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徽宗皇帝のブログ

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なぜドイツはロシア(ソ連)と戦わされるのか

「阿修羅」の古参弁論家の「あっしら」氏の文章だが、ウクライナ戦争でNATOの中核としてロシアと「理不尽に」戦わされているドイツの悲惨な現状を見たら、私が赤字にした部分の真実性が見えるだろう。ドイツは第一次世界大戦でも第二次世界大戦でもほとんど国家滅亡に至ったのである。ドイツの運命は、日本と重なる。
「ヒトラー第二の書」自体は偽書だと思うが、それは「シオン長老の議定書」が偽書であるのと同様に、偽書でありながら、書かれた内容はこの上ない真実であるような偽書である。


(以下引用)赤字太字と下線は徽宗による強調。


「我が闘争」よりも面白い「ヒトラー第二の書」:そこで開示された理性的な反ユダヤ認識
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/233.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 15 日 23:36:54:Mo7ApAlflbQ6s


 






『自身が刊行を禁じた「続・わが闘争」 ヒトラー第二の書』(アドルフ・ヒトラー著/立木勝訳/テルフォード・テイラー解説/成甲書房/1800円)



日本語版が発行されたばかりのこの『ヒトラー第二の書』は、ドイツを占領した米軍関係者が印刷会社の金庫のなかにあった膨大な文書をもち帰り整理したことで見つかったとされるものだから、ヒトラーが著したもの(別人に書かせたということも含めて)とは言い切れない性格を帯びているという押さえが必要である。


誰が書いたとしても、政治的プロパガンダを目的として書かれた『我が闘争』よりもずっと面白い。


内容を一言で言えば、第一次世界大戦直前から1928年頃にかけてのドイツを軸とした外交を評価したものである。


簡単に評価すれば、「一国の政治的指導者たる信条を持ちつつ、なかなか理性的な分析と評価している」ものである。
そこまで理解していながら、なぜ、1939年以降のドイツ史が生成されたのか?という疑問を呈したくなるほどのものである。


そして、その書がヒトラーによって書かれたものであるのなら、なぜ出版に至らなかったのかという疑念も浮かんでくる。
(もち帰り原稿を発見したテルフォード・テイラー氏が解説でその理由を推測しているが、あまり首肯できないものである)


いくつか紹介したい論述があるが、まずは、「反ユダヤ」に関する部分を紹介させていただく。


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「結論として」の「世界大戦におけるドイツの災厄はユダヤの仕業である」より:


「少なからぬ国々を戦争に踏み切らせた影響力は、その国の本当の国内的利益から生じたものではまったくないか、あるいは国にとって何の得にもならないものだった。醜悪な戦争プロパガンダによってそうした国々の国民世論は五里霧中の状態になり、戦争支持の熱狂へと掻きたてられた。しかもその戦争は、その当の国民にとってはまったく得るところがなかったばかりか、その本当の利益とは真っ向からぶつかることすらあったのである。この途方もない戦争プロパガンダを扇動した勢力は、世界中の国際ユダヤだった。なぜならば、こうした国々が数多く戦争に参加することは、その国々の利益から見れば無意味に思えるかもしれないが、世界ユダヤの利益という視点から見ればまさに意味がある、論理的に必然性のあることだからである。」(P.339)


(“国際ユダヤ”という言葉を“国際金融家”と置き換えると、反ユダヤ主義の謗りを免れ、論理もわかりやすくなると思う)




「 ユダヤは民族であるが、その人種的中核はまったく単一的なものというわけではない。にもかかわらず、民族としてのユダヤは特殊で固有な特徴を持ち、地球上のあらゆる民族と一線を画している。ユダヤは宗教共同体ではなくユダヤ教徒による宗教同盟であり、実体としては、ほとんどユダヤ民族による一時的な統治システムである。ユダヤ人はアーリア人諸国家のような、領土と結びついた独自の国家を持ったことがない。にもかかわらず、その宗教共同体は事実上の国家となっている。なぜならば、それがユダヤ民族の保存と拡大と未来を保証しているからである。しかし、これはまったく国家の任務である。」(P.340)



(それが歴史的に強いられたものと言えないという立場もあるが、他の共同体(国家)の内で異なる歴史観と法(ユダヤ律法)に従って生きるいうことの“問題”の指摘と理解できる。この後ろに、「ユダヤ人の「国家」がアーリア人諸国家のような領土的限界に左右されないのは、ユダヤ民族の性格と関係がある。すなわち、独自の領土を持った国家を建設し維持していくための創造力に欠けているのである。」と続くが、それは派生的な特質であり、それを書いてしまえば反ユダヤ主義(人種主義)につながってしまう)




「アーリア人の生命闘争の基本は土地だ。土地を耕し、それをすべての基礎として、自分たちの活動範囲内で、自分たちの民族の生産力を通じ、まず自分たちの必要を満たす経済を生み出すのである。
 一方ユダヤ民族は、民族自体が創造的能力に欠けているために、領土的な意味での国家建設を遂行することができない。そこで、自身の存在を支えるものとして、他の民族の業績や創造的活動が必要となってくる。ゆえユダヤは、存在そのものが、他民族の生命の内部に入り込んだ寄生虫的なものとなる。したがってユダヤの生存競争の究極の目標は、生産力の活発な諸民族を奴隷化することとなる。この目標は、古今を通じて現実にユダヤの生存競争を代表してきたものであり、その達成のためにユダヤは、その性格の複合体のなかに隠し持ったあらゆる武器を利用するのである。」(P.340)



(ユダヤという宗教的人種としてのものではなく、“金融家”という経済主体の特性として書けば首肯できる内容である)




「 したがって、個別国家内での国内政治においては、ユダヤはまず平等の権利のために戦い、後には優越権を求めるようになる。狡猾さ、悪智恵、抜け目のなさ、不正行為、偽善などの諸特徴は民族集団の性格に根ざしたもので、すべてのユダヤの武器である。こうしたものは、他民族の戦闘におけると同じく、ユダヤにとっては生き残りの戦争のための戦略なのである。」(P.341)



( ここも、ユダヤという部分を、“外からやってきた金融家”に置き換えると首肯できる。好意的に評価すると、ユダヤに対等に戦う権利を認めているとも言える)




「 ユダヤの最終目標は脱民族化である。すなわち他民族を無差別に私生児化し、最高の民族の人種価値を低下させるとともに、その人種の寄せ集め集団を支配することである。そのためにはその民族のインテリ層を絶滅させ、ユダヤ民族の者がこれに取って代わるのである。」(P.341)


(ユダヤを“国際金融家”に置き換えて読むこと。人種価値なるものは捨象すること。インテリ層の絶滅は生物的な意味ではなく、精神的なものとして解すこと。取って代わるのも、精神的な働きかけとそれを通じての変容と解すこと)




「ユダヤの世界闘争の終わりは必ず血塗られたボルシェヴィキ化となる。そしてその実体は、民族と結びついた知的上流階級すべての破壊であり、それによって自分たちが、指導者を失った人類の主人となることである。」(P.341)



(読み替えは、前項からの類推でお願いしたい)




「 古代社会の崩壊とともにユダヤは、若く、まだまったく犯されない部分を持つ民族ト遭遇した。そうした民族は、もちろんその人種的な本能からだが、ユダヤの浸透から身を守った。ユダヤは千五百年近くにわかって異邦人であり続け、得意の嘘や偽善もほとんど助けとはならなかった。
 封建制支配と諸侯の統治によって初めて一般状況が生まれ、ユダヤは社会的な非抑圧階級の闘争と結びついて、短期間のうちにその闘争を事実上、自分たちのものとした。ユダヤが市民的平等を手に入れたのはフランス革命後のことだ。革命で橋が架かったおかけで、ユダヤは国家内における政治権力奪取へと踏み出せるようになった。」(P.342)



「 十九世紀になると、ユダヤは利子の思想に基づく金融資本を作り上げ、それを通じて諸国家の経済を内部から支配する地位を手に入れた。最後には、株式保有という詐欺を通じて生産拠点の大部分を所有するようになり、さらには証券取引所を利用して徐々に公的な経済生活を支配していき、ついには政治生活をも支配するようになってしまった。このユダヤ支配の手段となっているのが、フリーメーソンリーを使った国家の知的汚染であり、ユダヤ依存となった新聞業界である。ユダヤはブルジョア知識人の支配体制を破壊する潜在的な力を、新たに起こってきた「第四階級」である手職人たちに見いだした。これはかつて、ブルジョアジーが封建支配打破の手段にされたのとまったく同じパターンである。それと同時に、ブルジョアジーの愚かさと不誠実なまでの原則のなさ、さらには貪欲と怯懦も敵に利用された。ユダヤは職人身分の手職人たちを特殊な階級に仕立て上げ、これを今は諸民族のインテリ階層と戦わせている。マルクス主義はボルシェヴィキ革命の精神的父親となった。この恐るべき武器をユダヤは今、野獣のように、情け容赦なく振るっている。」(P.343)



(ユダヤを“国際金融家”と置き換えて読めば、みごとな歴史的洞察だと思う)



「 ユダヤはヨーロッパ諸国家間の緊張を利用した。そうした緊張は、大部分が領土不足一般とそれに起因する理由によるものだったのが、ユダヤはこれを利用して、組織的に世界大戦へと諸国家を扇動したのである。
 彼らの目的は、伝統的に反ユダヤ主義だったロシアを破壊すること、行政においても軍事においても依然としてユダヤへの抵抗を示していたドイツ帝国を破壊することだった。さらには民主制に―ユダヤに依存し指導される民主制に―したがわない諸王朝の転覆をも目指していた。」(P.343)



(ここも、ユダヤを“国際金融家”と置き換えて読めば、首肯できる歴史認識であるが、そこまでわかっているのなら、「反ユダヤ主義国家ドイツ」がどういう危険にさらされることになるか、どれほど慎重にことを進めなければ勝利できないかがわかっていてもおかしくないのだが...不様な敗北で終わった)




「 ロシア以外でこの闘争が最初に決着したのはフランスだった。フランスのユダヤは、数々の好機に恵まれて、フランス民族が持つ盲目的愛国主義の利益共同体に入り込んだ。それ以来、ユダヤの証券取引所とフランスの銃剣は同盟者である。」(P.344)


「 イギリスでは、この闘争は未決着である。ここでは、ユダヤの侵略は依然として昔ながらのイギリス的伝統に阻まれている。アングロサクソン集団の本能は今も鋭敏かつ健在で、ユダヤの完全勝利とはとても言えず、むしろある部分では、ユダヤは依然として自らの利益をイギリスの利益に適合させざるを得ないでいる。」(P.345)



(敵を、国際金融家や「近代経済システム」ではなくユダヤという人種にしてしまい、人種的優越性を支えにしてしまった者が陥った哀れな対英国観である。英国こそが国際金融家の牙城であり、反ユダヤ主義に捻じ曲がってはいるが反金融主義的なドイツを破壊したかった張本人だったのである)



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