たまにはこういう歴史概観的な記事も有益だろう。要するに、世界史とは白人による異人種侵略と虐殺の記録だということだ。
(以下引用)「ベトナム戦争」を始めたのはケネディだったと思っていたが、私の思い違いだろうか? ケネディ暗殺で後を継いだジョンソンはベトナム戦争も引き継いだだけなのではなかったか。まあ、今でもケネディファンは多いと思うが、その政治実績は人気ほどだろうか? 彼の暗殺の理由が中央銀行から通貨発行権を政府に取り戻す計画のためだったと言われているが、それも事実なのかどうか。
2022.09.08
アメリカはウクライナの民主的に成立した政権を2014年2月にネオ・ナチを使ったクーデターで倒し、同じ年に香港でイギリスと共同で反中国運動を仕掛けている。最近では台湾周辺で軍事的な緊張を高めている。その際、アメリカ政府だけでなく西側のメディアは侵略や挑発を正当化するため、「民主主義」や「人権」といったタグをつけていた。民主主義の押し売りをしているわけではない。
日本とアメリカは「民主主義という共通の価値観」を持っていると反射的に言う人もいるが、日本とアメリカが行ってきたことを振り返るならば、そうしたことが言えるはずがない。アメリカは民主的に成立した政権を暗殺、クーデター、あるいは軍事侵略で破壊してきた国だ。その侵略を正当化するため、「民主主義国」を装っている。
アメリカは世界を股にかけて侵略を続け、民主的に選ばれた政権が犠牲になってきた。リンドン・ジョンソン政権が始めたベトナム戦争でアメリカは侵略国としてのイメージが付いたが、少なくともメディアの世界では、それが消し去られている。そうした工作が本格化するのはロナルド・レーガン政権になってからだ。
1981年にレーガンが大統領に就任、その翌年にはCIAのプロパガンダ担当オフィサーだったウォルター・レイモンドなる人物がNSC(国家安全保障会議)のスタッフになり、イメージ戦争が開始された。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004)
1982年6月にレーガン大統領は「プロジェクト・デモクラシー」という用語を公の席で初めて使ったが、このプロジェクトの目的が民主主義を広めることにあると錯覚してはならない。
この「デモクラシー」は本来の民主主義と全く関係がなく、アメリカを支配する巨大資本にとって都合の悪い国家、つまり民主主義的な国や体制を「民主主義」というタグを掲げながら崩壊させることがプロジェクトの趣旨。国内での作戦は「プロジェクト・トゥルース」と名づけられた。
1983年1月にレーガン大統領はNSDD(国家安全保障決定指示)77に署名、プロジェクトの中枢機関としてSPG(特別計画グループ)をNSCに設置した。ここが心理戦の中心になる。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004)
プロジェクト・デモクラシーについて、1983年5月17日付けのウォール・ストリート・ジャーナル紙はアメリカがソ連に対して「思想の戦争」を始めたと報じているが、思想と言うよりイメージの戦争だと言うべきだろう。
現在のアメリカという国は先住の「アメリカ・インディアン」を虐殺し、土地や資源を奪うところからスタートしている。そして植民地が建設されていった。イスラエルの「建国」で虐殺され、土地を奪われたアラブ人を「パレスチナ人」と呼ぶひとつの理由はその歴史を忘れないためだろう。同じように「アメリカ・インディアン」という名称を使い続けるべきだと考える人もいる。
次第にイギリスと植民地が対立、1775年にはイギリス軍と植民地軍が軍事衝突した。植民地側は1776年に独立を宣言し、83年のパリで調印された和平条約で独立は確定した。ジョージ・ワシントンが初代大統領に選ばれたのは1789年のことだ。
この戦いは「独立戦争」、あるいは「独立革命」と呼ばれ、イギリスの「帝国主義者」とアメリカの「民主主義者」との戦いという構図を描き、植民地側の指導者を神聖視する人が今でもいるが、その構図の中にアメリカ・インディアンや奴隷は描かれていない。
奴隷はアフリカ系だという印象を持つ人は少なくないだろうが、実際は違う。ヨーロッパ系やアジア系もいる。過酷な南部の綿花栽培で使われた奴隷がアフリカ系だったので目立つというだけのことだ。奴隷には「年期奉公」や「召使い」という形で西インド諸島や北アメリカへ連れてこられた人も含まれていた。「白人年期奴隷」という表現もある。
イギリスではオリバー・クロムウェルが率いる軍隊の侵略で多くのアイルランド人が虐殺され、相当数の人がアメリカへ連れて行かれたことも忘れてはならない。ピューリタン革命を成功させたクロムウェルは革命の仲間だった水平派を弾圧、それと並行してアイルランドやスコットランドを侵略、住民を虐殺したのだ。
クロムウェルの軍隊によってアイルランドでは50万人以上が殺され、一部は「年季奉公」や「召使い」として売られたと言われている。この当時、イギリスでは人身売買が行われ、「誘拐屋」も存在、1740年の飢饉では多くの人が売られ、誘拐されたとも言われている。(川北稔著『民衆の大英帝国』岩波書店、1990年)
同じ奴隷として白人奴隷と黒人奴隷が手を組むこともあり、1663年にはバージニアのグルセスター軍で白人年期奴隷と黒人奴隷が反乱を企てている。これは密告によって失敗した(藤永茂著『アメリカン・ドリームという悪夢』三交社、2010年)が、こうした団結は支配階級にとって危険であり、「人種差別」はひとつの解決策だったのかもしれない。「労働者の団結」も支配層は恐れ、人種のほか「性差別」が強調される。勿論、人種や性の問題がないわけではないが、それらに人びとの意識を集中させている。
アヘン戦争の後、中国からイギリスの植民地などへ運ばれた「苦力」も一種の奴隷だと言えるだろう。運ばれた先にはアメリカも含まれ、大陸横断鉄道の建設にも従事させられた。そうした中国人の多くは騙されたり誘拐されて苦力なったと言われている。
その間もアメリカ・インディアンは虐殺され、1864年には講和を結ぶためにコロラドのフォート・リオンへ向かう途中のシャイエン族約700名がサンド・クリークで約750名のアメリカ兵に襲撃され、老若男女を問わず、全体の6割から7割が虐殺されている。この出来事に基づいて「ソルジャー・ブルー」というタイトルの映画が1969年に制作されている。1890年12月にはサウスダコタのウンデッド・ニー・クリークにいたスー族を騎兵隊が襲撃し、150名から300名が虐殺された。虐殺を正当化するため、ある種の人びとは先住の民は悪魔の創造物だと主張、ある種の人びとは劣等な種だと主張している。これが「自由と民主主義」を掲げる「正義の国」の実態にほかならない。
1904年にアメリカのセントルイスでオリンピックが開催されているが、その際、並行して「万国博覧会」も開かれた。1903年までアメリカの民族学局に所属していたウィリアム・マギーは「特別オリンピック」を企画、人種の序列を示している。トップは北ヨーロッパの人びとで、最下位はアメリカ・インディアンだ。アパッチ族のジェロにもが「展示」されたのもその時である。(Alfred W. McCoy, “To Govern The Globe,” Haymarket Books, 2021)
19世紀にイギリスでは優生学が広がり始め、アングロ・サクソンが最も優秀な人種だとされた。チャールズ・ダーウィンの従兄弟であるフランシス・ゴルトンが祖だとされているが、ハーバート・スペンサーは適者生存を主張、優生学はアメリカの支配層に広まり、カーネギー財団、ロックフェラー財団、そしてマリー・ハリマンらの支援を受け、優生学に基づく法律も作られた。
優生学の信奉者はアングロ・サクソン系、ドイツ系、北方系人種が優秀だと主張、劣等な種を「淘汰」するべきだと考える。そうした考えに引き寄せられたのがアドルフ・ヒトラーをはじめとするナチスであり、ウクライナのネオ・ナチもその神話を信奉している。アメリカが民主主義国だという妄想はいい加減、捨て去るべきだろう。
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