異次元緩和との決別が新総裁の試金石になる

日本銀行総裁が10年ぶりに交代した。黒田東彦はるひこ前総裁の任期は2023年4月8日まで。政府は2月、衆参両院の議院運営委員会理事会に植田和男氏の次期総裁起用案を提示。3月に承認され、4月9日から植田氏が新総裁として日銀の舵を取っている。

植田和男日本銀行新総裁。
植田和男日本銀行新総裁。(時事通信フォト=写真)

これまで日銀総裁は、日銀出身者と財務省出身者が交互に務めるケースが多かった。植田新総裁は、マクロ経済学や金融論を東大で教えていた経済学者。戦後初の学者出身の総裁だ。


注目は、安倍晋三元首相と黒田前総裁(アベクロ)が推し進めた量的・質的金融緩和、いわゆる異次元緩和を植田新総裁が引き継ぐかどうかだ。植田新総裁は2月の議院運営委員会で、「情勢に応じて工夫を凝らしながら金融緩和を継続することが適切」と見解を示す一方で、異次元緩和について「さまざまな副作用を生じさせている面は否定できない」とも述べた。ここで副作用に焦点を当てて大胆に政策転換できるかどうかが彼の試金石だ。


アベクロの金融政策は、明らかに失敗だった。黒田前総裁は、2%上昇の物価安定目標を掲げて異次元緩和をした。しかし、物価が上がらない状況が10年続いた。直近こそ世界的なインフレで日本も消費者物価は上がっている。ただ、他の先進国とは実態が違う。たとえばオーストラリアは30年で家の価格が3倍になった。物価上昇で国民が苦しむかと思いきや、週末のレストランやショッピングモールはどこも盛況だ。物価と一緒に賃金が上昇しているからである。それに対して日本は物価に賃金が追いつかない。このままでは暮らしが厳しくなる一方だ。

なぜ異次元緩和で経済が良くならないのか

なぜ異次元緩和で経済が良くならないのか。異次元緩和とは、金利を下げ、市場に大量のお金を供給してデフレ脱却を図る政策であり、理論は20世紀の古いケインズ経済学にもとづいている。しかし、ケインズ経済学は閉鎖した空間における金利とマネタリーベースに関する理論であり、現在のような国境のない経済活動が当たり前の「ボーダレス経済」の下では成り立たない。


たとえば日本が金利を低くしたら、機関投資家やヘッジファンドは「これほど低金利で円が借りられるなら」と、円を借りて外貨に替えて運用する円キャリーが起きた。一方、アメリカはインフレ抑制のために金利を上げているが、あれはケインズ経済学を逆に使ったイカサマで、経済の弱い国からお金を吸引しているから景気はいいままだ。


輪転機を回し続けて刷ったお金は、もちろん国内にも流れている。アベノミクス2本目の矢は「機動的な財政出動」だったが、その原資は元をたどると「ヘリコプターマネー」だ。


ヘリコプターマネーは日本中にばらまかれて無駄な道路や建物に変わった。業者は儲かったが、経済波及効果はそこまで。私は日本中をバイクでツーリングしているが、道路と道の駅など公共のものは立派である。しかし、脇に立つ家屋は建て替えが進んでおらず、いまにも朽ち果てそうだ。ヘリコプターマネーが全国民の懐を潤すところまで行き渡っていないのだ。


効果がないのにこのまま輪転機を回し続けるとどうなるのか。日銀は異次元緩和で国債を買い入れ続けている。リフレ派は「満期がくれば繰り延べればいい」と主張しているが、そうしているうちに日本の政府債務(地方政府、社会保障基金含む)は対GDP比262%に達して、短期を除いた国債残高の半分以上を日銀が保有する事態になった。


一方、少子高齢化で日本の労働人口は減少中だ。小学校で習う加減乗除を使えば、減っていく人たちに増える借金を返せないことはわかる。このままでは破綻するか、大増税するしかない。



植田新総裁は東大を出た後、MITに進学して、イスエラル中央銀行総裁を務めた経済学者スタンレー・フィッシャーのもとで学んだ。フィッシャー門下生には、マリオ・ドラギ欧州中央銀行前総裁や、財務長官だったローレンス・サマーズ、ベン・バーナンキFRB元議長らがいる。世界の頭脳を多数輩出するクラスで学んだ人物ならば、小学生でも計算できることを理解できないはずがない。植田新総裁が本物の学者なら、黒田路線と決別するはずである。

「貯蓄から投資」ではなく「貯蓄から消費」が必要だ

日本経済を良くするには、どのような金融政策を取ればいいのか。鍵を握るのは個人金融資産だ。1980年代後半に700兆円だった個人金融資産は、2021年末に2000兆円を突破。そのうち半分以上は現預金として眠っている。これは不思議な現象だ。日本は低金利で、定期預金にしても金利は0.01%。仮に1000万円の預金があっても利子は年にラーメン1杯分だけ。そんなところで資産を運用するのは世界的に見て日本人だけだ。


日本人が貯蓄好きなのは終戦後の教育の影響が大きい。小学生時代、私はこう教えられた。


「資源のない日本は、勤労が一番。海外から原料と資材を輸入して、一生懸命働いて付加価値をつけ、輸出して稼ぎましょう。稼ぎの半分は次の材料を買うために使い、残りは食べるための食料を輸入します。余った金はすべて貯金してください」


このときの価値観がいまも日本人を支配しているのだ。当時を知らない若い世代にアンケートを取っても、「老後が不安」が必ず上位にくる。日本は安全で暮らしやすく、医療保険は世界一で充実している。しかし、それでも心配で貯蓄に走ってしまう。結果、日本人は死ぬときに平均3000万円も現預金を残していく。イタリア人が「自分が死ぬときにお金が残ったら人生失敗」と考えるのとは対照的だ。


さて、政府は「貯蓄から投資へ」という方針を打ち出して金融市場を活性化させようとしている。しかし、NISAを拡充したところで日本人の貯蓄大好きメンタリティは変わらない。必要なのは「貯蓄から消費へ」。眠っている現預金を消費に充ててもらい、経済を直接回すのである。


では、どうすれば現預金を消費に回してもらえるのだろうか。実は無理して定期預金を解約させる必要はない。金利を上げて、その利子を消費に回してもらえばいいからだ。


高度成長期から80年頃までの金利は5~7%。当時と同じ水準で金利を5%に引き上げると、個人の現預金1000兆円の利子は年50兆円になる。


現在、利子には約20%の税金がかかるが、金利を引き上げれば受け取る利子の額が大幅に増えるので、そこから金利課税として半分を徴収しても文句は出ない。それで税収は25兆円増える。一方、いまの日本の税収は50兆円前後。例外なく消費税10%という付加価値税をやればGDP500兆円の10%で50兆円になり、金利税と消費税を合わせて75兆円。現在の税収を大きく上回っており、これで歳入は問題がない。



利子を半分徴収しても、国民の手元にはもともとの現預金と25兆円が残る。元金はそのままで、歳入に余裕があるから社会保障は削られない。これなら心配性の日本人も25兆円を消費に回せるはずだ。これが政府と日銀が取るべき財政金融政策である。これと正反対の「アベクロ政策」が日本を奈落の底に突きやった、と私は考える。

日本ほどいい国はない! 死ぬまでエンジョイしよう

金利を上げて眠っている現預金をキャッシュに化けさせれば、あとはそれをどう使うかだ。日本はいたるところにおいしいものと温泉があり、景色もすばらしい。それを求めて世界中から観光客がやってくる。それなのに家でテレビばかり見ている場合ではない。


実際、アクティブな高齢者にはJR九州のクルーズトレイン「ななつ星in九州」が人気だ。3泊4日の霧島コースで1人125万円(「スイート」に2名で宿泊)。けっして安くはないが、コロナ前は倍率100倍で、10人に1人は次の予約をして帰るという。


自分で旅程を組めるなら、博多でハイヤーを雇って九州を周遊すればいい。3泊4日なら宿泊含めて2人で50万円ほど。夫婦で「ななつ星」に1回乗るお金で九州を5回は楽しめる。


現役世代なら別荘を持つのもいい。アメリカやカナダ、オーストラリアでは、40歳前後で別荘を買う人が多い。購入資金は借金だが、別荘の管理をマネジメントカンパニーに任せると、自分が使わないときは貸し出してくれる。これを20年続けると貸し出しの収益でローンを完済できる。そして60歳で自宅を売却して、そのお金を運用しながら別荘で暮らすのだ。「アメリカ人は借金が多い」とバカにする人もいるが、別荘を買う借金は事実上貯蓄と同じで、家計を圧迫することはない。


日本も40年前に別荘ブームがあった。しかし、マネジメントカンパニーがないため収益化ができず、いつしかすたれてしまった。もったいない話だ。


もし私が一日署長ならぬ「一日首相」になったら、金利引き上げと税制改革を行い、アクティビティーを紹介したうえで、「日本にはいいところがたくさんある。あとは天国しか行くところがないというくらいに、死ぬまでこの国をエンジョイしてください」と消費を奨励する。それが日本経済を救う唯一の道だからだ。

(構成=村上 敬 写真=時事通信フォト)