ここで私が論じたいのは、「騙す側の人間でも、それと知らずに騙す側に回っている人間が膨大にいること」と、その「無自覚的に騙す側になった人」、あるいは「周りのしがらみのために心ならずも騙す側に加担した人」の責任の問題である。つまり、「騙す側を細分化して考える」ことが必要なのではないか、ということだ。
全地球規模の詐欺事件の場合には、悪意からではなく騙す側になった人も膨大にいる、ということである。そして、そういう人たちの影響力と責任は、或いは意図的に騙したごく少数の人間より重いのではないか、とすら思う。もちろん、「騙された人間の責任」の問題もある。
ただし、自分自身の生活のために、悪への加担を余儀なくされるというのは、社会生活をしていれば誰にでも(もちろん私自身にも)起こることである。では、いかにすればそのジレンマから脱出できるか、というのを論じたいのだが、話が長くなるので別の機会に論じる。
(以下引用)赤字部分は徽宗による強調。
最後に、少し個人的な例を示します。
医学部に入った初日、私は新しい研究場所であるカロリンスカ研究所(カロリンスカ医科大学)と、関連する病院で開発された素晴らしい新しい治療法についての話をされました。
新しい治療法の開発者はパオロ・マッキャリーニと呼ばれる外科医で、治療法は幹細胞でコーティングされた人工気管でした。
事故で気管を損傷した人や、ガンのために気管を取り外さなければならなかった人に、気管を移植することができるというのです。このアイデアは、人工気管が周囲の組織と融合し、完全に機能する新しい気管に成長するというものでした。
パオロ・マッキャリーニは、他のいくつかのトップ大学との競争の中で、カロリンスカ研究所にヘッドハンティングされていました。マッキャリーニはノーベル賞を狙っていたようでした。
人工気管移植手術は 2010年に始まりました。
最初に手術を受けた人は、すぐに亡くなりましたが、これが革新的な技術であると感じていたためなのか、彼らの周囲には多くのメディアの誇大宣伝がありました。マキャリーニは売り込みの技量にも優れていたようです。
しかし、マキャリーニが手術した人々は死ぬ、という厄介な繰り返しが起きる中、マキャリーニは手術するために、より健康な対象が必要だと感じたと思われます。それまでのところ、手術を行ったすべての人々は、手術がなくても、近い将来死亡するであろう末期の病気に苦しんでいました。
マキャリーニは実際に、そのような病気の人たちではない何人かの人々を見つけ出してきました。2012年、マキャリーニは自動車事故後に慢性気管切開を患っている 2人と、以前の手術中に気管に偶発的な損傷を負った女性に人工気管を挿入しました。
それと共に、2013年には、気管を持たずに生まれた 2歳の子供に人工気管を入れました。これらの人はそれ(気管の障害)以外は完全に健康な若い人たちでした。
結果、人工気管は機能しませんでした。
幹細胞は、期待されていたように機能的な上皮に変化しなかったのです。人工気管はバクテリアの種まき場になり、免疫システムによって攻撃され、その合成気管は周囲の組織と融合することができませんでした。
人工気管は数ヶ月以内に、文字通りバラバラになりました。そして、患者たちは亡くなりました。
人工気管のことを私が最初に聞いた医学部の初日だった 2014年9月にはすでにその人工気管はバラバラになり始めており、患者たちは死亡寸前でした。手術前に健康だった患者たちでさえ。
それでもマキアリーニは一流の科学雑誌に記事を掲載し続けており、幹細胞で処理された人工気管は計画通りに持ちこたえ、周囲の組織と統合していると主張していたのです。
2016年、スウェーデンの公共テレビがマキャリーニの手術について真実を語ったドキュメンタリーを放映したとき、すべてが突然崩壊しました。
手術が主張されているほど成功していないことを明らかにすることは別として、マキャリーニは人間に移植手術を行前に、その人工気管を動物で試験したことがない(!)ことが明らかとなったのです。
人工気管は、実際に標準的な医学的慣行になったことはないですので、この最後の事例は実際には医学的逆転のストーリーではありません。しかし、これは興味深い警告だと思います。
真面目な科学者になりすました山師がたくさんいます。
マキャリーニように早い段階で発見されるものもあれば、ロボトミーを開発したエガス・モニスのように、数十年が経過した後に、すでに多くの人々の生活が台無しになってしまっていた時まで、その嘘が発見されない場合もあります。
これらの事例から私が述べたい主なポイントは、患者に危害を加える医師や保健当局の存在は、遠い昔にだけあったものことではないということです。
最近、深刻な医学的逆転が起き始めており、それは再び起こるでしょう。それらは、乏しい証拠に基づいて新しい介入が急いで出されたときに特に起こりやすいのです。
ここまでです。
(中略)
今は幸いそうではない時代ですけれど、しかし同時に「今ほど医学的に異常な時代を見たことがない」ことも事実で、それがロボトミーではなくとも、
「正当な科学的理由に基づかない方法でたくさんの命が奪われる」
ということは今後も起きていくかもしれません。
あるいは現在それが進行しているということなのかもしれません。
過誤により亡くならなくていい人が次々と亡くなっていく。
冒頭に載せましたメンデルソン医師は、「私はもう現代医学を信じない」という心境になるまで、その時代の主流あるいは一般的だった医学的措置によって、数多くの患者たちを苦しめてしまったことを「告白」という章で書いています。
この本の序文にこのように書いています。
「なぜ、あなたがたは医者である私に頼るのか。あなたたちをこんな目に遭わせた人間だというのに。」
でも、このように間違いを間違いだと「気付く」ことができれば、それはそれで悪い経験にも意味があるのだと思います。
医学者の安保徹さんも、ロバート・メンデルソン医師と同じように「間違いに気付いて、西洋医学を疑うようになった」ことを以下のように述べています。
医師の石原結實さんとの対談での安保徹さんの言葉です。
安保徹さんの回顧
東北大学を卒業した後、青森の県立中央病院で2年間、内科の研修医をやりました。「父のように患者さんを治し、世のため人のために尽くそう」と理想に燃えていました。
でも、夢は無残に打ち砕かれました。私が勤務していた間、15人のガン患者さんを担当しましたが、一生懸命に手を尽くしても、次々に亡くなっていくのです。生還率はゼロでした。
ほどほど治る患者さんも混じっている環境なら、「たまに亡くなるなら仕方ない」と割り切ることもできるのですが、15人が 15人とも、バタバタと亡くなっていく。強い抗ガン剤を使う結果、あっという間に弱っていくのです。
あまりにも、みんながみんな、具合が悪くなって死んでいくので、「ああ、これはダメだ」と思いました。
自分の無能力にさいなまされ、患者さんへの慰めの言葉も見つからないような状況で、私は絶望し、最後には無気力になってしまいました。
「こんなことを続けて、本当に病人を救えるのだろうか?」と、現代医学に疑問を抱いたのはそのときです。 (体を温め免疫力を高めれば、病気は治る)
この本の発行年とその時の安保さんの年齢を考えますと、この青森県立中央病院の描写は、今からずいぶんと昔だと思いますが、この「強い抗ガン剤を使う結果、あっという間に弱っていくのです」という描写は今も同じです。
私の奥さまのお母さまも最近そうでした。「あっという間」でした。
この時に安保さんが思った、
「こんなことを続けて、本当に病人を救えるのだろうか?」
というのは医療者にとって、とても大事な考えだと思います。
昨年からの今の世界でも同じことを感じている医療者の方々はたくさんいらっしゃると思います。
しかし、現在の、全体主義的となってしまった社会構造の中で、その想いを行動にするのは難しいことだということもわかります。
2月25日には、世界のコロナワクチンの接種者数が 2億2000万人を超えました。しかし、心身に悪影響ばかりのマスクも孤立化も社会の閉鎖も撤廃される兆しはまるでありません。
今回の医学的誤りによる犠牲者の数は過去とは桁違いになりそうです。
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