「笠木恵司のブログ」から転載。
「社会問題にビジネスの手法で取り組むソーシャルビジネスは新興国ばかりではなく、先進国でも有効だ」、特に日本の高齢化の問題は「ソーシャルビジネスをもっと活用し、政府の補助に頼るのを減らしたほうがよい」
というのは面白い考えだと思うので、ここで考えてみようというわけだ。「ソーシャルビジネス」という言い方は初めて聞いた気がするが、「社会問題にビジネスの手法で取り組む」という言い方に少々いかがわしさを感じないでもない。ビジネスとは利益が目的となるものなのだから、「貧困ビジネス」などのように、結局は貧乏人を食いものにして稼ごうというものなのではないか、と思うわけである。しかし、「手法」面だけビジネス手法を使うというのなら、話は別になるかもしれない。
ではビジネスの手法とは何か、と言えばいろいろあるだろうが、すべて「合理性」と「効率主義」を原則とする手法となるだろう。つまり、政府事業に見られる不合理性や非効率性は、それが税金で行われ、またその功績や失敗への評価や罰則がほとんど無いところから来る、ほとんど宿命的なものだ。それを「ビジネス」として行えば、社会問題の合理的効率的な解決が得られるかもしれない、ということだ。
もちろん、新しく立ち上げたビジネスの「5年生存率」は1割以下である、というのが実際であり、ビジネス的にやれば成功するとも限らないのだが、多少の考察の余地はある。少なくとも、現代では隘路に入った感のある社会福祉事業への新しい視点ではある。
下記記事に書かれた「ソーシャルビジネス」のポイントをさらに一言で言えば「このビジネスでの利益は、(もちろん経費を除いて)新たな事業展開や事業改善のみに用いる」ということだろう。つまり、「このビジネスで働く人の給与は、利益が出ても上がらない」ことを原則とすることになるのではないか。もちろん、経営者が高額報酬を得るなどは御法度だ。また、利益の内部留保も好ましくないわけで、なぜならそれはその金で救われる人にその金が行き渡っていないことになるからだ。
私は「マイクロファイナンス」の実際を知らないので、融資の審査はどうか、利息はどうか、担保はどうか、返済条件や返済猶予はどうかなど、それがビジネスとして成り立つものなのか、あるいはただの「貧困ビジネス」の一つになっていないかなどはわからないのだが、政府出資によってこのような社会的弱者救済ビジネスを数多く作るのは、いいことではあるだろう、と思う。もちろん、「ファイナンス」以外にも社会的弱者救済のソーシャルビジネスはいろいろ考えられるだろう。たとえば国民健康保険に入らなくても医療を安価で受けられるような医療ソーシャルビジネス、自警団的なセキュリティソーシャルビジネス、子供を悪から守る児童保護ソーシャルビジネスなど、立ち上げだけ政府出資で行い、後はビジネスとして自立させれば、現在のような天下りのための政府外郭団体などよりはるかに有効だろうし、かかる費用も安上がりだろう。その場所にはこれまで税金で無数に作ってきた公民館やら厚生施設やらを転用すればいい。民間の空き家だって700万戸あるらしいから、それも利用できるだろう。
もう一つ大事なのは、この「ソーシャルビジネス」そのものが雇用を生む、ということだ。新しいビジネスが増えるわけだから、これまでのように一人の雇用によって他の一人がはみ出す、ということにはならない。このまま行けば、世代間の仕事の奪い合いが必ず生まれるが、実は社会に必要な仕事で、まだ現実化していない仕事はたくさんあるのではないだろうか。
利益が資本家に吸い上げられないので、成功すればするほどその収益によって事業が拡大し、雇用が増え、その仕事の恩恵を受ける「消費者」の範囲も拡大するわけである。要するに、社会福祉の増大を第一義とするビジネスと考えればいいだろう。
以上はもちろん私が空想するソーシャルビジネスにすぎないが、ある意味では資本主義(ビジネス)と社会主義(ソーシャル)の幸福な結婚がここにあるのかもしれない。
(以下引用)
本日の日本経済新聞朝刊にインタビューが掲載されていたムハマド・ユヌス氏による貧困層への無担保小規模融資「マイクロ・ファイナンス」も、そうした創造力の一つです。これを少し調べていただければ、社会保障費の増加を消費税増税で賄うという野田首相の発想が、「待ったなし」どころか完全な思考停止の産物であることがよーく分かります。
同紙によれば、 そんな彼のソーシャルビジネスを、インタビューの内容からまとめると次のようになります。
1)貧困や失業問題のために政府の援助や民間の寄付に頼るのではなく、経済性を基本にした事業の手法を用いる。
2)通常のビジネスでは利潤は出資者に配当されるが、ソーシャルビジネスでは回収された事業資金は、次のソーシャルビジネスへの投資に充てる。
3)NPOは寄付などを元手にしているが、ソーシャルビジネスでは事業による売り上げを元に、次の仕事を展開していくので事業の継続性がある。
その上で「日本は高齢化が進んでいるが(略)、元気なお年寄りは多い。それらの高齢者が働く舞台として、ソーシャルビジネスは役立つ。課題に応じた仕事を考えるべきだ」と語っています。
一般的な株式会社では、利潤は常に資本家へと還流していきます。もちろん金持ちばかりでなく年金運用団体による投資もあるので、労働者にも利潤が分配されていくことになりますが、それは正社員に限った話です。現在のように貧富の格差が拡大すると、多数の非正規社員のアタマの上で大きなカネが循環しているだけと表現できるでしょう。
さらに、正社員はいつ何時に非正規や無職になるかもしれません。高齢者だって無職あるいは非正規労働者といえるでしょう。
日本ではそうした高齢者や貧困層がどんどん増加しており、それに対する年金や生活保護などの社会保障を政府による税金分配だけで解決しようとすれば、少子化で納税者は減少していくのですから、いずれ行き詰まるのは当然です。広く課される消費税でなく、法人税や所得税や資産家への課税を強化しようとすれば、国内産業の空洞化が懸念されるという堂々めぐりが現在の構図だとボクは思います。でもって野田首相は取りやすい消費税の増税を選んだわけですね。
オスプレイなんかメじゃないほど大きな課題と制約が日本という国にあるわけですから、やはり打開していくための新しい知恵や工夫が必要であり、それこそが本当の「待ったなし」の案件ではありませんか。
だからといって、ボク自身も具体的にどうすりゃいいかなんて分かるはずがない。けれども、ユヌス氏の語るソーシャルビジネスは重要なヒントになると思うのです。
事業を立ち上げて動かすまでの経費を政府や金融機関などが援助して、その事業で得た利潤で仕事を回していけるビジネスモデルが数多く誕生すればするほど、生活苦や困難から解放される人も増加していくのではないでしょうか。
ただし、この時にタブーとなるのは、資本主義の裏側に棲息している「強欲」です。要するに自分だけ途方もない金持ちになって、豊かにハッピーになれればいいのか。
そんなわけで、ソーシャルビジネスには高い倫理感と道徳と社会性がピタリと密着していなければならないのですが、昨今のいじめ騒ぎを見ていると、果たしてどうなのかと、つい危惧しちゃうのです。
「社会問題にビジネスの手法で取り組むソーシャルビジネスは新興国ばかりではなく、先進国でも有効だ」、特に日本の高齢化の問題は「ソーシャルビジネスをもっと活用し、政府の補助に頼るのを減らしたほうがよい」
というのは面白い考えだと思うので、ここで考えてみようというわけだ。「ソーシャルビジネス」という言い方は初めて聞いた気がするが、「社会問題にビジネスの手法で取り組む」という言い方に少々いかがわしさを感じないでもない。ビジネスとは利益が目的となるものなのだから、「貧困ビジネス」などのように、結局は貧乏人を食いものにして稼ごうというものなのではないか、と思うわけである。しかし、「手法」面だけビジネス手法を使うというのなら、話は別になるかもしれない。
ではビジネスの手法とは何か、と言えばいろいろあるだろうが、すべて「合理性」と「効率主義」を原則とする手法となるだろう。つまり、政府事業に見られる不合理性や非効率性は、それが税金で行われ、またその功績や失敗への評価や罰則がほとんど無いところから来る、ほとんど宿命的なものだ。それを「ビジネス」として行えば、社会問題の合理的効率的な解決が得られるかもしれない、ということだ。
もちろん、新しく立ち上げたビジネスの「5年生存率」は1割以下である、というのが実際であり、ビジネス的にやれば成功するとも限らないのだが、多少の考察の余地はある。少なくとも、現代では隘路に入った感のある社会福祉事業への新しい視点ではある。
下記記事に書かれた「ソーシャルビジネス」のポイントをさらに一言で言えば「このビジネスでの利益は、(もちろん経費を除いて)新たな事業展開や事業改善のみに用いる」ということだろう。つまり、「このビジネスで働く人の給与は、利益が出ても上がらない」ことを原則とすることになるのではないか。もちろん、経営者が高額報酬を得るなどは御法度だ。また、利益の内部留保も好ましくないわけで、なぜならそれはその金で救われる人にその金が行き渡っていないことになるからだ。
私は「マイクロファイナンス」の実際を知らないので、融資の審査はどうか、利息はどうか、担保はどうか、返済条件や返済猶予はどうかなど、それがビジネスとして成り立つものなのか、あるいはただの「貧困ビジネス」の一つになっていないかなどはわからないのだが、政府出資によってこのような社会的弱者救済ビジネスを数多く作るのは、いいことではあるだろう、と思う。もちろん、「ファイナンス」以外にも社会的弱者救済のソーシャルビジネスはいろいろ考えられるだろう。たとえば国民健康保険に入らなくても医療を安価で受けられるような医療ソーシャルビジネス、自警団的なセキュリティソーシャルビジネス、子供を悪から守る児童保護ソーシャルビジネスなど、立ち上げだけ政府出資で行い、後はビジネスとして自立させれば、現在のような天下りのための政府外郭団体などよりはるかに有効だろうし、かかる費用も安上がりだろう。その場所にはこれまで税金で無数に作ってきた公民館やら厚生施設やらを転用すればいい。民間の空き家だって700万戸あるらしいから、それも利用できるだろう。
もう一つ大事なのは、この「ソーシャルビジネス」そのものが雇用を生む、ということだ。新しいビジネスが増えるわけだから、これまでのように一人の雇用によって他の一人がはみ出す、ということにはならない。このまま行けば、世代間の仕事の奪い合いが必ず生まれるが、実は社会に必要な仕事で、まだ現実化していない仕事はたくさんあるのではないだろうか。
利益が資本家に吸い上げられないので、成功すればするほどその収益によって事業が拡大し、雇用が増え、その仕事の恩恵を受ける「消費者」の範囲も拡大するわけである。要するに、社会福祉の増大を第一義とするビジネスと考えればいいだろう。
以上はもちろん私が空想するソーシャルビジネスにすぎないが、ある意味では資本主義(ビジネス)と社会主義(ソーシャル)の幸福な結婚がここにあるのかもしれない。
(以下引用)
本日の日本経済新聞朝刊にインタビューが掲載されていたムハマド・ユヌス氏による貧困層への無担保小規模融資「マイクロ・ファイナンス」も、そうした創造力の一つです。これを少し調べていただければ、社会保障費の増加を消費税増税で賄うという野田首相の発想が、「待ったなし」どころか完全な思考停止の産物であることがよーく分かります。
同紙によれば、 そんな彼のソーシャルビジネスを、インタビューの内容からまとめると次のようになります。
1)貧困や失業問題のために政府の援助や民間の寄付に頼るのではなく、経済性を基本にした事業の手法を用いる。
2)通常のビジネスでは利潤は出資者に配当されるが、ソーシャルビジネスでは回収された事業資金は、次のソーシャルビジネスへの投資に充てる。
3)NPOは寄付などを元手にしているが、ソーシャルビジネスでは事業による売り上げを元に、次の仕事を展開していくので事業の継続性がある。
その上で「日本は高齢化が進んでいるが(略)、元気なお年寄りは多い。それらの高齢者が働く舞台として、ソーシャルビジネスは役立つ。課題に応じた仕事を考えるべきだ」と語っています。
一般的な株式会社では、利潤は常に資本家へと還流していきます。もちろん金持ちばかりでなく年金運用団体による投資もあるので、労働者にも利潤が分配されていくことになりますが、それは正社員に限った話です。現在のように貧富の格差が拡大すると、多数の非正規社員のアタマの上で大きなカネが循環しているだけと表現できるでしょう。
さらに、正社員はいつ何時に非正規や無職になるかもしれません。高齢者だって無職あるいは非正規労働者といえるでしょう。
日本ではそうした高齢者や貧困層がどんどん増加しており、それに対する年金や生活保護などの社会保障を政府による税金分配だけで解決しようとすれば、少子化で納税者は減少していくのですから、いずれ行き詰まるのは当然です。広く課される消費税でなく、法人税や所得税や資産家への課税を強化しようとすれば、国内産業の空洞化が懸念されるという堂々めぐりが現在の構図だとボクは思います。でもって野田首相は取りやすい消費税の増税を選んだわけですね。
オスプレイなんかメじゃないほど大きな課題と制約が日本という国にあるわけですから、やはり打開していくための新しい知恵や工夫が必要であり、それこそが本当の「待ったなし」の案件ではありませんか。
だからといって、ボク自身も具体的にどうすりゃいいかなんて分かるはずがない。けれども、ユヌス氏の語るソーシャルビジネスは重要なヒントになると思うのです。
事業を立ち上げて動かすまでの経費を政府や金融機関などが援助して、その事業で得た利潤で仕事を回していけるビジネスモデルが数多く誕生すればするほど、生活苦や困難から解放される人も増加していくのではないでしょうか。
ただし、この時にタブーとなるのは、資本主義の裏側に棲息している「強欲」です。要するに自分だけ途方もない金持ちになって、豊かにハッピーになれればいいのか。
そんなわけで、ソーシャルビジネスには高い倫理感と道徳と社会性がピタリと密着していなければならないのですが、昨今のいじめ騒ぎを見ていると、果たしてどうなのかと、つい危惧しちゃうのです。
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