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徽宗皇帝のブログ

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佐野研二郎事件と「上級国民・下等国民」
佐野研二郎事件はもう読むのもうんざりだ、という人も多いだろうが、これが案外、大事な事件だというのが、「ネットゲリラ」氏の記事の中の「上級国民・下等国民」という言葉で私には感じられた。
つまり、現在の日本は明確に「上級国民」と「下等国民」に分かれている、ということだ。「上級国民」はあらゆる利得をコネで得る。下等国民は税金を払い、過酷な労働をし、高い物価で物を買い、あらゆる手段で絞り上げられる。そういう仕組みである。
であるから、上級国民は仲間のスキャンダルを庇いあう。そうでないと、次の犠牲は自分の番になるからだ。これが佐野研二郎事件で明確になった事実ではないか。
その事実をなかなか見事に掘り下げてみせたのが、「泉の波立ち」ブログの南堂氏だ。彼もたしか大学教授だから「上級国民」に入ると思うが、こんな記事を書いて大丈夫なのか、他人事ながら少し心配になる。まあ、大学教授レベルでは「上級国民」ではなく、電通か博報堂か政府の高官の親戚を持っていないと仲間入りはできないのかもしれない。
さらに言えば、佐野研二郎が博報堂ではなく電通のコネがあれば、ここまでネットで叩かれたかどうか、疑問である、案外、電通と博報堂の水面下の戦いが、佐野事件の真相なのかもしれない。(南堂氏は、佐野エンブレム選定の背後にいるのは電通だ、としているが、佐野氏は博報堂の出身ではなかったか。あるいは電通と博報堂は陰でつながっている、という可能性もあるが、ネットの佐野騒動は電通ならば簡単にもみ消しただろう、と私は思う。)



(引用1)


ベルギーは舛添要一を告訴していいよ

| コメント(7)

マスゾエが、勿体ないから手さげ袋や名刺など、作ってしまったモノは使うと宣言して、ベルギーのデザイナーが激おこというんだが、結局、上級国民の皆様に於かれましては、「盗作ではない。あくまでも盗作ではないけど、愚民の下等国民どもがうるさいので、別のにします」で押し通すつもりらしいw まぁ、そういう事にしておかないと、管理者としての責任を問われる人が何人も出て来る。原発事故と同じw

提訴のデザイナー「エンブレム紙袋使わないで」
東京五輪・パラリンピックの大会エンブレムが入った紙袋などを東京都が使い切る方針を示したことについて、エンブレムの使用差し止めを求めて提訴しているベルギーのデザイナー、オリビエ・ドビ氏は3日、読売新聞の取材に「エンブレムを使ってほしくない。裁判所がデザインの盗用を認めれば罰金の対象になり得る」との見方を示した。

ところで、今回のイベントは、工作員がほとんど出て来なかった不思議があるんだが、遅ればせながら、やっと出て来ましたねw 切り口としては、ベルギーのデザイナーは強欲だ、と叩くといったところですw
(引用2)




5年09月04日

◆ 五輪エンブレム、二つの謎

 五輪エンブレムの問題は片付いたように見えるが、二つの謎が残っている。
  ・ 低レベルの原案が選ばれたのは、なぜか? 
  ・ 永井委員長は、パクられたことを気にしないのか?

 ──

 すでに次のページで、大方の説明をした。
  → 五輪エンブレムは決着したか?

 しかし、そこに記したことでも、まだ書き足りないことがある。いくらか謎が残っているのだ。特に、次の二つの謎だ。
  ・ 低レベルの原案が選ばれたのは、なぜか? 
  ・ 永井委員長は、パクられたことを気にしないのか?


 そこで、以下では順に説明しよう。


 (1) 低レベルの原案が選ばれたのは、なぜか?

 上記項目で述べたように、原案には、次の問題がある。
  ・ 幼稚園児レベルの凡庸なもの。
  ・ 凡庸さゆえに類似デザインがありそうなもの。

 要するに、あまりにも低レベルな作品なのだ。

 さて。上記項目ではこのあと、「審査委員には大きな責任がある」と述べて、話を終えていた。しかし、よく考えると、ここには謎がある。
 審査委員は馬鹿ではないのに、どうしてこんな低レベルのものを選んだのか? 何らかの特別な事情があったのか? では、どんな? ……そういうがある。
( ※ 低レベルな作品をわざわざ選ぶというのは、ありえそうにないからだ。)


 (2) 永井委員長は、パクられたことを気にしないのか?

 同じ項目でも述べたように、原案は永井委員長の作品のパクリと言ってもいいくらいだ。


toyamabi.jpg
富山県立近代美術館 ポスター


 ではなぜ、永井委員長はそんな作品を許容したのか? 通常ならば、自分の作品をパクられたら、怒るはずだ。怒った末に、問い詰めて、「この作品だけは絶対に許さない」というふうに委員たちに訴えるはずだ。
 ところが永井委員長は、その逆の行動を取った。自分の作品をパクったものを排斥するかわりに、あえて選び取った。これはあまりにも不思議だ。……そういうがある。




 以上のように、二つの謎がある。この二つの謎を、どう解くか? 
 私もよくわからないまま、頭をひねっていたのだが、いろいろと情報を漁るうちに、ようやく見当が付いた。
 その根拠は、永井委員長の発言だ。
 1964年の東京オリンピックの、わたくしもコンペに参加し、あの亀倉雄策さんの、わたくしが落ちたことも忘れて、あれこそまさに東京で、日本で開かれるオリンピックだっていうふうに、目からうろこっていうか、これぞまさにそうだっていうふうに思ったわけですけれども、それを継承して、これは8人のコンペで、札幌冬季オリンピックをわたくしがデザインしました。
 そして、それをさらに継承した形で、佐野さんのがいちばん、やはりその継承度っていうか、そういうものも含めて優れていたと。それと同時に、展開例っていうのが非常に優れていたっていうことだと思います。
( → 8月28日 記者ブリーフィング・質疑応答(全文)

 ここでは、二つのことが述べられている。
 第1に、亀倉雄策・永井一正 両氏の赤丸の継承。
 第2に、展開例が優れていたこと。


 第1の方は、最終案の大きな円形のことではなくて、原案から継続する小さな赤丸のことだろう。(最終案の大きな円形は、原案はないので、矛盾するからだ。)
 しかしながら、こんな小さな赤丸をもって「継承度が優れていた」と見なすのは、牽強付会もいいところだ。亀倉雄策・永井一正 両氏の赤丸は、主体となる大きな赤丸だが、佐野研二郎の赤丸は、添え物となる小さな赤丸だ。とうてい継承しているとは言えない。これで「継承している」と示すのは、理屈が通らない。


tokyo5.jpg

sapporo5.jpg

tokyo20.jpg


 第2の方は、展開例が優れていたことだ。これは、文字や柄によってさまざまな柄を作れることを意味する。上記の会見の書き起こしから引用しよう。
 佐野さんの案は当初案より、会場装飾やグッズ類への展開案が素晴らしく充実しておりました。

embabc.jpg

embgara.jpg

 2位、3位の案も拝見いたしましたけれども、佐野さんの案は、特に会場装飾や関連グッズなどへの展開案が非常に素晴らしかったために、仮に次のステップの商標調査で修正を余儀なくされたとしても、1位案のデザイナーの方、つまり、佐野さん自身に案を修正していただくことでエンブレムの完成を目指す、ということが決定いたしました。
( → 前出サイト


 ここでは非常に重要なことが述べられている。
 佐野デザインが選ばれたのは、エンブレムとして優れているからではなく、展開力が優れているからなのだ。つまり、エンブレム単体としての魅力ではなく、エンブレムを構成要素とした柄物が優れているからなのだ。
 これは、エンブレムというものの概念を根底から覆すような解釈である。エンブレムというものはそもそも、それ単体で出来映えをめざすはずだ。ところが、永井委員長の話によれば、ここではもはやエンブレムそのものは問題とならず、エンブレムを構成する三角形や四角形や円などの要素だけが問題となる。そして、その要素からできた、エンブレムとはまったく別の図形の多様性によって、エンブレムが選ばれたことになる。
 なるほど、こういう理屈ならば、あまりにも単純なエンブレムが選ばれたことも、納得できなくもない。とはいえ、このような形で選ばれたものは、もはや、エンブレムではない。つまり、原案ではない。エンブレムを構成する三角形や四角形や円などの要素だけが選ばれている。そして、エンブレムの原案にはない全然別の図形を理由として、この T というようなエンブレムが選ばれたことになる。……もはや理屈は通らない。

 なるほど、それ以前のオリンピックでも、エンブレムの展開というものはあった。
 こちらが、準備が進んでおりますリオの様子です。
        (画像)
 オフィスでありますとか会場ですけれども、すでに、このエンブレムをモチーフにした展開が実施されております。
 このロンドンもリオも、個人コンペではなく、最終的な展開案まで含めたデザイン会社間のコンペにより、エンブレムが作成されております。
( → 前出サイト

 このようなエンブレムの展開はあったが、あくまでエンブレムの図形を基本にした上で、その派生というふうな形の展開だった。
sosikii.jpg
 ところが、佐野案では、エンブレムはもはや要素に解体されて、その要素だけから展開となるものができてしまう。これではもはやエンブレムという概念すら崩壊してしまうほどだ。
( ※ エンブレムは、決定的に重要な図形ではなく、要素からなる多くのうちの一例にすぎなくなる。特に重要な地位を占めなくなる。)

 ではなぜ、それほどにも「エンブレムよりも展開物の方を優先する」ということが起こったのか? 肝心のエンブレムを最低レベルのものにしてまで、派生物の出来映えばかりを重視するという、本末転倒なことが、どうして起こったのか? 

 ──

 ここで、話を転じると、重要な話を思い出す。前出項目 の引用部だ。これを再掲しよう。
 2020東京オリンピックエンブレムコンペの参加資格から排除された長野オリンピックのエンブレム作者、篠塚氏は多摩美卒後にアメリカの美大を首席で卒業し、アメリカの大手広告会社に勤務、日本支社に転勤してきて長野オリンピックのエンブレムコンペを勝ち抜いた。
 長野オリンピックでは篠塚氏はエンブレムだけでなくピクトグラム等のデザインをトータルに請け負った。つまりオリンピック利権を欲しいままにしてきた電通にとってはアメリカの広告会社に仕事を取られた嫌な事件だったと思われる。
 また、現在協議中のTPPに日本が参加すると広告業も解放されるため、現在の電博独占状態が解体する可能性も以前より指摘されており電通は焦っているのかもしれない。
 永井一正は64年の東京オリンピックでコンペに敗れ、72年の札幌オリンピックではコンペを勝ち取ったものの「盗作」騒動を引き起こした。長野冬季オリンピックで今度こそ汚名を晴らすはずが、我が子一史と同世代で我が子より才能のある篠塚に敗れた。
 28日の佐野エンブレム原案公表時には、わざわざ歴代オリンピックエンブレムから、長野オリンピックのエンブレム「だけ」外して解説されているが、露骨な篠塚外しと無理やりな佐野上げは永井氏と電通の両方の意図だったのかもしれない。
( → 2ちゃんねる

 長野五輪では、スノーレッツ というマスコットもデザインされたが、これもエンブレムと同じく、ランドーアソシエイツ(米国の広告会社・日本支部)に発注された。
Landor was chosen to develop an identity that would express the unique character of the Nagano Olympics, with an identity system for controlling consistency across all media. The challenge was to define a total look for the games with an emblem serving as the central element. A mascot and other graphic elements would be added to shape a complete, unified Olympic image. The system would then be applied to a large family of promotional items and signature pieces.
( → ランドーアソシエイツ (PDF)

 こうして、長野五輪の広告関係のほとんどを、ランドーアソシエイツが得ることになった。
 つまり、「展開」を重視するということは、広告関係の大部分を手に入れる、ということなのだ。ここには、広告会社の巨大な利権が関与する。
( ※ 長野五輪では、電通は排除されてしまったも同然だ。)

 ──

 ここまで理解すればわかるだろう。
 電通にとっては、東京五輪の権限を取得することが、何が何でも必要だった。そこでは、五輪エンブレム単体が重要なのではなく、エンブレムを基本にして、そこから派生するすべてを掌握することが重要だった。
 もはやエンブレムのデザインの良し悪しなど、二の次なのだ。エンブレムを基本とした、巨額の金の動きをすべて自社で掌握することが、最優先の課題だったのだ。換言すれば、エンブレムそのものより、それから派生するもの(展開するもの)の方が重要だったわけだ。
 だからこそ、最低のデザインのエンブレムが選ばれた。なぜならそれは、エンブレムとしては最低でも、巨額の金の関与する派生物の方では最高だったからだ。

 しかし、ここで謎が生じる。
 電通としては、巨額の金を自社で管理すればいいのであって、その場合、どのデザイナーの案でもあまり差はないはずだ。なのにどうして、佐野案にこだわったのか? 佐野案はたしかに、派生物を有無という点では有利だが、特に佐野案にこだわる必要はないはずだ。なのにどうして、審査委員は佐野案にこだわったのか? 

  ────────────

 ここで、第2の話題に移る。
 「永井委員長は、パクられたことを気にしないのか?」

 この謎があった。これは、謎だと思えたが、すでに述べたことを考慮すれば、謎の理由は推察が付く。こうだ。
 「永井委員長は、パクられたのではない。パクることを、佐野研二郎に命じたのだ。つまり、原案の真の考案者は、佐野研二郎ではなく、永井一正だ。永井一正は、いったん佐野デザインを選んだあとで、『実はこれは私のデザインとそっくりです。私のデザインにインスパイアされたものでしょう。真の独創性は私にあります』と訴えるつもりだったのだろう。つまり、を佐野研二郎に与えて、自分は原作者としての名誉を得ようとしたわけだ。かくて、永井一正のデザインにそっくりなデザインである原案が選ばれた」
 
 要するに、今回の選考は、永井一正の自作自演であったわけだ。自分でデザインを作って、自分でそれを選出する。自分が選出者なんだから、自分のデザインを選出するのは簡単だ。
 また、「これは展開力がすごいんだよ」とまわりの審査委員に訴えれば、エンブレム単体としてはどれほど低レベルのデザインであっても、うまく選出するように仕向ける(洗脳する)ことも可能だろう。
 かくて、最低のデザインのエンブレムが、最高のデザインであるというふうに見せつけられた。こうして、デザインについてはろくに判断力のない二流デザイナーたちが、低レベルのエンブレムを選出した。
 「素人にはわからなくても、プロならばわかる」
 というふうな屁理屈を付けて。
( ※ 「裸の王様」と同じだ。「馬鹿には見えない」という屁理屈を付けるように、「素人にはわからない」という屁理屈を付けて、ゴミみたいなデザインを高額で売りつける。……まったく、裸の王様そっくりだ。)

  ────────────

 こうして、真相が判明した。
  ・ 低レベルの原案が選ばれたのは、なぜか? 
  ・ 永井委員長は、パクられたことを気にしないのか?


 これらの謎には、きちんと理由が付くのだ。それというのも、背後で巨額の金が動くからだ。
 電通としては、もう二度と米国の会社に広告活動の全体を奪われるわけには行かなかった。何が何でもすべてを自社で牛耳る必要があった。だからこそ、意に沿う人物を委員長に据えて、その委員長に言いくるめて、自分の影響力の及ぶデザインを決めるようにした。かくて、
   佐野研二郎 → 永井一正 → 電通

 という順で、権限が移行することになって、電通がすべてを牛耳るようになった。

 一方、長野五輪では、そうではなかった。
   篠塚正典 → ランドーアソシエイツ

 という順で、ランドーアソシエイツという米社がすべてを牛耳ってしまった。それを避けることが電通の最大の狙いであり、そのために永井一正は全力で働いたのだ。なぜ? 彼にとって大嫌いなライバルである篠塚正典の鼻を明かすためだ。
 
 かくて、最低のデザインである佐野案が、「最高の展開力」という筋違いの理由によって選ばれたわけだ。
 そして、そのあとで、「馬鹿にはこの服は見えません」という裸の王様みたいな説明で正当化がなされたのだ。
 


 [ 付記1 ]
 次の記事もある。
 《 コンペ応募者に不信感「佐野氏ありきの選考だった」 》
 五輪エンブレムの選考コンペに応募したデザイン関係者が1日、日刊スポーツの取材に応じ、「佐野氏ありきの選考」が、今回の事態を招いたと振り返った。組織委員会からは、佐野氏のデザインが選ばれた後、通常のコンペならある連絡すらなかったという。
 「広告代理店がデザインを『カネ化』し、デザイナーもそのいいなりになってきた日本デザイン界のうみを、これを機に全部出し切った方がいい」とも指摘した。
 取材に応じたデザイン関係者は、当初から五輪エンブレムのコンペが、通常と違うと感じていたと話す。
「通常なら、選ばれなかった側にも『こういうデザインに決まったが、引き続き協力をお願いしたい』という連絡くらいある。しかし今回、組織委員会からの連絡は全くなかった」という。「応募したほかの103人のデザイナーに、最低限の礼儀もなかった。修正してまで、佐野氏のデザインに決めた。その段階で、佐野氏と我々は平等ではないと思った」と振り返り、「佐野氏ありき」のコンペだったとの見方を示した。
 佐野氏は「プレゼンがうまい」印象があるという。その上で「この30年くらい、デザインコンペは広告代理店中心に動いている。デザイナーも、代理店の意のままに動くようになってしまった」と話す。「お金になればいい、と要求がエスカレートする代理店に、これまで佐野氏はうまく乗ってきたのではないか。代理店にとっても、使いやすいのだろう」と推測する。
 「一番残念なのは、日本を代表するメンバーが審査委員に名を連ねながら、今回の選考を許したことだ」とも指摘した。「本来デザインは、コンセプトやストーリーを考えて決めるべきだ。今回は今後の展開も含めて、お金になりやすい、お金を生みやすいものが選ばれた」と、審査過程にも疑問を示した。
 審査委員代表の永井一正氏について「純粋にデザインを考えてきた方だが、今回は周囲に押し切られたのでは」。64年大会のエンブレムをデザインした亀倉雄策さんを引き合いに「デザインで国を良くしたいという思いが根底にあり、当時はデザイン界にもモラルがあった。それが変わってしまった。代理店がベースになっている流れを変えるべきだ。亀倉さんは今ごろ泣いているのではないか」。
( → 日刊スポーツ 2015-09-02

 「広告代理店主導だった」という趣旨だ。本項と同趣旨だが、本項の主張が根も葉もないインチキ陰謀論とは違う、ということが裏付けられるだろう。

 [ 付記2 ]
 本項をいったん書き終えたのは3日の深夜。そのあとで、次のコメントを受け取った。
 審査委員代表の永井一正氏の証言によると、
佐野氏の「エンブレムの改変」の経緯は、「手直し」するとの連絡は永井氏にあったものの、秘密保持の理由で、改変作業は組織委員会と佐野氏との間の遣り取りで進められ、「審査委員会」には経緯は全く知らされず、最終作品だけ示された、というのです。しかも、その間、第2改作品にダメ出しをしたのは、組織委員会の2トップ、森氏と武藤氏。永井氏は、最終作品について審査委員の意見をとりまとめたところ、多くは「諾」、1?名は「永井氏に一任」、1名は拒否(理由:選んだのは当初作品で、改変作品は別もの)だった、とのこと。
( → 五輪エンブレムは決着したか? : コメント欄 )

 次の情報もある。
 今回のエンブレムが完成する過程では、佐野氏の原案に似た商標が見つかったため、大会組織委員会などの要請によりデザインが修正された。この過程は8月28日の記者会見で公表されたが、永井氏は1回目の修正案をその直前まで知らされておらず、最終案についても「(発表の)1週間くらい前に知らされ、国際商標を取ったというので、いまさら何を言ってもしょうがないと思って了承した」という。
( → 読売新聞 2015年09月04日

組織委 「外部への流出のおそれがあるため、きわめて高い秘匿性の中で修正行った」
( → NHK nw9

 改変作業は、当事者である永井一正や審査委員を差し置いて、森・武藤がやった……ということだ。
 しかし、森・武藤にデザインのことがわかるはずがない。彼らに細かな口出しができるはずがないし、佐野本人とデザイン論でやりとりができるわけがない。
 とすれば、その正体は? もちろん、電通だ。つまり、ここでは、改変作業をやったのは、電通だろう。途中修正案に駄目出ししたのも、電通だろう。
 すべてが密室でなされて、情報公開されない……というのも、真の実行者が表には出られないからである、と推察される。

 それにしても、せっかく働いてくれた永井一正を、原案の修正のときに「蚊帳の外」に置くなんて、電通は非情だね。永井一正も、ただの駒扱いか。
 それと同時に、当事者でもない森・武藤が、審査委員を差し置いて勝手に行動する……というのは、もはや癒着以外の何物でもない。この二人の責任はきわめて大きい。(何かをなしたというより、電通の操作に従ったことが問題だ。特に、張本人は武藤だな。)

 [ 付記3 ]
 上の記事(日刊スポーツ)の文中には、
 「デザイナーも、代理店の意のままに動くようになってしまった」
 という言葉もある。ただ、デザイナーだけでなく、審査委員長も、組織委の事務総長も、代理店の意のままに動くようになってしまったようだ。審査委員や審査委員長をことごとく蚊帳の外に置いて、事務総長が勝手に最終案を決めてしまうなんて、どれだけひどいんだか。事務総長が本来なすべきことは、「類似デザインがあるので、佐野案はボツにして下さい」ということであったはずだ。なのに、広告代理店の意に沿う形で、勝手に独断専行してしまったようだ。
 広告代理店は、あっちもこっちもすべて自分勝手に動かしているな。

 参考:
  → 森会長と武藤事務総長の親密な関係

 [ 付記4 ]
 利権があるのは、博報堂ではなくて、電通である。この件は、下記を参照。
  → 「利権」とやらが一体なんなのか実情を書いておくか
 
 [ 付記5 ]
 読売・朝刊 2015-09-04 によると、永井一正・委員長は、新たなエンブレムの選定には関わらない(審査委員を一新する)という方針を示した。
 となると、正式決定はしていないが、その方向になりそうだ。やりたくない人に無理にやらせるわけにも行くまいし。

 [ 付記6 ]
 ついでだが、情報の箝口令も敷かれている。
  → マスコミが佐野エンブレム審査委員8人に取材を申し込んだ結果

 審査委員8人は、取材拒否またはノーコメントばかり。箝口令が敷かれていると見なされる。
 では、なぜ? 真相が表に出ては困るからだ。仮に、各人が自分の意見があって、自分の意見を語るのであったなら、隠す必要は何もない。しかし、各人が自分の意見をもたず、他人の意見に従っていたのであれば、自分の意見を語ったとたんに、自己矛盾が発生して、真相が露呈しかねない。だからこそ、真相を隠蔽するために、箝口令が敷かれているわけだ。

 なお、審査委員ではないが、応募した人は批判を口にしている。
  → http://22.snpht.org/150903212821.jpg
  → http://22.snpht.org/150903212822.jpg
  → http://22.snpht.org/150903212824.jpg

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