「逝きし世の面影」から一部転載。
「内田樹の研究室」も「お気に入り」に入れているが、毎日読むわけでもないので、こうした転載先からの引用になってしまうわけだ。
安倍総理に対する外国人の見方がいろいろ書かれているが、だいたいは予想通りという感じだ。というより、安倍総理に関して今さら「新しい見方」は出てこないだろう。
ここに書かれた見方よりも、同じ「逝きし世の面影」に再掲載された記事である田中弥氏の「宰相A」で描かれた安倍総理への見方の方が、彼の内奥に迫っていると思うが、ここにまた転載するまでもないだろう。要するに祖父コンプレックスの凡人、マッチョ志向の虚勢ばかりの弱虫である。演技も下手、カリスマ性も無い、幼児的、などなどは外国人評者たちも言っている。
日本の不幸は、こうした人物が政治のトップにいることだが、それは日本人が彼を選んだからだ、ということになっているらしい。いったい、本当に日本人の多くは彼を党首とする自民党に投票したのだろうか。これ自体が嘘のような話である。どこをどうすれば、そういう投票行動ができるのか。それを説明するのが内田樹の前説的「日本人の心理分析」部分だが、これもなかなか説得力がある。岸田秀みたいだ。
戦争ができる国になったら、いつかどこかでアメリカに対して「うるせえよ。いつまでも親分顔すんじゃね〜よ。あんまり人なめてっと、殺すぞてめえ」と凄んでみたいのである。
いや、ほんとに。
日本人の半数はその無意識の、抑圧された、アメリカに対する憎悪に共感しているのである。
実際、私自身、そういう気分が無いとは言えない。私は絶対的戦争否定主義者だが、日本が独立するための戦争ならやってもいいか、という気が無いでもないのである。(笑)
(以下引用)
『Japan Times の記事から「安倍訪米」を前にした内外からのコメント』2015年04月14日 「内田樹の研究室」
Japan Times が4月11日に安倍首相訪米を前にしての、内外のウオッチャーからの安倍政治への評価を報じた。
予想通り、評価はきわめて手厳しいものである。
けれども、問題はむしろ内外の温度差である。
なぜ、国際的には、同盟国の人々からさえもこれほど評価の低い政治家が国内的には50%近い支持率を誇っていられるのか。私はそれに興味がある。
政策に対する支持率が低いのにもかかわらず、内閣支持率が高いということは、日本国民は政策以外の点で安倍晋三を支持しているということになる。
論理的にはそれ以外にない。
では、「政策以外の点」とは何か。
日本人が心に思っているけれど、心理的抑圧があって容易には言挙げできないことと言えば、二つのタブーについてしかない。
アメリカと天皇制である。
たぶん日本人に安倍がアピールする最大の理由は安倍がこの二つの禁忌に挑んでいるからだと私は思う。
安倍は対米従属のポーズをとりながら、アメリカに対する嫌悪と敵意が漏洩することを少しも意に介さないし、ナショナリストのポーズをとりながら、天皇にいかなる敬意も示さない。
反米でかつ天皇を「道具視」する政治家は1930〜40年代は戦争指導部のマジョリティを占めていたが、戦後は出番がなかった。
安倍は70年ぶりに登場してきた「大本営」仕様の政治家である。
安倍が戦争をしたがっているのは端的に「戦争がしたい」からである。だが、戦争は戦後日本では「アメリカの軍略内部で、アメリカの支援部隊として、アメリカの国益を資するかたち」でしか許されない。
だったら、それでいいから、とにかく戦争ができる国になりたい。
戦争ができる国になったら、いつかどこかでアメリカに対して「うるせえよ。いつまでも親分顔すんじゃね〜よ。あんまり人なめてっと、殺すぞてめえ」と凄んでみたいのである。
いや、ほんとに。
日本人の半数はその無意識の、抑圧された、アメリカに対する憎悪に共感しているのである。
だから、アメリカの政治学者たちは、安倍が本質的に反米的であることを直感的には理解している。でも、あまりに屈折しているその理路が理解できないでいるのである。
訪米に先立って安倍に与えられた厳しい評価
Jeff Kingston, JEFF KINGSTON
APR 11, 2015
今月末、安倍晋三首相はワシントンを訪れ、レッドカーペットの待遇を受けることになっている。ペンタゴンの「ウィッシュリスト」に彼のどのような前任者よりもすみやかに対応してきたからである。
将軍たちや官僚たちは安倍を日本における彼らの代理人、求めるものはなんでも配達してくれる頼りになる同盟者と見なしている。
しかし、『ワシントンポスト』ノコラムニストDavid Ignatius は最近安倍と会見したが、安倍はアメリカが求めるものを与えていないという理由で、あまり高い評価を与えなかった。
「アベノミクス」はいっとき日本経済の救済策として高い評価を得ていたが、さしたる効果のないものであることが明らかになった。今では富裕層に対する福祉政策という以上のものではないとみなされている。最近のNHKでの世論調査では、日本人の90%がアベノミクスの恩恵を受けていないと回答している。円の価値は30%下がったが、輸出は期待されるほどには伸びなかった。経済はぱっとしないままで、家計は苦しい。賃上げ交渉でも、労働者のマジョリティは低賃金のまま据え置かれ、大企業の賃上げも微々たるものにとどまった。
たしかに、日本株式会社にはお金が余っているが、それらの金はアベノミクス買いには向わず、国内の投資を増加させてもいない。唯一の好材料は株価の高騰だが、それはトリクルダウンには回っていない。株を所有しているのは所帯総数の15%以下にすぎないからだ。
さらに、安倍は社会福祉プログラムに大鉈をふるったが、そのせいで貧困層、社会的弱者たちはいっそう困窮度を増した。日本の女性、若者たちにとって、現実的な問題は雇用の拡大が低賃金の非正規雇用に限定されており、フルタイムの雇用にありつく機会はますます困難になりつつある。」
「安倍のいわゆる“womenomics”(女性登用政策)は指導的な層における女性のプレゼンスの強化だけにフォーカスしたトップダウン・アプローチである」とHelen Macnaughtan(London School of Oriental and African Studies)は語っている。
「問題は日本の企業文化、企業社会においてはジェンダー規範と実践が女性のキャリア形成機会への強固な妨害物として機能しているという問題に向き合う明確な戦略がないことだ。」
それゆえMacnauthtanはアベノミクスは「過去数十年にわたって日本に蔓延してきた雇用にかかわるジェンダー化されたパターン」を強化するものと判定する。
私は上智大学の中野晃一に安倍について訊ねてみた。
というのも、ある海外特派員が日本政府当局者の一人から、中野は「信頼できない」ので取材しないように実際に要求されたからである。ということは、中野の言うことは信用できそうだということになる。
「エア・ギタリストというのがいるけれど、安倍は『エア・ナショナリスト』だ」と中野は言う。
「大げさな身振りと口パクはあるけれど、それはみなフェイクであり空っぽだ。彼は国のためにほとんど何の貢献もしていない。
彼のあの歴史修正主義的な構えや反中国・反韓国感情の煽りはアベノミクスの失敗、アメリカに日本を叩き売るTPP、集団的自衛権、辺野古基地問題から国民の目を逸らすためのものである。」
上智大学の歴史学者Sven Saalerは「日本の安全保障政策における対米従属と、安倍の『戦後レジームからの脱却』プログラムに含まれる反米性のあいだには本質的な矛盾がある」と指摘している。
「『戦後レジームからの脱却』とは戦後アメリカの占領下で行われた民主化・脱軍国主義化の改革を拒否することを意味するからだ。」
安倍は公的には日米は価値観を共有していると強調しているが、Saalerの見るところ、安倍のアジェンダは「民主主義と自由の価値観にはっきりと反対するものであり、日本の戦前戦中の価値観への回帰をめざしている」。
好評をもって迎えられた『日本と過去の足枷』(Japan and the Shackles of the Past, 2014)の著者であり、筑波大学教授のR. Taggart Murphyも同じ考えだ。
「安倍は自分の失敗から学ぶことにおいてはなかなかに有能な政略家である。だが、戦後に決着したはずのことをもう一度ひっくり返そうとする彼の最終目標は変わっていない。彼と夢を共有しているのは、日本の人口のうちきわめて少数であるにもかかわらず、彼は自分の目標を包み隠すことができずにいる。」
Murphyはアメリカの政策決定者たちは安倍のことを「あまり気にしていない」という。
「というのは、日本はチェスにおける『歩』以上のものではなく、今アメリカはそのゲームで北京を相手に必死だからだ。」
Roger PulversはCounterpointにおける私の前任者であり、最近『星空物語』というタイトルの書物を日本語で出したばかりである。
彼の意見では「安倍の政策は、内政も外交も、明治時代的な国家的統合モデルの再構築に向けての真率かつ揺るぎない努力と、企業活動への国富の注入という戦後的パラダイムのふたつを混ぜ合わせたものである。この体制はイデオロギー的熱狂と確信で膨れ上がっているけれども、あきらかに時代錯誤のものであって、遠からずつまずくことになるだろう。」
しかし、Pulversは日本の未来に対しては楽観的である。「この『古い秩序』は論争の的になり、思いがけなくそれをきっかけに本当の変革への道筋が開けるかもしれないからだ。」
上智大学で政治的リーダーシップについて教えているMicheal Cucek は彼のブログ (www.shisaku.blogspot.com).でも洞察に満ちた見識を示している。
「安倍はメリトクラシーにおいてリーダーシップに求められる基準に照らすと、ほとんどの条件を満たしていない」と彼は書く。
「カリスマ性、人の話を聴く力、判断力、包容力、ヴィジョン、身体的な勇壮さ、演劇的センスなどの点で安倍について語ろうとしても、ほとんど語ることは何もないだろう。」
Cucekによると、それはつまり首相は信頼感を引き出すことも、情熱を書き立てることもできないということである。
「実際に彼はそれと反対のことを達成している。彼が政治について語れば語るほど、彼は不人気になる。
私は皮肉をこめてこの才能を『安倍マジック』と呼んでいる。」
Cucekはまた「安倍パラドクス」なる単語も新造した。
安倍内閣に対する高い支持率と、内閣の個々の政策に対する限定的な支持のことである。
「安倍政権は政府が直面した難問の解決においては十分な政治力を発揮しているが、国民が待望している問題の解決にはいかなる政治力も発揮しない」とCucekは語り、きわめて手厳しい評点を与えている。
誰か安倍をほめる人はいないのだろうか?
立教大学の公共政策専門家Andrew DeWitは安倍の原発再稼働アジェンダについて批判的だが、地方自治体に対して「バイオマス、バイオガス、地熱その他のある程度安定的に供給できる発電技術の開発」を奨励した点については評価している。
「それは効率と再生について、地域のエネルギー自給のためのエネルギー分配という観点からするならば、財政的・行政的な資源の創出に寄与することになるだろう」とDeWitは言う。
ハワイのCenter for Strategic and International Studies の研究主任Brad Glossermanは安倍のわかりにくさに困惑している。
「日本人の政策と歴史についての公式見解の基準になるべきステートメントを言葉を変えずに繰り返すこと」を安倍が忌避するからである。
「彼が口にしている言葉が彼の真意なら、なぜ彼は言葉通りのことを実行しないのか?」
安倍の言い抜けは彼の意図とは反対の結果を生み出しているとGlossermanは指摘する。
というのは隣国の人々はこれを「単なる攻撃的なふるまい以上の、彼らの感情に対する露骨な無関心」と受け取っているからだ。.
降伏70周年を記念する談話の中で、日本はアジア諸国に対してはっきりとした配慮を示す必要がある。それができるかどうかに安倍外交の成否はかかっているとGlossermanは考えている。
「私たちが論じてるのは尽きるところモラルの問題である。隣国を落胆させているのは日本が(少なくとも日本政府が)ここにほんとうの問題があるということに気づいていないように見えるからである。」
2015年04月14日 「内田樹の研究室」
「内田樹の研究室」も「お気に入り」に入れているが、毎日読むわけでもないので、こうした転載先からの引用になってしまうわけだ。
安倍総理に対する外国人の見方がいろいろ書かれているが、だいたいは予想通りという感じだ。というより、安倍総理に関して今さら「新しい見方」は出てこないだろう。
ここに書かれた見方よりも、同じ「逝きし世の面影」に再掲載された記事である田中弥氏の「宰相A」で描かれた安倍総理への見方の方が、彼の内奥に迫っていると思うが、ここにまた転載するまでもないだろう。要するに祖父コンプレックスの凡人、マッチョ志向の虚勢ばかりの弱虫である。演技も下手、カリスマ性も無い、幼児的、などなどは外国人評者たちも言っている。
日本の不幸は、こうした人物が政治のトップにいることだが、それは日本人が彼を選んだからだ、ということになっているらしい。いったい、本当に日本人の多くは彼を党首とする自民党に投票したのだろうか。これ自体が嘘のような話である。どこをどうすれば、そういう投票行動ができるのか。それを説明するのが内田樹の前説的「日本人の心理分析」部分だが、これもなかなか説得力がある。岸田秀みたいだ。
戦争ができる国になったら、いつかどこかでアメリカに対して「うるせえよ。いつまでも親分顔すんじゃね〜よ。あんまり人なめてっと、殺すぞてめえ」と凄んでみたいのである。
いや、ほんとに。
日本人の半数はその無意識の、抑圧された、アメリカに対する憎悪に共感しているのである。
実際、私自身、そういう気分が無いとは言えない。私は絶対的戦争否定主義者だが、日本が独立するための戦争ならやってもいいか、という気が無いでもないのである。(笑)
(以下引用)
『Japan Times の記事から「安倍訪米」を前にした内外からのコメント』2015年04月14日 「内田樹の研究室」
Japan Times が4月11日に安倍首相訪米を前にしての、内外のウオッチャーからの安倍政治への評価を報じた。
予想通り、評価はきわめて手厳しいものである。
けれども、問題はむしろ内外の温度差である。
なぜ、国際的には、同盟国の人々からさえもこれほど評価の低い政治家が国内的には50%近い支持率を誇っていられるのか。私はそれに興味がある。
政策に対する支持率が低いのにもかかわらず、内閣支持率が高いということは、日本国民は政策以外の点で安倍晋三を支持しているということになる。
論理的にはそれ以外にない。
では、「政策以外の点」とは何か。
日本人が心に思っているけれど、心理的抑圧があって容易には言挙げできないことと言えば、二つのタブーについてしかない。
アメリカと天皇制である。
たぶん日本人に安倍がアピールする最大の理由は安倍がこの二つの禁忌に挑んでいるからだと私は思う。
安倍は対米従属のポーズをとりながら、アメリカに対する嫌悪と敵意が漏洩することを少しも意に介さないし、ナショナリストのポーズをとりながら、天皇にいかなる敬意も示さない。
反米でかつ天皇を「道具視」する政治家は1930〜40年代は戦争指導部のマジョリティを占めていたが、戦後は出番がなかった。
安倍は70年ぶりに登場してきた「大本営」仕様の政治家である。
安倍が戦争をしたがっているのは端的に「戦争がしたい」からである。だが、戦争は戦後日本では「アメリカの軍略内部で、アメリカの支援部隊として、アメリカの国益を資するかたち」でしか許されない。
だったら、それでいいから、とにかく戦争ができる国になりたい。
戦争ができる国になったら、いつかどこかでアメリカに対して「うるせえよ。いつまでも親分顔すんじゃね〜よ。あんまり人なめてっと、殺すぞてめえ」と凄んでみたいのである。
いや、ほんとに。
日本人の半数はその無意識の、抑圧された、アメリカに対する憎悪に共感しているのである。
だから、アメリカの政治学者たちは、安倍が本質的に反米的であることを直感的には理解している。でも、あまりに屈折しているその理路が理解できないでいるのである。
訪米に先立って安倍に与えられた厳しい評価
Jeff Kingston, JEFF KINGSTON
APR 11, 2015
今月末、安倍晋三首相はワシントンを訪れ、レッドカーペットの待遇を受けることになっている。ペンタゴンの「ウィッシュリスト」に彼のどのような前任者よりもすみやかに対応してきたからである。
将軍たちや官僚たちは安倍を日本における彼らの代理人、求めるものはなんでも配達してくれる頼りになる同盟者と見なしている。
しかし、『ワシントンポスト』ノコラムニストDavid Ignatius は最近安倍と会見したが、安倍はアメリカが求めるものを与えていないという理由で、あまり高い評価を与えなかった。
「アベノミクス」はいっとき日本経済の救済策として高い評価を得ていたが、さしたる効果のないものであることが明らかになった。今では富裕層に対する福祉政策という以上のものではないとみなされている。最近のNHKでの世論調査では、日本人の90%がアベノミクスの恩恵を受けていないと回答している。円の価値は30%下がったが、輸出は期待されるほどには伸びなかった。経済はぱっとしないままで、家計は苦しい。賃上げ交渉でも、労働者のマジョリティは低賃金のまま据え置かれ、大企業の賃上げも微々たるものにとどまった。
たしかに、日本株式会社にはお金が余っているが、それらの金はアベノミクス買いには向わず、国内の投資を増加させてもいない。唯一の好材料は株価の高騰だが、それはトリクルダウンには回っていない。株を所有しているのは所帯総数の15%以下にすぎないからだ。
さらに、安倍は社会福祉プログラムに大鉈をふるったが、そのせいで貧困層、社会的弱者たちはいっそう困窮度を増した。日本の女性、若者たちにとって、現実的な問題は雇用の拡大が低賃金の非正規雇用に限定されており、フルタイムの雇用にありつく機会はますます困難になりつつある。」
「安倍のいわゆる“womenomics”(女性登用政策)は指導的な層における女性のプレゼンスの強化だけにフォーカスしたトップダウン・アプローチである」とHelen Macnaughtan(London School of Oriental and African Studies)は語っている。
「問題は日本の企業文化、企業社会においてはジェンダー規範と実践が女性のキャリア形成機会への強固な妨害物として機能しているという問題に向き合う明確な戦略がないことだ。」
それゆえMacnauthtanはアベノミクスは「過去数十年にわたって日本に蔓延してきた雇用にかかわるジェンダー化されたパターン」を強化するものと判定する。
私は上智大学の中野晃一に安倍について訊ねてみた。
というのも、ある海外特派員が日本政府当局者の一人から、中野は「信頼できない」ので取材しないように実際に要求されたからである。ということは、中野の言うことは信用できそうだということになる。
「エア・ギタリストというのがいるけれど、安倍は『エア・ナショナリスト』だ」と中野は言う。
「大げさな身振りと口パクはあるけれど、それはみなフェイクであり空っぽだ。彼は国のためにほとんど何の貢献もしていない。
彼のあの歴史修正主義的な構えや反中国・反韓国感情の煽りはアベノミクスの失敗、アメリカに日本を叩き売るTPP、集団的自衛権、辺野古基地問題から国民の目を逸らすためのものである。」
上智大学の歴史学者Sven Saalerは「日本の安全保障政策における対米従属と、安倍の『戦後レジームからの脱却』プログラムに含まれる反米性のあいだには本質的な矛盾がある」と指摘している。
「『戦後レジームからの脱却』とは戦後アメリカの占領下で行われた民主化・脱軍国主義化の改革を拒否することを意味するからだ。」
安倍は公的には日米は価値観を共有していると強調しているが、Saalerの見るところ、安倍のアジェンダは「民主主義と自由の価値観にはっきりと反対するものであり、日本の戦前戦中の価値観への回帰をめざしている」。
好評をもって迎えられた『日本と過去の足枷』(Japan and the Shackles of the Past, 2014)の著者であり、筑波大学教授のR. Taggart Murphyも同じ考えだ。
「安倍は自分の失敗から学ぶことにおいてはなかなかに有能な政略家である。だが、戦後に決着したはずのことをもう一度ひっくり返そうとする彼の最終目標は変わっていない。彼と夢を共有しているのは、日本の人口のうちきわめて少数であるにもかかわらず、彼は自分の目標を包み隠すことができずにいる。」
Murphyはアメリカの政策決定者たちは安倍のことを「あまり気にしていない」という。
「というのは、日本はチェスにおける『歩』以上のものではなく、今アメリカはそのゲームで北京を相手に必死だからだ。」
Roger PulversはCounterpointにおける私の前任者であり、最近『星空物語』というタイトルの書物を日本語で出したばかりである。
彼の意見では「安倍の政策は、内政も外交も、明治時代的な国家的統合モデルの再構築に向けての真率かつ揺るぎない努力と、企業活動への国富の注入という戦後的パラダイムのふたつを混ぜ合わせたものである。この体制はイデオロギー的熱狂と確信で膨れ上がっているけれども、あきらかに時代錯誤のものであって、遠からずつまずくことになるだろう。」
しかし、Pulversは日本の未来に対しては楽観的である。「この『古い秩序』は論争の的になり、思いがけなくそれをきっかけに本当の変革への道筋が開けるかもしれないからだ。」
上智大学で政治的リーダーシップについて教えているMicheal Cucek は彼のブログ (www.shisaku.blogspot.com).でも洞察に満ちた見識を示している。
「安倍はメリトクラシーにおいてリーダーシップに求められる基準に照らすと、ほとんどの条件を満たしていない」と彼は書く。
「カリスマ性、人の話を聴く力、判断力、包容力、ヴィジョン、身体的な勇壮さ、演劇的センスなどの点で安倍について語ろうとしても、ほとんど語ることは何もないだろう。」
Cucekによると、それはつまり首相は信頼感を引き出すことも、情熱を書き立てることもできないということである。
「実際に彼はそれと反対のことを達成している。彼が政治について語れば語るほど、彼は不人気になる。
私は皮肉をこめてこの才能を『安倍マジック』と呼んでいる。」
Cucekはまた「安倍パラドクス」なる単語も新造した。
安倍内閣に対する高い支持率と、内閣の個々の政策に対する限定的な支持のことである。
「安倍政権は政府が直面した難問の解決においては十分な政治力を発揮しているが、国民が待望している問題の解決にはいかなる政治力も発揮しない」とCucekは語り、きわめて手厳しい評点を与えている。
誰か安倍をほめる人はいないのだろうか?
立教大学の公共政策専門家Andrew DeWitは安倍の原発再稼働アジェンダについて批判的だが、地方自治体に対して「バイオマス、バイオガス、地熱その他のある程度安定的に供給できる発電技術の開発」を奨励した点については評価している。
「それは効率と再生について、地域のエネルギー自給のためのエネルギー分配という観点からするならば、財政的・行政的な資源の創出に寄与することになるだろう」とDeWitは言う。
ハワイのCenter for Strategic and International Studies の研究主任Brad Glossermanは安倍のわかりにくさに困惑している。
「日本人の政策と歴史についての公式見解の基準になるべきステートメントを言葉を変えずに繰り返すこと」を安倍が忌避するからである。
「彼が口にしている言葉が彼の真意なら、なぜ彼は言葉通りのことを実行しないのか?」
安倍の言い抜けは彼の意図とは反対の結果を生み出しているとGlossermanは指摘する。
というのは隣国の人々はこれを「単なる攻撃的なふるまい以上の、彼らの感情に対する露骨な無関心」と受け取っているからだ。.
降伏70周年を記念する談話の中で、日本はアジア諸国に対してはっきりとした配慮を示す必要がある。それができるかどうかに安倍外交の成否はかかっているとGlossermanは考えている。
「私たちが論じてるのは尽きるところモラルの問題である。隣国を落胆させているのは日本が(少なくとも日本政府が)ここにほんとうの問題があるということに気づいていないように見えるからである。」
2015年04月14日 「内田樹の研究室」
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