そして、私が知る限りでは、こうした場でプーチンは嘘や心にも無い事を言った例は無い。
(以下引用)誤記、誤訳もいくつかあると思うが、一か所に注を付けた以外はそのままである。
2021年1月、世界経済フォーラム(WEF)でのプーチン・ロシア大統領の講演です。
少々長いですが、興味深いことを述べているのでぜひ読んでみて下さい。
はっきりと言っていませんが、ニューワールド・オーダー 世界統一政府、
グレート・リセットといったWEFの目指す方向を否定しています。
おそらくこの講演は、WEF側がプーチン政権を倒すことを決意するきっかけになったと
思われます。
プーチンのウクライナ併合の野心を見抜き、米国・NATOはウクライナに
軍事介入しないと保証し、プーチンを罠にはめたのでしょう。
(関連情報)
「【オピニオン】グレートリセット?『そう焦るな』とプーチン大統領」 (bonafidr 2021/2/10)
https://bonafidr.com/2021/02/12/%e3%80%90%e3%82%aa%e3%83%94%e3%83%8b%e3%82%aa%e3%83%b3%e3%80%91%e3%82%b0%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%aa%e3%82%bb%e3%83%83%e3%83%88%ef%bc%9f%e3%80%8c%e3%81%9d%e3%81%86%e7%84%a6%e3%82%8b%e3%81%aa/
------(引用ここから)-------------------------------------------
「プーチン大統領のダボス・アジェンダ 世界経済フォーラムでの講演」
(在日ロシア連邦大使館 2021/1/27)
https://tokyo.mid.ru/web/tokyo-ja/-/---253
ウラジーミル・プーチン大統領は、世界経済フォーラム主催の『ダボス・アジェンダ2021』オンライン・セッションでスピーチを行った。
1月25日29日、アジア、アフリカ、中東、北米、ラテンアメリカの各国・政府首脳、大手国際企業および国際メディアトップ、若者による組織代表の参加によるオンライン会合が開催される。
討議の主要テーマとなるのは、新型コロナウィルスパンデミックに関連した『新たなグローバル情勢』である。
K.シュワブ:プーチン大統領、ようこそ『ダボス・ウィーク』へ!ロシアは世界の主要大国として、長年にわたり世界経済フォーラムに参加しています。
今、対立の時代から協力の時代へと移行する新たな窓が開かれました。そんな歴史的瞬間に世界は直面しているのです。さまざまな見解やアプローチがあふれる中、私たち共通の問題を解決し、分極化と孤立の時代から抜け出すための建設的で嘘のない対話が必要とされています。そんな今、ロシア連邦大統領としてのあなたの声を傾聴することはきわめて重要です。
昨日、あなたはバイデン大統領と電話会談を行い、新戦略兵器制限条約を延長することで合意されました。これは非常に前向きで、歴史的な意味を持つ兆しです。
COVID-19は、私たちが皆、脆弱で相互依存していることを明らかにしました。当然、他の国同様、ロシアもこのパンデミックの影響を免れることはできませんでした。一方で、私たち皆にとって関心のある国際協力のチャンスが拓かれているのもいるのです。
プーチン大統領、ご自身やロシアの視点、現在そして21世紀の状況をどう捉えられているかを伺うのは、私たちにとってたいへん興味深いことです。私たちが生きるあらゆる場所が平和で繁栄したものであるためには、何を為さなければならないと大統領はお考えになりますが。
プーチン大統領、世界はあなたの言葉を待っているのです。
V.プーチン大統領:尊敬するシュワブさん、親愛なるクラウス、親愛なる皆さん!私は幾度となくダボスを訪れ、シュワブ氏が90年代から主催されているこの会合にも出席してきました。つい先ほどクラウスが思い出させてくたのですが、私たちが知り合ったのは、1992年のことでした。ペテルブルグで作業中、私は何度も、まさにこのフォーラムを訪れていたのです。シュワブ氏のご尽力により、世界が認められるこのプラットフォームで、今日、専門家の皆さんに私の見解をお伝えする機会を得たことを、感謝したいと思います。
紳士淑女の皆さん、ようこそ世界経済フォーラムにお越し下さいました。
パンデミックや様々な制限にもかかわらず、今年も継続して世界経済フォーラムの作業を行えることをうれしく思います。オンライン形式ではありますがフォーラムはとにもかくにも開催されており、オープンで自由な討議の中で参加者が自分なりの評価や予測を発表する機会が与えられているのです。これはある部分'は、この数ヶ月間なかなか実現することのできなかった国家首脳や世界企業・組織代表の間の直接的なコンタクトを補完するものとなっています。困難な問題が目前に山積している今、このことはきわめて重要な意味を持っています。
今回は、2020年代における第一回目のフォーラムにあたります。当然ながら、そのテーマの多くは、今地球上で起きている重大な変化を扱っています。
実際、グローバル経済、政治、社会生活、技術における抜本的変化は、否が応でも目にとまります。今し方クラウスが言及した新型コロナウィルスパンデミックは、人類全体にとっての重大な挑戦となりましたが、実ははだいぶ以前から条件は整っていた構造的変化に拍車を掛け、加速させたに過ぎません。以前から世界に蓄積されていた問題や不均衡をパンデミックが悪化させたのです。さらなる矛盾の拡大を予見する根拠はたくさんあります。またこうした傾向は、事実上あらゆる分野で現れる可能性があるのです。
これまでの歴史上、ダイレクトにパラレルな事例がないのはもちろんです。しかし一部の専門家は(私はこうした人々には敬意を払っているのですが)、現在の状況を1930年代と比較しているようです。これには賛成も反対もできるかと思いますが、今日直面する課題の包括的、体系的性質やその潜在的脅威といった多くのパラメータをふまえれば、両者の間にある種の類似性が示唆されるとは思います。
私たちの眼前で、従来の経済発展のモデル、手段が危機に瀕しています。世界でも各国レベル'も、社会の階層化は進んでいます。これについては以前にも話しました。今日これは急激な世論の分極化を引き起こし、ポピュリズムや急進右派、急進左派等の極端な党派の台頭をもたらすと共に、主要国をはじめ、各国の内政プロセスを悪化させています。
これらはすべて国際関係の性質に影響を及ぼし、その安定性や予見可能性を増すことにはつながりません。国際機関は弱体化し、地域紛争は多発、グローバル安全保障システムは劣化します。
クラウスは今し方、昨日私とバイデン米国大統領との間で行われた新戦略兵器制限条約延長に関する話し合いについて言及されました。もちろん、これは正しい方向に向けた一歩です。にもかかわらず、くい違いは所謂らせん状にねじれています。20世紀、こうした問題を本質的に解決する能力も用意もなかったことによって、第二次世界大戦の惨事へとつながってしまったのです。
もちろん、このような『ホットな』世界的紛争というものは、(願わくは)今では基本的にはありえません。そう強く願っています。そのようなことになったら世界の終わりです。しかし、繰り返しますが、予測不可能かつ制御不可能な形で状況が展開する可能性はあるのです。もちろん、そうしたことが起こらないように然るべき措置を取らなかった場合の話ですが。世界の発展が真の意味で崩壊し、万人の万人に対する闘いに繋がるような事態に直面する可能性や、切迫した対立を解決するために内外に敵を求めたり、(ロシアが大切にしている)家族などの伝統的価値観だけでなく選択権やプライバシーの不可侵といった基本的自由を侵害するような事態に陥ることもあり得るのです。ここで述べておきますが、社会や価値観の危機はすでに人口動態に否定的影響を及ぼしており、その結果人類は文明・文化全体の基盤を失う危険にさらされているのです。
陰鬱な反ユートピアのごときこうしたシナリオを回避するため、前向きで調和のとれた建設的な軌道を進んでいくことが、私たち共通の責務となります。
これとの関連で、今日国際社会が直面していると私が考える、いくつかの重要な課題についてさらに詳細に説明したいと思います。
第一に、社会経済的課題です。
たしかに統計上の数字によれば、2008年と2020年に深刻な危機があったにもかかわらず、直近40年間の世界経済は上出来、というよりむしろきわめて上出来と言ってもよい内容でした。1980年以降、世界の一人当たり実質GDPは購買力平価で2倍になりました。これは間違いなく肯定的な指標です。
グローバル化と国内成長は発展途上国の力強い成長につながり、10億人以上もの人々が貧困から脱出しました。所得水準を一日一人当たり(購買力平価で)5.5ドルとすると、世界銀行によれば、たとえば中国では、1990年には11億人だった低所得者数が近年では3億人にまで減少したとされています。これは間違いなく中国の成功と言えるでしょう。ロシアでは、1999年の6400万人から現在は約500万人に減少しています。我が国においても、最も重要な分野で進展を遂げていると考えられます。
とは言え、重要なのは、こうした世界的成長の性質はどのようなものだったのか、またその利益を享受したのは誰だったのか、という問いです。その答えはまた、多くの点で今日の問題を理解する手がかりを与えてくれるはずです。
発展途上国は、従来製品と新規製品とが共に需要を伸ばしたことにより、間違いなく恩恵を受けました。しかし、発展途上国経済の世界経済への統合は、雇用や輸出収入の増加だけでなく、個人所得の著しい格差をはじめとする社会的コストをももたらしたのです。
それでは平均所得がはるかに高い先進国の経済はどうでしょうか。逆説的に聞こえるかもしれませんが、階層化の問題は先進国の方がより深刻化しています。世界銀行の評価によれば、米国で一%5.50ドル未満の所得レベルで暮らす人の数は、2000年には360万人であったのが2016年には560万人に増加しているのです。
同時期、米国およびヨーロッパの大手多国籍企業の利益は、グローバル化により著しく増加しました。
ちなみにヨーロッパ先進諸国の市民の所得についても、米国と同様の傾向が見られます。
そこで再び企業の利益についてですが、これは誰の所得となったのでしょうか。答えは明白、人口の1%を占める人々のものとなったのです。
では残りの人々の生活には何が起こったのでしょう。過去30年間、先進各国では国民の半分以上について、その実質所得は停滞しており、成長していません。一方、教育や保健サービスのコストは上昇しています。どのぐらい上昇しているか知っていますか。2倍です。
つまり、富裕国でさえも数百万もの人々が所得増加の見通しを描けなくなっているのです。その上で、自分自身や両親の健康を維持し子供に質の高い教育を受けさせるという問題が、のしかかってくるのです。
一方で、必要とされていない膨大な数の人々が存在しています。国際労働機関の評価によれば、2019年、世界の若年者人口の21%、すなわち2億6700万人は就学も就労もしていませんでした。また(興味深い指標、数字なのですが)就労者でさえ、その30%は購買力平価で一日当たり3.2USドル未満の所得で暮らしているのです。
世界の社会経済がこのように不均衡な形で発展したのは、1890年代(徽宗注:これは翻訳ミスと思われる。あまりに時代的に早い。)にしばしば低俗かつ独断的に行われた政策の結果でした。この政策の基本にあったのは、所謂『ワシントン・コンセンサス』と呼ばれるものです。その不文律のルールによれば、規制緩和と富裕層・企業の低率課税を条件とする民間融資に基づく経済成長が優先されました。すでに述べたように、新型コロナウィルスパンデミックはこの問題を尖鋭化したに過ぎません。昨年、グローバル経済の落ち込みは、第二次世界大戦時以降で最大を記録しました。7月までに労働市場では約5億件の雇用が失われました。うち半数については年末までには回復することができましたが、それでも2億5,000万件の雇用が失われたことは事実です。この数字はきわめて大きく、非常に気がかりです。昨年1月からの9ヶ月間だけでも、世界の労働所得における損失は3.5兆ドルに及びました。その後もこの数字は上昇を続けています。つまりは、社会における緊張が高まっているということです。このような状況では、危機が去った後の回復はそうたやすいことではありません。20-30年前であれば、マクロ経済政策で刺激することによって問題を解決できたかもしれませんが(ちなみに今日に至るまでこの方法は用いられているのですが)、現在はこのメカニズムは使い果たされ、機能していない状態です。実際のところ、この方法のリソースは使い果たされてしまいました。これは私個人の根拠のない考えではありません。
IMFの評価によれば、公的部門および民間部門の債務総額は、世界のGDPの200%にも及ぼうとしており、一部の国々では国内総生産の300%を上回っているといます。加えて、先進国はいれも実質0%金利、主要開発途上国においても歴史的低金利の状況です。こうしたことすべてが、従来通り民間債務を増やすことによって経済を刺激することを、実質的に不可能にしているのです。いわゆる量的緩和は、金融資産価値のバブル化を加速し、社会的格差を深めていくだけです。実体経済と仮想経済のギャップの拡大は、現実の脅威となり深刻かつ予測不能な衝撃をもたらすのです。(ちなみにこの点については、多くの国々で実体経済部門を代表するような人々から、しばしば聞かされています。本日の会合の出席者の皆さんも、私の考えに同意いただけると思います。)
従来の成長モデルを『再起動』できるのではないかという望みが一部にはありますが、これは急速な技術進歩と関係しています。事実、過去204間で、AI、自動化ソリューション、ロボットソリューションの広汎な応用に基づき、いわゆる第4次産業革命の基礎が据えられました。新型コロナウィルスパンデミックは、この種の開発とその実用を大幅に加速させたのです。
しかしながらこのプロセスは、新たな構造変化につながるものです。まず私の念頭に浮かぶのは、労働市場です。国家が効果的な対策を取らなければ、多くの人々が失業するリスクがあるのです。往々にしてこれに関わってくるのは、いわゆる中流階級の人々です。そして現代では、この階級こそがあらゆる社会の基礎となっているのです。
これとの関連で、今後10年間の第二の基本的課題、すなわち社会経済上の課題についてお話したいと思います。経済問題や不平等の拡大により社会は分裂し、社会的、人種的、民族的不寛容が生じています。市民的・民主的制度が確立し、こうした現象や行き過ぎを緩和、阻止できると思われる国々でさえも、このような緊張が顕在化しています。
システマチックな社会経済問題は、社会における不満を呼び起こします。こうした不満には特別に注意を払い、本質的な問題解決を行っていくことが必要になります。問題を無視し、看過し、隅に追いやっても構わないなどという幻想は危険ですし、深刻な結果を伴います。そのようなことをすれば、いずれにせよ社会は政治的にも社会的にも分割されてしまいます。なぜなら、実際のところ人が不満を持つのは、抽象的な事柄によるのではなく、ひとりひとりが関わる現実的問題によるからです。この場合、ある人が政治的見解等どのような考え方を持っているか、あるいはどのような考え方を持っているとその人自身が認識しているかは、関係ありません。現実的な問題が、不満を生じさせるのです。
もうひとつ、基本的な点を挙げておきたいと思います。先端テクノロジー企業、とりわけデジタル分野の巨大企業が社会生活で果たす役割は、ますます大きくなっています。今日、この点については多くが語られていますし、米国の選挙運動期間中に起きた出来事についてはとりわけ色々と取沙汰されました。これらの企業は、もはや単なる経済上の巨人ではなく、特定の分野では事実上国家と競合する存在となっています。そのユーザーは数十億人を数え、生活の大部分をこのエコシステムの枠内で過ごしているのです。
こうした企業側の視点からすれば、独占的立場を有することは、技術や経営上のプロセス形成にとって最適な状態です。たしかにそうかもしれません。しかし、ではこのような独占状態は社会の利益にはいかほどに対応しているのか、という問いが社会の中で生じてきます。一方にグローバルな成功ビジネス、高い需要のサービス、ビッグデータの統合、もう一方に自分の裁量で勝手に社会を管理し、人が生き方や選択を決定し自分の立場を自由に発表する自然権を合法的な民主機関に代わって奪い、制限するような試みがあるとして、両者の境界は一体どこにあるのでしょうか。つい先頃、私たちはこうしたことすべてを米国で見ました。何について話しているのか、皆さんおわかりでしょう。今日のイベントに参加されている皆さんも含め圧倒的多数の人々が、この立場を共有することと信じています。
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