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徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

資本主義の崩壊か、西洋社会の崩壊か
「in deep」に引用されていた記事で、ところどころ面白い部分があるが、結論部分は何の説明も無しに断定しており、首をひねるしかない。岡氏には珍しく、誤字や誤記もいくつかあるようだ。経済用語(初歩的だが、たいていの人には意味不明の言葉で、たとえば「信用」とか「流動性」などを実体的な「モノ」として扱うなど。)を説明抜きで使っているところなども私には少し気に入らない。

(以下引用)長いので、引用だけだが、ブログ容量が許せば、後で考察もしたい。





パンデミック、経済崩壊、そして完全な社会崩壊


Pandemic, Economic Collapse, Full Societal Breakdown
Economic Prism 2020/06/05



共生の不調和



西洋文明の安定性が激しく揺さぶられている。パンデミック、経済崩壊、そして、完全な社会的崩壊を見ているのだ。



先週の日曜日(5月31日)、私たちのアメリカの多くの都市で、平和的な抗議行動に続いて起きた、暴動、略奪、そして放火の破壊者たちを警察は止めることができなかった。その後、国家警備隊(軍隊)が、略奪を鎮圧するために召喚された。



パンデミック、経済崩壊、そして完全な社会の崩壊がアメリカ中の多くの都市で繰り返されている。それぞれ、「今」それが起きていて、そして、「ここ」でそれは起きている。



政府のパンデミックでのロックダウン命令から、次にはアメリカ政府は、夜間外出禁止令へと移行した。もともと昼間もロックダウンされていたものが、夜になったというだけで、流れは同じだ。



しかし、この 2つには微妙な違いがある。主な違いは地方自治体の公共サービスについてだ。パンデミックでのロックダウンではなかったこととして、公共サービスは、私たちの携帯に、午後になると、まるで迷惑メールのように「外出しないように」というメールを送りつけてくる。



今、何が起こっているのかをよりよく理解するたるに、次のことをよりよく予測し、計画してみたいが、どこから始めればいいのだろうか。



ヒューマン・ロデオ



今起きていることは、まるで、ロデオか牛の群れによる暴走のようだともいえる。もともとは牛は無害だが、しばしば、牛たちは集団での激しい行動を起こす。牛の集団での暴走は、突然の驚愕、または突然の知覚による脅威などから起きる。牛の群衆が集合的に一方向に動き始めると、その道の途中にあるものすべてが排除、破壊される。



牛の暴走の場合、その牛たちを牧場主が抑える唯一のチャンスは、群れに変化を与えるために発砲することだ。成功すれば、牛たちは巨大な円を作り、収まる。牧場主がいなければ、牛たちは崖から逃げる(徽宗注:「落ちる」だろう。)だろう。



現代人も、牛のように群衆行動を起こしやすい。いや、牛以上に、人間という動物は、ほとんどすべてのものを極端化する傾向がある。



たとえば、宗教の巡礼、スポーツイベント、音楽コンサート、大晦日のお祝い、政治的集会、平和的な抗議運動など、その多くが「極端化」することを見てきた。たとえば、2015年には、サウジアラビアでのイスラム教の大巡礼で、殺到した人々が次々と倒れ、2400人以上が死亡した。



金融市場もまた、サウジアラビアの事件と同じように、暴徒が倒されるための無数の道を開いている。希少性と豊かさへの恐怖(徽宗注:「恐怖」と反する文脈に思える。)と貪欲な見通しは、極端な人間の愚かさに対して驚くべき機会を提供する。



過度の熱狂、パニック、および市場の暴落は、衝撃的な規則性(徽宗注:「定期的に生じる」意味だと思うが、「衝撃的」というのは「規則性」のことではなく、その規模のことだと思う。)を伴っている。



大量の投機が、取引の一方の側に積み重なった後、本来なら、彼らは最終的には、コースを逆転させて、別の方向に投機しなければならない。しかし、その「逆転」の正確な時と期間は一般的には決して明確ではない。



結局、パニックと市場の暴落が来ると、多くの人たちはサウジアラビアのように踏みにじられる。



パンデミック、経済崩壊、そして完全な社会崩壊



社会的なムードと集団的な動きを事前に正確に予測することはできず、後になって、それがわかるのが普通だ。ただし、静かに地面に耳を傾けると、「そこに近づいてくるもの」のささやきが聞こえる場合がある。



たとえば、1930年代(大恐慌の時代)の主な教訓は、そのような時には、借金をするべきではなく、銀行システムではないところに大量の現金を保管しておくべきだということだった。大恐慌時代の他の教訓は、自宅に菜園を作ること、そして、アルミニウムのスクラップ(徽宗注:意味不明。)と小麦粉と砂糖を購入することだった。



しかし、このような 1930年代の大恐慌の教訓に耳を傾け、1970年代まで現金を保持していた人々には、購買力の大幅な喪失という酬いが襲った。すでに時代の景観は、すでに変化していたのだ。



1970年代の主な教訓は、「人は大量のお金を借りるべき」だということだった。



そして、現金は隠しておくべきものではなくなった。借りたお金を使ってどんどん家を買うべきであるという教訓に変化していたのだ。 1970年代には、住宅価格は急騰し、借金の実質的債務負担はすぐに半分になった。



1960年のアメリカの住宅価格の中央値は 11,900ドル(130万円)だった。その後、住宅価格は 1990年までには、79,100ドル(860万円)になった。仮に住宅を 30年間のローンで購入したとすれば、上昇し続ける住宅の実勢価格と照らし合わせると、1960年に購入した住宅の毎月のローンの支払いは、どんどん低くなっていった。



そして、物価も上がった。1960年に 1ドル(109円)で購入できたものは、1990年に購入するためには 4.42ドル(480円)かかるようになった。住宅価格は、その消費者価格の 2倍に近い率で上昇した。



結局、1930年代の教訓を得た人たちは、徹底的に借金を回避した。



しかし、1970年代に教訓を得た人たちは、その逆で借りまくって生きた。



では、私たちが学ぶべき教訓は何なのだろう。



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