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徽宗皇帝のブログ

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なぜ高校に行く必要があるのか。
たかが「大学受験予備校」(ほとんどの高校はそれ)の分際で、居丈高なことだ。
普通の予備校のほうが良心的だろう。


(以下引用)




公立高校でこんなにお金がかかるのはおかしくないか

   

 娘が入学する高校の説明会に行った。


 お金を用意しろと言われて「けっこうかかるもんだな」と当惑した。


 もちろん、それらは事前情報をしっかり読みこんでいれば、身構えることができたものだろうけど。


 まず3月末までに8万9000円振り込めと言われた。


 入学料などである。「入学料は県の条例にもとづき、納入することが定められております」などといきなり書かれているので、「振り込まないと入学取り消しか!」とビビってしまう。


 確かに入学料は納入が義務なのだろうが、実はそれは5550円に過ぎない。他の費用が凄まじいのだ。PTA入会金1000円、同窓会終身会費1万7400円、学校教育活動費5万890円なのであった。最大のものは「学校教育活動費」である。


 「学校教育活動費」とは一体何か。


 字面からして、すごいではないか。学校の・教育活動の・費用なのである。


 「そんなもの不要ですよ」とは絶対に言えない雰囲気


 ただよう義務感。必須感。


 もしこれを払わなければ、まず入学は取り消されるだろう…という親の不安心理を的確に突いてくる、素晴らしいネーミングである。ChatGPTで考えてもらったに違いない。*1


 

学校保健会の会費をなぜ俺が負担するのだ

 「学校教育活動費」は23項目から成っていた。


 家庭クラブ連盟費、模試料金、スタディサプリ、体育的行事、生徒氏名ゴム印、入学の手引き(印刷製本費)、体育祭応援スタンド代、個人・クラス写真代、小論文模試、県高等学校保健会費、県体育連盟負担金、地区高等学校生徒指導協議会費…。


 ふむ。


 パッと見て、今ぼくが読んでいるこの「入学の手引き」というご大層な印刷物への負担に違和感。なぜ保護者負担なのか。釈然としない気持ちになる。「ウェブとかに載せればタダでは」。そこにアクセスできない人にはプリントアウトして配ればいいじゃないか。無料で。


 加えて「高校保健会」「体育連盟」「生徒指導協議会」。


 俺が…? 「生徒指導」…?


 「高等学校保健会」とはなんであろうか。横に簡単な説明がある。「生徒の健康に関する調査研究の指導機関 年会費」だそうである。150円。日本学校保健会のHPを見るとPTAは構成団体のようであるが、PTAに加入しない場合は、そのお金は払う必要があるのだろうか。謎に包まれたままだ。


 同様に「高等学校生徒指導協議会費」「体育連盟負担金」…こういうものを全部保護者がいきなり(ほぼ)何の説明もなく負担せねばならないのだろうか?


 さらにこれとは別に様々な費用負担が続いた。


 「指定品」である制服はブレザー、スラックス、スカート、シャツ、ネクタイ、ベストで6万円以上かかった。これと別に夏の服が1万5000円近く。


 トレーニングシャツ・パンツも「指定店」での「指定品」だ。いわゆるジャージだと思うのだが、個人名や校名が入り合計で8000円かかった。


 体操服(夏用)も個人名が入り、「指定店」で、半袖シャツ・ハーフパンツ・上靴を1つずつでこれまた8000円近く。


 体育館シューズも3400円。これもまた「指定店」である。


 当日は、教科書などの物品購入代が5万円程度。そして、それとは別に電子辞書が3〜4万円かかった。


 いやー、こんなにいきなりお金がかかったら、本当に大変じゃないの?


 うちは払える。払えない家もあろう。払えても大変な家もあるだろう。


 払えるからいい、というものでもない。


 電子辞書は特別な仕様のようであったが、どうしてもそれでないといけないのだろうか。「紙の辞書でもよい」的なことを書いていたが、いざ授業が始まって電子ペースでやられたら子どもはついていけるのか? などと不安に思うから言いなりになって買うしかないのである。


 かろうじてPTAの入会金だけは「保留させてほしい」と言ったが…。


 


 いきなり「払え」と言われた費用の中には、様々な種類のものが含まれている。

  • 入学料のように条例で支払うことが定めれているもの。
  • 教科書のように必須のもの。
  • 助教材費。
  • 服など指定店での指定品であるもの。
  • 保護者が関わるが任意であるもの。
  • 保護者が参加しているのかどうかさえよくわからず、単なるATM扱いされている恐れのあるもの。

 PTAの入会金を「保留」できたということは、たぶんこうした諸経費も入学料以外は、申し出れば「保留」できた可能性はある。しかし「学校教育活動費」などと銘打たれて一括して要求され、初対面の高校の説明会で手を挙げて説明を延々と求めて「保留」する勇気のある保護者は、まずいまい。


 教育にお金がかかる、という問題もさることながら、まともな説明もなく、「それ、保護者が払うべきものですか?」と言いたくなるところを、ほとんど有無を言わさない形で最初にお金を取り立てるこのやり方に、大いに不信感を抱いた。


 


 

「前衛」の福嶋尚子インタビューを読んで

 義務教育は無償であることが憲法でうたわれているが、高校はどうなのか。


 日本は2012年に国際人権A規約(13条2項b、c)の適用の留保を撤回した。


種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む。)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。


とある通り、中等教育(日本の高校を含む)は「無償教育の漸進的な導入」を目指すことがうたわれているのである。


 


 共産党の理論誌「前衛」2023年4月号に福嶋尚子「学校給食費の無償化と増大する教育費をどう考えるか」という一文が載っていた。


 福嶋尚子は現在千葉工業大学准教授のようであるが、2019年に栁澤靖明とともに『隠れ教育費』(太郎次郎社エディタス)を書いた人である。


 

 


 『隠れ教育費』には例えば次のような一文がある。


 授業のなかで本当に必要性があって、ひんぱんに個人で使うものであれば私費負担にすることもありえるが、それでも負担は極力、最小限にしなくてはならない。


 あまり一般には知られていないが、教科書以外の教材を授業で用いる場合、学校は、教育委員会へ事前に届け出たり、承認を得たりする必要がある(地方教育行政の組織及び運営に関する法律33条2項)。…「補助教材の購入に関して保護者等に経済的負担が生じる場合は、その負担が過重なものとならないよう留意すること」と文科省は述べている(文部科学省初等中等教育局長通知「学校における補助教材の適正な取扱いについて(通知)」2015年3月4日)。


 つまり、補助教材を用いる自由が教師にはあるが、それが必要だからといって、無制限に保護者に費用転嫁してはいけないのだ。…


 学校が編成する教育課程は文部科学省が告示した学習指導要領を基準としており、教育委員会が認めているものであるから、教育課程に必要な教材はすべて公費で用意するべきである——これが大前提だ。しかし現状との乖離は大きい。(『隠れ教育費』p.87-89、強調は引用者、以下同じ)


 


 学校指定品の購入・着用を義務づける校則は、じつは、学校教育の入り口で子どもたちをそこから排除する機能を果たす可能性が高い。…多種多様の指定品が存在し、それを着用していないと学校の校門をくぐることすらできない、という意味だ。


 入学前に大量の指定品を購入しなければ、わが子が入学できない。だから、無理をしてでも購入する——。中学校の制服購入のために借金したことがきっかけで多重債務におちいり、無理心中を図った悲劇が現にある。価格の側面のみならず、購入プレッシャーも相当強いことがわかる。


 ましてや、学校指定品のおおいなる謎のひとつであるが、その学校の校長も、子どもも、保護者も、だれも選んでいないのに、「それ」が絶対的な存在として君臨していることがままある。何十年もまえの顔も知らない人たちが定めた学校指定品を、異動してきた教員たちは「これがこの学校の制服か」と金額も見ずに受け入れ、粛々と一律購入させ、購入・着用をしていない子どもに指導をおこなう。また、子どもや保護者の側も、言われるがままに購入し、指導されるがままに着用する。「だれも『この制服がいい』と選んでいない」*2のに、である。(同前p.52)


 


 ところが、このようなことを問う機会がない。


 多くの場合、PTAがそのような場として機能しないのである(機能しているPTAが世の中にはあることも承知しているが)。個人として学校に請願を出しても、ほとんどあしらわれてしまう。運動にして突きつける必要がある、と改めて感じた。


 

 


 福嶋は「前衛」のインタビューで次のように述べている。


私の経験でも、自分の子どもの学校で、びっくりすることがいっぱいありました。書道道具を一人一個持つ必要があるのかと思っていたところに、当たり前のように、書き初めの道具を買わなければならないということがありました。学校で一年に一回、体育館でみんなで書くという書き初めのイベントをおこなうので、その行事のために筆と長い下敷きを購入する。そういうことが疑問に思われないでおこなわれているわけです。それが子どものため、教育の充実につながっているのかと疑問に思う人がいて、声に出しても、それこそ「うるさい親がいる」と言われる。(p.86)


 そうなのだ。「うるさい親」扱い。


 個人でモノを言うことの限界をつくづく感じたのが小学校・中学校の保護者時代だった。保育園の頃はむしろ保護者会として運動していて、その差は歴然としている。


 それは単に運動としての力の問題だけではない。


 親、そして教員の中にもある、つまり市民の中に深く巣食っている「受益者負担主義」の思考をあばきたて、それと対決していくことが必要になるのだ。


給食費も、制服代も、教材費も、子どもが食べるから、着るから、家に持って帰るから私費負担という当たり前を疑っていかないと、支払っている側はいつの間にかどんどん支払う額が増えていく。支払わせている学校の側も多くの場合無意識なのです。(p.86)


 この「前衛」の福嶋インタビューに出てくるが、ある研究では、公立小学校で学校運営にかけているお金の公費と私費の比率は1:5、中学校は1:10、高校では「私費の割合がもっと増えます」(福嶋)。確かに途方もなく膨らんでいく。憲法で義務教育が「無償」と規定された小中学校でさえこの有様なのだ。


(以下省略)



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