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徽宗皇帝のブログ

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共産主義とユダヤ人
マルキシズム共産主義(共産主義にもいろいろある)とユダヤの関係を、「共産主義はユダ金によって作られた世界支配のための偽装的道具だ」とする論者をよく見るが、共産主義自体は言うまでもなく貧民(労働者)の側に立つ思想であり、革命後の社会体制が、革命政府を操作することでユダ金にとって有利になる可能性はあるにしても、それは共産主義思想自体が原因ではない。上記の誤解は、マルクスがユダヤ人であることから、「共産主義はユダヤのために作られた」と短絡的に結びつけられたのではないか。
だが、マルクス自身は、彼が敵と見做した資本主義社会の大きな部分をユダヤ商人が占めていることから、むしろユダヤ民族を近親憎悪的に憎んでいたらしい。


(以下引用)




●ロシア革命直後における共産党員の民族別構成比の統計に目を通すと、次のような現象が見い出される。それは、総人口中の比に対して、ユダヤ人の場合、他と比較して党員中の割合が、かなり高いということである。ロシア革命期に目を転じると、この時期にもユダヤ知識人の革命家が、実に多く存在していたことがわかる。トロツキー、カーメネフ、ジノヴィエフ、ラデック、さらにメンシェヴィキのマルトフなど、革命指導者のほとんどは、ユダヤ人であったといえる。



革命指導者だけでなく、革命参加者の中にも多数のユダヤ青年が存在していた。
妻がユダヤ人か貴族か大金持ちか少数民族。
該当しないのはカリーニンとルイコフくらいだった。



政治局員クラスで言うと



トロツキー (ユダヤ人)
ジノビエフ (ユダヤ人)
カーメネフ (ユダヤ人)
ブハーリン (ロシア人、妻がユダヤ人)
スヴェルドロフ (ユダヤ人)
クイブイシェフ (ウクライナ人、秘書がユダヤ人)
ヴォロダルスキー (ユダヤ人)
ウリツキー (ユダヤ人)
ルイコフ (ロシア人)
カリーニン (ロシア人)
ソコリニコフ (ユダヤ人)
ラデック (ユダヤ人)



 




ロシア革命当時、ヨーロッパで出された
11人の共産党指導者たち



 



●1920年にイギリスで発行された『ユニティ・オブ・ロシア』は、ロシア革命で政権を握った中枢や政治組織の中に、いかに多くのユダヤ人たちがいたかということを伝えている。実に85%がユダヤ人である。また、イギリスの新聞『モーニング・ポスト』がロシア革命直後に掲載した革命の中心メンバーの一覧表によると、50人中44人までがユダヤ人である。



この時期にはさらに、ユダヤ人によって創立された労働運動の母体であるリトアニア・ポーランド・ロシア・ユダヤ人労働者総同盟「ブント」、また、シオニスト社会主義労働者党、ユダヤ人社会主義労働者党、社会民主主義労働党などの、ユダヤ人による社会主義、民主主義諸政党も盛んに活動していた。




●一般にレーニンはユダヤ人ではないとされるが、祖母はそうだとされ、妻のクルースプカヤはユダヤ人であった。ユダヤ人ジノビエフは、レーニンの腹心中の腹心となり、レーニンの原稿を代筆するまでになっていた。



(※ ちなみに、レーニンは、1918年7月4日に「反ユダヤ運動撲滅に関する告示」を公布し、同年、赤軍に対して次のような演説を行っている。



「反ユダヤ主義とは、勤労者をして彼らの真の敵、資本家から目をそらせるための資本主義的常套手段にすぎない。ユダヤ人を迫害し、追放せる憎むべきツァー政府よ、呪われてあれ! ユダヤ人に敵対し他民族を憎みたる者よ、呪われてあれ!」 )



 




ウラジミール・レーニン
(本名ウリヤーノフ)



 



●レーニンを継いだスターリンはユダヤ人ではなくグルジア人だとされるが、スターリンはユダヤ人だったという根強い説がある。



その根拠の1つとして、彼の本名が挙げられる。彼の本名はヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシビリだったが、「ジュガシビリ」とは「ジュウ(ユダヤ)の子孫」という意味で、彼はそれを嫌って、スターリン(鋼鉄の人)というあだ名を本当の名にしてしまったというのだ。



また、スターリン自身、身辺に多くのユダヤ人を抱えていたことも挙げられる。スターリンの長男の妻もユダヤ人だったし、娘スヴェトラナの恋人も夫も共にユダヤ人で、自分自身の妻はモロトフの妻(ユダヤ人)と親友だったし、ユダヤの血の流れている孫達にも囲まれていたのである。その上、彼の侍医たちはユダヤ人ばかりであった。



 




ヨシフ・スターリン



 



●とりあえずここでは、スターリンがユダヤ人であったかどうかという問題は保留しておきたい。



スターリンがユダヤ人であってもなくても、そもそも共産主義を唱えたカール・マルクス本人がユダヤ人であったし、ユダヤ人と共産主義の関係は想像以上に深い。



しかし、スターリンについても言えそうだが、カール・マルクスもユダヤ人でありながら、ユダヤ的なものを極度に忌み嫌った人間であった。自分がユダヤであることを欲しなかった1人であった。



マルクスにとって「ユダイズム」とは、駆引商売と同義であった。そこでは金の力が唯一絶対であって、市場と貨幣の思想が社会の中の人間的な絆にとってかわり、そのために「我々の社会は細分化され、非人間的になっていった」とし、その責任はユダヤ人にある、と考えたのである。マルクスにとっては、「ユダイズム」を排除するのが人間らしい社会的結合を取り戻すための条件であるかのように思われたのである。彼の語調は最もラジカルな反ユダヤ主義者達と似ていたから、反ユダヤ主義者から見れば、格好の宣伝の言葉として利用されたのであった。



 




ユダヤ人カール・マルクス
(1818~1883年)

産業革命後の資本主義経済を分析し、
フリードリヒ・エンゲルスとともに、
「共産主義」を打ち立てた



 



●ちなみに、かの有名なジークムント・フロイトも、生涯自分がユダヤ人であることを誇りとしていたが、近親憎悪というか、生活スタイルや信条は徹底して「脱ユダヤ化」を図ろうとしていたことが知られている。



例えば、フロイトは文科学校(ギムナジウム)在学時代、自分の名前である「ジギスムント」という、コテコテのユダヤ人名を嫌悪し、この田舎風の名から、ゲルマン民族の英雄、ジークフリートの父である勇士「ジークムント」の名に改名した。「ジギスムント」と「ジークムント」──。わずか数字の違いだが、この違いは決定的だった。前者は反ユダヤ主義の嵐の中、徹底的な差別を呼び起こすのに対し、後者の名は“ゲルマンの勇士”なのだ。



フロイトは、様々なジレンマを抱えながら、自分を育んでくれた民族的、文化的、精神的風土が、逆に「伝統」という重い鎖となって自分を縛ろうとしていることに嫌悪していたのである。



 




ジークムント・フロイト

「精神分析学」を創始した
オーストリア生まれのユダヤ人



 






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