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徽宗皇帝のブログ

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天皇の「拒否権」
「谷間の百合」ブログから全文転載。
ある意味、コロンブスの卵みたいな話だが、言われてみれば確かにそうだ、というのが「天皇は憲法擁護義務によって、憲法に反する法律(憲法改正案もそれ)へのサインを拒否することができる」という言葉だ。何だか、私が以前に書いた、「天皇に(法律改定への)最後のノーを言う権利を与える」という「民主主義的天皇制」の主張が馬鹿みたいである。現行憲法は実に良くできている、とつくづく思う。ただ、「天皇は政治的発言をしてはならない」という、誰が作ったのかよく分からない「ルール」をマスコミなどがうるさく言ってきたために、国民の多くは、その「ルール」が憲法の中にも規定されていると思ってきたのだろう。それはおそらく憲法第一章第三条の拡大解釈によるものだと思う。

「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負ふ」

さらに第四章第一項にはこうある。

「天皇は、この国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」

つまり、どこにも、「天皇は政治的発言をしてはならない」という規定など無いのである。もしも政治的発言すらできないなら、一般国民の持つ基本的人権(参政権)も奪われた哀れな存在だ、ということになる。
下の記事の本題である「憲法改定にサインをしない権利」についてはまた考えてみたいと思う。

(以下引用)写真のみカットした。

天皇は承認(サイン)を拒否することができる。

ジャーナリストの高野孟さんが「日刊ゲンダイ」のコラムで書かれたものらしいのですが、大変なことが書かれていました。
実は、わたしも長い間それを書きたかったのですが、法律の知識がない上に畏れ多いことでもあるので書けずにいました。
小山泰生著「新天皇と日本人、友が見た素顔、論じ合った日本論」という本の紹介なのですが、著者の小山という人は皇太子の学習院の同級生の中でもとくに親しかった人だということです。
天皇は国政に関する機能を持たないと憲法に規定されているのはだれでも知っていることですが、ところが、著者は次のような権限が天皇にあることを明かしています。
これこそわたしがずっと思ってきたことでした。

「「しかし、たとえば、あがってきた法律が憲法上の手続きに瑕疵の疑いがある場合は、第99条の憲法擁護義務によって、法理論上も法律の署名と交付を拒否することができるのです。さらに、国会で可決された法律ができたとしても、天皇がそれにサインをしなければ、その法律は成立しないというのが、この憲法の定めるところです。」




今上天皇は、戦争の反省と昭和天皇のこころならずもの負の遺産、それに向き合うことだけが自分の務めだと思ってこられたのではないでしょうか。
わたしは、生前譲位は、自分にはできないが(自分の任ではない)皇太子ならそういう権限を行使できる、或いはさせたいと思って決断されたのではないかと思いました。
皇太子ならハッキリ言われるのではないでしょうか。
2004年の欧州訪問前の記者会見で、雅子の人格を否定するような動きがあるのは事実であり、自分は全力で雅子を支えていくと言われたことに世間は驚きました。
そのお言葉通り、皇太子の忍辱によって妃殿下が再び明るい笑顔を取り戻されたことは感動的ですらあります。
今上天皇はそういうことは言われませんでしたが、天皇としての最後の誕生日に国民に向けて皇后を労いたいと言われました。
新天皇は、憲法改正にサインされないでしょう。
日本を破壊し国民を不幸にする憲法をどうして認められるでしょう。
高野さんは記事の最後をこう締めくくっています。

「 本書では、これは著者の説のように書かれているが、副題にあるように彼が皇太子と「論じ合った日本論」が反映されていることは間違いない。となると来年5月以降、天皇と政治の関係は穏やかならざるものとなっていく可能性を秘めているとみなければならない。」

すでに、先の秋篠宮さまの発言でその兆しは見えています。

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