先日のフィナンシャル・タイムズの記事を訳してみたので、掲載する。非常に面白い文章で、日本の対米従属のネット右翼の言いそうなことがすべて書かれているので、これを読めば、その他のネット右翼の発言を読む手間が省ける。日本のためにこれだけ言ってくれるとは、フィナンシャル・タイムズというのは、何と親切な新聞だろう。日本人よりも日本のことを心の底から心配してくれているとしか思えない。産経・読売(今、黄泉売りと、つい書いてしまった)にフィナンシャル・タイムズさえあれば、この世は平和である。
(以下、徽宗皇帝による訳文。お暇なら、娯楽として誤訳探しをどうぞ。私自身、訳した後の見直しは一度しかしていません。)
「日本にとって間違った人間」フィナンシャル・タイムズ 2010年8月29日記事
もしもダンテの地獄が九つの苦難の階層を持っているならば、日本の政治は九つの喜劇的階層を持っているにちがいない。わずか3ヶ月の仕事の後で、菅直人(一年で3人目の総理大臣である)は、彼の所属する政党内でのリーダーシップを賭けての挑戦を受けている。
日本のデフレによる意気消沈に乗じて総理職への灰色の王位請求者(偽装者、詐称者)となったのは小沢一郎であるが、彼は国際的なスポットライトの中で活躍するよりも、政局を陰から操ることに長じた人間である。彼は最近、アメリカ人のことを単細胞的であると言ったが、もしも彼が総理大臣になったなら、彼は2006年に総理職を辞した小泉純一郎以来のもっとも興味深い総理大臣になるだろう。彼も小沢同様に、常に落第者(災厄)であった。 *最後の一文の「彼」は小泉のことかと思うが、小沢が落第者であったという事実はない。「disaster」に災厄と落第者の二つの意味があることを利用して、どちらも「disaster」だが、小泉はただの落第坊主だったが、小沢は日本にとっての災厄になるぞ、と脅かしているのだろう。
小沢氏は疑いもなく「多細胞人間」であり、(注:複雑な人間=陰険な人間のイメージをほのめかしている)いくつかの面白いアイデアを持っている。彼は日本が「普通の国」になるべきだと示唆した最初の人間たちのうちの一人であり、第二次大戦後の伝統である米国の保護の手を振り払った。1990年代にワシントン(米国の政治中枢)は彼を政治経済改革のチャンピオンであると称揚したが、最近は彼に対して冷淡になっている。最後の東京への米国特使は、小沢がアフガニスタン近辺での米国軍船への給油を拒否する意見を主導していたため、小沢に面会することさえできなかった。小沢氏は同様に、(注:同様に反米的行為として、ということだろう)中国との連帯をより友好的にすることを主張しているが、しかし、中国の一党独裁システムへの軽蔑を隠そうとはしていない。(注:小沢と中国との間にクサビを打ち込んでおこうという離間作戦のための一節だろう。)
彼の混乱した対外政策のスタンス以上に、小沢氏はその国内的な過去の記録からして、総理には不適格な人間である。政略的な実績の輝かしさにも関わらず、彼はドン・キホーテ的で破壊的な人間である。彼は1990年代初期と昨年において、自由民主党を、その長期支配から引きずり下ろすことに貢献した。最初の機会においては、彼は連立政権の土台を壊し続け、自由民主党が短い休止期間の後に政権に返り咲くための道ならしをした。今回も彼は同じトリックを繰り返すだろう。仮に、幾つかの予見をするなら、彼の総理職への挑戦は、民主党を分裂させ、その隙に自由民主党が政権の座にこっそりと戻ることになるだろう。
日本の大衆は彼を嫌っている。最近の世論調査では、アンケートに答えた人間の79パーセントが、彼が党の重要な職に戻ることを望まないと言っている。(彼は党幹事長職を、金に関する醜聞の疑惑で辞めている)だが、日本の政治家は法の手が及ばない存在だから、いずれにしても彼はこの問題で勝つだろう。(注:つまり、小沢が無罪釈放されても、事実上罪を犯しているはずだとあてこすっている。)民主党の衆議院議員の約半数の支持によって、9月14日の党代表選挙において、小沢氏は菅総理を打ち破るチャンスを手にした。DPJ(注:最大与党の意味かと思うが、辞書に無いので不明)が彼を首班とし、したがって、総理とすれば、DPJはその公約に反し、日本の政治の刷新を遅延させることになるだろう。権力にひれ伏すことを続けるとすれば、それ自体非難されるべきである。
(以下、徽宗皇帝による訳文。お暇なら、娯楽として誤訳探しをどうぞ。私自身、訳した後の見直しは一度しかしていません。)
「日本にとって間違った人間」フィナンシャル・タイムズ 2010年8月29日記事
もしもダンテの地獄が九つの苦難の階層を持っているならば、日本の政治は九つの喜劇的階層を持っているにちがいない。わずか3ヶ月の仕事の後で、菅直人(一年で3人目の総理大臣である)は、彼の所属する政党内でのリーダーシップを賭けての挑戦を受けている。
日本のデフレによる意気消沈に乗じて総理職への灰色の王位請求者(偽装者、詐称者)となったのは小沢一郎であるが、彼は国際的なスポットライトの中で活躍するよりも、政局を陰から操ることに長じた人間である。彼は最近、アメリカ人のことを単細胞的であると言ったが、もしも彼が総理大臣になったなら、彼は2006年に総理職を辞した小泉純一郎以来のもっとも興味深い総理大臣になるだろう。彼も小沢同様に、常に落第者(災厄)であった。 *最後の一文の「彼」は小泉のことかと思うが、小沢が落第者であったという事実はない。「disaster」に災厄と落第者の二つの意味があることを利用して、どちらも「disaster」だが、小泉はただの落第坊主だったが、小沢は日本にとっての災厄になるぞ、と脅かしているのだろう。
小沢氏は疑いもなく「多細胞人間」であり、(注:複雑な人間=陰険な人間のイメージをほのめかしている)いくつかの面白いアイデアを持っている。彼は日本が「普通の国」になるべきだと示唆した最初の人間たちのうちの一人であり、第二次大戦後の伝統である米国の保護の手を振り払った。1990年代にワシントン(米国の政治中枢)は彼を政治経済改革のチャンピオンであると称揚したが、最近は彼に対して冷淡になっている。最後の東京への米国特使は、小沢がアフガニスタン近辺での米国軍船への給油を拒否する意見を主導していたため、小沢に面会することさえできなかった。小沢氏は同様に、(注:同様に反米的行為として、ということだろう)中国との連帯をより友好的にすることを主張しているが、しかし、中国の一党独裁システムへの軽蔑を隠そうとはしていない。(注:小沢と中国との間にクサビを打ち込んでおこうという離間作戦のための一節だろう。)
彼の混乱した対外政策のスタンス以上に、小沢氏はその国内的な過去の記録からして、総理には不適格な人間である。政略的な実績の輝かしさにも関わらず、彼はドン・キホーテ的で破壊的な人間である。彼は1990年代初期と昨年において、自由民主党を、その長期支配から引きずり下ろすことに貢献した。最初の機会においては、彼は連立政権の土台を壊し続け、自由民主党が短い休止期間の後に政権に返り咲くための道ならしをした。今回も彼は同じトリックを繰り返すだろう。仮に、幾つかの予見をするなら、彼の総理職への挑戦は、民主党を分裂させ、その隙に自由民主党が政権の座にこっそりと戻ることになるだろう。
日本の大衆は彼を嫌っている。最近の世論調査では、アンケートに答えた人間の79パーセントが、彼が党の重要な職に戻ることを望まないと言っている。(彼は党幹事長職を、金に関する醜聞の疑惑で辞めている)だが、日本の政治家は法の手が及ばない存在だから、いずれにしても彼はこの問題で勝つだろう。(注:つまり、小沢が無罪釈放されても、事実上罪を犯しているはずだとあてこすっている。)民主党の衆議院議員の約半数の支持によって、9月14日の党代表選挙において、小沢氏は菅総理を打ち破るチャンスを手にした。DPJ(注:最大与党の意味かと思うが、辞書に無いので不明)が彼を首班とし、したがって、総理とすれば、DPJはその公約に反し、日本の政治の刷新を遅延させることになるだろう。権力にひれ伏すことを続けるとすれば、それ自体非難されるべきである。
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