾圧と、国家権力主導による意図的な「反共」のイメージ作りが行われ、あらゆる手段で、国民の頭に共産主義の恐ろしさと共産主義への憎悪と拒絶の感情を植え付けることになる。
明治政府は、一神教的国家神道を国体として国の中心に据え、教育勅語で天皇への絶対的忠誠心と臣民としての心得を教育という名の洗脳で、子供の頃から頭に刷り込んでいたから、共産主義が絶対的神としての天皇への否定であり、神としての天皇を戴く神国への反逆だとして宣伝する効果は、今からでは想像できないほどの威力を発揮したと思う。共産主義=アカ=非国民=国家反逆=狂人等々、ありとあらゆる負のイメージと、負の感情とが共産主義に乗り移り、諸悪の根源が共産主義であるかのように、国民の意識に刷り込まれた歴史が、共産主義という言葉にはある。ここに思想が入り込む余地はない。また国家権力は、意図的に思想としての社会主義を排除して、負のイメージと負の感情として共産主義を作り上げ、それを全否定する意味で、絶対正義として「反共」に、正のイメージと正の感情とをもたせることに成功したといえる。
村の寄り合いに参加しなかったり、村の秩序に刃向かったりする者に対して投げつけられるのが、「あれはアカだから」という石つぶてなのだ。社会主義の「社」の字も知らない村人が、共産主義者と見なされる倒錯を考えると恐ろしい洗脳の国だと分かる。
満州事変が勃発し、太平洋戦争へと突入するにつれて、共産主義=アカは日本共産党の専売特許ではなくなり、自由主義者がアカとされ、軍部と政府の悪口を言った隣の爺さんまでがアカとされて投獄されたのだ。
戦前の「反共」とはこうしたものであり、国家権力と軍部に逆らう者はことごとく共産主義=アカとなった。この「反共」に思想があるのだろうか。あるはずがない。敢えて国家権力は「反共」から思想性を抜き取ったのだ。その方が国家権力にとって利用価値が高まり、思想という実体がないから、国民の感情を揺さぶれるのだし、国民の心をこの「反共」という言葉で自在に操れるからだ。
逆にいうと、共産主義者は、命を賭して国家権力の悪と闘う正義とみなされ、その心意気が尊敬の眼差しでみられることにもなる。が、圧倒的国民は共産主義者=アカと思い込まされ、絶対悪と信じて疑わず、「反共」こそが絶対正義だと信じて疑わなかったのだろう。
相変わらず長すぎる上に脇道に逸れることが多いのだが、その部分部分は「自分の頭で」理解した見事な知識と鋭い考察に裏付けられている。つまり、言葉が空疎な概念になっていない。
ここに書かれている、「共産主義」という空疎な概念の、権力による悪辣な利用を一般人はよく理解すべきである。つまり、「共産主義」という言葉の悪魔化によって、現実への批判精神も社会主義の有益性もすべて消し飛んだのである。
(以下引用)
マルクスが「科学的」に社会主義を語る前から、「空想的」に社会主義は語られていた。だからエンゲルスは、『空想から科学へ』を書いたのだ。
資本主義の黎明期である、イギリスの産業革命後の社会をみれば、さながら地獄絵図だったことが分かる。子供が劣悪な労働環境で長時間肉体労働をさせられ、労働力しか売るものがない労働者が奴隷に等しい生活を強いられていたのだから、労働者の救済と団結という視点が出てくるのは当たり前だ。そして、労働者の暴動が起こるのには必然性があった。
資本家にとっての労働者の暴動と暴力は、あってはならないものだし、恐怖でしかなかったから、その反動で労働者の暴動と暴力に対する恐怖と憎悪は計り知れなかったはずだ。
資本主義革命の華々しい象徴がフランス革命(1789年7月14日)であり、実際に一方方向へと走り出した群衆の熱狂と暴力の恐ろしさを記憶に焼き付けたから、資本家が今度は自分達が断頭台に上がることになると震え上がるのは当たり前だ。群衆と化した民衆の暴動と暴力がどれほどの凄まじい破壊力をもっているか、歴史が「現実」として証明してみせてくれたといえる。
震え上がったのは資本家だけではない。資本家と結びついた国家権力も同じだ。その恐怖と憎悪が向かった先は、当然のように社会主義になる。社会主義が労働者の団結と暴動を煽る思想とみえたからだ。国家権力にしてみたら、社会を騒乱させ、国家を転覆させる恐ろしい思想と映ったに違いない。だから、徹底的な弾圧へと向かったのだろう。
その恐怖と憎悪が、1917年(大正6年)のロシア革命で沸点に達する。
現実のものとして社会主義革命が起こったからだ。そして、前編で述べたように、世界革命論が出現し、ソ連主導のコミンテルンが創設され、下部組織同然の「共産党」が雨後の竹の子のように、世界各国に誕生したのだから、世界の資本家階級と国家権力にとってみたら他人事ではない。世界革命論をひっくり返した世界反革命論のような空気が生まれ、社会主義革命を押さえ込もうという動きが出るのは自然だ。そして、国家権力による徹底的な弾圧と、国家権力主導による意図的な「反共」のイメージ作りが行われ、あらゆる手段で、国民の頭に共産主義の恐ろしさと共産主義への憎悪と拒絶の感情を植え付けることになる。
明治政府は、一神教的国家神道を国体として国の中心に据え、教育勅語で天皇への絶対的忠誠心と臣民としての心得を教育という名の洗脳で、子供の頃から頭に刷り込んでいたから、共産主義が絶対的神としての天皇への否定であり、神としての天皇を戴く神国への反逆だとして宣伝する効果は、今からでは想像できないほどの威力を発揮したと思う。共産主義=アカ=非国民=国家反逆=狂人等々、ありとあらゆる負のイメージと、負の感情とが共産主義に乗り移り、諸悪の根源が共産主義であるかのように、国民の意識に刷り込まれた歴史が、共産主義という言葉にはある。ここに思想が入り込む余地はない。また国家権力は、意図的に思想としての社会主義を排除して、負のイメージと負の感情として共産主義を作り上げ、それを全否定する意味で、絶対正義として「反共」に、正のイメージと正の感情とをもたせることに成功したといえる。
村の寄り合いに参加しなかったり、村の秩序に刃向かったりする者に対して投げつけられるのが、「あれはアカだから」という石つぶてなのだ。社会主義の「社」の字も知らない村人が、共産主義者と見なされる倒錯を考えると恐ろしい洗脳の国だと分かる。
満州事変が勃発し、太平洋戦争へと突入するにつれて、共産主義=アカは日本共産党の専売特許ではなくなり、自由主義者がアカとされ、軍部と政府の悪口を言った隣の爺さんまでがアカとされて投獄されたのだ。
戦前の「反共」とはこうしたものであり、国家権力と軍部に逆らう者はことごとく共産主義=アカとなった。この「反共」に思想があるのだろうか。あるはずがない。敢えて国家権力は「反共」から思想性を抜き取ったのだ。その方が国家権力にとって利用価値が高まり、思想という実体がないから、国民の感情を揺さぶれるのだし、国民の心をこの「反共」という言葉で自在に操れるからだ。
逆にいうと、共産主義者は、命を賭して国家権力の悪と闘う正義とみなされ、その心意気が尊敬の眼差しでみられることにもなる。が、圧倒的国民は共産主義者=アカと思い込まされ、絶対悪と信じて疑わず、「反共」こそが絶対正義だと信じて疑わなかったのだろう。
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