忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

欠乏と欲望と犯罪


ベーシックインカムが当たり前となった文明国家では犯罪は激減する。



これは「谷間の百合」に載っていた「RYUUBFAN」氏の文章の一節だが、この言葉が強い印象を与えたので、少しこれについて考えてみたい。もちろん、私もこの言葉が正しいと思っている。
前にも書いた気がするが、英語で「want」は「欠乏する」と「欲する」の二つの意味がある。このことを昔から私は面白いと思っていた。
我々はなぜ何かを「欲する」のか、といえば、それはその何かが「欠乏している」からだ。これは当然の話だろう。喉が渇いているから水を欲する。腹が減っているから食物を欲する。
では、なぜ人は犯罪を働くのか。それは、その犯罪の対象となる何かを「欲する」からである。それはたいていは「金」だ。金はすべての欲望の集約なのである。金があれば、自分に欠乏しているものはすべて手に入る、と思うから人は犯罪を働くのである。もちろん、怨恨、復讐などの動機による犯罪は別の話で、それは「相手を破壊したい」という欲望を達成するために行うものであり、相手を破壊したいのに破壊できない、という「欠乏状態」が犯罪の動機である点に関しては同じだとも言えるが、ほとんどの犯罪の動機は金だろう。
金の面白いところは、「どれだけあれば自分の中の『欠乏状態』が解消できるのか」が、誰にもほとんど分かっていないことである。だから、大金持ちは、金を持てば持つほど強欲になる。金で得られる何かよりも金の数字を増やすことが「欲望」になってしまうのだろう。
さて、長い前置きになったが、ベーシックインカムは人々の大半を「本物の欠乏状態」から解放する。となれば、それで「犯罪の必要性」はほとんど消滅するわけである。人々は「生存の必要性」に迫られて仕事に就き、働く、のと同様に、「生存の必要性」に迫られて犯罪を行うのだから。少なくとも、「これは犯罪を行っても仕方がないなあ」と同情できるレベルの犯罪は激減するだろう。「その種の犯罪は犯罪とも言えない、むしろ彼らをそこまで追い詰めた『国家の犯罪』だ」、と言う話はまた別。
で、残るのは「生存という面から言えば必要性の無い犯罪」だけで、これは極悪犯だと言える。たとえば、貧しい庶民から金を取り上げて、大企業や大金持ちに与える、という犯罪など。

拍手

PR

コメント

コメントを書く